キミドリエリア

星町憩

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「【被検体169ワン・シックス・ナイン、外出願いの受理、承認。B地区までの散策を許可する】」

 機械的な音声がそう放送を流したので、あたしは一人ではーいと答え、さっさとゲートに向かった。エレベーターで降りて降りて降りて、差し出された外界マップを受け取り、ガラスの壁の向こうへと足を踏み出す。

 たしか、もう八十九回くらいは外出許可の申請を出していたと思う。でも順番だからって、なかなか認可が降りなかった。あたしは最後の外出、八歳の時から苦節三年待ち続け、ようやく今日、十一歳になった六月の日、外出を許可された。まったく窮屈なことです。みんな外に出たいに決まってるんだから、同じ日に一斉に許可だしたっていいと思う。そしたらお外でみんなで遊べる。なのに外に出られるのは一回あたり一人だけ。だから本当にただお散歩するだけでとってもつまんない。

 まあ、外から自分の故郷たる都市メトロポリスを眺めること自体は面白くないこともない。この都市は、とっても姿がへんてこなの! 蛇さんみたいに蛇行したたくさんのガラスチューブが、林立するビルとビルを繋いでいる。あたし達はみんなそれぞれのビルに住んでいる。昔の人たちは自然の中にビルを作って生きてたらしいんだけど、今どきはビルの中に自然を作って生きている。具体的な理由は難しくてわからないけど、自然が無くなってしまって、外の環境は哺乳類が棲息するには不適切になってしまったんだって。とはいっても、都市の外壁管理のために、大人たちはたくさん外に出入りしている。あたしはいわゆるデザイナーベイビーの一人なので、その健康管理は政府の管理下にあって、あんまり外には出ちゃいけないんだ。でも、あまりにビルの中に引きこもっていると、過去のベイビーたちは精神がおかしくなったんだって。だから定期的に外に出ていいことになってるんだけど、いちいち許可制だからそう頻繁にも外には出られない。

 景色は幾何学的で無機質でなんの面白みもないけれど、どうして外に出たくなるかというと、やっぱりお外の空気は美味しく感じるからだと思う。ビル内の空調機から送られてくる風は嫌な匂いがするけれど、外の風はなんだかいい匂いがする。お日様の光がいやな壁越しなんかじゃなく、ありのままに私の肌にしみ込んで、ぽかぽかさせてくれる。何より解放感! 壁がないってなんて楽しい!

「B地区……ってことは、キミドリエリアがある……?」

 外界マップとにらめっこしながら、あたしはマップの中に描かれた緑の四角を指でなぞった。キミドリエリア、うわさでしか聞いたことがない。そこは不思議なパワースポットだと言われている。この都市を作るために各地で工事が執り行われた大昔、その小さな面積の場所だけは、どんな鋼鉄のシャベルでも傷一つつけられず、まるで神様がそこには立ち入るなと意思を持って伝えてきているようだったんだって。その一ヘクタールほどもない場所は、一年中鮮やかな黄緑色の草で覆われていることから、キミドリエリアなんて誰かが呼び出して、その名称が国民全体に浸透したとかなんとか。

 キミドリエリアは、とてもいい匂いがすると聞いたことがある。立ち入ろうとすると、身体中に静電気がぱちぱち弾けるようないやな感覚があるので、誰も足を踏み入れたことはないんだって。でも、外の空気が美味しく感じるのは、キミドリエリアのおかげなんだって。十歳を超えるまでA地区にしか行けなかったけど、今はせっかくB地区に行けるんだ。天然の黄緑色ライトグリーンを拝もうじゃないか。

 わくわくしながらそこへたどり着いた時、あたしは目の前の光景に固まったし、何度も瞬きを繰り返したし、一度後ろを振り返ってから見直してみたりもした。でも現実は何も変わらなかった。あたしはとっても動揺した。キミドリエリアの葉緑色ナチュラルグリーンに圧倒されたからじゃない。思っていた以上にキミドリエリアは新鮮味がなかった。ビルの中でもよく見慣れた芝生と大差ないし、匂いもビルの中に立ち込める土や濡れた草の匂いとさして変わらなくて、むしろ拍子抜けしたし、がっかりした。そしてとても狭かった。想像以上になんにもなかった。その真ん中に、あたしと歳が変わらないくらいの子供がぽつんと立っているということ以外は。

 その子は真っ白な半袖のワンピースを着ていた。裸足だった。肌は小麦色で、髪の毛はキミドリエリアと同化するような草色だった。目も同じように緑色で、でも髪の毛よりは濃い色かもしれない。血色の悪い唇をその子はキュッと引き結んで、あたしをじろじろと上から下まで観察していた。そして何よりおかしかったのが、その子が自分の身長とほとんど変わらない大きさの、銀のハサミを両手で構えていたことだ。

「だっ、だれ? えっと、あたしはマチ! マチルダ・グリーンヒルよ。被検体169とも呼ばれてるけど」

 あたしがそこまで一息に言い終えると、その子は眉根を寄せて、口を開き、閉じて、また開いた。

「……ボクは庭師のダヴ」

 とても可愛らしい声で、その子は言った。

「ダヴ! 珍しい名前ね! 庭師って……子供でもなれたんだ。知らなかった!」

「……おそらくだけど、キミの思っている庭師と、ボクは違うと思うよ」

「ふーん? じゃあ、何をするの?」

「ああ……うっとおしい。子どもに見つかるなんて凡ミスにも程がある……キミ、気配がないってよく言われない? 声はでかくてうるさいくせにね」

「よくわからないけど、言われるわよ。ずっとそこにいるのに急に現れたとかびっくりされちゃうの。ついたあだ名は幽霊ゴーストよ!」

「ああそう……どうでもいいけど、帰って。キミのテンションはとっても不快。そして二度とここに来ないでね」

「頼まれたって別に来る用事なんてないけど、そこまで言われるのも不愉快だわ」

 ダヴの言いように、さすがにあたしもムッと来た。

「ここ、何にもなくてつまんないもの。ビルの中の庭と大して変わらないし、花も咲いてない、木の一つもない。小鳥もいないし、魅力的とは言えないわ」

 じゃあね、と言いながら、ぷい、と踵を返す。すると意外なことに、「待ってよ」なんて声がかかった。失礼なことを言われたんだから、振り返ってあげる義理なんてないんだけど、退屈してたの。だからつい振り返っちゃった。

 ダヴは、むす、としたまま、私を見ていた。

「遊んでくれたら、欲しいものをなんでも一つあげる」

「なんでも一つ? ほんと? じゃあね、緑色の可愛いスカートが欲しい!」

「食い付きが早い……そんなものでいいの」

「ただじゃいやよ。植物のいい匂いがして、どんなに洗濯してもその匂いがとれない、自然を感じられるスカートがいいの。中はとても窮屈だから」

 あたしは、長年妄想していたその夢を、ダヴに聞かせてうっとりとした。

「いいよ」

 ダヴは、頷いた。

「じゃあ……遊ぼっか。遊びはそっちが好きに決めて」

 ……多分、ダヴもあたしにこの場所をちょっと貶されて、ムッと来てたんだと思う。だからあたしを引き止めちゃったんだろうな、なんて思いながら、あたしは二人でできる遊びを思い起こした。


 手を使った簡単なゲームだったのに、ダヴはびっくりするくらい下手っぴだった。何度やってもあたしが勝っちゃうので、ダヴが不機嫌にならないかちょっと心配だったんだけど、ダヴは負けているのに楽しそうで、興奮していた。もしかして、遊んだことがないのかしらと不思議に思う。

「ねえ、ダヴ。あなたはどこの棟の子? あたしはP棟の出身なんだけど……」

「いや、ボクは君たちのいう住居区画には住んでないし、そこで生まれてもいない」

 笑いすぎて出た涙を拭いながら真面目な顔をしてダヴはそんなことを言う。

「ボクは、この緑の庭が生まれた時からここにいて、この緑の庭と共に生きているんだ」

「キミドリエリアと……?」

「ええと、それはキミたちの言葉でのここのことかな」

 ダヴは困惑したように眉尻を下げた。

「キミは勘違いしてるのかもしれないが、ボクはキミと同じ意味でのニンゲンではないよ」

「どういうこと?」

「ニンゲンにこんな髪色はないでしょう」

 ダヴは自分の髪を指で一房摘んだ。

「それに、ニンゲンは……そうだな、キミたちの使う暦でいうところの五百年以上を生きないし、林檎と水だけで生き続けることは出来ない。ボクにとってそれはご馳走だけれど、キミたちはそれだけ食べていても死んでしまう」

「林檎が好きなの?」

「好きというか……」

 ダヴは何故か顔を赤らめて、言葉を濁した。

「林檎! P棟には果樹園があって、たくさん実が成るのよ。今度来る時……アー、いつ来られるかは分からないんだけど……次に来た時、お礼に持ってくるわね」

「いや、ボクのいう林檎は……」

「ね、これのお礼!」

 あたしはダヴがキミドリエリアの草とあの大きなハサミを駆使して作り上げてしまった緑のスカートを持って、その場でくるりと回った。ふわりと瑞々しい自然の匂いが漂って、肺の中まで綺麗になった心地がする。

 ダヴは片眉を下げたまま笑った。





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