恋の病にご用心?

秋来一年

⒈感染

 目を覚ますと、見知らぬ美少女と目があった。

 白くほっそりとした鼻筋に、きらきらと輝く黒目がちな瞳。

 唇と頬は薔薇の紅をのせたように朱が差し、睫毛は烏揚羽のように長く、優雅だ。

 これが、毎朝起こしに来てくれる幼馴染なんかであれば、何の問題もないのだろう。問題もないどころか、非の打ち所がない最高の目覚めとすら言っていい。それほどまでに、彼女の容姿は極上だった。

 しかし、大問題なことに、俺はこの美少女とは初対面だった。

 幼馴染どころか、話したことすらない、赤の他人なのである。

 こんなに美しいひとと会っていれば、絶対に忘れないだろうし、面識がないのは確実だ。

 ではなぜ、こんなところに。

 というか、これは一体どんな状況だ?

 寝起きでまだぼんやりしている頭を精一杯動かし、俺は状況を整理しようと試みる。

 まず、ここは俺の部屋だ。目が覚めると「知らない天井だ」なんてこともなく、頭上には見飽きた天井が広がっている。

 そして、その天井を遮るようにして、件の美少女が俺の上に覆いかぶさっていた。いわゆる四つん這いの姿勢で、俺のことを覗き込んでいる。

 と、そこで少女が、初めて俺の動揺に気づいた様子でちいさく息を飲んだ。

 そして、恐る恐るといった様子で、桜色の唇をひらく。

「あの、もしかして……私のこと視えてます?」

「は……?」

 思わず思考が固まる。

 と同時、俺が自身のことを認識していると確信した少女は、カアッっと一息に色づいた頬を両手で隠し……

「いやああああもうお嫁にいけないいいいいいい!!!」

 と絶叫した。

「んなっ」

 咄嗟に、叫ぶ彼女の口を抑えようと起き上がったのだが、そこであることに気づき、思わず俺も顔を赤らめる。

 なんと、彼女は全裸だったのだ。

 すっぽんぽん、である。

 正直顔なんて隠してないで、もっと隠すべき箇所がある気がするが、とてもそんなことを突っ込める雰囲気ではない。

 というか、布団に寝ていた時には気づけなかったのだが、この目の前の美少女は、一糸も纏うことなく、俺の上にかぶさっていたわけで。

 痴女、変質者、ストーカー。

 そういった単語が次々に浮かんでは消える。

 背中に冷たいものが走った。正直、布団に包まって夢だと思いこみたい。現実を直視したくない。

 しかし、このまま叫ばれては、ご近所さんに通報されかねない。とにかく、どうにかしてこの痴女(?)を黙らせないと。

 そう思った俺は、自分にかかっていた布団をその美少女にばさっとかけて、なるべく身体を隠し、その上に覆いかぶさるようにして彼女の唇を手で塞いだ。

 不可抗力とはいえ、全裸の美少女を組み敷いて強引に口をふさぐというのは、なんというかその、悪いことをしている気分になるな。

 おまけに、抵抗しようともがもがしている彼女の唇や吐息がてのひらを撫でるもんだから、妙な気分になってしまうし、もう勘弁して欲しかった。

 ともあれ、あとはこの謎の美少女が落ち着くのを待って、話を聞いて、警察なり何なりしかるべきところに連れて行けば万事解決……。

 そう思って、俺がふうと息をついたその時、扉の外で階段を上がってくる足音がした。

 きっと、先ほどの騒ぎを聞きつけ、母親が様子を見に来たんだろう。

 まずい。

 自分の今の状況を思い出し、俺は息が詰まった。

 頭の中がホワイトアウトする。

 俺の今の状況を客観的に見れば、見知らぬ全裸の美少女に馬乗りになって、その口を塞いでるやばいやつ、だ。犯罪の香りしかしない。

 しかも、口を塞いでるせいか、少女の頬は上気し、元からきらきらとしている瞳は、涙の膜で覆われてその輝きを増している。

 どうしようどうしよう。

 俺はなにも悪くない。目覚めたらこいつがこの部屋にいて、むしろ悪いのはこの部屋に不法侵入してきたこの少女のせいだ。

 けど、そんなことを言って、果たして信じてもらえるだろうか。

 そんな考えがぐるぐると渦巻き、結局なにも解決策は思い浮かばないままに、足音はどんどん近づいてきて、そして。

「ちょっとあんた! 朝からひとりでなに騒いでんの? 起きてんなら早く降りてきて朝ごはん食べなさい」

 扉を開けた母親は、俺を一瞥するとそう言って、リビングがある一階へとあっさり降りてしまった。

 え……?

 扉が開いた瞬間、終わった、と思っていた俺は、思わず拍子抜けしてしまう。

 母親は、この状況を見て何も言わなかった?

 いや、そんなはずはない。普通の価値観を持つ大人なら、この状況に気づいてスルーするなんて有り得ない。

 じゃあ、気づかなかった?

 でも、いくら布団がかぶさっているとはいえ、顔は出ているわけだし、見落すなんてそんなはず……。

 待てよ。

 そういえば、こいつ、叫ぶ前に俺に何か訊いてなかったか?

 確か、「私のこと、視えてます?」とか。

「お前は、一体……」

 つぶやきながら、唇を抑えていた手を離す。

 ぷはぁっ、と解放された少女は大きく息を吸い込み、俺を見た。

 そして、真剣な眼差しで口を開く。

「私はアデノウイルス3型。平たく言うと、風邪菌です。

––久城勇人さん、私に感染してください」

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