猫と新選組
藤咲メア
第1話
我は、京の不動堂村に住むしがない野良猫である。
名など特に持ち合わせてはおらぬが、時折ごはんをもらいにいっている人間の婆さんが「たま」と我の事を呼んでくるから、とりあえず「たま」とでも名乗っておこう。だが、「たま」なぞ人間が猫につける名としては、ありふれすぎて他の猫としょっちゅうかぶるのが厄介であるが。
ともかくも、そんな我の日課は縄張りを見回ることである。毎日我は決まった時間になると、他の猫が勝手に我の縄張りに入ってきていないか、入念に見回るのである。
*
雨の多くなるジメジメする季節に入った頃だ。今日も特に我の縄張りを侵略せんと侵入してきた猫はおらんかったようだ。だが、代わりに妙な連中がおった。
その連中と出くわしたのは、我の縄張りの端の方にある土地である。毎日見回っておったから知っておるが、そこに人間どもが何やら屋敷を建てていた。今日はどうもその屋敷が完成したようで、越して来たらしき人間が大勢着ていた。
そいつらはそろいもそろって
我は茂みに隠れて、そいつらをじっと観察することにした。皆若い男で、腰に刀を差しており、どことなく物騒な雰囲気がある。不用意に近づいたらあの刀で斬られるのではないか。
くんくんと鼻をひくつかせてみると、どこか鉄臭い匂いが連中から漂ってきた。たぶん血の匂いだ。猫の血ではなさそうだが、どのみち血の匂いをさせている人間には近づかぬに越したことはない。
我はそう判断して、ひとまずここから立ち去ることに決めた。音を立てぬようにゆっくりと後ろ向きに動く。その時、我は背後からいきなり何者かに抱え上げられた。
「猫だ。かわいいなぁ」
びっくりした我は毛を逆立て、のんきにかわいいなどと言っておる奴の手に思い切り爪を立ててやる。
「痛っ。痛いってば」
痛がっているくせに、その人間はなかなか我を離そうとしない。無礼な奴である。
我はもっと暴れることにする。そんな我を見かねたのか、だんらだ模様の連中の一人が近づいてきた。
「沖田さん、離してあげてください。その猫嫌がっていますよ。」
我を捕まえた男は「沖田」という名前らしい。
沖田は仲間に諭されようやく我を離した。
地面に降りた我は沖田を睨みつけた。沖田はまだ二十代そこそこの青臭い若者であった。涼しげな目元をしておるなかなかの美丈夫だが、なんだかいけ好かない奴である。
我はシャッと短く威嚇の声を上げて、その場から立ち去った。
*
それにしてもさっきの出来事には驚いた。
我に悟られずに我の背後に立てる人間などそうそういない。あの沖田とかいう人間、只者ではない。
我はいきなり体を掴まれたことを思い出して、ぶるりと体を震わせた。それから腹が減っていることに気がついた。そういえば、いつも縄張りを見回った後でばあさんにご飯を貰いに行くのも我の日課に組み込まれていたのだった。あの妙な連中を観察していたせいで忘れておった。
我が早足気味にばあさんの家へ向かうと、ばあさんはもうご飯を用意して待ってくれていた。今日のご飯は煮干しである。
ばあさんは我が現れたのを見て、笑顔になった。
「たまや。今日はもう来んと思ったわ」
我は小皿に入れられた煮干しを一尾食べてから、ばあさんに向かって挨拶代わりにニャアと鳴いてやった。
ばあさんはゆっくりした動きで腰をかがめると、我の頭をしわくちゃの手で撫で始める。我は少し顔をしかめた。
「今日もいろいろ冒険してきたんやねえ」
冒険というかひどい目にあった。人間に背後から子猫のように抱きあげられたのは、一生の不覚である。そんなことをばあさんに言ってみるが、所詮人間に我らの言葉は通じないので、ばあさんからすれば我が不機嫌そうに鳴いたようにしか見えないだろう。
我はばあさんの手から離れて、残った煮干しを食べ始めた。
我が食べるのに夢中になっていると、ばあさんの知り合いの菊ばあがやってきた。
菊ばあは我を一瞥してからばあさんに向き直り、どこか興奮した調子で喋りだした。
「ねえ、知ってはります?お屋敷が完成して、新選組が越してきはったようですよ」
「ええ。今朝旦那も言うてはりました。西本願寺さんところから屯所を移してきたとか」
「そのことなんやけど、どうも噂では西本願寺を追い出されたとか。寺の境内で大砲を撃ったり、肉を食べたりと、寺側はえらい迷惑してはったみたいやわ。それで、西本願寺さんがお金出して、屯所を移転させたんやて。」
「あれまあ。そういう顛末やったんやねぇ。ここでも大砲撃ったりするんやろか……。」
少し困ったような顔で、ばあさんは首をかしげる。
それから二人の話題は昨今の不穏な時勢や日常の話題へと移り変わっていく。
我は煮干しをガツガツ食べながら、それとなく二人の会話に聞き耳を立てていた。気になった話題は、菊ばあが最初に言った新選組である。その名なら猫の集会でも度々話題に上るので我も知っている。会津藩預かりの組織で、幕府の敵を取り締まるのが仕事らしい。人間の社会は込み入っていて我ら猫にはよくわからんことも多いが、それくらいのことは猫でも知っている。ことに京に住む猫は。
その時、ふと我は煮干しを貪るのをやめて顔を上げた。さっき会った妙な連中のことを思い出したのである。
さっき菊ばあは、その新選組がここ不動堂村に越してきたと言った。そしてさらに、我はどこかで聞きかじっていた、新撰組の人間は浅葱色のだんだら模様の羽織を羽織っているという情報を思い出す。まさにさっきの連中ではないか。
道理で血の匂いがするはずである。人を大勢斬っているような連中なのだから。
我は最後に残っていた煮干しをペロリと平らげ、そっとその場を去った。
あの妙な連中の正体が分かってスッキリである。
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