御鏡奇譚外伝 ヤサカニ

森 モリト

第1話

庭の梅の木が花をつけた頃、辺りにわずかに梅の香が漂う。

「姉さま、やっと目が覚めましたか」

いつものように、出来るだけ賑やかな声で顔を除くと、逆光がまぶしいのか眼を細めて

「どうした。何か良い事でもあったのか」

「梅の花が咲いてます。もう、春が来たと思うたら何や嬉しいなって」

「そうか」

けだるく身を起こすが、いつもの通り元気な様子にほっとする。

「それで、庭に出てうろうろしてたら兄さまに会うたんや。梅みの宴があるんやて、そのお供やて」

「・・・ふーん、そんな事、聞いてない。で、元気やったか」

姉さまも随分、兄さまと会うてないんやろ。気にならんわけがない。少しじらしてやろうかとも思うたが、あんまりに一途な顔つきに

「お元気そうでしたよ。姉さまは、どうしているかと聞かれましたので変わらずお元気ですと言うときました」

「そうか」

何気ない態度やけど、喜んでるのがまるわかりですよって言うたら怒るやろな。

「こんなとこにおらんと、外にでましょ」

ここには、誰もおらん。昔は、すぐそばに人が居って、喜びも悲しみも共にして来たのに・・・

姉さまが、ゆっくりと身を起こす。久しぶりのお出ましは、兄さまの話につられての事やろうけど嬉しいもんや。


御蔵のかび臭い扉を抜けると、宴の準備に端女がわらわらと大騒ぎしている。

姉さまの手を引くと光の中に現れるのは、古式ゆかしい装束に艶のある黒髪、白い磁器のような肌は何より美しい。

「ほら、ここにおっても我らの居場所などどこにもないわ」

「そんな事は、どうでもええですやろ。我らは我らで、今生の春を楽しみましょう」

「・・・うん、しゃないな」

蔵の中からでもこの冬の寒さは厳しく、雪も多かったのは、わかっていた。皆がこの春をどれ程楽しみにしていた事かようわかる。

宴に浮かれる者達から少し離れたところから眺めていると、幼い子がひょこひょこと歩いて来る。こちらを見ている気がするが・・・姉さまもその事に気が付いたのか互いに顔を見合わせた。二人して、その子に近づくと嬉しそうに笑っている。

嬉しいのも笑いたいのもこっちの方や。ここ何百年になるやろう。我らが姿を見て取れる人にあったのは、で、この子はどこの子やろ。着ている物もこの場にいる事からも貴族の子か、皇子さまか・・・

「これ、勝手にうろうろされたら・・・」

追いかけてきたのは、兄さま・・・兄さまも我らに気が付いたようで、お子を挟んで三人して顔を見合わせる。

「ムラクモ・・・」

「兄さまが、ここに居るて・・・このお子って、今上大君でおられますのか」

「ああ、そうや。今上大君や」

「そうなんや。よろしゅうお願いしますな」

黙ったまま見ていた姉さまの顔が少し曇った事に、俺は気付かんかったが、兄さまは、ちゃんとそれに気が付いてたようやった。

「何で、こんな事を・・・」

「ヤタ、・・・」

兄さまの顔が少し曇って、ため息をついて緩く首を振った。

「どうしはったん」

我らが神妙な顔で話だすと、小さい大君がぐずりだした。姉さまの表情が、柔らこうなって

「泣いたらあかんですよ。男の子は、強うならんと・・・」

抱っこして、あやしながら子守唄を歌い出した。ゆったりと流行りの今謡を唄うている。どこで聞き覚えたんやろ。兄さまと二人で聞き入っていると、人の声が聞こえてきた。姉さまは、腕の中ですやすや寝息を立てる大君を優しく梅の木の根方に置くと静かにそこを立ち退こうとしたが、一言

「ムラクモ、こんな愛らしい方を独り占めとは・・・言い訳でもしに、たまにはこちらにくればええ」

言い残すと今度は、すっと消え失せた。

「兄さま、お待ちしております」

我もそう言いのこして、姉さまの後をおった。



兄さまが、別段言い訳をする為ではなく、御蔵の方にやって来た。

今上大君は、大君でありながらも幼子であったから、ややこしい話や大事な仕事は、他の者がやることになっている。それでも大君である。よそで遊ぶ事も出来ずに、この宮中のなかで過ごすことが多い。

ある日、偶然、御蔵の方に足を向けたのやろう。扉の向こうに気配がして、我は直ぐにも声をかけた。

「一人で、何をしてはりますか」

少し驚いたようやったが、にっこり笑うて

「ここにおった」

ああ、我らが事を探しておられましたか。気をようして抱きしめると、幼い子のどこか乳臭い匂いがして愛おしさが募る。そうしていると、案の定すっと影が動いて兄さまがやって来た。

「これ、大君に何をしておる」

「ああ、かんにんです」

「ヤサカニ、かまへん。このお方も我らと同じに、お寂しいんやろ。それにしても、聡いお子でいらっしゃる」

言葉と供に姉さまが、すっと扉の内から姿を現した。

「おった、おった」

幼い大君の言葉に、姉さまはにっこり笑った。

「ようここが、お分かりになりましたな。えらい、お子ですな」

褒められているのが分かるのか、少し照れくさそうにしているのが可愛らしい。

「ヤサカニ、そこの庭先に蝶がおる。見せて差し上げてはどうや」

「ああ、ほんまやな。こちらにお越しください」

両手を広げると、だっと走って来る。そのまま抱き上げて庭に降りるときょろきょろ辺りを見回している。我の目の端には、兄さまと姉さまが二人で話す姿が見えた。


「ムラクモ、あの方の寿命は・・・あと五年ほどや。そんなお子に辛い事しかさせんのか」

「やっぱり、そうやったか。・・・ヤタ、なんとか我らだけでも、あの方に現の世の楽しみを教えて差し上げる事は出来んのやろか」

ヤタは、驚いた顔でムラクモの顔を仰ぎ見た。それからニッコリ笑って

「久しぶりにムラクモの声を聞いたかと思うたら、いきなり頼み事やな」

「そうか、そんなに話さなんだか」

「そうや。もう、お主の声など忘れておったわ」

「・・・」

ヤタは、俯くムラクモに今度は優しく語りかける。

「一緒に、あの方に寄り添うて過ごそう」

「ヤタ、すまん」

「そうや。一人であんな可愛い方を独り占めにして、謝ってもらはなあかんな

・・・なぁ、ヤサカニ」

大きい声でこちらに呼びかける。難しい話はおわったんやろか。

「姉さま、どうしたん」

腕の中の大君は、まだ目で蝶を追っている。驚かさんようにすっと身を動かして、二人のそばに寄ると

「ムラクモがな、子守を手伝うてくれと言うて来たんや。どうしょうか」

「えっ、ほんまに」

兄さまの方を見ると、優しく笑っている。

「嬉しい。ほんまにええの」

改めて大君の顔を見返すと、君もわかっているかどうかわからんが笑うてる。

「これからは、暇があったらなるだけお連れするんで、よろしゅうにな」


それからは事あるごとに、ムラクモが御蔵の方に大君を連れてきた。醜い思惑に巻き込まれ行き場を失くしたお子を我等は慈しんだ。季節が一巡りせぬのに、人の子は大きくなる。昨日、出来んかった事を今日は軽々やって見せる。その度に、皆でわいわいと褒めてやると自慢そうに鼻を膨らませるのも愛おしい。

だが、それと同じぐらいに・・・人とは、弱くて儚い。我はすっかり忘れておった。



しばらく御蔵に大君のお越しがない時、御蔵の中でぼんやりしていると、庭の方が騒がしいのに気が付いた。御蔵からでて、何があったか眺めに行って驚いた。大騒ぎする女房達を置いて木の上に見える姿は、大君であった。ぐらぐらと今にも落ちそうな気配に急いで身を走らすが、実体から遠くなるとこの身の力は弱くなる。届いたと思うたが力が入らず、僅かに御身を少し地面に擦りつけた。痛かったのか怖かったのか声を上げて泣き出した。抱きしめて宥めて差し上げたいが、周りには沢山の女房達がいる。あっという間に、御身を取り上げられて、ぽつりと一人そこに取り残された。急な事に手も出せずにいると、後ろから

「大丈夫や。ちゃんとお守り出来ていた。それ程難しい怪我ではない」

落ち着いた姉さまの声に、不甲斐なさと口惜しさに嫌みの一つも口につく。

「ゆっくりとしたお出ましですね。死なんとお分かりですから焦ることもないですね」

「・・・そうやな。まだ、大丈夫でおられるわ」

「まだ・・・まだ、て。それは近いうちにて・・・」

唖然として言葉もなかった。我等と違って、人の身の命のなんと短いものかとは、解っていたつもりであったが・・・まだ何十年も先の事、それまでの間は、皆共に楽しい年月を送れるものやと思うていたのに・・・立ち去ろうとする姉さまに縋るように声をかける。

「いつまで、いつまで現の世においでになるのですか」

いたわるように優しい声で、返される。

「あと、五年のうちに・・・」

「・・・」

俯いて顔上げる事が出来ない。

「怪我されてたな。ヤサカニの力が役に立つ。早う行ってお出で」

「霞のようなこの身ではなんも出来んし、あんなに人が居っては・・・」

ふわっと肩に手が置かれると、先ほどよりも優しい声が

「この身は、霞ならお側に行ってもわからんやろ。それにあれ位の傷ならば、かすみのヤサカニでも十分癒せるやろ」

ああ、そうやった・・・身体を起こして、姉さまの方を見て

「そうやな、痛うて泣いてるやもしれんしな」

ヤサカニは、一言残して姿を消した。ヤサカニが姿を消すと後ろから声がした。

「今まで、教えてやらんかったのか」

振り返らなくても誰かは、分かる。

「ああ、なんとなく言い出し難くてな。それより護坊が、大君の側を離れてよいのか」

「ああ、今生の護坊殿は、主より政の方がお好きなお方のようや。我もただの道具にすぎん」

「そうやな。我等は、ただの骨董品になってしもうたようやな」


三種の神器は、古来よりこの国の王たる者の証であった。神より頂いた器物は王たるものを選び出し、守りて、癒して何百年も共にあった。

神器それぞれに担うものが違う。

八咫鏡は、この世に生まれしもの統べからくその定めを見透かす。王なるものは、長く国の王たりえる者を選ばねばならん。

姉さまは、笑う、「我の力は、見透かすだけや。その定めを変える事もでけへん。よう当たる占いみたいなもんや」そう言うて笑う。

天叢雲剣は、絶つものや。この世の全てを断ち切る力。万物の定めをごっそり切り捨てる。何ものも抗うことはでけへん。

兄さまは、憮然としてこう言う、「我は、守るものや。何も強い力をもつもんやない。ただ守るだけや」

我、八尺瓊勾玉は、癒すもの。傷つけられた身も心も全てを癒して元に戻す。

我は、そ言うものや。


兄さまは、御蔵の方によく顔を出すようになった。御蔵で三人でぼんやり過ごしていたところ、御蔵の扉がゆっくり開くと勢いよく飛び込んで来る者がいた。

「じじ様を助けて」

眼に涙を溜めながら訴えてくる。助けてとは・・・

蔵の中で過ごしながらも、都の中で何が起こっているか、知っている。もちろん、この国の森羅万象すべての事を知っている。ならばもちろん、大君の祖父の入道殿が、重い病にかかっている事も、三人ともに知っていた。

「じじ様が、高いお熱で苦しんでおられる。ヤサカニ、病気を治せるて言うてたな。お願いじゃ」

その言葉を聞いて、兄さまと姉さまがこちらを見やった。眉根にしわを寄せて、何でと言わんばかりの表情に、居心地がわるい。

「いや、ほら、大君が木から落ちた時にな。そんな話になったんや・・・怪我してたし・・・小さいお子やったから・・・」

言い訳を最後まで聞かんと、姉さまが口を開いた。

「覚えておられたんですか。やはり大君は、賢いお子ですね」

「・・・うん、ヤサカニとは、誰にも言わんと約束をしたのやが・・・ヤサカニ、許せよ」

入って来た時の勢いはどうしたものか、しょんぼりと首を垂れる姿が愛おしい。

大君と二人で、姉さまや兄さまの顔を覗き見ると

「ヤタ、どんなものや」

「・・・今夜の内に、お見舞いされるしかあるまい」

兄さまは、大君に向かってこう告げた。

「・・・それでは、三人で大君のお供をいたしましょう」


深夜になって、三人して御蔵を出ると夜の闇の中に浮かび出る端境の領域を行く。現と神域とも違う、虚ろの世界。そこからなら大君の寝所も入道の屋敷もすぐそこや。大君を連れて入道の屋敷にむかうと、薄い膜の向こうにかがり火が焚かれて、大勢の人が出入りする館の様子が見えた。誰に断ることもなく屋敷の中へ足を踏み入れる。

入道の部屋にはいると、部屋の四隅でうずくまっていた疫神の一柱がすっと、こちらにやって来た。それをみて驚いた大君は、我にしがみついてきた。

「これは、これは付喪の神様方、何か御用でしょうか。こちらは、あなた様方のお越しになる場所ではございません」

ついと兄さまが、前に出ると

「各々方の仕事の邪魔はせん。ただ、そこのお子に爺様への最後のご挨拶をさせてやってくれんか」

「邪魔はせんと・・・」

なぜか、疫神が我を見てくる。我はまだ何も言うておらんのに、目も合わせられずに顔をそむけてしもうた。次に疫神は、遠慮なく我にしがみ付いている大君を見ると

「このお子には、我等も見えておられるのですかな。まぁ、このような端境に、立ち入っても平気でおられる。最近には珍しいお方ですな」

舐めるように見てから

「少しの間でよろしいなら・・・まぁ、無体な事をなさるかどうか、こちらで見せていただきましょう。万一の時は、遠慮なく・・・」

「遠慮なく、なんや」

疫神は、兄さまの一言を聞くとそのままもとの位置へと帰って行った。

大君と一緒に入道の枕辺に腰を下ろすと、意識を失っているその額になるべく優しく手を置いた。瞼がぴくぴくと動いたと思うと静かに目を開ける。

「じじ様、ときでございます。じじ様、じじ様」

「・・・とき」

入道の目が、大君の方をじっと見入ると、一筋涙がツーット落ちた。

「すまんな・・・とき」

「じじ様」

手を握り合い、もはや何も語らない。入道の瞼がゆっくりと閉じて行く。

これが潮時のようやと思うて大君の肩に手をかけた。振り返りもせずに入道を見つめたまま、こぼれる涙を拭って

「じじ様、これでお別れでございます。ときは、幸せ者でございました」

もう一度、動くことのない手を握り締めて、そっと手を離すと静かに立ち上がった。あとは、来た時と同じように端境を帰って行く。薄い膜の向こうでは、大勢の人が大騒ぎしているのが、見てとれた。

大君を寝所に送り届けると、いつものように御蔵の中で三人となった。先程の事などなかったように・・・

ヤタとムラクモが、いつもはうるさい程に話をする我が、黙ったまま考え事をしているのを、困ったように見ているのは、解っていた。同じ事を思っているのか目があうと困ったように、笑っている。辛抱出来ずになって

「なぁ、あの疫神が言うてた事は、なんやったん」

「疫神が、言うてた事て何や」

「それを聞いてるんは、我や。ごまかさんといてや、教えてくれんのやったら・・・あいつらに聞いて来る」

「そやから、なんやて言うておるやろ」

だんだんと、激昂するムラクモが青い焔をまといだす。諦めたようヤタが、我が御蔵を飛び出す前に声をかけた。

「ヤサカニ、待ちゃ」

「ヤタ、お前・・・」

「もう、あかんやろ。ここまでや。ヤサカニにも自分の事や、知りたい気持ちがあるやろ」

「・・・姉さま」

姉さまは、ゆっくりと話し始めた。



「ヤサカニは、覚えておらんやろが、我等は、遠い昔に人の手助けをするように、この地に下げ渡された器や。昔は、ヤサカニが覚えているよりも、もっと人との境が曖昧で我等はこの姿で皆と混ざって生きておった。共に働き、悲しみ、喜びも共にした。ヤサカニはとくに、人と交わる事を楽しんでおった。その中でもサイと言う若者と親しくなってな、我等といるよりその者といる事が多くなったんや」

「・・・そうやったな。ヤタが、その度にヤサカニは我よりあ奴の方が大事なんやと拗ねておったな」

「・・・ムラクモ」

「すまん」

「やっかむ程に仲が良い。じゃが、我等もその事が悪い事とは思ってなかった。

ヤサカニは、サイに教えられたと。人は、我等とちごうて子を作って、その子がまた子を作る。続けて短い命を繋げて永遠をいくと、人もなかなか凄い者やな。そう言っては、自分の友を自慢しておった。サイにもヨウと言う愛しい相手がおって、その娘と子をなすとも話してた。それがなある日、ヨウが流行り病で死んでしもうたんや。その時は、人の生き死にが解っているのに、なぜ、教えてくれなんだと言われたな・・・サイはもちろん嘆き悲しんだ。悲しんで、悲しみ過ぎてたいそうな事を考えよった。サイは知ってたんや。ヤサカニが、死人を生き返らせる事が出来ると・・・」

「・・・姉さま、待って・・・」



頭の中がぐるぐるしてた。遠い過去。

あの時、サイが切羽詰まってやって来た。

「お前らは、何のためにここにおる」

「どうした。サイ」

「どうしたもない。ヨウが死んだ。神なら何とかできるやろ。わしは、まだ子もなしても居らんのに・・・」

「サイ、それは、我等のせいではない。疫神の仕業じゃ」

「疫神・・・それも神なら、ヤサカニも神じゃな。・・・そうじゃ言うておったよな。死人を生き返らせると・・・ヨウを生き返らせてくれ、な」

「いや、それは・・・」

「なっ、頼む。少しの間でもよい。あと、少しな・・・」

「・・・解った。でも我一人では出来んのや。ヤタもおらんと・・・」

「ヤタさんか、今から直ぐに呼んで来るから、ヤサカニは先に行ってな。頼む」

ヨウの家に行くと、四隅に疫神が座っている。

「何をしに来た。器の神よ」

「この屋の者に最後の別れの相聞をしたいと言われた」

「誰も、おらんではないか。この娘は、もはや死人や我らが物。器の神にようはない」

「・・・疫神なんぞ。汚れた者は、ここから出て行け」

「今更、なにが出来る。まぁ、何ができるか、ここで見せてもらおか」

売り言葉に買い言葉もあり、ヤタが居らんでも少しの間や、何とかなるかと思うてた。ヨウの骸の側によると、片手を骸の上に掲げる。すると黄色の焔が立ち上がった。暖かく、明るい光に疫神が屋敷の外へと逃げ出すと、ヨウが息を吹き返した。

ほっとした瞬間、背後から押しのけられた。サイであった。

「おお、サイか。ヤタはどこや・・・」

「ヤサカニ、すまんな・・・」

サイは、そのままヨウを連れて逃げ出した。追いかけようにも力を使い過ぎて、人型であっても器の身では、追いかけることが出来ん。すぐにサイは、村から逃げ出し、村の中は大騒ぎとなった。まして死者を連れている。直ぐにヤタとムラクモが飛んできた。我は疫神に取り囲まれてなす術もなく声を出す事も出来んかった。

「この付喪神さんは、反魂で我等の仕事を邪魔してくれた。どうしてくれる。返事によっては、我等でこの村一つ取り殺してしまうがな」

ヤタがひるむ事なく

「・・・我が、反魂の術を解く。それと・・・」

さらに言葉を続けようとしたところにムラクモが、ついと言葉を継いだ。

「我が、連れの男の寿命をたつ。それで勘弁してくれ」

「ふっ、まあええ。やが、この事は上には、知らせる」

疫神は、我に視線を投げると、ふっと姿をかき消した。

我は、先ほど二人が口にした事を口の中で、何度かなずた。腑に落ちたとたん涙が溢れえて止まらん。

「ヤタ、ムラクモ、本気なんか・・・」

「ヤサカニも知っておるやろ。一度死んだ者が、生き返ればその者はもうこの世の者ではない。理を外れた者は、もう理の外を生きる者。もう、繋がることのない者なんや」

「・・・ヨウは、そうかもしれんが、サイは・・・サイを殺すのは、理に反するやろ」

「サイは、理を、罪を犯したんや。犯したからには、償わなあかん。この罪は重い。引くわけには、いかんのや」

二人が、そこを出てサイ達を追おうとする。

「我も連れて行ってくれ。それも、我が罪、我が罰やろ」

三人は、暮れ切った闇の中にうちいでる端境を移動する。薄い膜の向こうに、大騒ぎの村人が見える。中には見知った顔がいくつもあった。その中を抜け、村境の山の開けた所に二人は居た。楽し気にいつものように語り合っているのが見える。

そこに、三人して飛び出すと、ヨウの悲鳴が上がった。ヤタが、片手を挙げてヨウに向かって手をかざす。紅い焔が一直線でヨウを捉える。あげた悲鳴はやがて獣じみた声に変り、その姿は、蛆のわいた屍となり、肉がすべて削げ落ちて白い骨となり土へと帰った。一瞬の出来事に、サイはあっけにとられ動く事さえ出来なかった。が、次の瞬間には、屶を手にこちらに向かって来る。

「何が、神じゃ。お前らに、勝手にはさせん。」

向かって来るサイに、ムラクモが手を合わせると青い焔が立ち上がり一本の剣となった。握りを確かめるようにして、向かい来るサイを一閃に切り捨てた。血しぶきも傷一つ残ることはないが、サイの命の糸は断たれていた。闇の向こうから疫神の声が聞こえた。

「確かに、見取った」

我は、ヤタとムラクモの後ろに座り込んで、ヨウが朽ちていく様を眺め、サイの憎悪を目にした。我は一体なに者であったのやろう、なに者であるものやろう・・・


ヤタから聞いた話は、実際のとこほとんど覚えてはないものやった。まぁ、どうして自分が皆より幼い姿でおるのか今まで不思議ではあったが、天帝からの裁きを受けて、二人のもとに戻った時はこうなっていたと言うのやから、記憶と一緒に何か削られたものがあったのやろう。自分では、それなりに納得したが、それでも聞いてしまったら、今まで通りともいかん。兄さま、姉さまとは、もう呼ぶ事も出来。二人も、もはやヤタとムラクモと呼べと言う。屈託は積もっていくが・・・やがてそんな事など、気にしている暇などないような事が起った。


入道の死から国の乱れは、ますます激しさを増していた。ヤタが、難しそうな顔をしている。今までなら遠慮なく訊くことが出来たのに、へんに遠慮してしまうな。それでも口を開こうとした時

「ヤサカニ、もはや大君はおられまい」

「どういう事や」

「東から新しい大君が入城してくる」

「今上大君は、どうなるんや」

「都落ちされるんやろ」

ああ、朝から屋敷中が騒がしかったのは、そのせいやったか。その騒がしさも、今はない。置いて行かれたか・・・ムラクモの姿が見えんのは、護坊と一緒に都を出たためか・・・

我とヤタが、新しい大君のお守りをするのやな・・・

ぼんやりと考えていると、いきなり御蔵の扉が開けられた。大君であった。その後ろには、ムラクモの姿がある。

「これから、都を落ちることになった。一族の者は、予のことをまだ大君と呼ぶがもはやそれはない。ぬしらは、大君の三種の神器。大君でもない者になった予に、付き従う者ではない。とわかっておるが・・・」

「一言で良いのです。付いてまいれで」

ヤタは、そう言うと振り返り、我の顔を除き見た。もちろん異存などない。少し大仰に頷くと大君の顔がパット明るくなった。後ろに控えていたムラクモは、笑っている。

「三種の神器に命じる。予の供をいたせ」

大君は、我とヤタの器を懐に入れると待たせてあった輿に乗り込んだ。そこには、すでにムラクモの器が置かれていた。我等三身の器を大君は、胸におし抱き御所を静かに後にした。

なんでムラクモが、そこに居ったか後で聞いた。当代の護坊が、わが身の事を考えて新しい大君に寝返った。その事に薄々感づいていた能登殿が屋敷に討ち入り、

御剣を持ち出してくれたそうや。ムラクモは、「使い手のない我は何の役にも立たんが、せめて最後の際まで一緒におりたい」と言うてくれた。我もヤタも同じ気持ちに変わりない。器としての姿ものうなって、塵芥になって共に混じり合うまで・・・


都おちしたこの僅かな年月は楽しかった。大君は、すでにそう呼ばれる事に気が引けると我らにだけ、「これからは、予の事をトキと呼んでくれるか。それが予の真名である皆と一緒に心おきなく過ごしたい」と・・・春には咲き競う花を愛で、夏には寝所を抜け出したトキ様と一緒に光り舞う蛍を追い、秋の月、冬の雪を眺めた。これが、夢幻と言うものかと思うたが、終いは、すぐそこまで迫っておった。


その日は、周囲の騒がしさに目が覚める。敵も味方も共に今日が最後と決しているのか、朝から皆、昂る気持ちを抑えることもなく船端を叩き合う。競うような怒号の中で海戦が始まった。始まってしまえば、今日こそ雌雄を決するまでは終わることはない。

女房達と一緒に、トキ様を囲んで船底に潜んでいる。船の揺れは激しく、物の焦げる匂いが漂って来る。女達は、あまりの恐ろしさに叫び声を上げる事もなくじっと息を詰めている。そこに、中納言殿がすっと現れた。周りの女房達が、戦の行方を問いただすと

「もそっとすれば、こちらにも珍しい東男が参りましょう」

と言って、にっこり笑った。

あぁ、決着がついたのか・・・三人でトキ様をかき抱いた。

すると、二位殿がトキ様のお側に寄って来て、手を引いて船端につれて行こうとする。

「こちらに、お越し下さい」

「ババ様、何処にいかれるのか」

「波の下の都へ参りましょう」

我等は、互いに頷きあって各々の器の場所を確かめた。ヤタはその懐に我は紐を結んで首から掛けられ、ムラクモはその手にしっかと握られた。噎せ返るような血の匂いの中、二位殿に引かれるままに海中へと引き込まれる。このまま一緒にと思った瞬間、波音高く我等に追い縋る人がおった。その者はトキ様に近づくと、しっかと握られた御剣を力任せに奪って行った。血の匂いと海の中、我等の気はほぼ散じてもはや、器に身を留めるのが精一杯やった。ムラクモも何とか離れまいと我らに縋るが、やがて遠くに引き離された。

「すまぬ。頼む、トキ様を頼む」

遠のくムラクモの気配が消えた頃、大きな潮の流れにあった。大きな流れの渦に小さな体が流される。その時やった、懐にしまってあった御鏡がぽろりとこぼれた。あっと言うまに流されて、深い水底に落ちて行く。

「ヤター」「ヤサカニー」互いに名を呼び合うが、器の身に相手を助ける術はない。我は、トキ様の首に掛かったそのままで、共に水底へと落ちて行く。



水底深く、暗い、ここには、ムラクモもヤタもおらん。我は、ここでたった一人で、過ごすのか。我が壊れて、塵芥になるのにどれ程の月日がかかるのか・・・深い眠りにつこうとしたその瞬間、傍らに横たわる小さな陰に気が付いた。横たわる小さな君は、もはや息もなく動かない。それでも、一人でなかった事が嬉しいなった。そして、気付いた。人は我らよりも、早くに朽ちる。激流のように気持ちが流れて、流れて・・・あぁ、今ならサイの気持ちがよう分かる。分かれてしもうた悲しさと、呼んでも応えぬ切なさと・・・

一人ぼっちの寂しさに、我の気持ちは、大きく振れた。


もう、ヤタもムラクモも側には居らん。我しか居らん・・・辺りを見回すっと、横たわる男の骸が見えた。やってはいかんと言われていたが、もはや誰にも止められん。

「その体、我がが頂く」

人の骸を依り代にするなど考えた事もなかったわ。・・・もはや、悪鬼羅刹に落ちようとも理の向こうにあっても、トキ様、あなた様をお助けいたします。

骸の体を動かして、すぐそばの小さな体を横抱きにすると、海面めがけて浮き上がる。顔をだすと、静かに凪いだそこに、もはや戦の影はない。傍らの少年の骸を抱きしめて、

「我と共に、永久を生きて参りましょう」

この先は、理の外になる。さて、この身が塵と化すまでに、何が起こることやら・・・

頭上には、ただぽっかりと白い月が、浮かんでいた。




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御鏡奇譚外伝 ヤサカニ 森 モリト @mori_coyukiko

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