三
夕飯に、由梨花ちゃんは出てこなかった。
紗代ちゃんと優子さんと、三人で食卓を囲んだ。
由梨花ちゃんの体調が、悪い波に入ってから、三人での食事もしばしばある。
なにかぼんやりと憂いの匂うなか、優子さんが思い出したように言った。
「そういえば紗代、あんた、宿題は終わってんの?」
「うっ」
紗代ちゃんが、わかりやすく困惑して、飯がのどに詰まったような声をあげる。
すばやく優子さんが、
「はあ……あんた、毎年毎年やってへんやないの」
「まだやってへんって言うてへんやんか」
「ほんならやったんか?」
「……やってへん、です」
「素直でよろしい。素直なことだけは、よろしい」
優子さんは、納得するように頷いてから、続けて言う。
「でも、あんた、今年もやらへんかったら、分かってんやろな?」
「わ、分かってへん、です」
「母ちゃんは、不本意ながら鬼になります」
「……鬼になったら、どうなりますか?」
「手のつけようのないぐらい、暴れます」
紗代ちゃんは、顔を強張らせて、隣の僕に顔を向ける。
「その時は、兄ちゃん、男として戦って、な」
「なに言うてんの」
優子さんが言う。
「あんさんかて、いつまでもここにおるわけにはいかへん。うちが鬼になる時はもう帰ってはる」
「帰らんとってな」
紗代ちゃんは、はっきりと言った。
「帰ったら小っちゃい命が二つ消えるんやで」
「二つ?」
優子さんが怪訝な顔をすると、紗代ちゃんはなにげなく、
「だって、鬼になるんやもん。うちも由梨花も見さかいなく、そのおっきいお腹に逆戻りやもん」
と、冗談めかした口ぶりで言った。しかし由梨花ちゃんの最期など、今は冗談にもならなかった。
とはいえ、死が差し迫っているわけでもない。僕は、一瞬強張った優子さんをやわらげようと、努めて笑った。
優子さんも、僕に応えるように笑う。
「おっきいお腹やて? スリムの聞き間違いやな? せやなかったら、今すぐにでも鬼になるんやけど」
「聞き間違いです。はい」
紗代ちゃんは真面目な顔で言ってから、ぷっと噴き出して、次第に快活に笑った。
その笑いが弾ける、ほとんど同じ瞬間に、廊下の奥の部屋から、咳が聞こえた。
ざらついた、嫌な音だった。
優子さんは、はっとして、部屋のある方向を振り返った。
「ごめん、ちょっと食べといて」
そう言い残して、立ち去っていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます