あまい匂いが濃かった。

 由梨花ちゃんの布団にも、部屋の空気にも、彼女が染みついていた。

 僕の匂いがついてしまわないか、それが優子さんに嗅ぎ取られないか、心配だった。

 それでも、三夜に一度は僕が彼女の部屋を訪ねるのは、彼女がせがむからだった。自分が行くばかりは嫌なのだと、彼女は言った。

 窓に、重い灰色の空があった。

 夜が明け始めているのは分かるが、朝の感じも希薄で、夜とも朝ともつかぬ曖昧さが漂っている。

 雨が静かに降っている。星が落ちるような清らかな音が、開け放った窓から、部屋の薄い暗がりに溶けこんでくる。

 僕は布団に座り、由梨花ちゃんのしなやかな指をなんのきなしに揉んで、そのやわらかさを弄んでいた。彼女はされるがままで、ぐったりしながら、僕の指と自分の指の絡み合うのを、とろりとした眼で眺めている。

 彼女の指は、なんとも言えぬ、やさしい心地である。それでいて、ひんやりしている。

 彼女の身体のようだ。そう思った途端、全身に彼女が蘇ってきそうだった。しかし、雨の空で分かりにくいが、おそらくもう優子さんが起きて来る時間だろう。

「もう戻るよ」

 自分のなかにこみ上げてくるのを誤魔化すように、僕は呟いた。

 由梨花ちゃんの手が、僕の手を強く包んだ。

「いやや。まだバイバイせえへんの」

「そんなこと言っても、ここに並んで寝てるわけにはいかないだろ。由梨花ちゃんが僕の部屋で寝てるのとは、まるで印象が違う」

 なだめるようにそう言っても、由梨花ちゃんは縋りつくような眼で、僕を見上げた。

「いや、いや」

 幼子のように、あまえた言葉を繰り返して、かぶりを振る。

 僕は、胸の底からやわらぐのを感じて、

「じゃあ、優子さんが来たら、どうしようか」

 と、意地の悪い言葉を投げかけながら、彼女の隣に身を寄せて横になった。

 由梨花ちゃんは、答えようもなく、こちらを見つめたままじっと黙り込む。僕の手を握る力が強くなる。

「そうしたら、もう二度と、こんなことできない」

 そう言って僕は、追い打ちをかけるように、繋いだ手を彼女の目の前に突き出した。

 僕と彼女の顔が接吻しそうな近さで、その間に手が入ると、彼女の手の甲に僕の唇が、僕の手の甲に彼女の唇がそっと触れた。

 由梨花ちゃんが唇を離さずに言った。

「ほんなら、チュウして。寝るまでずっと、よしよししてて」

 僕は言われるがままにした。

 しかし、かえって胸苦しくなってくるのか、眠ろうと瞑った瞼に、あわれな震えがあった。接吻で薄ら濡れている下唇を、粒のような歯で噛んでいる。ままならない心に振り回されているのが、羽ばたき方を知らないで飛び跳ねる小鳥のように、清純ないじらしさだった。

 彼女は耐えかねるように、乱れた身ぶりで寝返りをうち、僕に背を向けた。

「もういいから。どっか行って」

 儚い声が、雨のさらさらと降る音に霞んだ。


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