イトシャジンのせい


 ~ 七月十日(火) 二人の逃避行・前編 ~


   イトシャジンの花言葉 服従



 二日間で、全教科の半分ほど返却されたテストの結果は。

 それを天気予報で表すならば。



 お出かけの際には、折り畳み『穴』をお忘れなく。



「……ひどい点だな。呆れたやつだ」

「情けないっしょ。男子のかっこよさに運動とか成績は関係ないってみんな言うけど、それは平均以上っていうのが暗黙の条件だって覚えておくっしょ」

「二人ともやめてください。こんなに恥ずかしいのに、今日はたまたま、逃げ込むための穴を持ってくるの忘れちゃったんです」


 俺が教室中の窓を開けて席へ戻ってみれば。

 宇佐美さんと日向さんが、机に隠していた答案を勝手に広げて、冷たい目を向けて来るのです。


 ああ逃げ出したい。


 そんな、肩身を狭くさせた俺の隣には。


「ロード君、窓開けご苦労! いざ、ふぁいあー!!」


 信じがたいことに、平均八十点オーバーというとんでもない点をたたき出し。

 お祝いとばかりに巨大なシャケを鉄板に乗せる藍川あいかわ穂咲ほさき教授。


 軽い色に染めたゆるふわロング髪を、今日は屋台のおじちゃんもびっくり、ねじりハチマキ風に結って頭に巻いて。

 反らした手のひらで、鼻をくいっとこすりながら。


「へいらっしゃいなの!」

「まだ焼き始めたばかりです」


 そして、ハチマキのいたるところにイトシャジンを挿しています。


 別名をブルーベルと言うイトシャジン。

 カンパニュラの仲間で、ガラス細工にしか見えない美しい紫青のベルが。

 ちゃんちゃん焼きを始めるおっちゃんの頭に揺れるミスマッチ。


 馬鹿に見えるのですが。

 今の俺にそんなことを言う資格はありません。


「お二人のおかげで成績は上々なの。たくさん食べてほしいの」

「いや……、ちょっとでいいよ」

「見てるだけでおなかいっぱいっしょ」


 確かに、何人前になるのでしょう。

 一本まるまるのシャケによるちゃんちゃん焼き。


 お礼と言われておとなしく座る二人なのですが。

 実はこの二人、あれっきり仲が悪いままなのです。

 そういうことには敏感な教授が、二人をご招待したのですが。

 根本的な解決には至らないと思うのです。


 さて、どうしたものでしょう。


「ロード君、ずいぶん辛気臭いが、どうしたのだね?」


 う。


 いつも、俺については鈍感なくせに。

 こういう時だけ鋭いツッコミとか。

 何か誤魔化さないといけません。


「……家の空気が悪くて、たいへん居辛いのです」

「ほう? 珍しい。どれ、話してみたまえ!」


 俺が秋山家大戦について、かいつまんで説明すると。

 こいつは鉄板をがっちゃがっちゃ混ぜながら。

 うんうんと、偉そうにうなづくと。


「そんなの簡単なの。あたしが一肌脱いで解決するの」

「眉唾ですが、解決法を聞きましょう」

「道久君が原因なの」

「不本意ながら、そうですね」

「だから、道久君をおうちから排除なの」

「最悪な解決策ですよ却下です」


 家に帰ったら、俺を無視する陰湿な遊びでも始める気ですか?

 相談するだけバカでした。


 ……そう思っていたのに。


 おばさん譲りの悪だくみ顔が。

 俺から携帯を取り上げて。

 勝手に操作し始めます。


「ちょっと何するのさ」

「華麗に解決なの」


 どうやらSMSを使って。

 どこかへメッセージを送っているようですが。

 横からのぞき込んでみれば。

 お相手は、俺の母ちゃん。


 その内容はと言えば。



 『道久なの。明日から、俺は家出するの。

  あ、今日は帰るの』



「…………バカ丸出しです」

「バカじゃないの。完璧な作戦なの」


 そう言いながら、自分もおばさんに何やらメッセージを送っていますけど。

 やれやれ、何を始める気なのやら。


 でも、こうなった穂咲には、服従一択。

 俺の為に一肌脱ぐと言ってくれましたし。

 どんな悪ふざけか分かりませんが、お付き合いしましょう。



 ~🌹~🌹~🌹~



 どういう訳か、母ちゃんから届いた返事は。


 『明日と言わず今日も帰ってこないでいいから頑張ってきな!』


 とか。


 ということは、穂咲のみょうちくりんな計画の内容を、母ちゃんも分かっているという訳で。

 事情が分からないのが俺だけとか、不安でいっぱいです。


 そんな俺が、学校帰りに連れてこられたのは。

 見覚えのある新築一戸建てのモデルハウスなのです。


「……またあなた方ですか。今日は自由見学日ではないのでお引き取り下さい」


 案内役のお姉さんが、能面のような無表情で俺たちを通せんぼ。


 しかし、この自由人にはそんな常識も通用しません。

 お姉さんの横を、ちょっとごめんなすってとか言いながら通り過ぎて玄関へ向かいます。


「鍵、閉まってますよ?」


 人差し指と中指とでこめかみを押さえるお姉さんに。

 これ以上ご迷惑はかけられません。


 俺は諦めなさいと穂咲へ声をかけながら近付いたのですが。

 こいつは鞄から鍵を取り出すと。




 ……ガチャリと。


 扉を開いてしまったのです。




「ほ、穂咲!? え? なんだそれ???」

「な……っ? えええっ!? どどど、どういうこと!?」


 事態が飲み込めずに、くちあんぐりな俺たち二人に振り返った穂咲は。

 いつもの無表情のまま、飄々と言いました。


「ここ、あたしの親戚のおうちなの。明日は、ここに家出するの」


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