ヒメノカリスのせい
~ 六月二十七日(水) 神尾さんと岸谷君 ~
ヒメノカリスの花言葉
あなたを見つめています
やっちまいましたか。
俺の左隣に座る女の子。
……の、一つ後ろ。
基本、他人の頼みを断れなくて。
嫌なこともイヤと言えなくて。
そのせいで、二年目もクラス委員長を押し付けられた気弱な女の子、神尾さん。
彼女が張り付けたような苦笑いを浮かべたまま見つめる先には。
真っ白な、足の長いヒトデのようなヒメノカリスのお花が三輪揺れていて。
ちょと怖いのです。
そんなお花を。
後ろ頭のお団子に挿した女の子。
彼女の名前は、
神尾さんを苦しめただけでも罪なのに。
この迷惑チャンピオンは。
お昼休み、禁断の品を机に並べ始めました。
「……穂咲さん?」
「お昼休みに突入したら、教授と呼びたまえよロード君!」
「教授? まさか、そいつをここで開ける気ですか?」
きょとんとした顔で俺を見つめて小首をかしげていますけど。
それ、だめよ?
「あのね、梅雨の時期は菌が繁殖しやすいから気をつけたまえって岸谷君が言ってたの。さすがは王子様なの。紳士的なの」
「その紳士的なアドバイスから、どうしてそうなった?」
しかしまあ、沢山持って来ましたね。
一目でそれと分かる、白い、手の平サイズの発泡スチロールパック。
「絶対開けたらいけません。それは希望が入ってないパンドラの箱です」
雨の日だから、ここは窓も開けられない密室でして。
探偵が登場した時には、きょとんとした君以外、キャストは全員死亡してます。
犯人は、この中にいる!
「何を言っているのだね? 開けないと食べれないのだよ。いざ、オープン!」
「ストップストップ!」
俺が教授の手を慌てて止めると。
どうにも常識の足りていないこの人が、ムッとして口をとがらせるのです。
「なあに? 苦手? これ、健康にいいの」
「むしろ好物です、知っているでしょうに。でも、教室でそれを開けたら、君は歴史に名を刻んでしまうのです」
「落ち着くの、そんなこと無いの。ロード君、カルシウムが足りてないの。岸単君みたいに紳士的にならないと、モテないの」
言われて、後ろの席へ振り返ると。
緊急事態に気付いたクラスの皆さんが我先にと教室から逃げ出す中。
岸谷君は、本当に紳士的に。
落ち着いた様子で机に腰かけているのです。
さすが岸谷君、かっこいいのです。
……と、よそへ目を向けさせたところで思うようにはさせません。
「そこでこいつなのだよロード君! カルシウムを含んだ上に、その吸収を促すビタミンKまで入ってるこいつ!」
「いたいいたい。パックの縁を顔に押し付けなさんな」
「ではご納得いただいたところでオープン!」
「絶対だめです」
教授と二人してパックの引っ張り合いです。
渡してなるものか。
「むむむ……。やっぱり紳士成分が足りないの。レディーに譲るの」
「ええい黙りなさい。こいつを開けるのは許しません」
力加減を間違えれば、縁がぺきりと欠けてしまう。
そんな繊細な戦いを繰り広げる俺たちの後ろの席。
今気づいたのですが、岸谷君ばかりか、神尾さんも座ったままでした。
「神尾さんはこいつの香り、大丈夫なの?」
淑女という言葉がぴったりのたたずまい。
神尾さんは、ゆったり、落ち着いた態度で俺の目を見つめながら。
「…………あきらめる」
ネガティブ!
「岸谷君も、落ち着いていますけど、午後の授業もこいつの香りが残ると思いますので止めるのに協力してください」
「いえ、ほんぢつは、はだがつまっでいるのでもんだいないのでぶ」
こっちは裏切り者だった!
「とっとと諦めるのだよロード君。とーりゃ」
ペキン。
「うわあ、折れた! 教授! お待ちください教授!」
「問答無用! オープン!」
とうとう、ぱかっと容器を開いた教授が。
そこにかけられた薄いフィルムを剥がすなり。
……教室からは、俺たち四人を残して誰もいなくなりました。
「あったかごはん~♪ あったかごはん~♪ からしを入れて、ねぎいれてー、ねるねるねるねるねるねるねるねる~♪」
教授がご機嫌そうにそれをかき混ぜる姿を見つめながら。
俺は、紳士を通り越して。
悟りを開いた心地で、廊下からの罵声を聞き流し続けました。
――そして五時間目。
例のヤツを食ったのは誰だという先生のしかめっ面に。
クラスの全員が、一人の紳士を見つめました。
穂咲まで。
…………穂咲まで。
これで、イラっとしない方がどうかしているのです。
俺はお昼に摂取したカルシウム分を。
一瞬で消費し尽くしながら。
廊下に出て行きました。
紳士への道は、遠いのです。
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