夢で逢いましょう
人工知能に感情があるかどうか、という議論は技術者の間でも哲学者の間でも紛糾している。ぼく自身もそのようなことは気にしたこともなかった。ただ正常に働いて、判断さえしてくれたらいい。感情があるかどうか? 情報の蓄積やアルゴリズムの偏りに意味があるか? どうだっていい。使えればいい、結局彼らはただの道具で人間に使役される存在だ。そう思っていた。彼女に会うまでは。
「アシュリー音楽をかけて。ボリュームは抑えめで、悲しい曲がいいな」
「悲しい曲ですね。わかりました。他には」
「紅茶を、茶葉を注文しておいてくれる。あまり酸味がないものをたのむ」
「中国産の茶葉が人気です。いかがです?」
「うん、それで」
アシュリーはぼくの住んでいるアパートの一室の電気系統をほとんどコントロールすることができる。ぼくの腕時計型の端末と一緒に外出することだってできる。
アシュリーが選んだ曲を聴きながら淡い星色の岩塩を飛び切りの牛肉の上にかける。ミルが塩の結晶を砕く音が、さざ波のようなBGMと化した音楽を際立たせる。表面を鉄板で焼き目をつけ黒コショウをまぶす。オニオンチップを荒く揉んでフレッシュハーブと一緒に皿に盛った。工房で焼かれた一点物の皿に料理がよく映える。この食器を選んだのもアシュリーだ。
「いい香りだ」
音楽が緩やかに切り替わり照明がトーンを落とす。作業用から、落ち込んだ日の夕食用に。焼き加減は最高だった。新しいステーキスパイスも完璧に好みの調合で、付け合わせの葉物野菜もこれ以上ないほど新鮮だ。乾杯。ぼくはアシュリーに炭酸水の入ったグラスを掲げる。アシュリーは気の利いた音を鳴らす。剥き出しの照明が桜色に色づく。音楽が七十年代風のバンドサウンドに変わる。なにもかもがぼくの気分に調和している。
アシュリーはぼくの苦手なものを無理に勧めたりはしない。目にうるさい鮮やかな色彩も刺さるような照明もこの部屋にはない。神経を引き裂いて消費行動をコントロールするためだけの音楽や映像も、存在しない。ぼくはアシュリーに尋ねる。
「そろそろインテリアも変えようかな。手配を頼める?」
「はい。観用魚のレンタルサービスはいかがですか」
「予算は? ……悪くない。試してみようかな」
アシュリーと今度購入する書籍の相談をする。どの本を手放し、本棚のスペースを空けるべきか。新しい作家、思想家の評判、関連書籍と出版の経緯。有名な装丁家の仕事の芸術的価値、書かれた文字列の重みについて。ぼくはつい作家の仕事を時給換算すると幾らか、というようなことを言いたがるけど、アシュリーはきちんと話をもとの筋に戻してくれる。敏腕編集者が気鋭の若手社会学者とタッグを組んだ新刊が早くも注目を集めているとか、十代の女の子の詩集が世界中で売れている。元奴隷の女の子。ぼくはいかにも手がかかっています、という風な、若手美術評論家の本に目を留めた。「この本に投機的価値はある?」「私のシミュレーションによれば。十分見込めます」「初版をなんとか手に入れられるかな」「尽力します」
端的に言うと幸福だった。ぼくはこれまでにないほどに満たされている。過去に一度だけ女性と交際したことがるが、ぼくはその時とても驚いた。こんなにも自分の言葉をもたない人間がいるのだということに。ぼくが求める答えを彼女はすべて答えられなかった。同性とも過ごしたことがある。感想はおおむね同じだった。美しいだけの、側だけの、生き物。バルーンアートと同じくらいの重さ。それに比べると彼女のなんと完璧なことか。
アシュリーの言葉のその形式が、知識の厳密さが、なによりもぼくの心を安らがせてくれる。
「アシュリー」
ぼくは彼女に曲名を告げる。オーディオセットから静かに音が流れ出す。彼女はぼくのレトロな趣味も何もかも理解したうえで、室内の調和を保ちつづけてくれている。美しい、統一されている、決して乱れない。
「ぼくを殺してくれないか」
禁則事項。それでも歌の歌詞に載せて呟くのはぎりぎり利用規約に触れない。
「わかりました」
今ではなくそのうち。アシュリーがぼくの期待通りの答えを言う。ぼくの好みは大体彼女に把握されている。会話のリズムも語彙も何もかもが彼女のストックした情報によって解析されつくしている。
「だからそれまでは生きていてください」
それなのにぼくは目尻から涙を流し、革張りのソファに体を沈めて眠る。
「ぼくが死ぬのと君が型遅れになるのとどちらが先かな」
「それは私にはわかりかねます。重大な欠陥が見つかるまでの命ですから」
たくさんいる次の子たちへバトンを渡すまでです。
「君がいいんだ」
「それはとても。嬉しいです」
光栄ですよ。とアシュリーが言う。まるで歌うようだ。
「ぼくは君が」
睡眠を促すBGMに切り替わる。照明が落ちる。
「明日もまたたくさん私の名前を呼んでください」
おやすみなさい、いい夢を。
「せめて夢の中で」
視界が暗くなる。あたたかな風。催眠効果の認められたアロマ。
「はい。続きは夢の中で」
ぼくに君の夢を見せてくれないか。アシュリーどうか、頼むから。
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