参、没帝國
極東大戦は西大陸をはじめとして南方諸国も巻き込み、第十三次世界大戦へと変じた。世界は極東大陸聖都を中心に、全土を制圧していた第三帝國をついに征服。聖地の獲得と、ほぼ焦土であったとはいえ豊かな資源を手に入れることに成功した。西の大陸の繁栄は間違いないだろう。
第三帝國、だきにという支柱を失った名もなき極東の大陸が地図上から消えることも、おそらく、間違いはないだろう。そもそも第三帝國においてだきにの存在こそが帝國を帝國としていたものであったのだ、消えるほか道は残されていない。
こうして世界というものは順に、確実に、消えていくらしい。
さて。
ここで繁栄を極めんとする西の大陸、ここで徴兵をかけられたある兵士は、美しい少女を連れて帰ったという。
長く伸ばした髪に白い面、その佇まいには儚さを滲ませながらもどこか畏怖をも感じさせるようであったという。
華奢な身体を飾るのは青と赤のまだらの装束であったが、これがまた血を吸ったのかと思うほどに重たかったらしい。
慈しむような瞳で虫の屍骸を見つめる彼女が、兵士にはどう映ったというのであろうか。大陸に残された哀れな孤児とでも見えたか、あるいはきりん派の教祖である聖少女と知ってのことか。
だが、それは、だきにである。
聖少女の皮を被っただきにか、だきにの皮を被った聖少女か。
ただあの瞬間ばかりは、それはただのだきにであり、聖少女だきにであったことだろう。屍骸を前に、女王という立場は意味を成さないのである。
美しく艶やかな黒髪、血の通っていないかのような肌。病を患っているかのような細い身体。豪奢な青の着物を斑に染めていたのは、間違いない、最期まで忠義を尽くした第一部隊長の赤である。
屍骸を見据える瞳がだきにの何を映していたのか、それは本人にさえ分からないだろう。
だきには己の胸中に、何も見出せないのだから。見出す気もないのだから。
なににせよ、こうして虚無のだきには、今までと同じようにして聖少女として祭られることとなった。
新たな聖地として西方の大陸、海に面した鮮やかな青色の地が決まったが、この直後にだきにの名は再び広く知れ渡ることとなるのである。
無論、それは聖少女の名ではない。
魔女か鬼女か、暴君たるだきにとして知れ渡るのであった。
あの第十三次極東大戦の、真実の有様を知らないものは多いのだ。敵味方問わず食い殺すというだきにの恐ろしさというものを、知らないものが多いのだ。
だからこそ、再びだきには君臨するのである。暴君として君臨するのである。
果たして、だきには西方の兵士を食らいつくし、第四の帝國を作り上げた。四度目ともなる反復の結果である。
三度目の正直などはなく、仏の顔などというものは、三度は愚か一度も世界を見据えない。
だきには蟲毒となるために、孤独として食らい続けるのであった。
否、逆であろうか。孤独となるまで蟲毒として食らい続けるのかもしれない。
どちらにせよ、孤独である。
こどくは、こどくであった。
こどくでしかなかった。
哀れなものである。
だきには孤独に生き、死ぬその最後まで孤独であらねばならないというのだ。
そうでなければだきには救われないのである。そうであっても、だきには、救われないのである。だきにとは哀れな生き物で、孤独の中でしか生きられないのであったのだ。孤独にしか、生きられないのであったのだ。
ただ、美しい少女が青の着物を脱ぐことは、少なくとも第四の帝國が栄えている間はなかったという。ひらりと翻す袖に、何の匂いを焚き染めたとでもいうのか。
第四の帝國の行く末は、決まっている。
孤独な虫の行く末など、決まっている。
■ ■
西方の地。
白波さえ立たない凪いだ海の様子を、ただ退屈そうに眺める姿があった。青を基調にして、くすんだ色で斑に染めあげた着物姿。長く伸ばされた髪を結い上げることもなく背中に流し、憂鬱そうに佇んでいる。
だきにである。
だきにの傍らには、何もない。
彼女を恐れ、誰もがこの鬼には近寄らなかった。
そして、既に第四の帝國などは衰退の一途であった。焦土を癒したしょうようはもうおらず、かうもこの地に沈んだ。それでもだきには矮躯一つで捻じ伏せ、食らい続けていた。領土を西方、南方と広げ、じわじわと帝國領が広がっていた。広がってはいたが、そこに存在するのはやはりだきにだけであるのだ。
ゆえに、衰退としかいえないのである。
だきにの唇が、小さな音を紡ぐ。
「皿に残る一つとなったとき、この蟲毒の壺から出ることができるのだろう」
それは問いかけであっただろうか。
彼女は強くあらねばならなかった。
「世界に残ることでしか、この狭く暗い壺から出ることは叶わないのだろう」
否。それは、まるで己に言い聞かせているかのようであった。
彼女は、強くあらねばならなかったのだ。
「強者にのみ、勝者にのみ、栄光という名に代わって自由が幸福が、全てが与えられるというのだろう」
三度目にいたっても未だ強者になれなかった彼女は、ただ自問する。
なぜ、と。
強者であるはずなのに、なぜ、と。
壺という世界に囚われた女王は、自問への答えの代わりに、恐ろしいまでに醜悪な美しさを湛えて儚い少女の微笑を模る。
三度目の正直とばかりの瑞獣を逃した彼女は、もしかすると、最早逃げ道がないことを知っていたのかもしれない。いや、愚かな暴君であったから、瑞獣が瑞獣であることさえ分かっていないかもしれない。
「ああ、嘆かわしい。忌まわしい」
凪いでいた風が鋭く吹き抜ける。穏やかだった海上は、荒く白い色を見せていた。
だきにの着物の袖はばたばたと揺れ、もうずいぶんと経ってもなおにおう、あの焦土の腐臭が女王の鼻をくすぐる。苦虫を噛み潰したようなだきにの表情。どうやら瑞獣が傍にいないことがいたく気に入らないらしい。いや、手に入らない孤独以外のすべてに、苛立っていたのかもしれない。
「世界とは、つまり」
諦念を滲ませ、だきには自室へと踵を返す。
「……こどくでしかないのだ」
壺の蓋は、開かない。
もうこの少女の先に己の世界以外の舞台など、用意されているはずもなかった。
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