第10話桜井の決意

普段遣わない気を遣って疲れたのか、先にさっさと寝てしまった春海を尻目に、俺も疲れたことだしさっさと寝てしまうことにした。


困ったことに、このまま寝たら朝どうなっているのかわからない。


仕方ないので、持ってきた上着を肩からかけて机に突っ伏して寝ることにした。


色々な意味で疲れた1日だった。


願わくば、今日はこのまま春海が目を覚まさないで朝を迎えてくれます様に。




そんなことを願いながら寝た。


安眠できる寝方ではないはずだが、割とぐっすり寝たみたいだった。




そして何事もなく翌朝。


俺が目を覚ますと、春海はまだ寝ている様だった。


トイレに行きたくなって、春海を起こさない様にそーっと部屋を出る。


用を足してトイレから出ると、秀美さんがこちらを見た。


「少しは落ち着いた?」


「ええ…取り乱してすみませんでした」 


軽く頭を下げる。


「若い内は色々あるものよね」


秀美さんだってまだ十分若いと思うが。


「春海はまだ寝てるのよね?」


「そうみたいです。起こすのも可哀想なのでそのまま出てきましたけど」


「多分まだ起きないと思うわ。まだ8時だし」


普段そんなに遅くまで寝てるのか。


そりゃ育つわけだわ。


「じゃあ、おばさんとイイコトしようか」


ニヤリと笑って秀美さんが言う。


こういう顔、親子だなぁと思った。




「おはよう…」


おばさんとのイイコトをして少し後に、春海が寝ぼけ眼で起きてきた。


時計を見ると、10時半を回ったところだ。


「おはよう」


「おはよう、ごはん食べるわよね?パンで良いかしら?」


「うん、ジャムあったらほしい」


「はいはい、待っててね」


秀美さんがいそいそと春海の食事の支度をする。


その間、春海は顔を洗いに行く。


俺はと言うと食事を既に済ませたので、手持ち無沙汰になる。


一旦春海の部屋に戻って参考書を取ってきた。


眺めながら春海を待つと、すぐに戻ってきた。


「もうごはん食べたの?」


「ああ、起きたの8時だしな」


「早いねぇ…ちゃんと寝たの?」


「まぁな、机でだけど」


「あ、ごめんベッド占領してた?」


「いや、そんなんじゃないけど」


女の子と一緒に寝るとか、まだまだ俺には平然と出来る自信なんかない。


言わば自衛手段の一環と言える。


「それより春海」


「ん?どうしたの、何かやらしー顔してる」


ほっとけ!


「俺、秀美さんとイイコトしちゃった♪」


意地悪い顔をして春海に言う。


「…朝ご飯?一緒に食べたの?」


「っはぁ!?お前ん家の常識、絶対変だろ!」


何であっさりバレたのだろうか。


少しくらいハラハラしてくれてもいいのに。


「ママ、まだ朝一緒するのを、イイコトとか言ってるんだねぇ…」


「使ったの久し振りだけどね」


秀美さんが春海の朝食をトレーに乗せて持ってくる。


トーストにハムエッグ、サラダに紅茶、マーマレードジャムと、俺が今朝ご馳走になったものと同じだった。


「春海が昔ね、幼稚園とか小学校行くの嫌だって、駄々こねたことが何度かあってね」


「春海が…?」


「ちょっと、やめてよ恥ずかしい」


恥じらう春海なんてそうそう見られるもんじゃない。


いいぞ、もっとやれ。


「ふふ、寝起きが特に悪くてね。それで、じゃあママとイイコトしようか、ってね」


「へぇ…意外ですね」


「パパが今より忙しかったりで、精神的に不安定だったんだよ、あの頃」


「あー…なるほどね」


「でも、大輝くんと知り合ってからはすっかり寝起きも良くなって、朝も普通に食べる様になったのよ」


「あれ、そうだったっけ?」


とぼけてる様子はない。


恐らく本当に覚えていないのだろう。


「私たち親からすると、寝起きの救世主ってところね」


俺の知らないところで、そんな活躍をしていたなんて。


「春海でも恥ずかしいなんて概念持ってるんだな」


つい、素直な感想が口をついて出てしまう。


「ふぅん…そんなこと言って大丈夫かなぁ、大輝くん?」


どす黒いオーラが春海を包む。


「失言でした」


「私だって、年頃の女の子だし。恥ずかしいことの一つや二つ、普通にあるよ」


「そ、そうだよな、知ってた」


「ふふ…」


俺たちのやり取りを見て微笑む秀美さん。


春海は、聞く限りかなり手の掛かるお子様だったのだろう。


計り知れない苦労もあったに違いない。




「もう少ししたら、学力テスト受けると良いかもね。最近かなり詰めてたし、相当学力上がってると思うから」


再び春海の部屋に戻って、勉強に打ち込む。


「確か秋辺りにあるんだったか」


「あるね。大輝のところからだと割と近いとこでやってた気がする」


そんなことまで調べてくれてたのか。


よほど同じ高校に通うのが楽しみなんだろう。


「春海は…そんなの必要なさそうだな」


「うん、推薦で行けると思うし」


「なのに俺に付き合って勉強してくれてるのか?」


「大輝と一緒じゃなかったら、今の半分もやらないかな、多分」


「春海って意外と面倒見いいよな」


「そうでしょ?いいお嫁さんになると思わない?」


「話が飛躍しまくってるけど、そこは否定しないよ」


「早く高校決まらないかな」


「お前…そんなに楽しみなの?」


「そりゃもう」


舌なめずりしながら俺を見る。


「おい肉食…本性は頼むからしまっといてくれ」


「ダメ?トラウマになっちゃった?」


「軽くだけどな…明日から学校行くのが怖い」


「だよね…」


「しかも、昨夜覚悟決めたのにお前グースカ寝やがったし」


「あう…」




「このあとどうするの?」


「そうだな…さっきやってたとこまでは終わらせておきたいか」


「帰り何時頃?」


昼食を採りながら午後の予定を話しあう。


春海は朝食からそう時間経ってないのにもりもり食べてる。


よくこんなに入るな。


頭使うと腹減るもんなのか。


「明日また学校だしな、4時くらいには出ておくのが良いかも?」


「そっかぁ、もう帰っちゃうのか…寂しいな」


「何言ってんだよ、また来週もだろ?」


「そうだけどさぁ…」


何となく最近の春海を見ていると、俺への依存みたいなものを感じる気がする。


俺の自惚れとか気のせいならそれで良いが。


例えばただの独占欲ならそれで良い。


たまに見せるようなヤンデレ気味な様子を見ていると、少し不安になるのだ。


俺にだって多少の独占欲くらいはある。


それでも、ここまでではないと断言できるレベルだ。


俺と春海とでは恋愛というか恋愛相手への価値観が決定的に違う。


このズレを、今後どうやって埋めていくか。


そして俺が、春海がお互いのズレを許容していけるのか。


一つの課題なのかもしれない。




夜、施設へ戻って自室へ入ると良平が勉強していた。


「おかえり、大人になったか?」


「一泊したら大人になれるなら、俺来月には年寄りだわ」


そんなバカなやり取りをして、違和感。


良平にはどうやら昨日の惨事は伝わっていない様子だった。


あいつらなら即言いふらしてネタにしてそうなものなのに。


「どうした?そんなに良かったのか?」


「ちっげーよバカ!つかヤってねーし!!」


「ありゃ、本当ヘタレだなお前」


「井原から逃げ回ってるお前が言うか…」




翌日。


学校に着いて教室に入る。


かしまし娘どもは既にいる様だった。


桜井は何となく憐れみの視線を。


井原はヘタレ、と声に出さずに。


野口からは特に何も感じられない。


はぁ、と一つため息をついて自分の席に座る。


教室でいきなり暴発云々言われなかったのは幸いではあるが、あの視線はちょっと辛い。




昼休み、春海からメールがあった。


『桜井さんとか、何か言ってた?』


『いや、何も。憐れみの視線は向けられたけど。つか教室でみんないるときに暴発云々言われたら全力で登校拒否するわ、俺』


「ご愁傷様」


ふと耳元で息づかいとともに囁きがあり、全身に鳥肌が立って思わず飛び上がった。


「うわああああああ!何だよお前!桜井かこの野郎!!」


「いい反応あざーっす」


「何の用だよ…バカにしたいならせめて放課後まで待ってくれよ」


当然小声で言う。


「そんなんじゃないよ。初体験、どうだった?」


「は?」


「あれ、本番中の事故じゃないの?」


「あいつ、どんな説明したわけ?」


「上に乗って色々してたら、脱がす前に暴発させちゃった、って」


あの野郎…覚えてろよ…ほぼその通りだけど。


「ご期待に添えなくて申し訳ないけど、初体験には至ってません」


「…え?」


「いや、顛末聞いたんじゃないのかよ」


「泣きながらお風呂でパンツ洗ってるみたい、って言ってたけど。そのあと慰めてもらいながら…みたいなのじゃないの?」


「前半は合ってるけどな!後半はお前の妄想だろ。想像力豊かだなお前」


「逆上して襲うくらいの根性見せろよヘタレ」


「何だとぉ!?」


「あのねぇ…女の子がそういうの誘うって、相当な覚悟だと思うけどね」


「ぐっ…」


ぐうの音も出ない。


「私と、練習でもする?」


頬を染めながら桜井が言う。


この展開…何処かで…。


「だ、ダメに決まってんだろ!俺知ってんだからな!その展開の最後、練習じゃ済まなくなって俺がお前に包丁で滅多刺しにされて殺されるんだ!!ひどいよ!とか言いながら!んで春海がノコギリで俺の首切り落として首持ち歩いて、お前もノコギリで首斬られて殺されるんだぞ!!!」


「…はあ?何それ?」


あ、あれ?


そんなアニメなかったっけ。もしくはエロゲ。


「もっと度胸つけなさいってことよ。練習くらいなら…付き合っても良いよ、私…」


並みの男ならぐっときちゃうシチュエーションなのだろう。


ただしここが昼休みの教室でなければ。


…いや、ぐっとこないこともないですね……ぐっときました…。


『何?浮気?』


携帯が振動して春海からのメールを見て戦慄する。


こんなに離れてるのに、様子がわかるの?


携帯ってそんな便利な機能ついてたっけ?


『何言ってんだ。俺にそんな甲斐性はないし、バレない自信もない』


動揺を隠し、無難な返事を返す。


「と、とにかくそんな練習は必要なし。あいつもちょっとがっつき過ぎだと思うし、少し落ち着いてもらわにゃ困る」


「私じゃダメ…か」


桜井が俯いて肩をふるわせる。


あれ?何この展開。


俺たちの様子に気づいて教室がざわつき始める。


「さ、桜井大丈夫か!?何か調子悪そうだな!よし、保健室連れてってやる!さ、行くぞ歩けるかぁ!?」


この空気に耐えられるほどの耐久力は俺にはない。


無理やり桜井の背中を押して教室を後にする。




そして保健室。


俺は何か選択を間違えたのではないだろうか。


「桜井?大丈夫か?何で泣いて…」


保健室の先生がいなかったので、勝手に入って桜井をベッドに座らせて、桜井の顔を覗き込んだ時だった。


「んばぁ!!」


顔を隠していた両手を開き、舌と大声を同時に出す。


いきなりのことに驚愕した俺は尻餅をついて数歩後ずさった。


「お、お前…」


「いやーごめんごめん、あんまりにも宇堂の反応が面白くて」


今度は笑いで肩を震わせてやがる。


女ってやつは…。


「悪かったな、ガキっぽくて…」


「っぽいってか、ガキだよ、まんま」


「…気にしてることを」


「ねぇ宇堂?私がさっき言ったの、本気だよ?だって私…」


「お、おい桜井?」


「私っ…」


「誰かいるの?ごめんなさいね、不在にしてて」


桜井が何か言いかけたところで、保健室の先生が戻ってきた。


「あら?どうかしたの?」


「あ、えと…」


「少し、めまいがして…宇堂くんが連れてきてくれたんです。少し、休んで行ってもいいですか?」


「あら、大丈夫?ちょっと横になって行きなさい」


「宇堂、先生に言っといてもらっていい?」


「あ、ああ、わかった」


桜井を残して、一人で教室に戻った。


桜井が保健室で休んでいるということを教科担当の教師に告げ、席に戻る。


桜井はあのとき、何を言おうとしていたのだろう?


保健室の先生が戻ってこなかったら、何を言われたのか。


何となくわかる様なわからない様な。


ドッキリでした、残念!とかオチがつくなら良いが。


とにかく桜井が何か言ってるわけでもないし、今は忘れよう。


ギクシャクしちゃってもイヤだし。




「さっきはありがと、宇堂」


五時間目の授業が明けて、桜井は保健室から帰還した。


「お、おう。めまい大丈夫か?」


忘れようと誓った本人がオドオドしてどーする…。


「大丈夫…ていうか、宇堂のせい、だからね?」


耳元で囁いて、桜井は井原と野口のところに戻って行った。


何で俺?


俺のせい?


ごめーん、とかもう大丈夫、とか声が聞こえる。


あいつ、耳元で囁くの好きだな。


ドキドキしちゃうから、やめてもらえませんかね。




そして放課後。


今日は良平が用事あるとか何とかで、先に学校を出た。


たまには一人で帰るのも悪くない、なんて思っていたのだが。




「待って!」




玄関で桜井から声がかかった。


嫌な予感がする。


これはきっと良くない。


「さく…らい…」


この先起こるであろう展開が何となく読めた俺は、とにかく逃げることにした。


「話したいことがあるの。時間、もらえる?」


「え、えと…それ今じゃなきゃダメか?」


「ダメ。今じゃなきゃ」


桜井の決意は固い様だ。


「すまん、桜井!俺このあと用事が!」


言いながら外履きに履き替えて玄関からダッシュ!


俺はこの瞬間、風になったんだ!


背後から桜井が何やら叫んでいるのが聞こえたが、構うものか。


三十六計逃げるに如かず!!


当然用事などない。


せいぜい春海とメールしながら勉強するくらいのものだ。


簡単に言うと、正面から桜井の気持ちを踏みにじる勇気が、なかった。


卑怯な逃げの一手で既に踏みにじったも同然なのに。


誰かを選ぶってことは、選ばれない誰かを作る。


そうなってまで桜井と友達でいようと言う度胸がない。


覚悟もない。


今の俺は何も出来ない、本物のヘタレだ。


どうしたら良いか、わからなかった。


施設までマラソンして、自室に倒れ込む。


良平はまだ、帰っていない様だった。


「どーしたらいいんだよ…」


実際に桜井からはまだ何も言われてない。


というかこの場合、言う暇を与えなかったと言えるが。


春海と結ばれる勇気もないくせに、桜井の決意を聞くこともしない。


卑怯者だ。




『そうだね、卑怯だと思う』


耐えかねて春海に顛末を語り、春海から返ってきた返事がこれだ。


ズバズバと言ってくれるのが、今は心地よい。


『私のことはひとまず置いとくとして、桜井さんのことは、前に私からも軽く言ったと思うけど』


『そうだけど…いざそうなると、さすがにどうしたら良いか…』


『何で迷ってるの?桜井さんが好きなの?私と付き合ってるのに?結合する度胸もないヘタレなのに二股かけたいの?』


グサグサ抉ってくるなぁ…。


『そうじゃない…元々友達としてしか認識してなかった相手だし、ぶった斬ったら後々の友情に禍根を残しそうじゃん』


『誰かを選ぶってことは、選ばれない誰かを作るということ』


心に痛みが走った気がした。


さっき俺が考えていたことだ。


『大輝は、どうしたいの?誰も傷つけずに生きていきたい?私と付き合って、桜井さんを傷つけずに友達としてやっていきたいの?それって、割と残酷だと思うんだけど』


その通りだと思う。


俺の理想は、桜井の気持ちを封殺して無理やり友達として一生を終えようということになる。


『誰も傷つけずに生きる、なんてことができる人間は多分いないよ?ひきこもりのニートくらいじゃない?ニートも親を傷つけてるから、そうとは言えないかもしれないね』


追加でメールがくる。


『俺がどうしたい、ってのは置いといて、どうするのが春海としては最善だと思う?』


『最善なんてない。大輝がどうしたいか、って最重要項目でしょ。それを置いとくって選択肢がそもそもおかしい』


的確に痛いところをガンガン突いてくる。


俺は春海のこういうところを好きになったのかもしれない。


『俺がどうしたいか、か。俺は、春海とこれからも付き合って行きたい。でも、桜井とも仲悪くなりたくない。都合いいよなって思うし、最低なこと考えてるってのも理解はしてる』


ああ、こんなこと言ったら俺春海に殺されたりしないかな。


ガクブルでメールを送る。


さっきまでさほど間を置かずに返ってきていたメールが、パタリと止んだ。


5分、10分と待つも返事がこない。


沈黙が怖い。


やはり、キレられましたでしょうか…。


早ければ今日、遅くとも明日には俺、亡き者にされちゃう…?


などとウダウダ考えていたら、沈黙していた携帯が鳴った。


『明日、放課後そっち行くから。今桜井さんとちょっと話してた。返事遅れてごめんね』


桜井と話した…?


何ということでしょう。


行動力ありすぎじゃないかあいつ…。


『桜井と、何話したんだ?』


『それは明日話す。だから、明日逃げたりしない様にね。逃げたら…わかってるよね?』


怖い!怖いよ!!


『肝に銘じます…』


こうなったら、覚悟を決めるしかない様だ。

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