『私が会いたかった貴方は』
@Rellan
第1話
「この辺りの筈なんだけど」
メモを片手に迷いながら彷徨う様子は、水色のワンピース姿である事も加えてアリスの様。
流石にエプロンまではしていないけれど。
五月、GWの最終日曜日の早朝。
私はいつもより少しだけおめかししていた。
『久々にアナタに会えるのかもしれないのだから』
とあるアパルトメントの1階、104号室を探すだけにしては、随分と時間がかかっている。
それと言うのも。
「この辺、アパートばっかじゃない!!」
似たような建物、それも意地悪なのかわざとなのか、似たような名前のアパルトメントばっかりなのだ。
ここでもない、あれでもないと、虱潰しに探しながらようやく目的地へと辿りついた。
「この部屋ね?」
改めて、メモに書かれたアパート名と部屋番号、名札を確認する。
間違いなく合っているのを確認してから、ベルを押すが返事が無い。
ドアノブを回すと、不用心ながら開いてしまった。
返事は無いが、来る事は分かっているのだし先にあがって待っていようかと思った扉の向こうは――……まるでホグワーツの一室を思わせるかのような別世界が広がっていた。
「わぁ……」
凄い! と、連鎖的に続きそうな言葉を飲み込んで周囲を見渡せば。
居た、家主が。
ソファの上に掛けられた襤褸切れの様にうつ伏せで寝転んでいる。
白いウサ耳付きフードケープを羽織り、白いネグリジェ姿で。
薇が巻かれた直後の様な、ぎこちない動きで恐る恐る、手元の目覚まし時計に手を伸ばし時間を確認する様子は、時計兎の様だった。
「いらっしゃーい」
俯せのまま、眠そうな、だるそうな、まだ現実と夢の境に居るのが容易に分かる返事を向けられれば。
「真言ちゃん、もうお昼前なのに!」
眠たそうに眼をこする、兎の少女の様な人物に声を掛ける。
彼女の名は、神真言(かなえ まこと)。
一応れっきとした社会人の従兄のお姉ちゃんだが、服装も相まって全く社会人に見えない。
寧ろ今の様に化粧もせず、年甲斐も無いフリルやレースという砂糖過多の様なお洋服に身を包んでいる姿は、私とあんまり年が変わらない位にしか傍目からは感じないだろう。
服装は人を表すと言う言葉通り、かなり変人のお姉ちゃんなので親戚からも親からも疎まれているが、私は何処かこの現実からずれているお姉ちゃんは好きだった。
「おねえちゃん夜勤明けなんだよね。言わばようやくアフターファイブ、本来なら寝てる時間。丁度君ら真人間とは12時間生活リズムが違うからさ。愛沙ちゃんだって、夜11にでもなりゃ明日に備えて寝始めるでしょ? それが今の私なんで……って、言いたいけど約束だししゃーない起きるか」
「しゃーないって! 私をこんな朝早くに呼んだのはお姉ちゃんの方でしょう」
「あぁ、そうだったっけ? って、あの話今日だったか。ごめんごめん、すっかり日にちを勘違いしていたよ~~」
悪びれた様子も無く『忘れてたぁ』と、欠伸混じりののんきな返事をして。
真言ちゃんは寝がえりをうって伸びをして、身体の解れをとってから、机の上に置いてあった黒ぶち眼鏡に手を伸ばす。
彼女はド近眼なのだ。
眼鏡無しだと何も見えない。
上半身を起こし、ようやく目があってから真言ちゃんは笑いながらこう言った。
「あぁ。今日の服、不思議の国のアリスみたいだ。愛沙ちゃんの名前通り、アリスっぽくって可愛いじゃないか」
「ありがとう……でも、真言ちゃんだから告げておくと、嬉しい半面言われて安直な褒め言葉だとも感じているのよね。そういうお姉ちゃんは眠り鼠みたい、いっつも寝むそうでだらしないもの」
今は服装も相まって白い時計兎みたいだけどね、と付けたして。
「はは……その歯に衣着せぬ物言い、アリスよりもクィーン・オブ・ハーツだけれどな。いや、アリスも可愛いイメージが先行しつつ、原作だとふてぶてしいからアリスで正しいのか。出来れば私は、眠り鼠になりたい。眠るのが仕事であり使命でよいのなら、来世はいっそ鼠で良い……と、そんな戯言は置いといて本題に入ろう」
角度のせいだろうか。
眼鏡が窓から差し込む光に反射して、鈍い輝きを帯びて表情が見えない。
のんびりとした彼女に似つかわしくない鋭さを感じ、何処か歪さを感じて緊張が走る。
「実は君の友人の心ちゃんから、連絡があってね」
心臓が一瞬跳ねるかのようにドキリとして、私は口を開いた。
「心ちゃんから?」
心ちゃんとは、私の故郷の友人だ。
週に2~3回、遅くても2週間に1度のペースで頻繁に文通をしている相手だが、急に1か月も手紙が来なくなってしまい、心配していた子なのだ。
たかが1か月程度でと思われそうだが、2年くらい文通して、そんな事が一度も無かったものだから、何かあったのでは? と勘繰ってしまう。
丁度二週間前。
心ちゃんの手紙が来る頃であると同時に、たまたまふらりとお姉ちゃんがお家に遊びに来た日が重なり、どこかそわそわしている私を見て、お姉ちゃんがいつもの調子で『何かあった?』と聞いてくれた事がきっかけで、心ちゃんの手紙の事を話したのだ。
「それ、早く言ってよ! ていうか直接教えてくれたって良かったじゃない!」
「直接伝えたら、そもそも私の所によらないで自分だけで現地に向かっていただろ?」
指摘されてみればその通りだった。
まして今はGWの最終日だ。
当然連絡もGW前に受けていたので、幾らだって一人であんなド田舎まで行くタイミングはあった。
連絡があったのは、実にホッとした。
忙しいのだろうなと思いつつ、心ちゃん自身、今回みたいに、急に連絡が途切れさせる様な子でもないから。
脳裏に嫌われたんじゃないかという想いが過る事もあったが、それも杞憂で終わった様で。
「行くなら早く行きましょう」
「えっ? いや、早めに来てくれたのは嬉しいんだけれどちょっと早過ぎない?」
「おねえちゃんは都会人だから田舎の電車舐めてるけど、下手すると2時間来ないとかが普通だからね? 乗り換えもあるんだし」
「げっ! マジか……それは盲点だったな」
『朝早く来てくれ』なんて言っていた本人がこれだとは……と若干呆れつつ。
「全く……早く来いって言ったのお姉ちゃんじゃない」
「ゴメンって、こんな早くだとは思ってなかったんだけど、それなら尚の事好都合だ。急いで支度するから、少しだけ待っていて」
と言いながら、お姉ちゃんは素早く身支度を整えて、大きめのトランクケースを手にした。
「本当は珈琲くらいは飲みたいけど、今からあんなとこまで行くのに悠長なこと言ってられねぇなぁ……お待たせ。んじゃあ出発しよう、忘れ物に気を付けて」
「ありがとう」
「早く行かないと遅刻しちゃう」
兎みたいに時計を見ながら、急いでアパルトメントを後にする。
何故私が真ちゃんに心ちゃんのお話を相談した上に、一緒に向かうのか……ですって?
――真言ちゃんは、探偵なのだ。
***************
電車に揺られながら、街の景色が都会の喧騒から緩やかな緑へと徐々に移り変わってゆく。
長閑な光景は、それだけで気持ちがリラックスする様――……いや。
実際に都会に居ると、緊張して窮屈なのかもしれない。
何処で誰と会うかもわからない。
身だしなみも、行儀すらも常に必要以上に気を配って居なくてはならない。
コンクリートジャングルなんていうけれど。
『現代人の檻』という言葉で括るなら、現在の人間動物園と言う言葉がぴったりだ。
そう思うのも、私の居場所じゃ無いからだろう。
私は都会の人間じゃない。
自然に溢れると言えば聞こえはいいが、様は人の手の入っていない田舎でもある。
都会から2時間程揺られた終点を一度乗り換え、更にそこから2時間後の終点駅。
長い電車旅だが田舎行きのお昼発ともなれば、都会からでも車内は空いていて、二人分の席を確保するのは十分だった。
腰を落ち着かせれば、駅のホームで購入したペットボトルのカフェオレを飲み、ようやく真言ちゃんは朝の珈琲にありつけた。
「ほぼ徹夜もあって、珈琲があるとやっぱちょっと眠気マシだわ」
真言ちゃんは再び珈琲を口に付けてから、窓の外へと目を向けながら聞いてきた。
徐々に密集したビルの数も緩やかに減りつつある光景が、田舎に向かっている象徴のように流れていく。
「心ちゃんから連絡があって良かった、凄く心配していたの」
「随分仲良いみたいだね、心ちゃん。私としてはどんなに仲が良くて辛くても、今はこっちに転校しているんだし、出来ればこっちのお友達と交友を深めた方が良いのでは?」
幸せな気分を壊されるかのような言葉に、思わず眉を顰めてしまった。
それは、真言ちゃんだけに留まらず、当然色んな人から言われ続けた言葉でもあるからだ。
両親然り、学校の先生然り、随分と勝手な事を言う。
私がわざわざ片道の電車だけで4時間もかかる程の田舎のお友達と未だに文通を続けている理由。
都会の学校に馴染めず、お友達が出来なかった。
出来たら苦労はしていないし、こんな頻繁に私も文通なんてしなかったのではないかと思うけれど。
都会では私は独りなのだ。
小学校から中学校に進学し、学校が切り替わるとはいえ、その中身は大抵小学校の頃の面子と変わらない。
確かに、他小学校との合併という様な側面はあるし、新たなお友達と知りあい、付き合うグループが多少変わる所はある。
しかし、それも中学校1年の時の話。
当然だが、幾ら多少クラス替えがあるとはいえ、大抵同じクラスで固まるか、同じ部活で固まってしまう。
その上、中学校3年ともなれば、既に仲のいい友達がほぼ固定されてしまう。
そんな簡単に友達が出来たら苦労しない。
特に、既に形成されている密接な関係にある集団の中に入り、新たに関係性を持とうという時は。
だからこうして、週に2~3回、遅くても2週間に1度という驚異的なペースで文通をしている。
人との繋がりを、求めるかのように。
「忠告ありがとう。けど、心ちゃんも私と同じ気持だと思うの」
真言ちゃんの言葉を遮断するかのように答えた。
「だって、心ちゃんも私しかお友達がいないもの」
嗚呼。けれどもし、私が都会の学校に馴染んでいてお友達が出来ていたら。
心ちゃんとの繋がりも、田舎に居て都会に越してしまったあの子と私の関係もどうなってしまっていたのかしら?
***********
都会からの終点の旅も、話していたら割とあっと言う間に2時間は経過して。
乗り継ぎを終えて、田舎から更に田舎の、山の麓まで向かう車内に二人で並んでいる。
元の地元に住んでいた時はこれでも多いと感じていた車内が、都会に住んでいる今となっては驚く程にがらがらで。
窓からの長閑な住宅街から更に緑が増えていく光景は、何処か未来から過去に遡るかのような錯覚さえ覚えそう。
「心ちゃんってどんな子なの?」
乗り継ぎを終えて、改めてお姉ちゃんが口を開く。
自慢の親友のお話に、私は嬉しそうに口を開いた。
「心ちゃんは近所の子で、落ち着いていて大人っぽくって、凄く頭の良い子なの。温泉宿の娘でね、お家のお手伝いをしているからかなぁ、かなりしっかりした子で……」
ふぅん、と相槌を打つお姉ちゃんに、更に続けて。
「幼稚園、小学校とずっと一緒だったの。自然とお互い親友になって、小学六年の時にこっちに引っ越すことになって、嫌で嫌で堪らなくて……それでも、『離れていても、ずっとずっと友達だよ』って言ってくれて、実際に文通してくれて、たまに夏休みみたいな時には会いにいったりしていたのね」
「へぇ、そりゃあ随分と仲の良いご様子で気になっていたんだけど、手紙じゃなくて携帯でやりとりすれば良かったんじゃないの。そっちのがすぐ連絡付いて楽じゃない?」
「そう!それなんだけれど、心ちゃんが携帯もスマホも持っていないの。お家も田舎だし、別に特に連絡する必要なんかも無いし、まだ必要無いって言うお家の方針らしいよ」
「そっか、そうなると今時でも手紙って手段になってくるのかな。珍しいなぁって思ったけど。電話代だと高いし、携帯も無いとなると親御さんが出るかもしれないから気まずいしねぇ」
それからも終点まで、真言ちゃんには心ちゃんとの思い出やどんな子かをずっと喋っていた。
途中、真言ちゃんは寝不足なのもあってかうとうとして、静かに目が閉じてしまったのを確認すれば、私も口を閉じて窓の外へと目を向ける。
見慣れた、人里離れた山の麓の光景。
自然に溢れたと言えば聞こえはいいが、碌に人も居ない、小さくて閑散とした街並みが近づいてくる。
もうすぐ彼女に会えると思うと、とっても楽しみだった。
***************
最近ようやく自動改札になったばかりの綺麗な駅を通り、長い電車旅を終えてようやく目的地の駅へと着いた。
「ところで真言ちゃん、聞きたかったんだけれど、探偵っていつも何しているの?」
この後何を始めるのだろうと声が弾んでいたのは、探偵という職業が少し非日常で胸がときめいたことは隠せなかった。
始めて真言ちゃんが探偵の仕事をしているって聞いた時は、普通の仕事じゃないの!? という驚きがあったけれど。
今では寧ろ、中々お目にかかれない珍しくも気楽な職場体験みたいなものでもあるのだから。
「8割浮気調査。依頼人からターゲットを聞いて、行動パターンを聞くと同時に調べて、後は尾行ですね」
「浮気……調査……」
空いた口が塞がらない。
純粋にショックだった。
「現実はそんなものです」
「あまりに……普通」
「寧ろ探偵に何を期待しているんだ君は。殺人事件の犯人を当てたりとかしないし、現実でのそれは警察の仕事だよ。謎の組織に追われたり薬盛られたりもしねぇよ。安月給でそんなのあってたまるか、即辞表を突きつけるわ」
一気に気分が落胆した事は隠せない。
夢をぶち壊される――まではいかなくとも。
急に現実を突きつけられて無言になってしまった。
「愛沙ちゃん、君が元々空想が好きだったりする子は知っているけどね。現実と妄想の区別は付けなきゃならない」
「……じゃあ、今回だってどうやって心ちゃんと連絡を取ったのよ?」
職業が探偵という手前、普通の人にはわからない手段や情報収集等があるのだと思っていた。
それに普通に調べの着く様な事なら、尚更お姉ちゃんを通す理由もなく、自分一人で心ちゃんの家に向かえば済んだかもしれないから。
「まぁ、確かに他人には真似出来ない情報収集のやり方というものはあるっちゃあるんだけど――……」
「どんなやり方なの?」
「企業秘密。今の時代、情報漏えいとかも五月蠅いし書類にサインするし、基本的に喋っちゃ駄目な事も多いからね」
「つまんない。別に誰に言う訳でもなけれはネットに上げる訳じゃないのだし」
そんなやりとりをしながら道中を進み、心ちゃんの家が見えた頃だった。
一度立ち止まって説明する為に指で指し示す。
「見えて来たわ。あの瓦屋根の古いお家が心ちゃんのお家なの、温泉宿だしGWだから今忙しいと思う。急に押しかけるのは迷惑だったかなぁ」
そう言いながら、一目で見て分かる温泉宿を指で指し示す。
「ほら、あそこに見えるでしょう……あれ?」
可笑しい。
掻きいれ時にもかかわらず、温泉宿がやっていない……どうして?
本来なら今の時間は明るく賑わい、近所の人が通う他、遠くから来る人で駐車場も一杯の筈なのに。
まるで、そこだけ時間が静止しているかのように、静かで暗い。
「本当に何か、心ちゃんのお家に不幸でもあったのかな。そういえば、お父さんの身体の具合悪いって言っていたし――……まさか」
心ちゃんのお家へと駆け寄ろうとして。
繋いでいた真言ちゃんの手に急に力が籠り、強く――強く私の手を引く。
……まるで、強制的に止めるように。
「真言ちゃん、手を離してくれる?」
「行かない方が良いと思うよ、特に君はね」
「どう、いう、事……?」
真言ちゃんの言っている意味が分からない。
「もう、心ちゃんは死んでいる」
「えっ……嘘でしょう?」
心ちゃんが……? どういう事?
そう続けようとして、言葉が出ない。
「嘘じゃない。もし、嘘だと思うなら今から彼女の家の親御さんに確認してくるといいさ」
返事が来なかったのは、既に彼女が死んでいて手紙が出せなかったから……?
彼女の家へと確認しに行こうとして、力が抜けてその場に膝から崩た。
幾ら人通りが無いとはいえ、道の真ん中だというのにも関わらず。
「事前に親御さんには君の名前と従兄である事を伝えた上で電話で聞いたんだ。一応君経由で何度か遊んだ事があると誤魔化してね。彼女の死を悼んだら、亡くなった事を伝えてくれたよ」
受け入れたくない現実を拒絶するかのように。
真言ちゃんの言葉を掻き消すかのように。
私はその場で泣き叫んだ。
「どうしてっ……!! どうして心ちゃん死んじゃったの!? 何があったの……やだ、やだやだよぉぉぉ……!!」
あまりにも突然の出来事に、現実に。
みっともなく私は泣きじゃくるしか出来なくて。
薄暗く静まり返った空気の中で、私の叫びだけが木霊していた。
「そうしていたいならそうしていて構わないけど。時間が無いから私は出来れば急ぎたいんだよね」
腕時計を気にする真言ちゃんに、私は言った。
「帰るんだったら帰りなよ、まだ電車はギリギリ間に合うよ……私は無理、動けそうも無いし、動きたくも無い」
想定以上にダメージを負ってしまって、力が抜けて本当に動けない。
道の端でお気に入りのお洋服が汚れるのも構わず、しゃがみこんだ。
服からも周囲からの目も、そこまで気を回す余裕も無いのが正直な所でもあった。
「それだと私が困るんだよね。此処まで来て君を放り出すわけにも中途半場で帰ることも生憎出来ないんだ」
ああ、そうでしょうね。
ママにも行き先は真言ちゃんのお家だって告げてから家を出ているし、私が連絡しないと、真言ちゃんにママから連絡が来て迷惑がかかりそう。
そういう意味でも、放っておくという選択肢は出来ないでしょうから。
そう思って、力無くスマホを取り出そうとしたところを、真言ちゃんの片手がそっと添えられてこう言った。
「心ちゃんに会いたいんだろ?」
「会いたいけど、もう死んでるでしょ」
何を言っているんだろうと呆れながら彼女の手を払い除けようとした時だった。
「今なら、まだ合わせられる。時間が無い――……本気で会いたいなら、今すぐさっさと着いてきな」
そう言いながら、真言ちゃんはトランクを主張するように持ちあげる。
にやりと嗤う表情が、何処かチェシャ猫を連想させる様だった。
「もたもたしてないで、まだ日の明かりが微かにでも頼りになるうちに山に向かおう。49日前だ、まだ会いやすい」
***************
都会に住んでいるとまだ十分明るい時間帯と季節なのにも関わらず、既に随分と日も暗くなっていた。
誰そ彼という言葉がある様に。
隣に居る真言ちゃんの顔に影がかかって見え辛い。
まるで、隣に居るのが別人の様に見える彼女は、あの世とこの世の橋渡し人。
歩き慣れていた筈の山道も、未来と過去の境界線を歩んでいる様にも思えた。
徐々に徐々に、その脚も微かながら文明の香りが仄かに残る街並みから遠ざかり、道が途中から消えてしまえば。
邪魔な草をかき分けながら山の奥深くにへと足を踏み入れていく。
「念の為言っておくけど、危ないし、止めておくなら今のうちだよ」
それまで無言で、無機質に歩みを勧めていた真言ちゃんが口を開いた。
「構わない。心ちゃんと会えるなら。でも……死んだ人なのにどうやって?」
疑問を隠せない私に、歩みを進めながら振り返ることなくそのまま真言ちゃんは語った。
「表家業は探偵なんだけれどね、本業は魔術師なのさ。ほら、物語でも定番だろう?探偵だと思っていた人間が、魔術師でした……なんてお話はさ」
悪戯っぽいにやりとした口元を作り、真言ちゃんは答えた。
本当に魔術師なんて存在するの……?
夢を見ているかのような……いや。
まるで夢と現実が混合しているかのような事実に驚きを隠せない。
「表は探偵という体で調査が出来るし、魔術をするにも多少の下調べというのも重要でね。仕事のかけもちとしても相性はいいのさ。まさか、今現在に魔術師が存在するなんて誰も思わないだろ? ……と。そんな戯言は置いといて、魔術をするというのは実に危険でね。それでも、愛沙ちゃんは身の危険を覚悟してまで心ちゃんに会いたいかい?」
「うん」
歩きながら短く返事をした。
彼女と会えるのなら……私はどんな危険も辞さない。
「わかった。一度私は止めたし、警告した。これ以上忠告もしないよ、覚悟は決まっているんだろうね?」
「うん」
再び小さく頷いて返事をする。
決して後ろを振り返ってはいけない――これは黄泉の道を行く道筋なのだから。
***********
山道から途中、獣道を進んで進んで、腿を上げるのすら苦痛になり始めた頃、少し開けた様な場所に出た。
大分疲労もきつく、呼吸も荒いまま、喉が渇いて乾いて仕方なくって、一気にペットボトルを1本飲み干す程。
私の様子とは裏腹に、真言ちゃんは少しだけお水を飲んで休憩すると、何やら準備を始め出す。
「真言ちゃん、疲れてないの?」
そんな疑問が自然と漏れた。
「元々山岳部だったし。こういう仕事で頻繁に山に入ることも多いから、結構こう見えて鍛えられているよ」
今のご時世、オカルトなんて黴の生えた書物の戯言と言いたいのだけれど。
『連日夜勤』なんて言う位だし、結構依頼もあるのだろう。
まさか、連日夜勤の中身が探偵ではなくて魔術師だったなんて。
半信半疑だった私自身も、いざ目の前にすると本当に存在するんだと驚きつつ。
未だ疑問視が拭いきれないのだから――……。
そんな風に思っているうちに、銀のカップに木の棒な様な物、それらしいパワーストーン。
見るからに怪しい祭壇が手際良く出来ていく。
風の向きが変わった為か、お香の煙が此方に流れてくる。
少し独特な、何とも言えない香りだけれど割と落ち着く良い香りだった。
「……どうやって、死んだ人から連絡が来たの?」
ふと気になっていた事を尋ねてみた。
「君達常人にはない情報網があると言っただろう」
「それがつまりはどういう事か聞いているの」
「霊に距離という物は関係ない。君も心ちゃんに会いたがっていたと同時に、心ちゃんの霊体も、強く強く『貴女に会いたい』と願っていた」
本当であれば、嘘でしょうと眉を顰めたい所ではあるけれど。
もし嘘ならわざわざ森の奥でこんな手の込んだ事をする理由もないだろう。
……それに何より、死んでからも私に会いたいと想ってくれていたと知って、今までの不安が溶けていくと同時に嬉しかった。
「魔術師である私は普通の人と体感や感覚が違う。簡単に言うと、君達の受信できない電波も拾える機械とでも言えばいいのかな。電波って言うのは霊の事ね。私が心ちゃんの霊体を受信しやすかったのも簡単な話で。君に近い上に霊感が強い人間。その点が心ちゃんも私を通して連絡しやすいという一点でね」
霊になると肉体という縛りが解けて『思念体』になるからね、相手の事も自分の事も全て伝わってしまうのさ……なんて説明しながらお姉ちゃんは更に続ける。
「魔術師として同時に心ちゃんの霊から『愛沙ちゃんと会わせて欲しい』と依頼を受けていたのさ……だが、魔術には君ら一般人が想定する以上に危険を伴うし、最悪信じてくれない可能性もある。君が信じてくれる夢見がちの女の子で助かったよ~~」
それで私の身の危険性を促しつつ、それを冒してまでの覚悟があるか聞いていたのか。
「最初から、心ちゃんが死んでいるのは知っていたのでしょう? どうして教えてくれなかったの!」
「君、私が最初に会った時に『心ちゃんは既に死んでいる』って言われて信じたか?」
そう言われればその通りだ。
突如『その子死んでるから手紙が来ないんだよ』と真実を告げられたとしても、激怒していただろう。
寧ろ、真言ちゃんの頭が可笑しい可能性まで疑ってしまう。
今までのやりとりを思い出していたところ、真言ちゃんが振り向いて此方に手招きをして。
促されるかのように、私も彼女の所へと歩いて行く。
「こっちの準備は終わったよ、覚悟は良い? 呼吸は落ち着いたかな?これから、ちょっと大変だから頑張って。座る場所……は無いよねぇ、ちょっと大変だけど立ったままで」
そう言って、真言ちゃんは私の手を取れば。
「私に呼吸を合わせて。1、2、3、4のリズムで吸って、止めて、吐いて、止めるを繰り返して」
私を促しながら、互いに呼吸を合わせる。
「吸って――……1234、止めて1234、吐いて――……1234、止めて1234」
規則的な真言ちゃんの声に合わせて呼吸をするが……やってみるとかなり苦しい。
真言ちゃんは平気そうで、よくこんなことをやっていられるなと思う。
その上、蝋燭の火を一点に見つめてと言われるから尚更。
馬鹿馬鹿しい。
こんなことをしていたら、精神が可笑しくなりそうだ。
やはり魔術とは、頭が可笑しい人の信仰心から成り立っている下らない遊びでしかないのだろうか?
――……そう、思い始めた時だろうか。
苦しい呼吸に合わせ、若干意識が朦朧とつつ、いつになったら終わるんだろうと思っていると、目の前の視界が可笑しくなってくる。
なんて表現したらいいのか難しいけれど、蝋燭の火が変な色に見え始めるのを合図として。
徐々に、周囲の色合いも漆黒の森の筈なのに、青と赤の世界が交差するかのように、大きく揺れるようにぶれるように……可笑しく見え始めて。
ハッと気が付けば、目の前には白い髪、白い肌、白い服と、生前のそれと比較して、白すぎるけれど……見間違える事の無い。
心ちゃんが目の前に居た。
「……心、ちゃん……?」
驚く私の肩に、そっと真言ちゃんの両手が添えられて、背中越しから私へ身を寄せ、そっと耳元で囁く様に彼女は言った。
「呼吸を整えて、少しだけだけど“私の眼”を貸してあげたから……ほら、視えるでしょ――」
「……心ちゃん!!!」
真言ちゃんの手を振り払って、私は心ちゃんの元へと駆け寄った。
「心ちゃん!!……ねぇ、私だよ!!愛沙だよ、わかる……? 貴女にね、会いに来たの……遠くから、電車で4時間かけて会いに来たんだよ!! 私が会いたかった、あ――……」
言葉を遮る様に、心ちゃんの白い手が私の首を掴むとそのまま押し倒された。
死んでいる筈なのに、まるで生きているかの様な感覚と、のしかかられる重みがしっかりとある。
「なん……」
なんで?と聞こうとして、それすら私は出来なくて――……。
混乱して、動揺している私の顔を覗きこんで、呆れたように真言ちゃんはこう言った。
「なぁ……愛沙ちゃん。茶番はそろそろ止めにしないか?」
どう、いう、事、なの?
首を絞められて、その一言すら今の私に言う事は出来なかった。
ひたすら心ちゃんの幽霊の手を退けようと手を動かしながら、真言ちゃんを睨みつけた。
「なんで?って、本気で言ってるの? あまりに自分勝手過ぎると思わないの? そうやって、都合の良い幻想に逃げて現実を見ない。君はそんなにも空想の中を生きる少女(アリス)だったのかい?」
何が言いたいの……?
「そりゃ心ちゃんは怒るだろうよ。目の前に、自分の首を切って殺した張本人が居るんだもの」
……嘘でしょう……?
嗚呼、その一言すら声に出せない。
意識が朦朧としているせいだろうか。
首をお切り!首をお切り!と、死の女王が目の前で捲し立ててくる様な幻影が視える様――……。
これが走馬灯という奴なんだろうか。
あぁ、そうか、ようやく思い出した。
そうだった……私が彼女を殺したんだ。
***********
あれは丁度、一か月前に地元に戻った時の事。
これから始まる新学期と同時に中学校最後の1年が始まるから、進路の話をしに来ていた。
山道とはいえ、私達からすると只の通り道の一つを歩いて。
こんな辺鄙な場所に新しく出来たという噂のカフェへ行こうとしていたのだった。
「ねぇ、心ちゃんは進学先の高校決めてある?」
「……え?」
驚いた様な表情をして、今まで歩いていた足を止めて。
少し黙ってから彼女は躊躇う様に言葉を続けた。
「どうして?」
「どうして、って。この辺高校無いじゃない、辛うじてあるのが小中学でしょ。辺鄙過ぎて高校まで行くのにもどんなに近くたって電車で片道1時間はたっぷりかかるじゃない。その上、一番近くの片道1時間たって……通うのが馬鹿らしい位底辺校だし。心ちゃんの学力だと、そんな所行ったって勿体ない――……とはいえ。この県で高い偏差値の学校って、何処も此処から電車で2時間はかかった上で更に自転車で30分はかかるじゃない。往復で最低2時間、長くて5時間は……どの高校もあんまり現実的じゃないって言うか、苦しい気がするのね」
「……そうかもね」
「そうなると、高校どうするのかなって思って」
「…………」
口数が少なく、何やら重い表情になり、やや下を向いている彼女を察しながらも、私の思っている事を知って欲しくって、聞いて欲しくって、彼女と居たくって、私は続けた。
「そうすると、此処を離れて引っ越すか。心ちゃんが独り暮らしするかかなぁ――……なんて思っていたの。私も今は都心だけど、もし心ちゃんが県でも辛うじて街中の進学校か。これは私の我儘だけど、もし引っ越すなら――……心ちゃんも、いっそこっちで独り暮らしとか、しないかな……って。心ちゃん頭良いし、田舎より都会の方が合ってると思う。美術館も沢山あるし、プラネタリウムや映画の設備も段違いだし、図書館だって本の種類は無いのを探す位難しいし。勉強する環境だって、随分とこっちと比べると桁違いに恵まれ――」
「愛沙ちゃん、今の関係これで終わりにさせて貰えないかな」
私が喋っていたのを彼女が遮る。
山道を歩く足をお互い止めて見つめ合い、すかさず私は聞いた。
「どういう事?」
辛そうな笑顔で躊躇う様に彼女は続けた。
「もう、十分でしょう。文通も二年も頻繁にやりとりして……正直これ以上はしんどいわ」
「辛いならこんなに頻繁にやり取りしなくても大丈夫だよ。連絡の回数が減るのは寂しいけれど」
「そうじゃなくて」
苦笑交じりに笑顔を作れば、暫くはどう切り出そうか迷ってるようだった。
……じれったい。
言いたい事があるのならはっきりと言えばいいのに――そう言おうと喉まで出かかった瞬間だった。
「もう、愛沙ちゃんとお友達で居るのがきついのね」
「はぁ!?」
突然の言葉に、私は怒りを隠せなかった。
「何で?意味わかんないんだけど! 手紙を頻繁に返してくれているし、すっごく遠くからわざわざ休日に時間かけてまで来て!! 友達だと思っているからやっている行動だし、心ちゃんも同じだと思っていたよ!!」
「遠い所から来てくれて本当にありがとう……けど。ごめん、もう帰っても良いかな……正直、私もこれ以上愛沙ちゃんと向き合うのはしんどい」
踵を返して彼女は帰宅しようとする。
理由も言わないで逃げる様な彼女に私は正気を失った。
「帰る前に一言理由でも言ったらどうなの!?」
数歩歩いた所で立ち止まり、振り返ろうか、前に進もうか。
躊躇い、悩んだ末に彼女は此方に振りかえるとこう言った。
「私の進路は私が考えるべき事よ。愛沙ちゃんも私に口を挟む暇があったら、自分の事をもっと真剣に考えるべきだと思うの」
「私は心ちゃんと一緒に居たいの。だからこうしてこんな遠くまで進路先の学校を聞きに来たんじゃない」
困った様な顔をして、暫く迷っていたようだったが、彼女にしては珍しく重い口を開いた。
「私自身も愛沙ちゃんと居て楽しかったし、確かにお友達は居なかった……けれど、それは貴女の我儘に付き合っていた側面もあるのね。ずっと、私も愛沙ちゃんしかお友達が居ないと思っていた。けれど、それ自体が間違いで、愛沙ちゃんとあまりに二人っきりで居たせいで他の人と仲良くする隙間が無い事に気付いたの」
「……嘘」
嘘だ。だって、お互いの最も大切なお友達でしょう? 私達。
ぐらり――と、頭を殴られ、揺さぶられるかのような衝撃を感じるほどに、驚きを隠せなかった。
「私、ずっと想っていた事があるの。仲が良いのではなくて、貴方は私に依存して逃げ場にしているだけって。そろそろ愛沙ちゃんも転校先できちんと人間関係を形成してお友達を作った方がいいと思うの。ずっと同じ学校で、同じ職場で、引っ越し先も同じなんて無理だし、そんなことしないと友達じゃないと判断を下される方がよっぽど不健全でしょう。 どんなに仲が良くて辛くても、今はあっちに転校しているんだし、出来ればあっちのお友達と交友を深めた方が良いのでは?」
「心ちゃんも同じ事を言うんだね」
それは、両親からも、学校の先生からも嫌という程この2年間で言われ続けた言葉だった。
『愛沙ちゃん、どうしてこっちの学校でお友達を作ろうとしないの? 途中で引っ越したら、お友達が出来なくて可哀想かもしれないから進学するタイミングで越して来たのよ……本当は、パパだって1年前に引っ越せていたらもう少し違っていたのに、それを愛沙ちゃんの為に――……』
五月蠅い。
学校のお節介な担任の声が頭の中で木霊する。
『田舎から越して来たというが、何か悩みでもあるのか? もう少しクラスメイトとも接した方がお前の将来の為でもあるぞ』
五月蠅い。
私の事も知らない癖に。
自分達の都合の良い言い方をして。
「心ちゃんだって、お友達だって思っていたのに……理解してくれていると思っていたのに!!」
怒りに我を忘れ、勢いよく彼女へと掴みかかった時だった。
引きとめようとして腕を掴もうとした弾みに、彼女は慌てて私を避けようとして。
元より運動の苦手な子なのだ、素早い身のこなしは下手なのをよく知っている。
山道の端にいた彼女は、只でさえ足場の悪い場所で後ろも見ずに避けた拍子に、よろけてそのまま足を踏み外してしまった。
彼女の身体が空に浮いたかと思うと傾斜に転がされる事となり、不味い事に、その傾斜が結構急な角度の上、地面までの深さも結構あったらしい。
恐る恐る下を覗いてみれば――……まるで卵を落としたかのように、彼女の頭が拉げ、無残に血が飛び散っていた。
ハンプディダンプディは決して元には戻らない――……。
怖くなった私は、その場を逃げるように去って行った。
元より人通りが少なく、車も通る様子が無ければ、心は焦って逃げ帰りながら頭だけはやけに冷静に周囲を確認して、確実に人に見られていない事を確信して。
徒歩でたっぷり30分以上はかかる道を走り、心ちゃんの家の扉を開けた瞬間に叫んだ。
「心ちゃんがっ……!!足を滑らせてっ……!!」
あの時の両親の驚いた顔は、多分一生忘れられない
いや、忘れてはいけない――……忘れてはいけない筈なのに――……。
急いで救急車に電話して、救急隊員と両親と、再び彼女の落ちた場所へ駆けつけて。
担架に乗せられて運ばれる彼女の顔には、白い布がかけられ。
口元と思われる部分に呼吸に伴う布の上下等の動きは微かに確認出来た筈なのに――……。
病院で検査した結果、頭の損傷以外にも、落ちた衝撃と打ちどころが悪かったのか、頸椎も損傷していた。
それは、まるで首を切り落としたかのように見えた。
……彼女は、還らぬ人となってしまった。
私自身、ここまでするつもりじゃなかったという恐ろしさと罪悪感と後悔と哀しさと同時に。
一人娘を失い、泣き崩れる両親の姿が脳裏にこびりついて。
それがそれが、あまりに恐ろしくて。
怖くて恐くて。
自分の心を護る為にも、蓋をした。
私は人殺しなんかじゃない。
心ちゃんの両親も、すぐに知らせてくれてありがとう、とか。
いつも娘と仲良くしてくれてありがとう、とか。
彼女が私から手紙が来ると、いつも嬉しそうで――……とか。
思い出すだけで涙がとめどなく溢れて来る。
そんな会話も、今も耳に残っている事を思い出した。
そう――私は貴女のお友達。
人殺しなんかじゃない。
同時に、あの時私自身がどう思っていたのかも。
*************
目の前に居るのは白い霊体なのに。
真言ちゃんのお陰か、まるで肉体があるかのように感じる彼女の冷たい手から。
そんな事ある筈も無いのに。
彼女の表情すらわからないのに。
何処が目だか、おぼろげな認識でしかわからない位に白い顔から、私の頬へと涙が伝わってくるような錯覚を受ける。
幽霊というのは、肉体の無い精神体だからだろうか?
彼女の手から、涙から、私の心に直接彼女の心の悲鳴が届いてくる――……。
私に人生を文字通り題無しにされてしまった、彼女の怨嗟の声が。
彼女自身も強い怨讐の念の塊と化し、私の上にのしかかる。
「たす……けて……」
首を絞められて、呼吸をするのが苦しい。
朦朧とした意識の中、縋る様に真言ちゃんに手を伸ばした。
「その手は、私じゃなくて心ちゃんに伸ばすべきでは?」
真言ちゃんの眼は、酷く冷たかった。
「愛沙ちゃん。私じゃなくて、心ちゃんに懇願すべきだ。『ごめんなさい』って。君は人の世界の中ですら決して許せない過ちを犯している……なのに、君は心ちゃんに謝る素振りも無ければ、突き飛ばして殺した事を偽り――……今だってそう、彼女に後悔や謝罪の一つすら伝えることなく自身の保身に走っている」
嗚呼――……その通りだな。
実に愚かなお話だけれど、ようやくその事に気付けたのだった。
「今回の件だってね、心ちゃんが君とお話をしたかったから設けた機会なんだ。依頼人は君じゃない、心ちゃんだ。事故の件だってそう――心ちゃんもね、死んだこと自体は哀しいし許せないって強い怨念を私に伝えて来た。けど、あの事故だって心ちゃんから見れば、君が意図的だったか只の事故か分からない。故に君に真相を訪ねたかったんだ、あの時君がどう思っていたかを。後悔していないかとか、悲しんでいたなら彼女もきっと許していただろう――……けれど」
深い溜息と共に、真言ちゃんが私を見下す。
「心ちゃんの根強い怒り、私にだって分かるよ。自分を殺した張本人が、自分の死を受け入れないばかりか、殺した事すら後悔するどころか都合良く忘れようとしてんだもん」
真言ちゃんに言われて気付いた自分が本当に恥ずかしい。
私は彼女に謝らなくっちゃいけなかったんだ。
謝った所で、決して彼女は生き返る事は出来ないし、私の罪もなかった事にはならない。
けれど、私が心ちゃんに対する想いとか、今までの感謝とか、ごめんなさいとか。
そういう気持ちを伝える機会にすれば、少しは彼女の心も救われたのかもしれない。
例え、それが私の想い込みかもしれないとしても――……。
「通りで。こんな強い思念体を私に飛ばして『依頼』してまで、君と会いたいなんて言った意味がよく分かったよ。彼女も相当怒っていたのか」
もし、今からでも間に合うのなら……謝りたい。
言葉に出来なくても、思いが伝わるのであれば……そう、思った瞬間だった。
「実は魔術師として彼女から受けた『依頼の見返り』というのがね、彼女の魂だったんだ。何にでも代償は要る、その代償を受け取ろうと思って作った祭壇だったんだけれど……」
……悪魔ですって……?
朦朧とする意識の中、どういう事か聞こうとして。
首をお切り!首をお切り!
叫ぶ女王の声が聞こえてくる様。
ワンダーランドに彼女は君臨し、首をお切り!と片っ端から裁いているけれど。
もし、彼女を裁くとしたら……その相手は誰なのでしょう……?
にやり、とチェシャ猫の様なにやにや嗤いで真言ちゃんは答えた。
「人としては最悪で嫌悪しかないけれど、魔術師としての私からは、君は最高の逸材だ、ありがとう」
そう言うと、彼女は何を言っているのかすら理解出来ない言語を語り始めた。
「……何を……しているの……?」
にやりと彼女は嗤うと、こう言いました。
「何故、私が魔術師になったと思う?」
「……?」
言いたい事が分からず、眉を顰める。
「そう眉を顰めなくていいさ。難しくない、シンプルな答えだよ」
「……叶えたい願いがあったから?」
「その通り。けど、願いを叶えるのは無償ではないし、こうやって対価が居る訳だ。死んだ心ちゃんが生きている君と話をする対価として、自分の魂を差し出した様にね。初めて、今と違って拙い技術で”彼”を召喚するにはどうやら不十分だったようで、一瞬だけ、現れた――……幻視自体は確かに成功したんだよ。けれどね、その一瞬だけさ」
真言ちゃん、何が言いたいの……?
そう言おうとして、最早既に呼吸をするのすら精一杯な私は、言葉にする事が出来なかった。
「どうやら不十分だったのは材料でね……人の魂が必要だったのさ。そこで彼女の魂を使おうかと思ったんだけれど、悪魔は君の魂を御所望だ。代わりに彼女には成仏して貰おうと思うよ」
そう言うと、彼女は木の棒の様な杖を取り出して天高く掲げた。
それは丁度、ウェイスタロットの、Ⅰ:魔術師のポーズの様に。
彼女の作った祭壇は元より、私と心ちゃんを……。
あの世の人間と、この世の人間を繋げるためのものではなく――……。
始めから、彼女の為の祭壇だったのだ。
……意識が――……遠のいていく――……。
真言ちゃんが何か喋っているけれど、私は既に、その言葉を最後まで聞く事は出来なかった。
「私が会いたかった貴方(悪魔)は――……」
『私が会いたかった貴方は』 @Rellan
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