03.飛鳥井探偵事務所

 学校の最寄り駅から電車で二駅。

 さらに、駅前の繁華街を五分ほど歩いて辿りつく雑居ビルの二階。

 その最奥の一室、古ぼけた入り口扉を開けながら、


「こんにちわぁ~」


 と、中へ声をかける。

 同時に、扉の内側に付けられたドアベルが、チリンチリン、とかぼそく響いた。


「やっぱり……探偵じゃん」


飛鳥井あすかい探偵事務所〟と、百均素材でクラフトワークされたようなドアプレートを眺めながら花音かのんが呟く。


「便宜上そう書いているだけ。飛鳥井事務所だけじゃ、反社会勢力みたいでしょ」

「反社会勢力が、こんな百均ひゃっきん素材みたいな表札作るかなぁ?」


――確かに。


 中に入ると、すぐ目の前に立ちふさがるキャスター付きのパーテーション。


「誰も……いないんですか?」


 緊張した声色で訊ねてきたのは、一番後ろから付いてきた手嶋さん。

 鍵はかかっていなかったけれど、中からも返事はない。


「どうだろ。たまきさん、仮眠でもとっているのかな……」


 三人一列になって奥へ進む。パーテーションの向こう側は応接室。

 細々こまごまとした、未整理の道具や荷物で雑然としている。

 応接セットのソファにも、窓際の所長席にも人影はない。

 と、そのとき、奥のミニキッチンからフライパンを持った青年が顔を覗かせた。


「なんだ、咲々芽か」

「あれ? あまねくん、来てたんだ」

「炒め物していて気付かなかった。……友達?」


 花音と手嶋さんの二人をあごで差しながら青年――あまねくんが尋ねる。


「え~っと、私のクラスメイトで、矢野森花音と、手嶋……雪実さん」


 周くんの切れ長なつり目に見据えられて、さすがの花音も「こんにちは」と、やや気後れ気味にお辞儀をする。

 しかしそれも束の間、すぐに私の脇腹を肘で小突いて、


「ねえちょっと! あたしたちにも紹介してよ、彼!」

「分かってるわよ……がっつくな!」


 そう言って私は二人から離れると、今度は周くんの傍まで行って振り返る。


「彼は飛鳥井周あすかいあまねくん。ここの所長の環さんの……弟さん。一応、中学三年生」

「一応、って……なんだよ?」

「だって……」


 えええ―――っ! と、声にならない声を上げながら目を丸くする花音と手嶋さんを指差して、再び周くんの方へ向き直る。


「ほらね? あまねくん、とてもだけど中三とししたには見えないもん」


 身長は……一ヶ月前に会ったときより、また伸びた?

 いつの間にか、私の頭のてっぺんが彼の肩の位置よりも低くなっている。

 もしかするともう、百八十センチに届いているかも!

 

 加えて、切れ長のつり目にしっかりとした隆鼻、落ち着いた声と口調。

 一見しただけなら大学のテニスサークルあたりで、クールなところが素敵! なんて女子部員の黄色い声を受けながら副部長でもやっていそうな出で立ちだ。


 ちなみに、所長の弟……とは紹介したが、環さんの母親は環さんが六歳の頃に他界している。

 周くんは、父親の再婚相手の子供で、環さんの異母弟となる。


「いつのまにここ、咲々芽たちの溜り場に?」

「そんなんじゃないわよ。今日はちょっと、環さんに相談があって……」

「ふぅ――ん……環にねぇ……」


 改めて、二人を鋭く一瞥する周くん。

 その視線に、手嶋さんは再び肩を跳ね上げてうつむくが、早くも慣れた様子の花音はサササッと周くんに近づき、フライパンの中を覗き込む。


「ほうほう! 肉野菜炒めかぁ! あまねくん、料理できるんだぁ!」

「ま、まあ、簡単なものだけだけど……。環に……所長に届け物にきたら、ついでに留守番と晩飯の用意を頼まれて……」

「そっかそっかぁ。じゃあ、お姉さんもなにか手伝うよ!」と言いながら、周くんの腰に手を回そうとする痴女花音!

「な、なんだ!?」


 周くんが、慌てて体を捻ってそれをかわす。


「なんで避けるのよ、あまねくん?」

「避けるだろ普通! おい咲々芽……なんだこの女!?」

「あ~、花音は今日は関係ないから、あまねくん、相手お願い」

「関係ないなら連れてくるなよ! ……って、キッチン狭いから、いいです! そっちで座っててください」と、菜箸さいばしを持った右腕で花音を押し返そうとする周くん。

「狭いなら好都合じゃない♡」

「何がっ!?」


 落ち着いて見えても、周くんのああいう反応を見ると、やっぱり中身は中学生なんだなぁ、って再確認。

 でも、あんな風にあたふたすればするほど花音は燃えちゃうんだけどねぇ。

 これまで花音をここへ連れて来なかったのはこの事態を懸念してたから。

 まあでも……出会ってしまったものは仕方がない!


――アディオス、周くん!


 半ば諦め気味に二人を見ながら、


「紅茶でも淹れよっか?」と、手嶋さんに声をかけたその時。


 チリチリン――……。

 ドアベルの音が響き、すぐにパーテーションの向こうから現れる人影。


「なになに? なんだか今日は、賑やかだね~」


 そう言いながら入ってきた人物に全員の視線が集まる。

 丸襟のフリルシャツに、膝上の黒いミディアムワンピース。

 黒のタイツに包まれたスラリとした足元のおかげでかなり高身長に見える……というのもあるが、実際に、周くんと同等以上の上背があるのも間違いない。


「すっ……スーパーモデル!?」と、一拍おいて花音が呟く。


 まあ、そう思うのも無理はないよね。

 私だって何度も会っているくせに、それでも会うたびにいつも、今の花音と同じような陳腐な修辞レトリックしか思い浮かばない。


 もちろん、感嘆の理由はプロポーションだけじゃない。

 長い睫毛の涼やかな目元に、筋の通った高い鼻と薄い唇が配された端麗な顔立ち。

 白い肌に胸元まで大切に伸ばされた黒髪のストレート。

 サラサラとてかりのない髪は、シンプルなロングヘアでありながら、なぜか中性的な印象も漂わせている。


 とにかく、ただ美しいというのではない。

 月の光のように神秘的で、そしてどこか気高さも感じさせる……そんな悪魔的な存在感が立ち昇っているのだ。


「え――っと……」


 入ってきた女性を手で指し示しながら、室内を振り返って呆けたような顔の花音と手嶋さんを確認する。

 おそらく二人とも、こんな顔になるんじゃないかなぁ、と予想していた通りの表情が見られて、少しだけ感じる優越感。


「この人が、この事務所を経営している、私のいとこの、飛鳥井環あすかいたまきさん」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る