ミッション・エスケープ!

葵 一

第1節

「ふぅ~~、いい天気だねぇ……」

 真っ青な空を眺め、吐息と一緒に言葉を洩らした。そして、そのままゆっくりとした動作で緑茶を啜る。

「お茶も美味しいし、言うことなしだねぇ」

「ありますよ」

 陽の当たる窓際に座って長閑に緑茶を啜っている、弛みしかない表情の男にプリントを整理していた少年が物憂げに言った。

 歳は十六ほど。身長は特に高いということはなく、平均より少し下ぐらいだ。優しげな顔立ちとつぶらな瞳故か、やはり少年という域からは抜け出せない感がある。

「生徒会長、いい加減に仕事してくださよ。それにその湯呑みとお茶っ葉はどこから持ってきたんです? まさか給湯室から、なんてことはないでしょうね?」

 生徒会長と呼ばれた男子生徒――宇都宮宇都宮 綜恭そうすけ――は彼の言葉を聞いていなかったかような素振りで、もう一度緑茶を啜った。

「これは家から持ってきた~」

 が、一応聞いていたらしく、口を開く。

「じゃあお湯はどうしたんですか?」

「そこのポットから~」

 指差された所を見ると、いつの間にやらコピー機の横に見慣れぬポットが置かれてあった。

「あんなものここにありましたっけ?」

「家から持ってきた」

「あれも自分で持ってきたんですかっ!? ……はぁ……とにかく、仕事手伝ってくださいよぉ。そうじゃないと、また副会長に怒られますよ?」

 呆れ顔で書記長――久野ひさの 和敏かずとし――は再びプリントの整理を始めた。やはり宇都宮は手伝う気もなさそうに、流れる雲を目で追いながら湯呑みを動かしている。

「生徒会長、すみませんがその辺りにホッチキスがあると思うんで、取ってもらえますか? ……あれ、生徒会長?」

 久野がプリントに気を取られている僅かな間に、さっきまでいたはずの宇都宮はいなくなっていた。残っているのは座っていたパイプ椅子と、机に置かれた空の湯呑みだけである。

 素早くその場からいなくなることを煙のように消えたとよく言うが、この場合は緑茶の湯気と一緒に消えた、と言った方がいいかもしれない。

「はぁ……」

 ため息をつき、宇都宮が座っていた椅子の側にあるホッチキスを取ろうとすると、

「生徒会長っ! 何処へ行く気ですかっ!!」

「いや~、ちょっと体調が悪いみたいでさぁ~、かえろうかな~と」

 女生徒の怒声と宇都宮の声が聞こえてきた。

「プリント整理の仕事はどうしたんですかっ!!」

「それは久野君がやってくれるって~。それじゃ~」

「あっ!? 生徒会長!!」

 ダッと駆けていくシルエットが磨りガラスに映る。若干の間を置いて、宇都宮が走り去っていった方向を見ながら、眼鏡を掛けた女生徒が生徒会室に入ってきた。

 全体的に髪型はショートカットだが、こめかみの辺りから伸びている髪だけは顎を過ぎるくらいまである。目元ははっきりしているものの、きつい感じはほとんどしない。身長は久野より少し低い。

「まったくもうっ! また逃げられた……」

 いい加減にしてほしいという気持ちでいっぱいの表情を久野に見せつける。

 噂の生徒会副会長――小島小島 由美子ゆみこ――に久野は目を合わせられなかった。こういう状況で言われる一言は見当が付く。

「どうして捕まえておかなかったの?」

 声に怒りが籠もっているのがよく分かる。当然、声だけでなく態度にも現れている分だけ久野としてはやりづらい。

「いや、あの、その……プリントを整理してて、ちょっと目を離した隙に……」

「じゃあ、なんで手伝わせなかったの?」

 小島が迫る。

「いえ、あの……手伝ってくれるように言いはしたんですが……」

「言うだけで、こういったことを彼がまともに聞いたことある?」

「いえ……ありません」

 実際に一つ上であるが、気の強い姉に苛められている気分である。

 小島がいない間に宇都宮が逃亡すると、いつものごとく久野が責められる。ただし、彼女がいたとしてもある程度時間が変わるだけで、結局の所逃げられてしまうことが多く、それほどの大差はない。

「はぁ……もういいわ。こんなこと言ってても仕方ないし、早くプリント整理を終わらせましょう」

「はい。ところで、館森先生に何で呼び出されたんですか?」

 プリントに手をつけようとした小島は再び嘆息した。

 館森というのは生徒会顧問の教師である。生徒会のためにいろいろしてくれてはいるが、宇都宮のことや小島・久野の苦労は知らない。それは部外者も知らないことだが、表へ出てしまうと更に二人の苦労が増えるだけなので秘密事項として扱われている。

「これ以外に集会で使う別の資料を十日までに作ってくれって……」

「えぇっ!? そんなの二人じゃ無理ですよ!!」

 生徒会のメンバーは七人。そのうち風紀委員が二人。この二人は内務には一切関与しないため、実質五人になる。宇都宮、小島、久野を除けば当然あと二人いるはずだが、悲しいかな宇都宮の肩代わりで昨日から走り回っている。

「するしかないでしょ。どのみち今は二人なんだから。私がプリントの整理をするから、久野君は冊子の資料を作って」

 久野は小島以上のため息を吐いてパソコンの前に座った。生徒会に入って三ヶ月が経つが、今更ながら後悔する久野であった。

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