第2節
服を脱ぎ捨て、タオルで髪が吸い込んだ雨を荒々しく拭き取る。シャワールームから湯気が洩れだしていた。
結局、少女は俺が家に帰り着くまでついてきてしまい、拾わざる終えなくなった。
――いつからこんなお人好しになったんだ?
彼女の足と俺の足とでは雲泥の差があるはずで、撒こうとすれば難なくやれた。が、この現状だ。何故そうしなかったのか、と自問自答してみるが、理由は判りかねる。
有るまじき醜態。自分の失態は後でどうにかするとしよう。次の仕事が来る前に銃の手入れをしておかなければな。
ホルスターから銃を抜き分解してテーブルに並べ、一つ一つ丁寧に水気を吹き取っていく。そうしている内に、シャワー音は止まり、少女がバスルームから出てきた。
「終わったよ」
タオルを身体に巻き、別のタオルで髪を押し付けるように丁寧に拭きながら俺に言った。だが、構わずに俺は銃の手入れを続ける。
「早くシャワー浴びないと、風邪引いちゃうよ?」
心配そうに俺を見るが、その視線さえも俺は無視する。ガキの相手なんぞ一々していられん。
「……へぇ、鉄砲ってこんなにたくさん部品があるんだ」
俺の前に座り少女は分解された銃へと話題を変えた。しかし、敢えて俺は何も口にはしない。
ジッと物珍しそうに、俺の仕草やパーツを眺める少女。水気と一緒に汚れを拭き終え、今度はガンオイルを塗り、組み立てていく。
「こんなのがよく壊れないよね……あ、油ついちゃった」
ガンオイルを塗ったばかりのパーツの一つをつまみ上げ、眺めてから戻すと驚いた風に指を見た。しかもその油を身体に巻いているタオルで拭ったのだ。
「お前なぁ……」
「ごめんなさい」
思わず黙殺する事も忘れぼやくと、少女は申し訳なさそうにすぐに謝った。ため息を洩らすと、もう一度そのパーツにオイルを塗り直し、組み込んだ。
「すごい、もう出来ちゃった」
あっと言う間に元の姿に戻った銃に、彼女は無邪気に笑う。
マガジンを差し込み、さっきまで使っていたものとは別のホルスターへ戻した。俺のやること全てに興味があるのか、ずっと視線が追いかけてくる。
――あー鬱陶しい。
俺は逃げ込むようにバスルームへと入った。さすがにここまで視線が追いかけてくることはない。
そのままついでの如く流れでシャワーを浴びる。さっきの雨とは違い、暖かく勢いのある透明な液体は、俺の身体にぶつかると小さな粒になって散り、別の大きな粒を作っては落ちていく。
暫しシャワーで身体を暖めた後、コックを閉めてシャワールームを出た。腰にタオルを巻いてドアを開けると、紅茶の香りが部屋の中に漂っていた。見れば少女は図々しくも、滅多に手に入らない取って置きの紅茶の入ったカップを両手に持ち、何処から見つけたのか俺のシャツを着て座っている。
――疫病神か?
座敷わらしというにはそこまで幼いわけでもなく、幸運を呼んでいるとも思えない。死神はいつも傍にいる。貧乏神というイメージでもない。やはり、妥当なのは疫病神だろう。
――かなりどうでもいいがな。
まあ、少女の服も濡れていて着れない。シャツは仕方がないと言えば仕方がないのだが。しかし、紅茶まで勝手に用意して飲むのは随分な性格をしている。
「旨いか?」
「うん」
腰を屈めて、笑顔など出さずに嫌味たっぷりに聞いたつもりだったが、気付いてないのか笑顔で返された。紅茶にはミルクまで入っており、とてもまろやかそうだ。
「おじさんも飲む?」
――おじさんか。
俺もとうとう、このくらいの子にはそう見える歳になったか。もう片足つっこんだ歳だしな。否定する気も起きん。
「いや、いらん。ところで名前は?」
乾いた服に袖を通しながら聞くと、
「
「名字は?」
「……言いたくない」
あれほどハキハキしていた口調が、唐突に口ごもった。そして、俺を見ていた眼に曇りが現れた。
――何をそんなに拒む……?
まあ、それほど気にすることではないだろう。どのみち、俺はこの少女を長居させるつもりはない。
「おじさんは?」
「俺は
「それ本名?」
「いや。通称だ」
殺し屋だけを集め、暗殺を目的とした組織じみた裏の会社に俺は所属している。皆そこでは本名は名乗らず、通称だけで呼び合う。一応、幹部が数名と設立者も存在しており、設立者のことを“キュンストラー”と呼んでいる。ドイツ語で芸術家を意味する単語。殺しを芸術としてなのか、組織を芸術として捉えての事なのかは判らない。
仕事は自分で探してもいい。だが、呼ばれれば赴かなければならないのが規律だ。一人でやる仕事もあれば、数人で分担して行うこともある。報酬は会社側が判断して支払うシステムになっている。さっき殺した男も、会社側のターゲットだ。
会社に属する利益は、一人では行い難い仕事を人数を用いて容易にしたり、武器・弾薬・情報等を指定に応じて用意してくれる事。しかし、俺はどちらの利益も使っていない。
何故なら、数人で仕事を割るとなると、自分のポリシーに反する者が居てもおかしくない。そんな奴と組むのはご免だ。武器・弾薬は自分で用意する方が信頼できる。特に普段身に付ける物に至っては。要するに利用するのは情報くらいなものだ。
――この少女……乎夜梨に説明することでもない。いや、話すべきではない。
知れば、始末しなければならなくなる。そうなると余計な俺の仕事が増えて面倒だ。仕事の目撃者を隠蔽している時点でも充分に面倒なのは承知している。
「通称……なんか格好いい」
どこか調子が狂う。きっと、普通の奴なら本名を聞きたがるものだろう。だが、乎夜梨は素直に受け止め、おまけに笑顔も見せてくれるのだ。
――もしかすると、見た目より年齢は低いかも知れない。
「歳は?」
「十五歳」
見た目とほぼ変わらない。精神年齢が低いのか、はたまた、単にバカなのか。本人が聞けば、さすがにどちらも怒りそうな解釈だ。
「おじさんはいくつなの?」
俺が聞けば、当然のように同じ質問が返される。
「俺は二十八だ」
「あ、じゃあ、おじさんて言うのはちょっと失礼だね。うんと、お兄さんの方がいいかな」
「おじさんで構わない。気にしている訳ではないからな」
「思い切ってお兄ちゃんとか。黒鷲だから、クロさんとか――」
――まったく聞いていない。
しかし、猫じゃあるまいし、クロさんはせめて勘弁して欲しいところだ。殺しのプロとしてどこか馬鹿にされている気がしてならない。いや、俺の仕事を知らないのだから、馬鹿にしているつもりはないのだろうが。
俺がげんなりしているにも関わらず、乎夜梨は一生懸命に呼び方を考えていた。手に持ったミルクティーもすでに冷めかかっている。
「うーん、クロ兄さんがいいかな~?」
――どんどんまずい方向へ呼び方が定まってきている。
なんとかしなければ。いや、どうせすぐにいなくなるのだ。そうまで本気で考える必要があるとも思えないが、やはりそれでも嫌なものは嫌だ。
「いっそ黒鷲のままで――」
「だめ。普通すぎる」
あっさりと却下された。確かに考えはしなかったが……。
と、電話が鳴った。会社から渡された電話だ。乎夜梨から距離を置いてからそれに出た。
「黒鷲だ」
『仕事だ。AM0:00に埠頭に行け』
「了解」
不必要な会話をせず、電話を切った。
――あと二時間か。
ある程度の装備を整えていくとしよう。自分が持つ装備と、必要になる可能性のある装備を車に積んで……三十分でできるな。
準備を始めようと動き出したが、乎夜梨はまだ真剣に悩んでいた。
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