イラクサ

葵 一

 イラクサ

 私はいつも孤独でいた。

 小学生の頃、実花子という美人で優等生の女子が中心になって虐めのグループを作っていた。物を隠されるときは値段の張らない些細な物、でもなければ困る物。給食を食べる時は私の分にだけ異物が混入していたり、極端に少なかったり。クラスで物が無くなれば私が盗んだと言われ、仲が良さそうに振る舞ってはグループ行動になった途端、みんな無視して弾かれた。

 実花子の虐めは中学生になっても続き、悪化した。不良グループとつるんで私を呼び出すとそいつらは私を数人がかりで暴行し、写真を撮り、言えば町中にばら撒いてやると煙草の火を押し付けられながら脅された。体育祭や文化祭の時にはクラスで作った物が壊され私がやったと擦り付けられた。クラス全員、教師も含めて問題など一つも起こさず率先して物事を行う信頼溢れる優等生である実花子たちの言葉を誰も疑わなかった。

 高校になり離れられたと思ったら、たった数日でクラス中に私の悪口が飛び交っていた。実花子のグループにいた二人が同じ高校に入学していて、スピーカーとして常にふれ回っていた。そこでも友達は出来なかった。

 就職活動は噂話で良くない印象を植え付けられながらも、死に物狂いで就職した私は実花子の虐めを受けることはなくなり平穏な日々を過ごしていた。生まれて初めて好きな人もできた。

 道で暴漢に襲われそうになった時、助けてくれた男の人。彼の名前は信一郎さん。気さくで正義感のある優しい男性だ。それが縁で仲良くなり、お付き合いが始まった。彼の家は代々続く有名なお堅い家柄だそうで、とても私なんかがお付き合いをしていいような人ではないが、彼は何も心配いらないと言ってくれた。

 だけど、突然それは終わった。元々、身分違いの恋だったのだから仕方ないと私はすぐに諦めたが、街の中で彼と親しげに腕を組んで歩いている女の姿を目撃した時、血の気が引いたのを覚えている。

 実花子だ。

 すぐに理解した。あの女は卒業してからもずっと見ていて、何もしなかったのは私から希望を一気に全て奪うためのチャンスを窺っていたため。彼を奪い絶望させるためだと。

 今まで何もかもの感情も薄らいでいた私の中で、とても大事な何かが音もなく壊れた。

 私は自分で実花子の周囲を調べた。今は有名な企業に勤め秘書のような仕事をしているそうだ。人当たりも評判もよい彼女は、表向きはあの当時と変わらず常に優等生として、社会の模範のような人生を送っている。付き合っていた男が当時はいたそうだが、資産や家柄が上の信一郎さんにさっさと鞍替えしたようである。

 結婚もそう遠くないと予想した私はすぐに頭の中に計画が浮かんだ。とても残念なことに、計画を思いついた矢先、私の両親が共に亡くなってしまい莫大な保険金が一気に降って湧いてきたので資金は充分にある。そう、とても都合よく……。

 まず興信所へ行き、実花子の身辺を徹底的に洗い、そして隠ぺいした。信一郎さんのご両親がその類を利用しても、決して表に出さないように根回しをしたのだ。あの女なら問題ないのだろうけど、ここで万が一破談になってしまっては元も子もない。

 興信所から実花子がある場所に向かうと聞いて、計画の予備動作へ移ることにした。


 実花子は結果を出すためなら根回しや手段は選ばない。頭の良さや信頼があるために誰にもそれを悟られず実行してきた。完璧主義に等しいその性格は、私を追い詰めることにも反映されてきた。しかし、その完璧主義が故にあの女は身を滅ぼす。

 私は実花子からの嫌がらせを受けることもなく5年待った。そして、ゆっくりと真綿で首を絞めていくように少しずつ計画を実行していく。

 まず手始めに、信一郎さんが一人の時に偶然を装い出会った。他愛のない世間話だけでいい。

 さりげなく左手にした指輪を見て話題を振り、実花子のことを聞いた。家庭内でも仕事と家事・長女長男二人の育児をこなす良妻賢母で、同居している信一郎さんのご両親からも好印象であるそうだ。私は同級生であることを告げ、中学時代も優等生であったことも伝えると信一郎さんは「やっぱりそうだったんだね」と満面の笑みを浮かべた。

 神妙なふりをして、実花子に男癖が悪いという噂を聞いたことがあると話す。もちろん、笑って掛け合わない。私はここで種を植え付けた。実花子は完璧主義なので隙を見せない。なんで裕福な家庭である信一郎さんの所に嫁いでも仕事を続けるのか、そして携帯電話は常に手の届く位置や肌身離さず持っているんじゃないか、と。

 妻の事を悪く言われてムッとしている。信一郎さんにはどこか思い当たる節があるから、こんな表情をしたのだ。

「私は事実を見たわけじゃなく、あくまでも聞いた噂だから、良く出来た彼女を誰かが嫉妬して有りもしない事を言いふらしてるんだと思う」

 と謝罪を込めて実花子を擁護した。最後に、「私は実花子と些細な事が原因で喧嘩別れしたから、二人がそんな事で少しでも気まずくなるといけないし、会ったことは内緒にしてね」

 そう言い残してその場を去った。

 種が芽吹くまでの間、実花子の身辺に少しずつ手を加えていく。会社に不在の時間や誰とも連絡の取れない時間を完璧に把握、アリバイの破壊工作を行う。実花子のメールや電話に見知らぬアドレスや番号から連絡を入れ、実花子が信一郎さんの前で携帯電話を取る回数を僅かに増やしてやる。あの女は迷惑メールなどと思っているので、決して嘘をつかず本当のことを言って長時間握ろうとしない。

 やがて、信一郎さんに撒いた種は時間をかけて芽吹いていった。盗聴器から送られてくる会話に変化が現れたのだ。信一郎さんから話しかけることが減りつつある。

 次の種まきへ移った。信一郎さんの家から離れた地区のおばさんに、特に名指しもせずに近所のお堅い家柄で有名な奥さんが男遊びや貢物をしていると聞いたことがあるとだけ吹聴した。このおばさんの地区からまた少し離れた地区のおばさんにも、具体的なことは話さず同じように吹聴した。

 ここはこれで終わり。

 次は会社に噂を流した。今度は社内不倫を行っているという内容だ。これはパートなどで来ている掃除のおばちゃんに社員のふりをして内緒話のようにだけ伝える。大きい会社なので、私がどこの部署で誰であるかどころか、部外者であることすらおばちゃんは特定することなどできない。それよりも噂話のほうが気になってそれどころではない様子だ。

 続いて会社内の人間を調べていく。ターゲットを絞り、念入りに身辺を洗う。

 次の段階へステップは移る。私は実花子とまったく同じ服装やバッグなど、少し知っている程度の人では見分けがつかない変装をして出会い系サイトの男と資金の調達も兼ねてわざわざ人目につくようなラブホテルへ足しげく通った。自分の体は高校を卒業するまで幾度も暴行を受けてきたため、複数の見知らぬ男たちと交わることに何の抵抗もなかった。

 興信所に頼んで撮影させた写真を少し加工し、あたかもずっと男遊びが続いていたかのように資料にねじ込んでいく。

 芽吹いた種は大きく成長しつつあった。肥料を撒いてやることにした。

 信一郎さんの近所に、具体的な内容の噂を立ててやる。すると不貞の噂に飢えている奥様方は目の色を変えて噂話に興じた。周囲の実花子に向けられる視線が徐々に変化していくのが手に取るように分かる。実花子はこの手の仕打ちには慣れているので、特に気にしている様子はない。だけど、その慣れてしまっているがための配慮の無さが余計に自分を苦しめる結果を産む。

 それと何度か会社へ足を運び、掃除のおばちゃんにはっきりとした内容の噂を教えてあげる。

 信一郎さんと実花子の会話は最初と比べ、子供を介して以外は話すことがほとんどなくなっていた。

 機が熟したと判断した私は、会社で仕事をしている実花子の元へ一人の女を厚い封筒を掴ませて突撃させた。身辺を洗った社員の奥さんだ。私は社員のふりをして紛れ込むと一部始終を遠くから眺めて観察する。

 奥さんは実花子と旦那が浮気をしていると喚き散らし飛び掛からんとする勢いで暴れまわる。頭のおかしいのが来たと実花子も会社の人間も相手にしない。だが、女は持っていた封筒をばら撒き、これが証拠だと騒いだ。

 身に覚えのない実花子は名誉棄損で訴えるというが、女は慰謝料を払えと捲し立てる。旦那が呼ばれ、実花子の目の前で奥さんに土下座した。この二人は確かに夫婦であるが、ギャンブル癖がありサラ金から借りた多額の借金と取り立てに喘いでいた。私が金を毟り取れる良い相手がいると唆すと諸手を上げて協力を約束し、この状況である。

「あー、やっぱり不倫とかしてたんだね」

 と、タイミングよく漏らしてやる。不倫の事実云々よりこの修羅場を目撃された事実は覆らない。その日の内に噂は伝搬する。そして一気に町の中へ拡散した。

 これが慌てるのは実花子本人より信一郎さんのご両親である。すぐに弁護士と興信所へ事実の確認を取らせるが、男遊び、金遣いの荒さ、不倫など事実と虚言の混じった報告書が届いて真っ青になる。このままでは守り続けてきた由緒ある家柄に自分の代で泥を塗ってしまう。

 信一郎さんへはすぐ離婚をするよう説得にかかる。必死に実花子は周囲へあれは事実でないと冷静に説明するが、残念ながらその冷静さが逆に事実だと誤認させ嘘をひた隠しにしているように見せた。

 実花子は信一郎さんに初めて泣きながら「私は何もしてない」「愛している男性は信一郎さんだけ」「信じて」「一度も裏切ったことなんかない」と並べ立てた。しかし、疑心暗鬼の種が大樹へと成長した信一郎さんの心には、もう実花子への愛は存在していなかった。

 信一郎さんのご両親は叫んだ。

「見苦しい、子供もどうせ信一郎の子供じゃないんだろうが、このあばずれが!」

 それは誰しもが疑問に思うこと。そして、実花子が唯一潔白を証明できるであろうこと。DNA鑑定すれば潔白を証明できると実花子は反論した。

 しかし、親族が見守る中、結果は無情にも二人とも信一郎さんのDNAと適合率は0%。不貞を働いたとして財産も何も分与されることなく、実花子は信一郎さんの家系から子供共々あっさりと切り捨てられ、あれだけ幅を利かせていた会社からも信頼を損ねるとして解雇を宣告された。信一郎さんの家はこの醜態をもみ消すことに奔走した。

 人を貶めながら順風満帆に人生を送ってきた実花子は訳も分からぬまま一瞬で何もかもを失った。残ったのは身に覚えのない不倫相手とされる奥さんへの慰謝料と、愛していたはずの半分しか血の繋がっていない子供。優等生が得た初めての絶望は、もう二度と這い上がれないほどの奈落だった。実花子が消息不明になるのに時間はいらなかった。

 実花子の完璧主義に私は感謝した。あの女が普通に子供を作ればここまで追い込むことなど出来なかった。五年前に実花子は病院へ向かったのだ。家柄として跡取りの男子は必須であり、確実な受精を短時間で行うため、家族には内緒で体外受精を選んだ。私はあの女の冷凍保存された卵子を金を積んで手に入れ、行きずりの男の精子で受精させ私の体で二人の子供を産んだ。

 身ごもっている間、とても愛おしかった。「ああ、あなたは復讐のために私に利用されるためだけに生まれてくるのよ」「あなたは私以外に誰も価値を認めない、必要としてくれないのよ」と。

 大事な大事な長女と跡取りだというのに、何の警戒もしておらず病院で実花子の子供とすり替えることも造作もない事だった。そして、すり替えた実花子の子供たちを私は夜の海へ沈めた。

 復讐は終わった。しかし、高揚も達成感も何も湧いて来ない。女としても、母としても、人としても全てを復讐に捧げてしまい、実花子と同様、何も残っていない。私は私を狂わせた実花子を地獄に道連れに出来た結果だけを胸に刻み、ビルの階段を一歩一歩踏みしめた。

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イラクサ 葵 一 @aoihajime

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