紺碧の大甲虫
そよ風ミキサー
第一章【邂逅】
プロローグ
「そこは誰かが望んだ新たな開拓地。地獄となるか、楽園となるかはあなた次第」
そんな謳い文句で販売されているゲームがある。
「ネオ・フロンティア・オンライン」通称NFO。
今では世に数多と存在するゲーム、VRMMORPGの中において、稼働当時から10年近く経つが未だに人気の衰えない作品だ。
VRMMORPG、正式名称ヴァーチャル・リアリティ・マッシブリー・マルチプレイヤー・オンライン・ロールプレイングゲーム。
それは、電脳技術で構築された仮想世界を五感を以て疑似的に体験する事が出来るゲームである。
それが世に出た当初は、アミューズメント施設だけでの運用だったが、技術の進歩と需要の多さにより現在は家庭でもプレイする事が出来るよう小型化されていったのだ。
それがVNV(ヴァーチャル・ニューロヴィジョン・システム)。使用の仕方は至って簡単、ネット回線に接続されたニューロバイザーと呼ばれる専用のバイザー型の機械を頭にかぶって電源を入れ、ゲームをスタートさせるだけだ。
すると装着した対象者の網膜に特殊な光が投射され、網膜を介して脳に送られたそれがプレイヤーの意識を仮想世界へと送り込む。
電脳技術によって構築された仮想現実世界。電脳技術の発達に伴い、人類が新たな可能性を見出した世界だ。
歴史をさかのぼれば、元々開発された当時は軍事運用の一環として生み出されたものだが、いつしかそれは徐々に一般社会にも普及され、今では娯楽にまで浸透したありふれた技術の一つとして世間に認知される事となった。
そんな技術で生み出された物の一つがNFO。
それは、様々な種族達が存在する広大な世界を舞台に繰り広げられるファンタジーの世界観を基にして制作された。
長寿ゲームとしてその手の界隈では有名で、幾度のヴァージョンアップを行い未だにユーザーの数は緩やかにではあるが増加している。
長年ユーザー達から好まれているのには、さながら現実世界にいるかのように振る舞えるプレイヤーの自由度の高さもあるが、このゲームの特色でもある種族の数だ。それがヤケに多いのだ。
初期に選択できる種族の種類と、後に何らかの条件やクエストで変異出来る種族の合計数は、確認出来るだけで1000に上る。
更に、種族によってはその種族でしかなれない職業もあり、幅広い可能性を秘めている。
使用出来る種族は人型からモンスターまで多種多様。近年では収まって来ているが、前までは毎年種族のデータが度々追加更新されていた事があり、プレイユーザーはその度に新種が現れたと喜ぶ者、勘弁してくれと嘆くもの等様々な反応が出た。
これ程までに過剰な種族数の所為か、妙な方向に火がついたユーザーの中には全種確認する事を目標にしている者までおり、その手のネット掲示板では新種の確認や、変化の条件等の情報を求める声が後を絶たない。
逆にデータの無駄遣いでは? との声も挙がっており、多種多様と言うにはいき過ぎた種族数を内包したその世界をある者は「電脳世界のサラダボウル」と揶揄した者もいた。
この仕様にはネット掲示板では賛否両論あったが、それすらも糧にするとでも言う様に、NFOの人気は緩やかに高まって行く。
現実と同じような感覚で、様々な種族になれて、様々な楽しみ方が出来るゲーム、NFO。
この人気は、これからも長く続くであろうと多くのユーザー達が願い、信じていた。だが。
これは、NFOが丁度稼働10周年となる日に起きた出来事である。
場所はNFOの世界南西、そのとある山林地帯の森の中。
あまりプレイヤーが通らない様な鬱蒼と茂る静かな森の中で、赤と青の二体の異形が向かい合っていた。
いずれも、他人が見れば尻込みをしてしまいそうな程に恐ろしげな姿であるが、その二体から醸し出すものは長年来の友人と会うような穏やかな雰囲気だ。
一体は身長2m前半の背丈を持つ、巨大な槍を持った赤い人型のクワガタだ。
頭部には鋸状の刃を携えた一対の角が左右側頭部から前に伸びる様に生えており、鎧の様な赤黒い外骨格は木々の隙間から差し込む木漏れ日の光を浴びて、鈍い輝きを放っている。
肩に担いでいる巨大な槍は、持ち主であるクワガタの異形の身の丈以上もあり、穂先にクワガタの顎を模した巨大な刃が、それぞれ螺旋状に捻じれて二本のドリルの様な形状をしている。
そしてもう一体は、一本の巨大な角を生やした人型の青いカブトムシ。
此方はクワガタの異形よりも大きく、頭頂高だけで3m超、角を含めれば4mを超える。それはもはや巨人と言っても差支えない巨体だ。
彼の体を覆う重厚な外骨格は、クワガタの異形と相反するかのように深く暗い青色で染まっている。
彼ら二体はタイプが違うが、共にハイゼクターと呼ばれる種族だ。
初期のキャラクター作成で昆虫人インセクターという虫型の亜人種族を選択し、プレイ中に専用のクエストをクリアする事で変異する昆虫種族の変異種である。
その大本となる昆虫人は、緑がかった肌と額から生やした一対の触角を持ち、体の所々に多少外骨格がある以外は人間と大して変わらない姿をしている。
だが、ハイゼクターはより虫に近い姿をしており、例えるのならば特撮ヒーロー等に出てくる怪人のそれである。
昆虫好きや一部のファンからは割と好まれるのだが、モンスター色の強い種族でかなり面倒な変異条件という事もあってか、全体的に見ればその数は少ない。
そんな種族でプレイをする彼ら二人は、いずれもNFOがサービスを開始した当初からプレイしている古参組だ。
赤と青のハイゼクターコンビと言えば彼らの事、それ位NFOプレイヤー達からその存在を認知されている。
だがそんな二人の長い付き合いは、クワガタの異形から告げられた一言によって終わりを迎えようとていた。
「ツェイト、俺は今日限りでNFOを引退する」
クワガタの異形からそう言い放たれたカブトムシの異形、カブトムシ型ハイゼクターのツェイトは鉄仮面の様な顔を一瞬キョトンとさせたが、言われた言葉の意味を理解して眼を見開いた。
――いきなりどうしたんだ、話が急過ぎる。
何せ一人で森の中をのんびりとぶらついていた所を久し振りにログインして来た相方に突然呼び出され、いざ会ってみればいきなりの引退宣言。寝耳に水も良い所である。
身ぶり手ぶりを加えながら訳を聞こうとするツェイトの姿に、クワガタの異形ことギラファノコギリクワガタ型ハイゼクターのプロムナードは苦笑し、手に持った槍を地面に突き刺して暗い顔で答えた。
「……リアルの仕事の都合でな、これ以上続けるのが難しくなったんだ」
そう言われて、ツェイトは思い当たる節があったため得心した。
ツェイトもプロムナードもお互いの詳しい事は知らないが、現実世界では社会人だと言う事は知ってい る。二人は学生時代の時ほどNFOをプレイする時間は無くなっていき、プロムナードはそれが顕著だった。ここしばらくの間、プロムナードのログインの頻度が激減しているのだ。
今では月に1~2回ログイン出来れば良い位。その状況を察するならば、それほどリアルでの事情が立て込んでいると言う事になる。
成程、それなら仕方が無い。ツェイトはほんの僅かではあるが、その大きな肩を落とした。
初めてNFOをプレイした頃に出会ってから今までコンビを組み続け、サービス終了のその時まで続けるぞ、とまで意気込んだ仲だっただけに、この事実は非常に残念なものだった。
それがよりによって、NFO10周年のこの日となると尚更である。
「悪いな、俺も今回の仕事の件が無ければ、もっと続けられそうだと思ったんだが……」
頭部が全てマスクの様な外骨格で固められている為、表情の分かりにくい顔をしているツェイトだが、その微かな動作と雰囲気で察したプロムナードは、自分の急な宣言について謝った。
しかし、それにツェイトは「とんでもない」と首を横に振る。
プロムナードは仕事の都合上ゲームとの両立が難しくなってきたという理由から、これを機に引退する事を決めたのだ。ゲームの為にリアルを蔑にする訳にはいかない。彼には彼の生活があるのだ。 故に、プロムナードが謝る様な非は無い。 ツェイトの心情が態度に出ていたのか、プロムナードは苦笑した。
「相変わらずお前は律儀と言うか何と言うか……そんなんじゃ他のギルドに入団した時に面倒だぞ? というか、今後俺がいなくなってソロになるんだろうから、他のギルドやパーティーから勧誘が来るんじゃないか?」
そう言われたツェイト、そしてプロムナードの実力は、NFO中でもかなり上位に位置している。
互いが互いに、このゲームがサービスを開始した時から10年近くも続けていたのだから当然の結果かもしれないが。
だがしかし、プロムナードの問いにツェイトは否と答える。
「自分に合わせられるのはお前くらいなんじゃないのか」と。
それに照れたのか、言われた本人であるプロムナードは少しはにかんだ。
「中々嬉しい事を言ってくれるが、そういうのは女性から言われたかったな」
「それに関しては俺も同感だ」とツェイトが答えると「まぁそうだろうな」とプロムナードが笑う。それにツェイトも釣られて笑いだし、静かな森の中を二体の異形の笑い声が響き渡った。
「フゥ……じゃあそろそろ俺は行くかね」
しきりに笑い合い、ひと段落した所でプロムナードは地面に突き刺していた槍を引き抜き、肩に担いでログアウトの準備に入った。
帰り支度をし始めるプロムナードにツェイトは「何だ、もう行くのか? 随分と慌ただしいな」と名残惜しそうに問いかける。
プロムナードは「売れっ子は色々と忙しいんだよ」とおどけた仕草で答えた。もう二人の間に最初のような湿っぽさは無い。別れは気楽に、それ位が後腐れが無くて良い。これはツェイトもプロムナードも同意見だったのかもしれない。
やがてプロムナードの足元から光が立ち上り、その体を覆い始めた。ログアウトが始まったのだ。
徐々に足元の光は強くなり、まさにログアウト目前。そんな最中にプロムナードは、ツェイトに別れの言葉を投げかけた。
「じゃあな相棒。縁があったら、また一緒に組もう」
笑っているのだろう。髑髏に似た顔を歪めているプロムナードの体は、槍を持つ手とは逆の手を振りながら光と共に消えた。
これがNFOプレイヤー、プロムナードの最後のログアウトだ。
ツェイトは、プロムナードのいた場所をジッと見つめた後にフゥッと深く溜息をつき、落ち葉と雑草の広がる地面に腰を下ろして座り込んだ。
――引退、か。
プロムナード以外にも、NFO稼働初期からいた知り合いはいたが、それも大分減ってしまった。
仕事の忙しさから止めた者。ゲーム内での人付き合いに疲れた者。その中には、ツェイト達と仲の良い気の置けない友人達もいた。
そんな彼らの様に、自分の相方も引退してしまった。
ツェイトはまだリアルがそこまで忙しくなってきている訳ではないが、何時かは決断を迫られる日が来るのかもしれない。
その時がきたら自分はどうするのか?意地でも留まるか、それともプロムナードや先に引退して行った他の皆の様に自分も静かに後を去るのか。
この楽しい日々がずっと続けば、等というムシの良い事を言うつもりはツェイトには無いが、それでも気心の知れた者達が居なくなるというのは寂しかった。
――……帰るか。
明日は休日、今後の事は明日にでも回して今日はぐっすり寝てしまおう。 ツェイトは静かにその場からログアウトする事にした。
ツェイトの姿が光と共に消えていき、再び森の中は静寂に包まれていった。
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