夜の調べと金曜日

美澄 そら

「ただいま」「おかえり」「いただきます」


「ただいま」

 バイトが終わって、一週間分の疲れを纏った重たい体にムチを打つようにして、やっと家に辿り着いた。

 県営のボロい団地の一棟。疲れた体には辛い四階の、四〇二号室。

 時刻は夜の十時を過ぎたところ。金曜日のせいか、どこの家の明かりもまだ点いている。

「おかえり」

 ――今日も、また、いた。

 出迎えてくれたのは、先月から急に現れた、家族でも恋人でもない、金曜日の夜にだけ現れる女の子。

 こうして現れるのは、三度目だ。『まだ』三度目なのか『もう』三度目なのか、どちらが適切かはわからないけれど、彼女が金曜日に現れるのは確信した。

 最初現れたときは驚きもしたし、この事態を飲み込めなかったけれど、流石に三度目になった今は少し冷静になっている。……安堵している。

 ちらりと横目で窺うと、笑顔を返された。

 少し垂れ目がちではあるけれど、はにかむとさらに緩やかに下がる目尻が可愛らしい。

 人間でないそうなので、年齢はなさそうだけれど、見た感じは高校生の自分と変わらない。

 真っ黒な長袖のパーカーに、セットの真っ黒なショートパンツ。結い上げられた髪も真っ黒なので、彼女の肌の白さが際立つ。

 バイト先で買って来たコンビニ弁当を、ぐっと差し出すと、彼女は笑って受け取った。

「またわたしの分も買ってきてくれたの?」

「……食えよ。一人だけで食べるの、居心地悪いんだ」

 どうせ、食事中も一緒にいるので、食べる様子を観察されるよりは一緒に食べていたほうが緊張しなくて済む、と前回から彼女の分もお弁当を買ってくるようになった。

 くすくすと笑いながら肯くと、彼女は一つに束ねられた膝まである艶やかな黒髪を靡かせて、リビングへと向かった。

 照明に反射して、黒髪の先の金具がきらりと煌いたのが目に焼きつく。

 その背を見送ったあと、まだ靴も脱いでないのに気付いて、いそいそと今日一日頑張った足を解放した。


 大和は現在高校三年生。受験勉強の傍ら、週に二回アルバイトもこなしている。

 成績は中の下で、本人も然程勉強が好きでもない。

 大和にとっては大学に行く理由は無いに等しかったけれど、母親の強い希望で大学へ進学することを決めた。

 とはいえ、大和の家はあまり裕福とはいえない。

 両親は小学二年生の頃に離婚し、母親が一人で大和を育ててきた。

 祖父母が子育てに協力的だったこともあって、片親ということに特別不自由は感じなかったけれど、金銭的余裕がないことは眼に見えて明らかなので、浪人するくらいなら働こうと思っている。


 手を洗うと、リビングのテーブルの上には丁寧にお弁当が広げられていた。

 向かい合うように置かれたお弁当になんだかくすぐったくて、後頭部を乱暴に掻く。

 大和の分の前には、大和専用の男性向けの黒くて長めの箸。

 彼女の前には、お客様向けの、三膳でセット売りされているストライプの柄の箸。

「お茶は温かいのと冷たいのどっちにする?」

「冷たいの」 

「はーい」

 甲斐甲斐しく世話をしてくれる彼女は、冷蔵庫からペットボトルのお茶を取り出し、食器棚からグラスを取り出し――まるで、ずっとここで住んでいたかのように、迷い無く動く。

 大和はその様子を眺めながら、椅子に凭れてテレビを点けた。ニュースキャスターが深刻な面持ちで語っている。

「はい、お茶」

「ありがとう」

「じゃあ、食べよっか」

 両手を合わせて、「いただきます」と声を揃えると、お弁当へ手を伸ばした。



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