第三十話 バカ親父

「ノルン領のナルヴィーには、予定通りの指示を出しておきました」

「そう。クノッチは?」

「報告書を出して直ぐ様出ていきました」

「侍女なのに、ほとんどあたしの傍に置いてあげられなくて申し訳ないわ」

「いいえ。ヴェルダンディ様のお役に立つことこそがクノッチの幸せなのですから、そのように思うのではなく、働きに対して評価し、労う。そう心掛けていただきたく存じます」

「……そ、そうなのね」


 社交シーズン開幕を目前に控え、ウルドの側近たちは慌ただしく動いていた。


「ヴェルダンディ様ぁ~、このパリュールは凄いですねぇ~。当日が楽しみです」

「何度も言っているけれど、あたし、ゴテゴテ飾るのは好きではないのよ」


 ウルドの癒やしであるナンナだけは、忙しさなどどこ吹く風で通常営業だ。


 先日、密会とも言うべき話し合いを国王と行なったウルドだが、流石に信者である従者に対しても、その内容を伝えることは憚られた。その結果、ウルドは一人で考え、指示がおかしくならないよう気を遣っていたのだ。


「あたしから散々逃げ回っていたお父様は、結局シーズンの開幕の前々日に少しだけ時間を作っただけなのが気に入らないわ」

「毎年恒例の、『大人しくしていろ』ですかね?」

「どうせそうに決まっているわ」

「ヴェルダンディ様が大人しくできるはずないのに、旦那様は分かっていませんね」


 ナンナの失礼さには、かなり磨きがかかっていた。

 そんなナンナを引き連れ、本日はフリーンと二人・・でお茶会のため、侯爵邸の中庭に向かう。

 実は、国王との密会の後から、ウルドはフリーンに対してわざと意地悪……とは少し違うが、煽るようなことをしていたのだ。


「夜会の開幕に、フリーンも参加するらしいわね」

「あたくしも十五歳ですから、そろそろそちらにも慣れておこうと思いましたの」

「フリーンは婚約者もいないのだから、サロンで婚約者を見つけることが先決でしょ?」

「――っ!」


 第二王子との仲をアピールしてくるフリーンだが、形だけとはいえ彼の婚約者は姉で、自分は横恋慕しているに過ぎない。そのため、面と向かってウルドに突っ込まれると、何も言い返せなかったのだ。


「お父様も何を考えているのかしら? いい年して婚約者もいない可愛そうな娘のために、早く婚約者を見付けてあげればいいのに」

「可愛そうなのはお姉様ではありませんか!」

「わたくしの何処が可愛そうなの?」

「婚約者に会ってもらえないなど、魅力がないと言われているも同然ですもの。可哀想としか言いようがありませんわ。それに引き換えあたくしは、すごぉ~く愛されていますもの」


(今日も良くさえずるわね)


「先日も、夜会用に新しくドレスや装飾品を頂きましたの。――あら、ごめんなさいお姉様。お姉様はいい年して、お父様からしか頂けないのでしたわね。それも、見栄を張るための装飾品を」

「見栄のために大金を叩いてくれるお父様がいるのよ。それなのに、二束三文の品を好きでもない男から貰い、あまつさえそれを身に着けるなど……想像しただけで鳥肌が立ってしまうわ。あー、婚約者からプレゼントをもらえなくて良かったわ」


 見栄っ張りの侯爵は、ウルドを嫌っていようとも、『あれが欲しい』と言えば、見栄のために購入してくれた。――すぐに換金されていることも知らずに。


「二束三文などではありませんわ。ですが、お姉様がそう仰るのでしたら、とても高価な品をプレゼントして頂き、ギャフンを言わせて差し上げます。――本日はこれで失礼させていただきますわ」


 客であるウルドを残し、可愛い顔の眉間に皺を寄せたフリーンは、さっさと中庭を後にしてしまったのであった。


「ヴェルダンディ様、本日もフリーンお嬢様を怒らせてしまいましたが、よろしかったのですか?」


 さっとウルドに近付いたナンナは、そっとウルドに耳打ちするも、主は「問題ないわ」と微笑んだ。

 ヴェルダンディの意図など分からないナンナだが、主が良いのであれば、自分がどうこう言うことではないと思い、以降は口を噤むのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ぬぁ~ん、王宮は息苦しーわー」

「ベッドに飛び込むのを良く我慢なさいました」


 ナンナから子どもを褒めるような言葉をかけられているウルドは、明日から始まる社交シーズン、その開幕を告げる式典に備えて、前日から王宮に入っていた。

 第二王子の婚約者として、王族と共に参加するための措置である。


(中庭に行ってもフレク様はいないし、何もすることがないわ。……それにしても、昨日のバカ親父にはムカついたわね)


 ウルドが王宮に入る前日、僅かな時間のみの面会を許したイスベルグ侯爵は、久しぶりに顔を合わせた娘に言いたい放題であったのだ。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



『明日は王宮に入るのだろう? 第二王子殿下の婚約者として、大人しく務めを果たしてこい』

『久しぶりに会って、いきなりそれですかお父様。侯爵様でしたら、挨拶の一つくらいしてほしいですわ』


 久しぶりに会った父は、娘に対して挨拶の一つもなく、いきなり横柄なことを言い出したのだ。


『フッ。それより、お前は随分と子爵領に入れ込んでいるらしいな。あのような痩せ細った土地など、放っておけば良かろうに』

『そのような地に、なぜ嫌がらせをするんですの? お父様に迷惑を掛けているわけではありませんのに』

『お前が父に歯向かった報いだ。第二王子の婚約者とて、父には敵わないと思い知っただろ?』


 ニヤリと笑う父を見て、ウルドは背中がゾワゾワした。


(本気で気持ち悪いわ)


『この王国の食料は、我がイスベルグ侯爵領が大半を賄っていると言っても過言ではない。そして、イスベルグの名のもとに、多くの貴族が平伏す。それがお前にも分かったであろう?』

『イスベルグの名を強固なものにするために、わたくしが大人しく第二王子の妻になれ、そういうことですか?』

『分かっているなら、大人しく父に従っておけ』


 この馬鹿が、とでも言いた気な父に、ウルドは苛立ちを隠せなかった。


『そのようなくだらないもののために、我が領民を餓えさせたのですか?』

『お前は考えが浅いな。そんな目先の些事しか見えていないとは、本当に情けない。お前は何れ国母となる。そうなれば、この王国全土に目をやることになるのだ。その時、このイスベルグに楯突くのであれば、お前はもっと多くの民を苦しませる。そんな駄目王妃になどさせないために、イスベルグが力を貸してやる。お前は父に感謝しろ。そして、父の言うことを大人しく聞いておけばいいのだ』


(この父が名声を欲しがっていたのは知っていたけれど、ここまでバカだとは思わなかったわ)


『ところでお父様、なぜフリーンに好き勝手させているのですか? あれではわたくしの邪魔にしかなっていないではありませんか。お父様の望む未来の妨げですわよ』

『フリーンは殿下の寵愛を受けている。何れは側妃となるであろう。――お前が公務をこなし、フリーンが子を成す。まさにイスベルグ王家だ』

『この王国は、例え王族であっても一夫一妻制ですのに、そのような――』

『法を変えれば良い』


 ウルドの言葉を遮った侯爵は、独裁者のようなことを言い出す。


(駄目だわ。お話しにならない)


 短時間という約束であったにも拘らず、気を良くした侯爵は、この後も時間を延長してまで持論を展開したのであった。



 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆



「さて、どうしたものやら……」

「何か言いましたか?」

「何でもないわ」

「それなら良いのですが」


 昨日の遣り取りを思い出したウルドは、意図せず呟いてしまい、それをナンナに拾われてしまったが、愛想笑いで適当に流した。


(取り敢えず、明日は無難に一日を乗り切らないと)


 シーズンの開幕初日は、何かと儀式が詰め込まれており、非常に内容の濃い一日となっている。

 昨シーズンは、子爵を襲爵するために参列者側だったウルドだが、今年は主催者である王族側の立場として初参加するのだ。


(先ずは明日を乗り切る。それだけを考えましょう)


 今のウルドは、そこに全力を注ぐことを心掛けた。


 ――コンコンコン


 無言で気合を入れているウルドの耳に、ドアをノックする音が届いた。

 そそくさとナンナが確認すると、バルドルとクノッチがやってきたようだ。


「二人ともご苦労さま」


 ウルドからの労いの言葉に、二人は恭しく頭を下げた。


「明日からの三日間、ナンナも含めて三人ともよろしくね」

「「「お任せください」」」

「まずはナンナ。貴女は基本的にあたしの傍にいること」

「はい」


 今回王族側で出席するウルドは、身の回りの世話をする者を傍に置けるのだ。

 上級貴族とて、王宮の催しでは自分の従者を傍に置けないことを考えると、やはり王族は特別なのだとウルドは実感する。


「バルドルも基本的にはナンナと同様だけれど、あたしの指示で動いてもらう可能性もあるわ」

「かしこまりました」

「クノッチは、バルドルが持ち込んだ資料の管理を。あたし用の控室が用意されているから、基本的にはそこで待機となるわ。傍に置いてあげられなくてごめんなさいね」

「いいえ。ヴェルダンディ様のお役に立てるのであれば、場所が何処であろうと本望でございます」


 健気な従者がいることに、ウルドは嬉しさを感じずにはいられなかった。


「ヴェルダンディ様、あの資料を王宮に持ち込む必要があったのですか?」

「一応、二日目に必要になる予定なの」

「二日目ですか?」

「今回ばかりは、貴方たちにも教えられないの。ごめんなさいね」


 社交シーズンの開幕は、式典などを含めて初日に一日だけ王宮で開催されるのだが、今回に限っては三日間の開催が予定されている。


「初日は、式典などでとにかく忙しくなる予定なのだけれど、二日目も違う意味で忙しくなるわ」


 二日目のことを考えると、少しニヤけそうにウルドだったが、その前の初日を乗り切らなければいけない。準備は万端だ。焦る必要などない。

 大好きな側近たちに囲まれて安心したウルドは、逸る心を抑え、明日に備えて今夜は早目の就寝をしたのだった。

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