第二十五話 おかしな主従関係

「ふと思ったのだけれど……」


 ウルドの唐突な言葉に、書類仕事をしていたバルドルが筆を止め、顔を上げる。


「あたし、母や弟に会ったことがないわよね?」


 何の脈略もないウルドの言葉に、『この人は何を言っているんだ?』というような表情を見せるバルドルだったが、主の言葉に心当たりがあった。


「ヴェルダンディ様がお目覚めになった少し後から、奥様とお坊ちゃまは、侯爵領で生活をしています」

「なるほどね。当然、バルドルは会ったことがあるわよね?」

「はい」

「どんな人なの?」


 自身が話題に出したことで、ウルドはまだ見ぬ家族に対する興味が膨らんだ。


「あまりお会いする機会がございませんでしたので、詳しくは存じておりません。ですが、奥様がお美しい方であったのは間違いございません。流石はヴェルダンディ様の御母堂様であります。……しかしながら、当然ヴェルダンディ様の美しさには敵いません。なにせ、ヴェルダンディ様は女神――」

「そういうのは要らないわ」

「申し訳ございません」

「…………」


 開始早々脱線するバルドルに、切れ長の目をすぅっと細めて冷ややかな視線を送るウルド。その視線を送られ、僅かに体を震わせ、恍惚の表情を浮かべるバルドル。お茶を淹れながら、そんな二人を楽しそうに見つめるナンナ。

 三人しかいない室内は、訳の分からない空気が流れていた。


「それで?」

「はい、奥様はとても物静かな方で、何と言いますか……近年はいつも怯えた感じに見受けられました」

「それってぇ~、お父様から虐待を受けていたのかしら?」


 バルドルの言葉を受けてウルドは逡巡する。その後、現実であってほしくない予想を口にしていた。


「そういったことは分かりかねますが、おどおどしているといいますか、人の目を非常に気にしているようでした」


(侯爵夫人なのだから、威張り散らしたりするような傲慢な人かと思っていたけれど、もしかしたら可哀想な人なのかしら?)


「弟はどんな感じなの?」

「お坊ちゃまは奥様似なのでしょう、やはりおどおどした感じで、あまり部屋から御出にはなりませんでした」

「次期侯爵がそんなことで大丈夫なのかしら?」

「私からはなんとも言えません……」

「そうよね……」


(何だか侯爵家の今後が心配だわ。とはいえ、今は自分自身が窮地なのだから、まずは自分のことをどうにかしないといけないわね。――余力があれば母や弟もどうにかしたいけれど、今はまだその時ではないわ)


 ソファーに背を預けたウルドは天井を見上げ、改めて自分のすべきことを考えた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「お嬢様、旦那様は暫くスケジュールに空きがないらしく、時間ができたら追って連絡をする、とのことでございます」

「そう」


 深々と礼をして立ち去る侍従長を見遣り、ウルドは心の中で舌打ちをした。

 王都の侯爵邸に戻って早一週間、未だにウルドは父に会えないでいる。

 ノルン領への食料供給が断たれたのは父の差し金だと分かっているが、その父との面会を希望して、毎日毎日・・・・書面を提出しても、のらりくらりと拒まれ、ウルドのストレスは蓄積される一方であった。


(まったく、そこまでしてあたしを避ける理由とは何なの? 意味が分からないわ。とっとと会って、言いたいことをハッキリと言えばいいのに!)


 ウルドの内心で禍々しい靄が渦巻いているそんな折り、ウルドの許へ来客の知らせが届く。


「お忙しいところ、申し訳ございません」

「かまわないわよ」


 それはノルン領にいるナルヴィーからの使いであったが、単に書簡を渡すのではなく、直接の会話を求めていることから、良くない話であるのは想像に難くなかった。

 使いの者の話は、銀鉱山で軽い暴動が起きており、このままだと更に悪化しそうなのだと言う。

 何故かと問えば、イスベルグ侯爵が増員した鉱夫たちが今もなお増えており、鉱山町の食料が減ったことに起因するらしい。


 侯爵は単に人だけを派遣しており、食料はノルン領の供給を当てにしている。

 鉱夫たちはしっかり侯爵から給金を得ているので、無銭飲食をしようとしているわけではないのだ。「金を払うのだから飯を寄越せ」と至極当然の要求をしているだけにすぎない。

 しかしノルン領としては、いくら支払われても出せる食料に限りがある。

 そうはいっても鉱夫たちは納得がいかない。「よそ者に食わせる飯はねーのか」などと不満を口にする。

 それだけでも問題ではあるが、食事は生き死にに直結する大問題だ。口喧嘩だけで済むはずもなく、遂に武力行使に出てきてしまった。


「その武力行使にはどう対応しているの?」

「一部の領軍と地元の鉱夫が協力し、現状は拮抗状態です。しかし、侯爵側の鉱夫は増え続けているので、このままではそれも……」


あの人父親は、あたしに会わないくせにあたしの周辺にはちょっかいを出すのよね。……とにかく、あの人の真意が知りたいわ。でも今は――)


「急場凌ぎでしかないけれど、取り敢えず王都で調達して食料を運搬させるわ。――バルドル、手配をお願い」

「かしこまりました」


 王都で一つの領が必要とするほど大量の購入はさせてもらえず、物資の価格も高い。そうなると、王都から運べる食料はそれほど多くは望めないのだ。

 そのため、今までは王都で購入してノルン領へ運ぶことはしていなかったのだが、現状はそうも言っていられない。

 ウルドは諸悪の根源である父を忌々しく思い、本格的に敵対してやろうか、と思考が揺らいできた。


「ねえナンナ、あたしが大人しくお父様の言うことを聞いて、ボンクラ……第二王子殿下のご機嫌取りをすれば良いのかしら? それとも、あたしから破棄を申し出た方が良いと思う?」


 父を忌々しく思うあまり、父と事を構える思考に自分が陥りそうになっていたウルドは、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれているナンナを見て、少しだけ落ち着きを取り戻し、そのままナンナに質問を投げかけたのだ。――実際にはあまり落ち着いていないのだが……。


「難しいお話は分かりません。わたしとしては、ヴェルダンディ様の思うようになされるのが一番だと思います。ただ……」

「ただ?」

「ヴェルダンディ様が第二王子殿下とご結婚されるのは、わたしとしてはちょっと嫌です」


 ウルドは驚いた。

 ドレスが皺になる、などの小言を言うナンナだが、今回のように『わたしは嫌だ』などと言ったのが初めてだったからだ。

 なぜ今回、ナンナがそのような発言をしたのか、ウルドは単純に興味を抱いた。


「どうして嫌なの?」

「えっとぉ~、……言っても不敬罪とかになりませんか?」

「大丈夫よ」

「でしたら――」


 コホンと一つ咳払いをしたナンナが語った。曰く――


 女神であるヴェルダンディをないがしろにしていることが根本的に許せない。

 そして有ろう事か、女神であるヴェルダンディに劣る妹のフリーンを溺愛している。――バカじゃないのか?!

 他にもあるが、あんなボンクラはとにかく生理的に無理。

 それに引き換え、フレクと一緒にいる時のヴェルダンディが、とにかく幸せそうに微笑む姿が萌える。

 フレクに対してナンナ自身が思うところは特にないが、ヴェルダンディが幸せそうにしているので、青っ白い優男の彼の方がヴェルダンディに合っている。

 できればもっと健康的な男の方が望ましいが、まぁヴェルダンディが気に入ってるなら良いんじゃね?

 と、こんな感じのことを、それはそれは長々と熱く語り連ねたのだ。

 ちなみに、口調は多少砕けていたが、しっかり敬語であった。


 そんな感じでヒートアップしたナンナは、『少々お疲れなのかな?』と思われたので、たまにはゆっくり休ませてあげよう、とウルドは心に誓った。


「それはさておき、ヴェルダンディ様はフレク様をどのように思っているのですか?」

「…………」

「直球で聞いちゃいますけど、好きなのですか?」

「…………」


 ――ニヤニヤ


(なんだろ、ナンナのニヤけた顔がちょっとムカつく)


「教えてくださいよぉ~」

「……ナンナ」

「なんです?」

「お腹がすいたわ。そろそろ夕食の準備をお願い」

「えぇ~」

「えぇ~じゃないの」

「はぁ~い」

「…………」


(こういった気安い関係は嫌いではない……というより、むしろ好きだけれども、話題がどうにも苦手だから逃げてしまったわ。だって、好きとか良くわからないんだもの、仕方ないわよね)


 ぶつくさ言いながら部屋を出ていくナンナを見つめながら、ウルドは自分に言い訳をする。


 そして、ナンナのお陰で父に対して短絡的になっていた思考が頭から消えていた事実に、ウルドも気付いていなかったのであった。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「ねぇナンナぁ~」

「なんですぅ~」

「外出や誰かと会う予定のない日に、こんなに装飾品を身に着けなくても良いと思うの」

「ですが、これは最低限の身嗜みですよ?」

「えぇ~、指輪は指が痛いし、イヤリングは耳が痛いし、ネックレスは何だか肩が凝るし、百害あって一利無しだと思わない?」

「そうなのですか?」

「そうなのですよ」


 王都での生活は、人と会う予定のない日がたまにあり、そのような日は側近以外と顔を合わさない。

 前世のウルドは、研究室に閉じ籠もってひたすら魔術の研究に没頭していたような人種なため、伯爵でありながら装飾品を身に着けないどころか、化粧すらしない生活をしていた。そのため、毎日豪著なドレスを纏ったり装飾品を身に着けるのは、できれば御免被りたいと思っている。

 ドレスに関しては、だらしないウルドが皺にしてしまうため、王都の侯爵邸であっても、部屋着として少し豪華なワンピースなどにするのはナンナが許してくれた。だが装飾品に関しては、何故か変わらず身に着けさせられていたのだ。


「はっきり言って、あたしは着飾ることに興味がないの。それに、ヴェルダンディは素のままでも綺麗でしょ? だから、装飾品などなおさら要らないと思うのよ」

「ヴェルダンディ様の口から、『ヴェルダンディは綺麗だ』と言われると、何だか自惚れているように聞こえますが、実際に女神様の如く美しいですからね」


 ウルドは、自身の体であるヴェルダンディを未だに客観視しているため、自惚れではなく、ウルドという他者から見て『ヴェルダンディは綺麗な人物』と思っているにすぎない。


「女神とかどうでもいいのよ。着飾る必要があるかないか、それが論点なの」

「まぁ、誰にもお会いにならない日でしたら、別に良いと思いますよぉ~」

「やったぁ」


 従者から許可を得、主が喜ぶという訳の分からない状況になっていると――


「あのぉ~……」


 一人黙々と書類仕事をしている人物が、おずおずと声を発した。


「なに、バルドル?」

「お二人が仲良しなのは結構ですが、主従関係がおかしな会話になっていますので、他者の前ではそのような会話をなさらないよう、お気を付けください」

「バルドルはお硬いわよね」

「ヴェルダンディ様が柔らか過ぎるのです」


 バルドルにダメ出しをされたウルドが、頬をぷくっと膨らませて拗ねると、ナンナはそれを見て『や~い、怒られてやんの』と言わんばかりの表情を見せる。

 現状のウルドは、そんな呑気な遣り取りをしている場合ではないのだが、どうにも現実逃避をしがちになっていた。――が、ここでウルドの表情がキリッとなる。

 別段、ナンナの言動に腹を立てて怒ったわけではない。今は現実逃避をしている場合ではないと理解しているウルドが、これから真面目な話をするため、少しばかり気を引き締めただけの話である。


「少し真剣な話をするわね」


 主の雰囲気が変わったことを察したナンナとバルドル。二人も瞬時に気を引き締めた。

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