第十九話 国王の誤算
「――ということよ」
「確かに、その可能性は高いですが、あくまで可能性が高いだけであり、絶対ではありません。無警戒でお会いになるのは、お控えすべきです」
「そうですヴェルダンディ様。バルドルさんの言うとおりです」
王宮に宛行われた客室へ戻ったウルドは、バルドルとナンナに謎の男性に関して自身の見解を述べたのだが、二人の反応は予想どおりのものだった。だが別段問題はない。
「はっ! もしかして、最近ヴェルダンディ様がたまに惚けていらっしゃるのは、その第一……じゃなくて、フレク様を思い浮かべているのでは?!」
「むむ、そういえば、ヴェルダンディ様があまり見せたことのない、恍惚とした表情をしていたな。――ヴェルダンディ様、もしかして恋をなされているのですか?」
「そういえば、ヴェルダンディ様はわたしに恋がどうのこうのと聞いてきましたよね?」
ナンナとバルドルは、『どうなのですかヴェルダンディ様』と言わんばかりの表情で、ウルドにずいっと詰め寄った。
この反応は、流石にウルドも想定していなかったので、つい焦ってしまう。
「ち、違うの。フレク様は確かに美青年よ。初めてお会いした際、あたしは初めて異性にトキメキを感じたわ。でもフレク様は、ヴェルダンディの容姿を褒た。だから、結局は人を見た目で評価するだけだと幻滅もしたのよ」
従者二人は、「ふむふむ」とウルドの話に聞き入り、『続きはよ』みたいな視線をぶつけている。
「それでも、ノルン領の話を聞いたであろうフレク様は、あたしの行動を評価してくれたわ。それって、ヴェルダンディではなく、中身であるウルドのあたしを評価してくれたってことでしょ? それが嬉しかったの。でも、これが恋かどうかは分からないわ。あたしとしては、違うと思うのだけれど……」
ウルドの話を聞いたナンナとバルドルが、『う~ん』と唸りだす。
「でも、フレク様とお話ししたい気持ちは……確かにあるのよね」
「恋ですね」
「うん、恋です」
「えっ、これって恋なの?」
従者二人は揃って恋だと言う。しかしウルドは、これが恋だとは思っていない。
「わたしは恋をしたことがないので何とも言えませんが、噂に聞く恋とは、その様なものらしいです」
「私も恋をしたことがないので断言できませんが、それは恋の症状です」
「多分、違うと思うのだけれど……」
恋を知らぬポンコツ三人は、恋とは何ぞや、とあれこれ議論をはじめたのだった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「王国第二王子ラタトスク、ノルン子爵であるイスベルグ侯爵令嬢ヴェルダンディ。この両名の婚約が成立したことを、ここに宣言する」
国王からの宣言より、会場が一気に湧き上がる。
(茶番だと分かっていても、誰もが祝福の声を上げるのね)
白に近い淡い水色の豪著なドレスと、見栄のために父である侯爵が用意した豪華過ぎるパリュールを身に纏ったウルドは、無表情から僅かに笑み寄りの穏やかな表情を浮かべつつ、内心では軽く毒づいていた。
というのも、隣に立つ仏頂面のボンクラな大男である第二王子に対し、『こんな時くらい笑顔を作れないのか!』と、内心で荒れ狂っていた感情から、少々思考が悪い方へ引き摺られていたからだ。
ウルド自身もこの婚約は望んでいない。それでも、王国の上位貴族が集まっているのだ、そのような場で仏頂面で佇むような真似はしない。憤る感情を押し殺し、どうにか表情を取り繕っているのだ。それにも拘らず、王族たる第二王子が平気で不満を露わにしている。
第二王子のその無神経さに、ウルドは苛つきを感じずにはいられなかった。
(あー、早く終わってくれないかしら)
わざとらしい笑顔を貼り付けた貴族から、心の籠もっていない祝辞を次々に受けるウルドは、表情こそ笑顔を保っているが、ストレスは加速度的に増していく。
いくら婚約者が嫌いでも、それなりの態度を見せるのは王子の仕事ではないのか、とウルドは思っている。しかしボンクラ王子は、仏頂面なだけでなく態度までもが横柄を通り越し、不機嫌そのものなのだ。ウルドのストレスが増すのは必然であった。
(こんなのが次期国王最有力候補なのよね。今後のこの王国って、このままではお先真っ暗なのでは?)
薄々勘付いていたが、あまり気にしていなかったので目を背けていた事実。
ボンクラ王子が国王になった場合に起こり得る不吉な未来の可能性を、仏頂面で横柄な態度という目に見える形で認識したウルドは、自分が嫌な役回りをしなくてならないことを意識してしまう。
(国王が言っていたように、本当にあたしがボンクラを操って、裏で舵取りをしないとこの王国は終わるかも……。いや、あたしもそんな大層な人間ではないけれど)
嫌な未来を想像し、溜め息を吐きたくなるのを何度も堪えながら、わざとらしくない程度の顔を貼り付けたウルドは、どうにか式典を終えたのであった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「昨日はご苦労であった」
「いいえ、当然の務めを果たしたまででございます」
式典の翌日、まだ王宮に滞在していたウルドは、国王と面会していた。
「相変わらずラタトスクとは駄目なようだの」
「申し訳ございません」
「いや、ヴェルダンディを責めているわけではない。むしろ、『氷の魔女』と呼ばれるお前からは考えられぬ、温かみのある表情を最後まで保ってくれていた。それに引き換え、バカ息子は終始不貞腐れたままだったのだ。申し訳ない」
流石に頭を下げはしなかったが、国王から謝罪の言葉が出たのには、さしものウルドも驚いた。
「しかも、表情を緩めたのがヴェルダンディの妹……なんと言ったかのう?」
「フリーンでございます」
「そう、そのフリーンが挨拶にきたときだけとは、あのバカ息子は本当に何を考えているのか……」
(さすがに、あれは陛下も参っていたのね)
式典の最中にボンクラ王子が笑顔を見せたのは、唯一フリーンが挨拶にきたときのみで、それ以外は一貫して不貞腐れたままだったのだ。
しかも、王子とヴェルダンディは婚約者であるというのに、一切の会話もせずに一日を終えたのだから、呆れてものも言えない。
一応ウルドは体裁を考え、何度か王子に話しかけていたにも拘らず……。
「陛下、既に発表をしてしまった後ですが、やはり王子殿下の婚約者は妹のフリーンが良いのでは?」
「以前も言ったが、アレでは務まらん」
「ですが、王子殿下と妹は相性が良いように思います。二人が協力し合えば王国の未来に
恋愛に疎いウルドでも、王族が子を成すのも仕事の一つ……いや、最大の任務であると知っている。
仮にウルドが子を成そうと我慢をしても、きっと王子が体を合わせようとしないだろう。そうなると、国政がどうにかなったとして、その先……次代に続かない危険がある。ウルドなりに将来を考えた場合、それも懸案事項であった。
「ヴェルダンディが多少なりとも歩み寄っていたのは分かっていたが、バカ息子があそこまで酷いとは……。できることであれば、ヴェルダンディの血を次世代に残したいのだが、ラタトスクがあのままでは確かに厳しいやもしれんな」
「やはり妹を――」
「それはならん。王族が簡単に婚約を破棄するなど、あってはならんのだ」
ウルドは激しく後悔した。もっと婚約について考え、発表までに国王の気持ちを改めるさせるべきであったと。
「以前から気になっていたのですが、王太子が決まっていない現状、第二王子の妃が王妃になるのは決定事項ではないのでは? 王国には第一、第三王子もおりますし」
せっかくの機会なので、ウルドは気になっていた質問をした。
「あまり口外できぬ内容なのだが、ヴェルダンディには伝えておこう。――本来であれば嫡男である第一王子が王太子となるのだが、あやつは生まれつき体が弱い。それゆえ、王太子に任命しておらんかった。国王というのはなかなかの激務だからの。それゆえ、第三王子の成長を待ってから、第二、第三王子のどちらかに決める予定であった。しかし、第三王子の後ろに反国王派と思しき連中が付いてしまい、簡単には決められぬ状況となっておる」
(そうなると、第三王子の後ろにいる反国王派を排除できれば、第三王子が王太子になる可能性は高いわ……よね? あたしとボンクラ王子の婚姻は二年後。本格的な準備が一年後からだとすると、この一年でどうにか第三王子を王太子にできる環境にすれば、あたしとボンクラの婚姻を白紙に戻せる可能性があるわね)
ウルドは第二王子を単純に嫌っているが、何より王妃などという面倒な立場になるのが心底嫌なのた。
「儂の判断ミスだった。――ヴェルダンディの存在を知り、早々にラタトスクの婚約者にしてした。そして、『国母たる素質を持ったヴェルダンディを娶るのだから、お前も頑張れ』そうラタトスクに言い聞かせていたが、頑張るどころか、『自分が王太子となる』と変に自信を持たせてしまう結果になってしまった」
(国母となる女を娶ると聞けば、そう思ってしまうこともあるでしょうね。……ん? ボンクラ王子はヴェルダンディを娶ることで王太子になれるはずなのに、そのヴェルダンディを敵視しているのだから、自分から王太子の座を遠ざけていることに気付いていないってことよね? アイツ、本当のバカじゃない!)
「それゆえ、ラタトスクの横柄な振る舞いから無能であることも広まってしまった。『王子として相応しい態度を』『臣下からの信頼を得よ』などと口が酸っぱくなるほど言って聞かせていたのだが……」
国王は言葉はいつになく弱々しかった。
「そんな者が後の国王になることを、危惧する者が現れるのも当然だろう。更に言えば、ヴェルダンディまでも評判が悪くなってしまったからな。――儂はヴェルダンディの真意に気付いておるが、多くの者は冷酷な高飛車女としか思っていないだろうな」
無能と高飛車の夫婦が後の国王夫妻となりそうだと思えば、それに反発する者が出てくるのは道理であろう。
(……あれ? もしかして、第三王子の後ろに回った人って、王国のことを真剣に考えているからこそ、そんな夫婦に王国を任せられないと思っているのでは? うん、少し調べてみましょう)
その後、自分からも第二王子にはきつく言っておくので、お前もなるべく第二王子との仲を良くしろ、と言う国王の言葉を聞きつつ、少しでも多くの情報を仕入れるべく、国王の時間が許す限界まで話し込んだウルドは、なんとも浮かない顔で帰宅したのであった。
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