第一話 絶世の美女
「――――ん……うぅ……ん? …………」
少女――”ウルド”は当たり前のように、無意識のまま瞼を持ち上げる。ゆっくり、ゆっくりと。
「…………」
明確ではないぼやけた視界にぼやけた頭。それでも気付く。――違和感に。
ウルドは疑問を抱く。――自分は自らが生み出した氷の槍で自害したはず、と。
それなのに、なぜ再び目を開けられたのか、働かない頭でもおかしいと分かる。
「見なかったことに……」
ウルドは独りごちると再び瞼を降ろしてみるのだが、さらなる違和感が押し寄せてきた。――今の声は誰の声だ、と。
現実逃避を諦めたウルドは、再び瞼を持ち上げ現実を見つめる。
「見たことない部屋だわ……」
ウルドは受け入れたくないが、受け入れざるを得ない現実を目の当たりにしてしまった。
鈍い頭をどうにか起動すると、一つの推測、否、答えに行き着いてしまう。
――あたしは回復させられ、死さえ許されず捕虜になったのだ。
辿り着きたくなかった答えを否定すべく、ウルドは氷の槍によりポッカリ開いたはずの穴を探るように、両の手を胸へと運ぶ。
「――――っ!」
ウルドは声にならない声を漏した。なぜならそれは、あってはならない
決して、傷がどうこうということではない。むしろ、その方が現実的な悩みとなっていたであろう。
しかし現実は非情だった。それは――
「――なに、このボヨーンボヨーンな感触……」
二十二歳でありながら、辛うじて幼女を脱出したような体型の持ち主、『氷の魔女』であるウルドが持ち合わせていない、とても柔らかな脂肪の塊、
それも、慎ましやかにひっそりではない。ボヨンボヨンの大きくて柔らかな鞠が二つ、激しく自己主張しているのだ。
「あはっ、今日からあたしも巨乳の仲間入りぃ~……って、喜んでる場合かっ!」
もはや言い逃れできない事態に直面し、ウルドは悟った。
――自分はウルドであってウルドではない。
ウルドは見た目こそちんちくりんであったが、大陸一の魔術士でもあった。それも、感覚で物事を理解する天才型でありながら、頭脳もまた明晰だったのだ。
そんなウルドだからこそ、自分の感じた事実を客観的に受け入れた。
「取り敢えず鏡で姿を確認しましょう」
ウルドは驚くほど柔らかくふかふかな布団からモゾモゾと抜け出し、大きなベッドから降りて部屋を散策してみる。
宮廷魔術師として爵位も得ていたウルドだが、戦時下にあって贅沢の許される生活はしていなかった。しかも、彼女は元が平民であったため、ふかふかな布団と天蓋付きの豪華なベッドでさえ違和感があったというのに、この室内は王族でさえ目にしたことがないと思われる程の贅が尽くされているのだ。
唖然としながらも、ウルドは姿見らしき鏡を見つけ、いそいそと足を運んで絶句する。
「――――な、何なの、この絶世の美女」
見開いた瞳の見据える先に、ちんちくりんなウルドの姿とは到底かけ離れた美女が、驚愕の表情を貼り付けて佇んでいた。
その御姿は、スラッと伸びた長い手足、シミ一つない真っ白な肌。
汚れを知らぬ新雪を思わせるスノーホワイトの長い髪。
切れ長の目を縁取る睫毛は長く、インディゴブルーの瞳が大きく見開かれ、指で軽く摘み上げたような可愛らしい小鼻。
薄い唇は血色も良く、健康的でありながら艶やかでもある。
そして極めつけは、胸に大層重そうな脂肪の塊がぶら下がっているが、重力に逆らいまくって圧倒的な存在感を放っているのだ。
「ど、どうして、あたしがこんな姿に――」
――ガチャッ
「お、お嬢様、お目覚めになられたのですね」
唖然とするウルドを他所に、突如開かれたドアから聞き覚えのない声が耳に届いた。
「…………」
声の主を確認すべく、ウルドが首を巡らす。視界に捉えたのは年嵩の女性と少女。二人は質の良さそうなお仕着せに身を包んでいる。
「……お、お嬢様とはあたしのこと……ですか?」
状況的にそれしかありえないと分かっているが、確認するようにウルドは声を発した。
「何を当たり前なことを仰っているのですか。それより、ふた月も意識を失っていたというのに、いきなり出歩いてはいけませんよ」
呆れ、ともすれば侮蔑とも思える表情の女性は、ササッとウルドに近付くと「ベッドにお戻りください」と腰の辺りに手を置いた。
「す、すみません」
ウルドが謝罪の言葉を口にすると、年嵩の女性はピクッと反応するも、何事もなかったかのようにウルドをベッドまで誘導する。
年嵩の女性は布団に潜り込んだウルドを確認すると、感情の籠もっていない声を出した。
「わたくしは侍女なのです。お嬢様がわたくしに
「は、はい、分かりました」
「…………」
「わ、分かったわ」
「……それで、お体の具合は如何ですか?」
「あ~、頭がおかしいです……じゃなかった。頭がおかしいわ」
「…………」
(頭がおかしいって何よ! バカなのあたし! しかもわざわざ言い直しまでして二回も言うとか)
年嵩の女性から無言の圧力をかけられたウルドは、咄嗟に言い訳をした。
「ち、違うのよ。頭ではなく、記憶が錯乱しているの」
「そうでございますね。さすがにふた月も意識を失っていたのですから、そのようなことがあってもおかしくございません」
(ふた月も意識を失うとか、常識で考えて有り得ないわよね。回復魔術が下手な者が処置をしたとしても、最長でひと月あれば意識が戻るわ。ひょっとして、禁術である死者の蘇生を?!)
「もしかして、あたし死んでいたのでは?」
「……お嬢様、錯乱し過ぎです。死んだ者はどうやっても生き返りません」
「そ、そうよね」
「……わたくしはお嬢様がお目覚めになられたことを、旦那様にご報告してまいります。一応、この侍女を置いていきますので、何かございましたらこの者へ」
年嵩の女性は、後方に控えた若い女性に目配せする。
「え、ええ」
「とはいえ、お嬢様はまだ錯乱中のご様子。もう少々お休みになられるのがよろしいかと」
「分かりました」
「……では、失礼いたします」
年嵩の女性がドアを閉めたのを確認すると、ウルドは「はぁ~」と疲れたような溜め息を漏らしていた。
現状が把握できていない状況で、あまり好ましくない視線を向けてくる女性の存在は、ウルドとしても歓迎できるものではなかったのだ。
しかし気付く、自身の現状が把握できないまま、現状を把握している者を退出させてしまった事実に。
ウルドは布団に潜り込み、頭を抱えて『あー』やら『うー』やら呻き悶ていた。――が、もう一人、現状を把握している人物が存在していることに気が付いた。
のそのそと布団から這い出たウルドは、壁際でビクビクしている若い侍女に目をやる。
なにであんなにビクついているのだろう、と思いつつも、ウルドは自分が状況把握することを優先し、侍女に声をかけた。
「侍女の方、ちょっと近くに来てもらっていいですか? ――じゃなくて、ちょっと来てくれない」
侍女に敬語を使ってはいけない、ウルドは学んでいたのだ。
「は、はい、お嬢様……」
強張った表情の侍女は、恐る恐るといった具合でベッドに近付いてくる。
「単刀直入に聞くよ」
「え、あ、はい……」
キョトンっとした侍女を見て、ウルドもキョトンとしていた。
お互いに、何やら違和感があったようだ。
「先程の会話を聞いていたと思うけど、あたしは記憶が錯乱しているの。だから、貴女が知っていることを色々と教えてほしいの」
「は、はい。わたしの知っていることでよろしければ」
「ありがとう。早速だけれど、あたしの名前を教えて」
「……え?」
「え?」
(何かしら? 自分の名前を聞くのはおかしくないわよね? ……いや、おかしいわ。で、でも、知らないのだから、聞くしかないじゃない)
「……し、失礼いたしました。お嬢様はイスベルグ侯爵家の御令嬢、ヴェルダンディ様でございます」
「ヴェルダンディ、ね。把握したわ」
(ウルドではなかった。分かっていたけれど、あたしはあたしじゃないのね。……取り敢えず考えるのは後にして、情報収集を先に済ませましょう)
「あー、ついでに貴女のお名前も聞かせて」
「わ、私の名前ですか?」
「そうよ」
何故か侍女が困ったような表情を浮かべている。
「どうしたの? 自分の名前が分からないの?」
つい今しがたまで自分の名前が分からなかったくせに、そんなことなどなかったかのようなウルドは、困った子ね、とでも言いた気な雰囲気を醸し出していた。
「……お倒れになる以前のお嬢様は、侍女は誰であっても侍女なのだから、個々の名を知る必要はない、と仰っしゃっていたそうです。なので、今ここでわたしが名乗ることで、今後お叱りを受けるのではないかと……」
「え、何それ?」
(
「今後はそんな理不尽なこと言わないわよ。気にせず教えてくれて頂戴」
「わ、分かりました。わたしの名前はナンナです」
「ナンナね。可愛い名前だわ」
「あ、ありがとうございます」
(う~ん、ナンナの怖がりようと、侯爵家令嬢の肩書から察するに、ヴェルダンディは相当傲慢な女だった可能性があるわね)
「ねぇナンナ、もしかして倒れる前のあたしって、傲慢で嫌な女だったんじゃない?」
「――っ! …………そ、そんなこてゃ、ご、ごじゃいません」
(言動が正解だと言ってるのよね。それに、ヴェルダンディがそんな女だったのなら、おいそれと『はいそうです』とは言えないわよね。意地の悪い質問をしてしまったわ。それはそうと、こんな露骨に言動がおかしくなっては、ナンナはきっと虐められてたでしょうね。可哀想に)
「あたしね、今回意識を失っていた間に、なんというか……生まれ変わったような気がするの」
「は、はぁ……」
「だからあたしは、新しいヴェルダンディとして過ごしたいの」
「新しいヴェルダンディ様ですか?」
「そう。だからね、過去の失敗を繰り返さないように、反省する意味でも自分を知っておきたい……いいえ、知っておかなければならないの!」
(ナンナはヴェルダンディを恐れていたけれど、あの年嵩の侍女はあたしの言動を抜きにしても、ヴェルダンディに関わることを鬱陶しそうにしていたわ。あの目は、従者が主人に向けて良いものではない。そう考えると、ヴェルダンディはかなり疎まれていたはず。その辺を踏まえると、今後顔を合わせるであろう他の従者とのやり取りが厄介そうね)
「取り敢えずここまでにしましょう。それはそうと、あたし何か食べたいの。このお部屋にキッチンと食材はある?」
「え? ございませんが」
貴族といえども、自身のことは自分で行なう生活をしていたウルドは、当然のように自炊しようと思っていた。しかし、侍女ナンナはあっさり”ない”と言う。
「では、食事はどうすればいいの?」
「食堂でお召し上がりになれます。あ、これから朝食となりますので、お嬢様のお食事もご用意されているか確認してまいります」
「よろしくね」
「はい!」
侍女ナンナが退出したのを見届けたウルドは、ベッドの縁に腰掛けて頭を抱えた。
「ヴェルダンディって、女神の如き美しい見目でありながら、中身はとんでもなく性悪じゃない……」
自分がウルドではなくヴェルダンディとなっているのは、受け入れなければならない事実だ。そんなことで『なぜ?』と疑問を持っても意味がないと、直感的にウルドは理解している。
そうなると、今後のウルドはヴェルダンディとして生きていかなければならないのだが、聞けば聞くほどヴェルダンディはとんでもない女であった。
ヴェルダンディが目覚めたとの報告を受けたであろう旦那様――ヴェルダンディの父が一向に姿を現さないことからも、疎まれていることが良く分かる。それ以前に、ふた月も意識を失っていた娘を、ただ放置していたと言うのだから驚きだ。
ナンナ曰く、ヴェルダンディはふた月前に怪我を負い、そのまま高熱を発症して寝込んでしまった。
当初は付きっきりで医者の診察を受けていたヴェルダンディだが、長く意識を失ったままで医者も手の施しようがなく、やがてそのまま放置されていたのだと言う。
そしてナンナは日に一度、侍女長――年嵩の女性――と一緒にヴェルダンディの身を清め、生存確認をし、果物などをすりつぶした物を半ば無理やり口にさせていたのだとか。
それでよくヴェルダンディが窒息死や餓死をしなかったものだ、とウルドはある意味感心してしまった。
「それはそうと、家族は最悪だけれど、それ以上にこの世界に
魔術さえあれば、例え侯爵家から勘当されても一人で生きていける自信がウルドにはある。
しかし、ヴェルダンディは魔術が使えない上に敵が多過ぎた。いや、この屋敷内に限っては、むしろ敵しかいないと言えよう。
そんな少女が家を出て、一人で生きていけるとは到底思えなかったのだ。
「ナンナには屋敷内のことしか聞けなかったけれど、きっと家を出ても評判は変わらないでしょうね。これからどうすんのよあたし……」
今後の見通しが立たないウルドは、途方に暮れてしまうのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます