氷の魔女は嫌われ者の侯爵令嬢として恋愛結婚を望む

雨露霜雪

プロローグ 大魔術師『氷の魔女』の最期

 数多の国々が覇権を争う戦乱の世。

 大陸一との呼び名も高い、稀代の大魔術士『氷の魔女』を擁する弱小国は、打って出ることも可能であったにも拘らず、一度として自国から攻め入ったことはない。


 弱小国は、氷の魔女以外にも強力な力を持つ魔術士を多く抱えていた。

 魔術士たちは心から愛する国を守るため、日夜魔術の研究に励み、幾度となく外敵からの猛攻を防いだ。

 しかし、今回ばかりは多勢に無勢。圧倒的な数の暴力に弱小国は防衛線を下げざるを得ず、遂に王都にまで戦火が迫ってしまい、更には王城までもが戦場と化した。



「…………ハァ、ハァ、ハァ……」

「氷の魔女よ。お前一人が頑張っても、何の意味もないと分かっているだろうに」

「意味は……ハァ、ハァ……意味はあるっ!」

「フッ、いくらお前が化け物じみた魔術士であろうと、守るべき国王が事切れ、守るべき国民は一人残らず血の海で溺れている」

「チッ……」

「周囲に兵がごまんといる状況で、お前は魔力切れ寸前。――例えお前が抗ったとて、状況は何一つ変わらん。それでも抗うことに、何の意味があると言うのだ?」


 肩で息をした『氷の魔女』と呼ばれる女性は、幼女……とまでは言わないが、見た目は非常に小柄な少女だ。

 数多の兵に囲まれた少女は孤軍奮闘しているが、既に大勢は決している。

 いかにも将軍とおぼしき大男の言うとおり、少女が一人で抗うことに意味を見出せる状況ではない。だがそれでも、少女は抗うつもりのようだ。

 その証拠に、愛嬌すら感じるヘロっと垂れた少女の目は、怒りもあらわに細められ、その目の奥は未だ紫紺の瞳が闘志を燃やし続けている。

 更に、グッと切り結んだ口元から血を流しているが、少女はお構いなしにギリギリと歯を食いしばっているのだ。――くだらない問答をするつもりはない、とでも言わんばかりに。


「……氷の魔女よ、これが最後だ。大人しく投降しろ」


 呆れていることを見せつけるように肩をすくめた大男が、吐き捨てるように少女へ勧告する。――投降しろと。

 少女はフッと息を吐く。刹那、細めた双眸をクワッと見開き、彼女の小さな体から冷気が立ち込めた。


「あたしが自分の命可愛さに投降すると、アンタは本気で思っているのか!」

「俺がどう思おうが関係ない。『氷の魔女』を生きたまま捕縛する。それが俺に下された命令だ。命令であれば従う、それだけのことよ」


 無感情に答える大男に対し、少女の感情はこの上なく昂ぶっている。


「生きたままあたしが捕縛されると思ってるの?」

「フッ、だから言ってるだろ――俺がどう思うおうと関係ない! こっちはお前を捕縛するだけだ!」

「させるか! ――アイシクルランス」


 少女が声を発するや否や、氷の槍が少女の周囲に出現した。しかも、氷の穂先は少女に向いた状態である。


「そんな攻撃で逃げ切れると――――バカ、止めろ!」


 少女を囲む数多の兵に対し、出現した氷の槍はたったの一本。失笑した大男は、槍の穂先が何処に向いているのかに気付くと、大慌てで声を荒げる。


「自害はしたくなかったんだけどなー、攻撃して貰えないんじゃこうするしかないよね」

「お前は氷の魔女なんだぞ! 大陸一の氷属性の使い手が、こんな弱小国に命を捧げてどうする!」

「アンタは何も分かってないね。あたしはその弱小国が大好きなのよ。愛すべき国が滅亡して、それでもあたしが生きている理由はもう――ガハッ」


 きらめく氷の槍が少女を貫く。女性にあるべき胸の膨らみが全く無い少女は、自身に放った氷の槍をやすやすと薄い胸に迎え入れた。

 小さな体はその衝撃を受け止めきれず、ガクンガクンッと首が前後に二度三度揺れる。それにともない、後頭部で結われたくすんだ銀色の髪は、暴れ馬の尻尾の如く派手に乱れた。

 


「……か、回復士! 早く氷の魔女を回復させんか!」

「む、無駄――ゴホッ」


 氷の魔女と呼ばれた少女は口から血を流し、血の気を失い真っ青になった肌を鮮血で赤く染めていく。

 己の放った冷気の所為か、はたまた大量に血液を流し過ぎた所為なのか不明だが、少女の体はまるで凍り付いたかのように固まり、指の一本すら動かせない。

 しかし、薄っすらと開かれていた双眸だけが、ゆっくりと閉じていく……。


(……こんなことなら、魔術の研究ばかりしないで、恋愛の一つでも、すれば、よかった、な。……結婚……したか、った…………)


 お国のために自身の全てを捧げた少女。

 彼女は最後に自分自身の想い――女性らしい未練を抱いた。


 そしてここに、氷の魔女こと”ウルド”は、たった二十二年という短い生涯の幕を降ろす。




 侵略こそ正義の世にあっても内需拡大を目指し、束の間ではあったが何処の国よりも富んだ国になった弱小国。

 例えそれが一時の栄光であっても、例えそれが愚策であっても、国民は侵略者とならなかった国王を誇りに思い、自分たちが住まう国を心から愛した。

 そんな愛する国を守りきれなかったが、皆と共に愛する地で眠りに就けたウルドの表情は、とても満足気なもの――



 ――ではない!



 未練を残したままのウルドは、『このままだと死んでも死にきれないよ!』とでも言い出しそうな、得も言えぬ微妙な表情であった。





 そして、二度と開くはずのなかったウルドの双眸が、今ゆっくりと――

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