安物なんかで洗わないでっ!

枡多部とある

安物なんかで洗わないでっ!

 じー。じー。じー。セミが鳴く。街路樹に止まっているのだろう。

「あぢぃ……」

 竹内洗たけうちあらうは高圧スプレーガンを片手に持ち、空いた方の手で汗をぬぐう。

 某市郊外、幹線道路沿いのガソリンスタンド。彼は今、客の車を洗っていた。

 ぐぼぉぉぉぉ! 10メガパスカル、水道水の実に40倍もの圧力を持つ水のつるぎが、高そうな黒塗り高級車の泥汚れをこそぎ取る。

 それが終わったらスプレーガンの根元、スプレー洗車機を泡モードにしてスプレーガンから泡を出し、車を泡で包みこむ。どんどん泡で隠れていく車はまるで巨大綿あめである。それが終わると洗は手に、もこもこの羊毛皮ムートンでできたでっかい手袋を両手に嵌め、車を丁寧にこする。手袋を外して再びスプレーガンで泡を落とすと、水も滴るイケメンセダンが姿を現した。

 洗はスタンドの事務所に行き、中のソファーにどっかと座ったパンチパーマの男に声をかける。

「お客さん、ワックスと乾燥は洗車機でいいっすか?」

「洗車機かよ」

 パンチパーマはぎろりと洗を睨む。ここで言う洗車機とは先ほどのスプレー洗車機ではなくブラシが回転して車を洗うアレである。

「コート剤吹き付けて乾かすだけです。ブラシは使いません」

「おう、それならいい」

 パンチパーマの了解を取り、洗は車を洗車ブースから洗車機に移動させた。

 洗は洗車機のボタンを操作し、ワックスと乾燥ドライのみのコースで機械を動かす。すると、ピー、と音が鳴り、『洗車を開始します』という音声合成の声とともに門型の巨大洗車ロボットは動き出した。洗車機は前に移動しながらブシャーー! と車にコート剤を吹き付けていく。二液式コート剤で一か月は水をはじいて車のお肌がつるんつるんとか、洗車機メーカーのサービスの人が言っていた。

「だけどこいつも見納めか……」

 洗は洗車機を見上げる。去年ここにバイトに入ったときにはすでにいた。店長の話では十年以上ここにいるらしい。自分より大ベテランだ。

 ここのオーナーが開店した際、当時の最高級機をバーン! と導入したとのことで今まで大切に使われてきた、らしい。コンピュータ制御で布でできたブラシ、メーカーの人いわくブラシと呼ぶな、ロールと呼べ、だそうだが、これが五本もついて丁寧に車を洗ってくれるらしい。実はさっきから、らしいらしいと言ってるのは洗が洗車担当になってからこの洗車機のいい話を聞かないからである。やれワイパーを折られたとか、車に傷がいったとか。メーカーの人の話ではそんなもん出た当初の話で、今はそんなことは全くない! と断言していたのではあるが。

 しかし導入から年月が経ち、洗車機もブラシの交換もされずに主に今洗がしてるようにワックス塗布とふと乾燥しか使われなくなってきていた。メーカーからも、もうブラシ以外の部品がないって言われたのもあり、来週には新型機へ入れ替えすることが決まっている。洗車機の横の壁にはでかでかと『新型洗車機もうすぐ登場! 斯うご期待!』と書かれたポスターが張られてある。

 洗車機はドライヤーノズルを降ろし、乾燥モードに入っていた。今では法律とかいろいろあってできないらしい、四基ものモーターファンで風を車にたたきつけ、ボディについた水滴をはじき散らしている。洗車機は一往復して車をきれいに乾かすと定位置に戻り動きを止めた。洗は車を動かし一度洗車機スペースに車を戻すと、タオルで細かいところを拭きあげ洗車を完了させた。

「おきゃくさーん、終わりました!」

「おう!」

 事務所から出てきたパンチパーマはひとしきり車を眺め、満足そうにうなずいた。

「これならオヤジやアニキにケチ付けられねえな。兄ちゃん、いつもいい仕事するな」

「あ、ありがとうございます」

 パンチパーマは洗の着ているツナギ、ただし上半身は脱いで袖を腰でくくっててタンクトップ姿である、の袖の結び目に千円札をねじ込む。

「ジュースでも買いな」

「あざっす!」

 そういうとパンチパーマは軽やかに車に乗り込むとスタンドから去って行った。洗は最敬礼で見送った。

「竹内は洗車の評判いいな」

 事務所から出てきた店長が洗に話しかける。

「だってきれいになるの、気持ちいいじゃないですか」

 汗をぬぐいながら洗は答える。

「大学出たらうちで働けよ。オーナー、いくつも店持ってるから竹内ならすぐに店任せてくれるって」

「それもいいんすけど、俺、洗車業の会社も興味あるんすよねー」

 洗は大学二年生。まだ将来の就職先を決めるのは早いなーとは思ってたがこのバイトを始めてそんな気持ちがつのってた。

「あー、客単価高いしなー」

 ここで言う客単価が高いとは、お客様が店に支払う金額のうち必要経費を除いた店の利益が高いという意味である。ちなみにガソリンスタンドの場合、ガソリンや軽油売るより実はタイヤ売ったり客に洗車してもらう方がもうけは大きい。


「自分で起業しても客来なかった倒産ですしね。車洗うのはうまいみたいなんで、車を洗うって商品を研究したいんですよ」

「そっかー。竹内は大学、経営学部だっけ」

「そうっす」

「大学の学部なんてどこでもいいから入れたらもうけもんだった時代だったからな、俺らのころは」

 中年の店長はそう言って目を細めた。洗も今から二十年ほど前、やたら大学受験が難しい時代があったという話は聞いていた。店長はそのころの人間なのだろう。

「おう、次の客来たぞ」

「うす!」

 洗はスタンドに入った次の車のところに走っていった。


「あー、しんど」

 バイトが終わり洗は自分のアパートに戻るとエアコンを入れた。窓に付けるタイプのエアコンがガーガーと音をたて部屋を冷やし始める。古い和室六畳一間の木造アパート、一応風呂トイレ付だが、風呂場の中にトイレはあるわ、浴槽は横に銀色の風呂釜がついているわと昭和色全開であった。バランス釜というらしいがシャワー浴びるのにも面倒な操作がいった。台所も今時瞬間湯沸かし器である。

「ぼろいけど、風呂以外文句はねえか」

 実際家賃は安いし、クーラーもよく効くので夏でも快適である。

「休み中、実家戻ろうかなぁ……」

 洗はそんなことを言いながら、店長から今日の晩飯と渡されたハンバーガーの入った袋からフライドポテトを取り出す。それをかじりながら部屋にある唯一の高級品、ノートパソコンを立ち上げる。パソコンでテレビのアプリを立ち上げニュースを見ながら球は店長のおごりであるハンバーガーを平らげた。

 テレビはニュースが終わりなんか教養番組が始まる。地質学と鉄道が大好きな司会者と何も知らない女子アナがうんうん頷いている姿をぼんやりと眺めてるとドアをノックする音がした

「こんな時間にだれだよ、新聞勧誘か?」

 一応大学生なんで親から勧められたのもあり新聞はとるようにしているが、とっていた新聞の勧誘員がもうとってるのに来たことがあったりした。

「どちらさんで?」

「竹内洗さんのお宅ですねぇ?」

 若い女の声であった。

「そうですが」

「ちょっと、お話を聞いてくれませんかぁ?」

 まるで幽霊みたいな女の声である。

「まぁ……、いっか」

 洗がドアを開けると、背の高い、と言っても洗の身長よりほんのちょっと低いぐらいの美人が立っていた。夏真っ盛りだというのに、薄手ではあるがコートで全身を覆った胡散臭い女ではあったが。

「私、木場町きばちょう布里ふりと申します~。あなたが務めているスタンドの、洗車機の精霊です~。あ、日本ですので付喪神でしょうかぁ?」

 洗の眼が、点になった。


「ま、まぁ、あんたがその、付喪神というか精霊というかは認めますが」

 洗はとりあえず部屋の中に彼女を入れた。というのも玄関先で……。


「今日来られたパンチパーマの人の車、初めて担当した時に、左後ろのドアの下に傷を入れて必死でコンパウンドで磨いてごまかしたことがありますね?」

「がはぁ!」

 洗は自分が精霊とか言う女に、証拠とかあるのかよと聞いたら早速洗しか知らないはずの洗車作業時のミスを言ってきた。

「あと、コート剤を私に装填するときA液とB液間違って入れて、メーカーを呼んだことありますね?」

「ぐはぁ!」

「コート剤盗んで自分の車をアパートの駐車場で混ぜて使ったこともありますよね? せめてスタンドで洗いましょうねぇ?」

「げはぁ!」

「店長さん、カツラですね?」

「ごはぁ!」

 立て続けに自分しか知らないはずの秘密を言われ、さすがに部屋に上げざるを得なくなったのである。


「ぎはぁ! という擬音はなかったですね」

「茶化さないでください」

 洗の部屋、六畳一間は野郎の部屋らしく洗濯ものが部屋の片隅に山のように積まれ、大学の教科書テキストやら読み散らかした新聞やらが散乱している。洗はそれらをブルドーザーよろしく強引に排除、人間が座れるスペースを速攻でこさえた。

「それで、どのようなご用件で」

 布里と名乗る女は洗が差し出した一本二十九円の緑茶の缶を一口、口にすると話し始める。

「そうでした」

 ポン、と手を一つ叩いて布里は穏やかに話しだす。

わたくし、洗車機の精霊でございます」

「それは先ほど聞きました」

 洗は少しイラっとしながら布里に言う。

「もうすぐ今いるスタンドからおさらばするわけですが」

「まぁ、そうですね」

 洗うはこう言いながら、ああ、そうか、このひとはいうなればもうすぐ死ぬのか、とかわいそうに思った……、ら。

「いえいえ、死ぬわけではございません。私ぐらいの機械ではコイン洗車場用に改造されて余生を過ごすことも多いですし、たとえスクラップ工場に送られるとしても移動中に道路で見かけた別の機械に乗り移ればいいだけの話ですので。私は今の機械で三台目になります」

 布里は慌てて手を振って洗の思考を否定した。

「死なんのかい!」

 思わず突っ込む洗。

「なんと、洗さんは私がバキバキと鉄のハサミをつけたパワーショベルで破壊されている姿を見ていきり立つのですか? それとも油圧百トンプレスで私がグシャツと押しつぶされる姿を見てその劣情を大爆発されるんですね?!」

 布里は両手を頬にやっていやいやと恥ずかしそうに言う。

「別にリョナ趣味も機械姦趣味もありません」

 そうは言ったものの、アンドロイドの女の子もいいなぁ、と妄想が一瞬洗の頭の中をよぎった。

「なるほど、緑髪の音声合成ソフトの女の子が好みと。ああいうスレンダーな子が洗さんの好みなのですか」

「どうしてそう発想の飛躍があるんですか?!」

 洗はマジ切れ寸前になりながら、この女を家に上げるんじゃなかったと本気で後悔……。

「いま、洗さんはこの女を家に上げるんじゃなかったと後悔してますね?」

「わかってるなら、おちょくらんでください」

 洗は目をくわっと見開き布里を睨み付けた。

「では要件に入りましょう」

 ほっ。布里の言葉に洗は本気でため息をついた。

「私、自分の年が年なので引退するのは仕方ないと思うのです。コイン洗車場送りでもスクラップでも」

 布里の言葉に洗はうんうん頷く。

「しかし」

 洗の眼を覗く布里の視線が鋭くなった。

「次の機械が他社製の、しかも安物というのが納得できないのです!」


 洗車機、門型のあのブラシがいっぱいついた奴のお値段をご存じだろうか? 大体二〇一八年現在で、大きい車屋さんにおいてあるタイプの機械で三百万から五百万。洗車サービスを大々的に宣伝しているガソリンスタンドにおいてある高級機だと一千万を超す。海外にあるような巨大な連続洗車機、トンネルをくぐるみたいに車をバンバン洗う機械となると日本円換算で一億超えるものもあるとか。


「よろしいですか? 洗車機は値段が高いほど性能がいいんです!」

「いやそれどんなものもそうでしょう」

 力説する布里に洗は冷静に突っ込む。来店した車一台あたりの利益が数百円のガソリンスタンドにおいて、洗車機の導入というのは一種の博打みたいなものなのである。そりゃオーナーも家一軒買える値段の金額だすのは勇気がいるだろう。

「せっかく私共のスタンドは洗さんという洗車の名人がおられるというのに、その腕にふさわしい機械を置かないというのはどういう了見ですか?!」

「猟犬……、わんわんお?」

「誰が犬の話してますか! 視野が狭いという話をしてるのです!」

 布里はずい、と顔を洗に近づけ、目をくわっと見開いていった。

「ですので」

 布里は顔を元に戻して言う。

「オーナー様と店長様に、口添えしていただいて、せめて私の実家かいしゃの高い機械を導入していただけるようお話ししていただきたいのです!」

「は、はぁ」

 布里の意味の分からないプレッシャーに洗はたじろぎながら言った。

「もし口をきいてくれるならば、この木場町布里、誠心誠意、洗さんに尽くさせていただきます!」

「は、はぁ」

 なんかすごい迫力を身にまとい布里は洗が用意した座布団から降りると、洗へ深々と土下座した。

「い、いや、そこまでしなくても……」

「わたくし、炊事・洗濯・裁縫・掃除。何でもできます! 何なら夜のお相手も問題ございませんわ!」

 三つ指ついて上目遣いではあるが、布里は洗にまくしたてる。

「あ……、あの、布里さん、その」

「その、なんですか?」

 端正な顔に目を潤ませて布里は洗に聞く。

「そ、その……」

 洗の目線は、脱いでいなかったコートの下から覗く胸の谷間のあたりをうろちょろしていた。

「よ、夜のお相手というのは……」

「もちろん大人の肉体言語ですわぁ!」

 布里は満面の笑みを浮かべて言う。その口元からは一筋のよだれ。

「潜望鏡! たわし洗い! 壺洗い! 泡踊り! なんだってできますわ!」

 そして布里は口元からよだれをだらだらと垂れ流しながら早口でまくし立てる。

「……とりあえず落ち着いてください」

「はっ! 申し訳ございません!」

 洗の言葉に我に返り、再び土下座の布里。

「とりあえずお部屋の掃除をさせてください♪」

 そういうと布里は立ち上がり、部屋を眺める。

「い、いやそこまでしていただかなくても……」

「どこかのメイドさんじゃないんですから、えっちな本を捨てたりはしませんわよ」

 布里は目ざとく洗が部屋の隅に押しやった我楽多山マウンテンサイクルから

市指定ゴミ袋を見つけると、部屋の片づけを始めた。


「……!」

 二時間後、洗うは絶句した。彼女が来訪する前は腐海一歩手前だった洗の部屋は完ぺきに片付けられていた。畳は床から姿を現し、洗濯物はベランダに干されてある。実は洗濯は一回では間に合わず、玄関外においてある洗濯機が二回目の洗濯物を洗うべくごんごん動いている。ベランダの床には可燃ごみ、ビンカンなどのリサイクルごみ、不燃物などのごみ袋がそれぞれ専用の袋に入り鎮座。部屋の中はというと、半ばゴミ箱と化していた小さな本棚は大学の教科書テキストが埋まる。マンガとかの雑誌は片づけられてひもでくくられている。ベランダは残念ながら現在他のごみで埋まっておりここに置かれた。洗秘蔵のエッチな本―主に雑誌であるが、だけは布里の宣言通り廃棄されることなく部屋の片隅に積まれた。

「すげぇ……、久しぶりに床の半分以上が見えてる」

 布里の行動に、洗はさすがに感心した。ここまでしてくれたらさすがにオーナーと話した方がいいかなという気になった。

「お風呂も沸きましたよ」

 浴室兼トイレから布里が出てくる。彼女はコートを脱いでいた。そして洗は彼女がなぜこの夏の暑いのにコートを着ていたのかを理解した。

 彼女のコートの中身は、フリルがいっぱいついたチューブトップのビキニの水着であった。腕の手首と足首にもフリルのついたウォーマーらしきものをつけている。フリルの色はすべて、なぜか鶯色うぐいすいろ。洗はその色に見覚えがあった。スタンドの洗車機についている、布ブラシの布の色……というか、フリルそのものが布ブラシの布でできているようであった。

「本当に洗車機の精なんですね、布里さんは」

 洗車機のコスプレと言ってもいい彼女の恰好に洗うは感心しながら言う。

「信じていただけましたか?」

 布里は風呂とトイレを洗い終えたようで、額についた汗を手で拭いながら言う。

「このフリルは洗さんのご想像通り、洗車機用の不織布ふしょくふですよ」

 布里は洗の手を取り、自分の胸に押し当てる。

「お、おうふ……」

 いきなりのお色気攻撃に洗の顔は紅潮する。

「不織布は繊維の方向が一定しないので車を傷つけません。洗車用素材の究極です」

 ずい、と顔を近づけ布里は囁く。

「洗車機の歴史はただ車をきれいにしたいという一途な思いの歴史です。私の洗さんへの思いとともに」

 ぎゅ、と布里は洗の胸に押し当てさせている腕をさらに押し付けさせた。

「あ、あの! 風呂入ってきます」

 洗は布里を引きはがすとだー!と風呂の中に入っていった。

「ふぅ……」

 Tシャツとトレーナーのズボンという格好だった洗は、服を脱ぎ浴室内の洗面台に置く。いつの間にか目の前の便器、ここはホテルよろしく洗面台と便器が浴室内にある、の上には着替え用のTシャツとトランクスが置かれてある。 風呂は確かにお湯が張られ、浴室内の風呂釜は種火がついていた―種火が付いたままでないとシャワーが使えない。

「……まぁ、至れり尽くせりで」

 ざぶんと湯船につかり、洗は考える。どうしてここまで彼女は自分にしてくれるのだろうか。洗車機の精だったら別にこんな真似しなくても機械が動かないストライキとか、洗車機にもついている高圧スプレーガンで客や店員おれを攻撃してもいいのではないか、と。わざわざドラマかアニメみたいな押しかけ女房みたいな真似をしなくてもいいだろうに……。

「失礼いたします」

 ガチャ、と浴室の扉が開き、布里が入ってきた。彼女は……。

「!!!!」

 一糸まとわぬ姿であった。

「お約束通り、おせなを流しに来ましたぁ~」

 口から流れるよだれを拭こうともせず布里はずんずんと洗に近づいてくる。洗うは立ち上がって窓に体を押し付ける。

「ちょ! ふ、布里さん!」

「どうなさったのですかぁ? もしかして、女の人は初めてですか?」

 布里は大人の余裕を見せて微笑む……、よだれが台無しにしているが。

「初めてなんですね? 初めてなんですね?! 初物なんですね?!」

 ついにその本性を現した布里がざぶん、と狭い浴槽に足を踏み入れる。

「一緒に、天国へ、行きましょう! 何もかも、全部お任せください!」

「AAAAAAAAAAH!」

 

 この日、洗は大人への階段を一段登った。


 入学祝にぽん! と両親が買ってくれた軽自動車で洗は仕事に向かう。車を止め事務所に顔を出すと店長、オーナー、なぜか昨日のパンチパーマもいた。そして……、少女? 赤い服を着た小柄な女の子が座っている。年のころは中学生から高校ぐらいだろうか。

「あ、おはようございます……」

 洗は事務所にいた面々にあいさつする。しかし少女以外の三人は洗をじろじろと見るだけであった。そして三人は一斉に声をあげる。

「「「きのうはおたのしみでしたね」」」

「ぎゃぁー!!!!」

 洗が振り向くと口元から一筋の涎を垂らして笑みを浮かべる布里の姿があった。

「布里ちゃん、久しぶりに出現したね?」

「ええ、ぴちぴちの若い子に我慢できませんでしたぁ~」

 店長の言葉に、布里は手をやった頬を赤らめ返す。

「って、店長、布里さんご存じなんですか?」

「久しぶりに出てきたななぁ」

 初老のオーナーは懐かしそうに言う。そして頷くパンチパーマ。

「元々この店は別の場所にあったんじゃが、道が広がるんでここに引っ越したんじゃ。この子は前の店にあった洗車機のころから店にいついてる座敷童みたいな子じゃよ」

 そう言えば今の機械で三台目とか言ってたな。洗は昨日の記憶を思い出した。

「ですけど今さっき、久しぶりって……」

「わしが出てくるなと言ったんじゃよ」

 そう答えたのはオーナーであった。

「この子はなぁ、若い子が入るとすぐに手を出してバイトや社員を壊してしまうんじゃよ」

「……まさか、性的な意味で?」

 洗が悪寒を感じながら聞くと、オーナーも店長も微妙な表情で沈黙した。洗はそれを肯定じじつと受け取った。

「あまりに『潰す』んで次にやったら洗車機を現地解体するぞと脅したら、それ以降姿を現さなくなってな」

「最後に姿見たのは君が入る三か月前だな。もう一年以上でないから、てっきり前通る新型機に乗って姿を消したかと思ったんだがなぁ」

 オーナーと店長は口々に経緯を語る。ちなみにこのスタンド、近くにそれこそ布里の生まれ故郷である木場町機工、洗車機の工場があり時々全国に出荷される洗車機を乗せたトラックを目にすることがある。

「おとなしくしていたのです。ですが! 今回の仕打ちは我慢なりません!」

 ずい、と洗の前に出て布里は言う。

「どうして、他社の、しかも、安物に、乗り換えるんですかぁっ!」

 ばぁん!! 安物の応接セットの机に両手を叩きつけて布里は力説する。

「おうおう、怖い怖い」

 パンチパーマがおどけて言う。

「木場町機工さんの洗車専用機、一番安いので見積もりが一台五百万」

「まぁそんなもんですね」

 オーナーが金額を言い、店長が頷く。

「しかぁし!」

 ここまで一度も口を開かなかった少女が突然口を開く。少女は布里のように薄手のコートを着ていた。

「まさか、君も洗車機の精……?」

「その通り! あたしの名前は原宿はらじゅくあい! 来週からここに来る、最新鋭洗車機よ!」

 彼女は立ち上がると、ない胸をそらしてそう言った。

「あたしの値段、なんと工事費込み三百万! あんたみたいな過剰性能オーバースペックのスペック厨なんか時代遅れなんだから!」

 愛の言葉にオーナーと店長が深く頷く。

「大体布ブラシなんて、古いのよ! 時代はスポンジブラシよ!」

 愛はコートの前を開けていた。そこから覗く彼女の服もまた、布里と同じくチューブトップのトップスに半ズボン風ボトムスのツーピースの水着であった。灰色の、ブラシ素材でできているのであろう短冊状のスポンジが水着の上下に多数あしらわれている。

「スポンジなんて、音はうるさい、洗いが悪い、最低ですわぁ。ポリエチレンよりましなぐらいで」

 布里は言い返す。ポリエチレンとは、歯ブラシみたいな毛が多数ついたブラシで安価な洗車機に採用されている。スポンジの方が洗うのであれば優秀であるが少し高くつく。三百万はポリエチレン機でもかなり頑張った方であり、それをスポンジ機で達成というのはメーカーは優秀というより投げ売りと言わざるを得ない。あくまで値段的に、のお話であるが。

「大体だな、うちは洗車は手洗いがメインだしな。そんな高い機械いらんしなぁ」

 オーナーは続けて言う。

「どやぁ!」

 愛はニヤリと布里を見て言う。

「あなた、今暗に『別に洗車機の性能なんてどうでもいい』って言われたの気付いた?」

「え゙?」

 表情を消した布里の指摘に、愛は目が点になる。

「お、オーナー! あたしは『洗車機の性能が気に入った』とおっしゃってくれたのに、どういうことですか!」

「道具は性能の良しあしではなく、その性能でどう使うかで決めるべきなんだが……」

「ですよねー……」

 先ほどの布里よろしく、ばぁん!! と、安物の応接セットの机に両手を叩きつけてオーナーを問い詰める愛をよそに洗と店長は小声で話し合う。

「あたし、これでもこの年増飢婚者よりきれいに洗えます! 十年の技術進化を見せつけてやります!」

「ほぉ……」

 全身からどす黒いオーラを漲らせ、布里は愛に声をかける。

「だぁれが、飢える方の飢婚者だぁ?」

「そこの若い子をさんざん食いまくったんでしょ? このスッポン女! 飢婚者! ベッキー!」

「まぁ、私のこと雷様だなんて……」

 さっきから一転して顔を赤らめる布里。

「立花道雪だなんていっとらんわ……」

 机の上に手を突きがっくりとなる愛。

「じゃあ、勝負しましょう!」

 項垂れた頭をあげ、愛は布里に提案する。

「「「「勝負?」」」」

 愛の提案に全員が、はぁ? という表情で愛の方を向く。

「そうよ! どっちがきれいに車を洗えるかの勝負よ!」

 その言葉にオーナーとパンチパーマがお互いの顔を見合う。

「おう、それならいい機会があるぜ……」

 パンチパーマは愛に言った。


 洗の務めるガソリンスタンドの隣の敷地には、同じオーナーが所有するコイン洗車場がある。車が洗える洗車ブースは八つ。うち六つは洗がスタンドで使っているような泡洗浄と高圧水洗浄を切り替えられるタイプが据え付けられていた。五百円で十分間泡なり水なり出て車を洗えるものである。そして残り二つは本来布里のような門型洗車機がいたが、一台は事故で廃棄、もう一台も故障で撤去してしまい、ただの駐車スペースになっていた。

 あれから一週間後。よく晴れた夏の日に二台の洗車機がコイン洗車場の空きスペースに並んでいた。布里の洗車機と愛の洗車機である。そして両方の陣営がいるブースに木場町機工とライバルの富洲とみす洗浄機のサービスマンと営業が各一名ずつ、そして布里と愛がいる。ブースには洗車機で洗われるのであろう、二台の黒塗り高級セダンも置いてある。

「さあ本日、洗車バトルが行われることになりました!」

 洗車場に設置されたテント、運動会で張られてるアレである、で机に座ったパンチパーマが偉いハイテンションでまくし立てる。

「本日の実況は私パンチパーマ、解説に名城めいじょう石油本店洗車スタッフの竹内洗さんにお願いしております」

「は、はぁ」

 パンチパーマの横で洗は小さくなって座っている。

 洗うの後ろでは『来賓席』と書かれた小さい紙がテントの梁に垂れ下がり、その下、つまり洗とパンチパーマの後ろに長机があり角刈りに傷が顔に入ったヤバそうな人が二人ビール片手に盛り上がってる。その隣にオーナー。

「おい、店長! つまみ追加!」

「はい!」

 店長はテントのさらに後ろにある段ボールやクーラーボックスからつまみやらビールやら取り出すウェイター役をしている。

「この勝負に勝った方が名城石油本店の洗車機ブースに置かれることになります! どうですか、洗さん」

「は、はぁ」

 パンチパーマに話題を向けられ、少しどもった洗であったが自分の意見を披露する。

「今回の洗車バトルは主に原宿愛の洗車能力を見るものです。圧倒的有利な布ブラシに対しスポンジブラシ機がどこまできれいに洗えるかを調べることです。また名城石油各店でも初の富洲洗浄機製というのもあり注目されてます」

「なるほど、アニメ風に言えば『富洲の新型の実力とやらを見せてもらおう』ですね?」

「そうなります」

 パンチパーマの解釈に洗は首肯する。

「しっかしわしらとしては、名城の新人の実力とやらを見せてもらいたかったわい!」

 後ろの角刈りの片割れが缶ビール片手にパンチパーマに言う。

「オヤジ、オジキ、すまねぇ」

「しかしまぁ、余興としてはいいじゃねぇか」

 もう片方の角刈りが答える。

「そうですともそうですとも」

 小太りのオーナーも揉み手で二人の機嫌を取る。洗車ブースにおいてある車はこの二人のものであった。

 あの日、パンチパーマが店にいたのはこの二人の車を洗に洗ってもらうためであった。しかし二人の車が同じ車種ってのもあり、退屈しのぎの余興を兼ねて布里と愛の洗車勝負をすることになったのである。

「あの……、お二人との関係は」

 洗はパンチパーマの方を向いて言う。

「おう、お前、何も説明してねえのか。素人とうしろさんが困ってるだろ」

「へ、ヘイ!スンマセン!」

 パンチパーマは二人の方を向き直立不動で答える。

「息子」

 余興と言った方の角刈りがパンチパーマの方に顎をしゃくって言う。

「そして弟」

「おう」

 隣のもう一人の角刈りの方を向き言う。どうやら今話している方がオヤジ、その隣がオジキと呼ばれてるのであろうと洗は考えた。

「まぁ、スジもんとしか見えんわなぁ。実の親子と兄弟だが」

 がははとオヤジはそう言って笑う。

「おう、暑いしとっとと始めろや」

 空の缶ビール缶をぐしゃっと握り潰しオジキが言う。すぐさま代わりのビールを笹っと店長が差し出す。

「そうですね。車が熱いと洗車に影響が出ますし」

 昔々、車にワックスを塗って塗装を保護していた時代は車体が熱い方がなんせロウなんで金属への着きがよかったが、現在主流の化学コート剤の場合多くは車は熱くないほうがいい。

「両陣営、準備はよろしいですか?」

 パンチパーマがハンドマイク片手に洗車ブースに声をかける。両陣営、総勢六名が頷く。

「それでは、CAST_IN_THE_NAME洗車場での傷・故障は_OF_GOD当店ではYE_NOT_GUILTY責任を負いかねます!! 洗車、ショウタァーイム!!!.」

「「「「「おいまてこらぁ!」」」」」

 パンチパーマの掛け声とそれに突っ込むテントの五人の声と同時に、二台の洗車機が忽然と姿を消し、布里と愛、二人の体が浮かび上がった。

「さて、洗さん。試合の進行はどうなりますでしょうか」

「はい。今回は同じ条件で行いますので二人とも、泥など大きな付着物を落とす『予備洗浄』、車体の汚れを落とす『本洗浄』、いわゆるワックス剤を塗布する『コート剤塗布』、そしてドライヤーでの『乾燥』の四工程、二往復でどちらがきれいに洗えるかという勝負になります」

 洗は勝負の流れについて説明する。

「なるほど……、おおっと、布里選手、いきなり大技を繰り出しました!」

 車の上に大の字になって浮いていた布里は、チューブトップのビキニを上にずり上げ巨大な釣り鐘上の胸を乳首ごとさらした。そして乳首から高圧水を吹き出し左右に揺らして車を洗いだした!

「あれは……、伝説の、『チクビーム!』」

「なんでや! 國鉄廣島関係ないやろ!」

 洗の解説に鉄道ヲタらしい店長が嘆きながら突っ込む。なお作者も何が伝説なのかよく知らない。

「な、何よあれ! 変態!」

 口からぷーと高圧水を噴射していた愛が、布里の痴態に顔を真っ赤にして言う。そして。

「いいぞねえちゃんもっとやれー!」

「巨乳は正義! 大正義!」

 缶ビール片手に盛り上がるオヤジ&オジキ。

「んじゃぁ、もっと、サービス、サービスぅ♪」

 二人の喜びようを見てそういうと、布里は巨乳をゆっさゆっさと揺らして水を噴射した。

「どう見ても痴女のそれですが、ああすることで高圧水を均一に車にかけ車体を洗えます。一方愛選手は固定噴射なので車の端の方の洗浄に不安があります。しかし」

 初めての出会いからお世話になりっぱなしの胸を洗はまじめに解説する。

「見てください」

 布里はゆっくりゆっくりと車を丁寧に洗っているのに対し、すでに愛は車の後端部まで来ていた。

「おばちゃん! 年だから遅いのぉ?」

 愛は体を前後反転させると車にペタッと張り付いて布里と同じくブラシ素材のビキニを使い体で車を洗い始めた。

「早ければいいってもんじゃないでしょ!」

「ああはいってますが、洗車の際の処理能力、この場合一時間に何台洗車できるかという話ですが、カタログ上愛選手の処理能力は水洗いのみで一時間四五台。布里選手の三十台より早い計算になります」

「ちょっと、洗さんは私の味方ではありませんの?!」

 ようやくこちらも本洗浄工程に入った布里が体を車に押し付けながら言う。

「だったらあれから毎日毎日、朝! 昼! 晩! 大人の階段駆け上がらされている俺のことも考えてください!」

「いいねいいねー」

「だけど竹内、それはわがままってもんだ」

 洗の抗議はオジキとオーナーに否定された。

「若いっていいよな、布里ちゃん!」

「全くですわぁ♪」

 オーナーの言葉に布里は赤くなった頬に手をやって、胸をゆっさゆっさと揺らして車のボディーを洗っていく。いつの間にかアームウォーマーとレッグウォーマーも外れてオー〇レンジ攻撃よろしく車の両横に分かれて洗っている。一方。

「大丈夫なのかね、傷つかんかね?」

 オヤジが愛に言う。

「どーせアタシは胸ないわよぉ!」

 泣きながら愛はない胸を車に押し付けて車を洗う。愛はアームウォーマーをつけておらず、二―ソックスよろしくひざ上まで隠れるレッグウォーマーが外れて車の側面を洗っていた。

「通常洗車機には天井を洗う『トップブラシ』、側面を洗う長い『サイドブラシ』、そして側面下部を洗う『ロッカーブラシ』がついているのですが、愛選手の機械はロッカーブラシがありません。その代わりサイドブラシの下部を内側に傾け側面下部を洗えるようにしています」

 洗は解説する。

「効果は?」

「やはりロッカーブラシ付きの方がきれいに洗えます」

「ムキー!」

 糞味噌に言われて愛は泣く。

「しかし……」

 洗の言葉にキレがなくなる。

「どうしました?」

「布里選手はそろそろ気づくはずです。『現在の自分』を」

 先行する愛は次のコート剤塗布工程に入った。やっぱり口からコート剤を吹きかけながら体でコート剤を車になじませる。一方、布里は。

「……!」

「やはりそうなりますよね」

 洗い終え次の工程に入るため振り向いた布里が見たもの。それはZ状のギザギザが塗装面に入った車であった。

「布里選手の機械はブラシ、布の場合はブラシと呼ばずロールと呼ぶのですが、ロール交換を長年していないので布に腰がなくなり洗いが悪くなるんです」

 洗は解説する。

「さらにいくら洗車前に洗う機能がついていても、汚れはロールというかブラシに蓄積されます。特に張り付いた砂は車を文字通り傷つけます」

 車についたギザギザの前に布里は落胆し、ふよふよと地面に落ち、ぺたりと座り込んだ。それを見て、初めて布里側のサービスと営業は動いた。営業は大急ぎで手持ちのスマホを操作し、がなり立てる。

「工場! 新しいのをよこせ!」

「たて! 立つんだ、布里!」

 なぜか眼帯アイパッチをつけているサービスは、座り込んだ布里を励ます。

「わたくし、これで終わりですわぁ……あとは洗さんの目の前で油圧プレスに潰され、それを見ながら洗さんが劣情を爆発させるんですわぁ……」

「しません」

 よよよと泣く布里に洗は冷たく言い放つ。

「あれを見ろ!」

 サービスは空を指さす。何やら木場町機工の工場から撃ち出されたようである。

「鳥だ! 飛行機だ! いや違うよな……?」

 富洲洗浄機のサービスが空を見上げて言う。そして布里がはっと気づいて飛び上がる。円柱形の、複数のそれらは布里と交わる。

「布里! 新しいロールだ!」

 円柱はそれぞれ布里が身につけていたビキニと手足のウォーマーを弾き飛ばし全裸になる。そして回転しながら新しいロールに換装する。

「当社比三倍の密度で布を植え付け! 傾斜植え付けによる揺動ようどう効果で洗い効率アップ! 」

 営業は力説する。

「これがっ! これがっ!!」

 サービスもノリノリで言う。布里の両手両足のウォーマーについたひらひらはさらに大きく、厚みを増した。ビキニのひらひらも同じく。

「「洗車機の究極、木場町布里・Ω《オメガ》じゃぁぁぁぁぁぁ!」」

「いまならどんな車だって洗える気はしますわぁ!」

 ハモっていう木場町機工組に向かって布里が叫ぶ。

「そしてこれを受け取れ! 布里!」

 サービスはドリンク剤状のものを放り投げ、布里は一気飲みする。

「小さな傷を消すコンパウンドだ! 勝負はこれからだ!」

「カーパックパワー、タァァァァァッチ、アァァァァァップ!」

 どこかで聞いたような掛け声とともに布里の体が金色に輝き、車の傷を自らの体で瞬く間に消していった。

「く……、くっ」

 愛はその振りの様子にたじろぐが。

「気にするな! こっちはもうすぐ乾燥だ! どう考えてもこっちの方が早いんだ! さっさと片付けろ!」

「はいっ!」

 富洲の営業が愛に発破をかけ、愛は我に返る。既にコート剤塗布を終えていた愛は口から風を起こし車の水滴を飛ばしていった。


「どう考えても勝負ありだな……」

 オヤジは自分の車を見て言う。布里はオヤジ、愛はオジキの車を洗っていたのだが、二台の洗い上がりの結果は明白だった。愛の方はコート剤のノリが斑で車の光り方が素人目にもはっきりとわかった。また側面は汚れを巻き込んだままコートした形跡が見られた。一方布里が担当した車はコートも均一に塗られきれいな仕上がりであった。

「さすがに十年選手でも機械の値段なりの性能では勝負になりませんよ。勝者、木場町チーム!」

 洗は宣言した。

「「「やったー!」」」

 木場町の三人は両手をあげてぴょんぴょん飛び跳ねた。

「最後に竹内洗さん、総評をどうぞ」

 パンチパーマにハンドマイクを差し出され、洗は答える。

「さすがにロール交換したらま勝って当たり前です。しかし」

 ぺたんと座り込んでお葬式モードの富洲陣営の方を向き洗は言う。

「当店は手洗いメインですので、はっきり言って布里さんの性能、うちの店にはいりません。過剰性能オーバースペックです」

「そうなるわな」

 そう言いながらオーナーが洗の後ろから出てくる。洗の言葉にキョトンとなる両陣営。

「ということで」

 オーナーはびしっと布里を指さす。

「首」

「「「「「「勝ったのにどうしてそうなるんですか~!!!!!!」」」」」」

 オーナーの言葉に、勝負に参加した全員から突っ込みが入った。


 勝負から一か月後。

「おーい、愛ちゃん、この車乾燥しといて~」

「ひぇ~ん」

 店長に言われ愛は洗車機を動かした。愛は晴れてスタンドの洗車機の座をゲットしたのであるが、自慢のブラシはまず使われずゆすぎと乾燥が主な仕事であった。

「どうせアタシは水洗い限定ですよ~」

 愛は泣きながら機械のドライヤーノズルを降ろした。

 一方。その隣のコイン洗車場では。

「……どうしてこうなるんですかぁ?」

 布里の機械が改めてコイン洗車場の門型洗車機ブースに据わっていた。外板は新しいものに変更され、特仕様と呼ばれる改造を受けていた。主にコイン洗車機としての機能を取り付ける工事である。コイン受け入れ口とか、素人でもわかるよう説明書きが書かれた操作スイッチとか。

「やっぱりさ、細かいところまで洗うという人間が洗うのにまだまだ勝てないんですよ、機械は」

 洗は機械のそばにいる布里に説明する。洗の隣にいるオーナーがそれにうんうんと頷く。

「だけど機械である程度はきれいにしたいお客さんとなると布里さんの出番なんですよ」

「そんなものですかぁ」

 機械はきれいにはなったが布里は少し落胆していた。

「布里ちゃん、ロール交換一セット五本で百万、EOS仕様(=コイン洗車機化)も百万、移設費用や色も塗りなおしとか、中古一台どころか愛ちゃんもう一台買えるぐらいかかってるよ!」

 オーナーはわざとらしく空の財布を振って言った。

「そこは、オーナーさんには感謝してます~」

 布里の隣には木場町機工製の中古機が据わっていた。発売当時でも布里のものより安い機械で一台百万を切っていたそうである。この機械の前にも布里とは別の洗車機の精が佇んでいた。

「まあ、最初からの予定だったからいいけどな」

 オーナーは頷きながら言う。

「だけどコイン洗車なんて辛いですわ~」

「古いから壊されてもコイン洗車場でも仕方ないって、自分で言ってませんでした?」

 洗は布里に突っ込む。

「それはそうですが~」

 よよよと泣き崩れる布里。

「布里お姉さま。気を取り直してしっかり働きましょう!」

「そうですわね」

 もう一人の精に言われ、布里は立ち上がり洗に微笑んだ。

「とりあえず若い男の子の精気で力つけて」

「そうですわね~」

 二人はそう言いあうと、両手をワキワキさせて洗うにじりじり近づいた。その気迫に後ろに下がる洗。

「あの、すいません、今日は疲れてるので」

「いえいえ、元気そうですよぉ~」

 そう言いながらずんずんと洗うに近づく二人。

「い、いや、おーなー、助けて……」

「竹内、今日はもう上がっていいぞ。二人をしっかり接待してこい」

 そう言ってオーナーは洗車場を去って行った。

「そ、そんな~」

 嘆く洗の両脇をがっしりと二人の洗車機の精がつかむ。

「行きましょう洗さん! 大人の世界へ!」

「私もお手伝いしますわ!」

「た、助けてくれぇ~」


 洗はこの日、大人への階段をもう四、五段上った。

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