ちなみに女の子同士なんですけど、京都で同棲はじめました。
かめのまぶた
1 女の子同士でお風呂に入るのはアリですか?
「マツウラさーん、ごはんできたよー」
「はーい」
部屋で宿題をしているマツウラさんに声を掛ける。マツウラさんはちゃぶ台の上のものを全て床に置くと、台所に立つあたしの隣にやってきて、水道の蛇口をひねった。
勢いよく出る水が、料理に掛からないかとヒヤヒヤする。
「今は洗面所で洗いなよ」
「だって遠いんだもん」
「どんだけものぐさなんだ……」
玄関の横にある洗面所(と言ってもユニットバスにくっついたささやかなものだが)までの距離は、徒歩1秒。これがマツウラさんの実家ならおそらくもっと掛かるのだろうけれど、6畳1間のボロアパートでは残念ながら目と鼻の先だ。
「じゃ、これ運んで」
「おっけー」
ふたりでちゃぶ台まで夕食を運び、向かい合う。
「今日、なんかテレビあったっけ?」
「えーと、別にないかなー」
「そっか」
楕円形のちゃぶ台。ふたり分の皿を載せればいっぱいになってしまうそれの隣には、実家で余っていたのを持ってきたテレビが、横たえられた三段ボックスの上に鎮座している。
見たい番組がないときは向かい合って。見たい番組があるときは隣り合って。
そうやって座るのが、ここ数日でなんとなく決まったならわしだった。
今日は特に見る番組もないとのことなので、このまま向かい合って座ることになる。
「ふふふーん」
しかし、マツウラさんはちょこん、とあたしの隣に移動してくる。
「どしたの?」
「ここ最近、隣り合って座ることが多かったじゃない? なんだか、こっちに慣れちゃって」
「そっか」
「あれ? つむぎなら、『暑苦しい!』とか言ってくるかと思ったのに」
「べつに、いいよ」
「やったー!」
マツウラさんはあたしにさらに身を寄せる。
ワンピース型のルームウェアから出た太ももが、ショートパンツから出たあたしの太ももと触れ合って、熱い。
マツウラさんは、なにもあたしのことを分かってない。
「つむぎは納豆ってどのくらい混ぜる?」
マツウラさんが、納豆のフィルムを剥がすのに苦労しながら尋ねてくる。
「嫌になるまで」
「えっ、納豆を食べる前にいったん嫌な気持ちを味わうのって、どうなの?」
「それを超えた方がおいしいから……」
納豆は混ぜれば混ぜるほどおいしい。半端な努力で食べる納豆は、きっと敗北の味がするはずだ。
「わたしはまだ思案中なのよね。今まで納豆って混ぜたことなかったから……」
「やっぱり、納豆混ぜ係の人がいるの?」
「そうなの! まあその人は、ねるね〇ねるね練り係と兼任なんだけどね!」
「ねるね〇ねるねは自分で練らなきゃ意味ないでしょ……」
そしてマツウラさんは、本当に苦心しながら納豆をかき混ぜる。
マツウラさんは超が付くお嬢様、らしい。
らしい、というのは、あたしがそれを同級生からの伝聞と、彼女の常識の無さと、彼女から滲み出る上品さからしか判断できていないからで。もちろん、あたしは彼女がお嬢様であることを疑ってはいないのだけれど、あたしが知る彼女は、教室で笑う彼女と、この京都の片隅の6畳1間で笑う彼女だけだった。
「んー! 納豆ご飯は本当においしいわね! って、つむぎ! この葉っぱどうしたの? 最高の味付けじゃない!」
「ありがと。小松菜、ね」
醤油とゴマ油をどぼどぼ掛けただけの味付けを最高と言われてしまうと、どこぞの三ツ星レストランから集められたであろう彼女の家の料理人が泣き出しそうだ。
どれ、とあたしも小松菜を食べてみる。
あ、これは最高だわ。
「マツウラさん、これ良いね」
「ほんとにおいしいわ! 今度、うちの系列のフランス料理店でもメインで出すように言っておくわね」
「いや、それはやめとこう」
そもそもフランス料理じゃないし。
「ていうかマツウラさん家って飲食業だったの?」
なんか金持ちってのは知っていたが、そういえばどういった業種なのかは聞いたことがなかった。
「うーん、それだけじゃなくて、なんていうか、資本主義? みたいな?」
「資本主義……」
実家が資本主義ってなんだよ。
「つむぎのご家族はなにをされてるんだったかしら?」
「まあうちは、母親が看護師で、父親が、旅人……?」
父親が旅人ってなんだよ。
「そうだったの! 楽しそうね!」
まあ、本人たちは確かに楽しそうだけどさ。
「あーおいしかった。つむぎ、ごちそうさま!」
「あいよ」
マツウラさんはペロッと夕飯を平らげた。あたしが食べ終えると、マツウラさんがふたりぶんの食器を台所へ持っていく。なんとなく、調理を担当していない方が食器を洗うという不文律が出来上がっていた。
マツウラさんは食器を洗い終えると、ふたたびあたしのとなりへ腰を下ろした。ふたりぶんの食器を洗うのに10分ちかくかかっていた最初に比べれば、かなり手際が良くなったんじゃないだろうか。
「ねえつむぎ。シャワーなんだけどね」
マツウラさんは、あたしのパーカーの裾を掴みながら甘えたような声を出す。
たいていの人間なら、次に発せられるお願いがどのようなものであれ聞き入れてしまうであろうそれは魔力だ。
「うん」
あたしは身構える。そうしなければ、あたしはおそらく際限なくマツウラさんを甘やかしてしまう。
「湯船にお湯を張っちゃだめかしら」
「うーむ。やっぱり張りたい?」
今までは特に意見が出なかったので、ずっとシャワーで済ましていたのだ。
あたしはまあそれでも大丈夫なのだが、湯船に浸かりたい人にそれを我慢しろというのも酷な気がする……。でも……。
「ごめん、マツウラさん。電気代とガス代がね……。今月の光熱費を見て、1万円きってたら来月は考えよう」
もう新生活にも相当慣れて忘れがちになっていたが、まだ4月も終わっていない。今はなるべく、何事も様子を見た方が良い時期だろう。
「分かったわ」
マツウラさんは頷く。普段は見せないしおらしい態度に、あたしの心は揺れる。
「つむぎ、これはただの思考実験だから聞き流してくれればいいのだけれど……」
と思ったのもつかの間、マツウラさんがなんか言い出す。ろくでもないことを思い付いたのは明らかだった。
「浴槽内において、体に触れる以外の部分に何らかの体積があれば、そのぶん水かさは増す、つまり、使うお湯の量は少なくて済むわけよね?」
あたしは頷く。たとえば、ペットボトルに水を入れてそれを浴槽に沈めるというのはよくあるライフハックだ。そのペットボトルを使いまわせば、少ない水量で湯船に浸かることができる。
しかし今うちにはペットボトル容器がないし、これから手に入る予定もない(時代は水筒だ、水筒!)。
「そして、その体積が占める割合は大きければ大きいほど良いし、それが柔軟であればあるほど良い!」
ああ。なんとなく話が見えてきた。
「つまり! ふたりでお風呂に入ればいいのよ!」
ばばーん、とマツウラさんは人差し指を立てる。まあ理屈は通っているのだが……。
「そうすればシャワーで使うお湯の量も減るはずだから、それで浴槽に張ったお湯のガス代と水道代はほとんどペイできるはず! 我ながら名案だわ!」
確かにそれは名案だった。ただ一つの問題を除いては。
「そ、それは駄目!」
「どうして? 別に女同士だからいいじゃない」
マツウラさんの言葉が、ずきんと突き刺さる。それでも駄目なものは駄目なのだ!
「それともつむぎは、わたしと一緒に入りたくないの?」
マツウラさんは素で聞いてくる。
ああ、駄目だ。それを言われると、あたしは断ることができない。
「分かった。一緒に入ろう……」
「じゃあ決まりね!」
そう言うなり、マツウラさんは押し入れの引き出し(引っ越しのときにあたしの母が色々と入れて帰った)を開けて、風呂洗い用のスポンジを探し始めた。
普段シャワーを浴びるときは、部屋と台所(というか玄関)をつなぐ引き戸を閉めて服を脱ぐことになっている(というか、あたしがした)。
しかし今、あたしはユニットバスの扉の前(というか台所)で、マツウラさんと向かい合っている。
いや、マジでどうしよ。いや、でも、やり遂げるしかない。
とりあえず冷静を装いつつ、着ていたパーカーから脱いでいく。脱いだ服はいつも通り、なんかその辺に置いておく。
バサッ、という音がしたので前を見ると、マツウラさんが豪快にワンピース型のルームウェアを捲り上げていた。なかなか首が抜けないらしく、新種の妖怪みたいになる。
もう乳首完全に見えてるじゃん。綺麗なピンクでかわいい!
まあ、パンツは洗濯とかのときに触るしそんなに新鮮味はないんだけど、やっぱり実際に穿かれてるパンツってのは良いよね! なぜなら穿かれてこそ、パンツはほんとうの意味でパンツになれるのだから。
って、駄目駄目! あたしはただ女の子と一緒にお風呂に入るだけ。そんなことは考えてはいけないのだ。今あたしの心にあるべきなのは、ただ久々に浸かる湯船への期待だけ。
パーカーの下に着ていたTシャツを脱いで、あたしもトップレスになる。マツウラさんはあたしの身体を見て、どう思うんだろうか。それを考えただけで、恥ずかしくて、恥ずかしくて、今すぐにでも逃げ出してしまいたくなる。
マツウラさんはパンツに手をかけ、一気に下まで引きずり下ろした。
片足を上げるとき少しだけ垣間見えた場所に、あたしの血液は沸騰しそうになる。
駄目だ。こんなにじっくり見てるのを気付かれたら……。
あたしは理性をフル稼働させて、自分のパンツを脱ぐことだけに集中する。
「おっふろー! おっふろー!」
その間に、マツウラさんは元気に風呂場に入ってしまった。全裸になったあたしは、精神を集中させてマツウラさんに続く。
浴槽には3分の1ほどお湯が貯められ、温かい空気が周囲を満たしていた。そしてその手前には、豪快に腕組をして立つマツウラさん。つるんとしたお尻が眩しい。
「つむぎ! 湯船にお湯を張っちゃったら、身体ってどうやって洗うのかしら!」
「あ、確かに。もしかして最初に身体とか頭を洗ってからお湯を入れたほうがよかったのかな」
身体の洗い方については何も考えていなかった。普段は浴槽の中で洗ってしまうから何も問題ないのだけれど、洗い場が付いていないユニットバスではどうすればいいのだろうか。
「そうだわ! 昔、家庭教師のジュリアンが、欧米ではお湯に浸かったまま身体を洗うって言ってた気がする! だから、一緒に湯船に浸かって洗いっこすればいいのよ!」
「そ、それはちょっと」
頭の中で、泡だらけになったあたしとマツウラさんが絡み合う光景が再生される。もうそれは、実質えっちなのでは?
「ま、とにかく入りましょ。風邪をひいちゃうわ」
「うん……」
マツウラさんが湯船に浸かると、浴槽の水かさが良い感じに増した。確かに、あたしが入ればちょうど良い塩梅になるだろう。
しかし、それはともかく、ユニットバスは狭い。
独り暮らし用だから当たり前なのだが、人がひとり入ればいっぱいいっぱいだ。ここにあたしが入ろうものなら、マツウラさんにぶつかるどころの騒ぎではない。先ほどの妄想がふたたび頭の中で広がる。絡み合う肢体。首筋に向かう、唇。
「つむぎー。どうしたのー」
「いや、なんでもない……」
ままよ。ここまでくればどうしようもない。あたしはマツウラさんと一緒に、お風呂に入るんだ。
片足を湯につけ、マツウラさんの脚の間に入り込ませる。そのまま腰に抜けさせて安定を保つと、もう片方の脚も移動させる。マツウラさんが身体を少しだけ奥にやってくれる。しかし、そのぶん先に入れた脚とマツウラさんが密着する。
ああ。なんて柔らかいんだろう。
両足が湯船に浸かると、あたしはゆっくりと身体を湯に沈めた。脚と脚がぶつかって、くすぐったい。なんとか無事にお尻を着地させられると思ったそのとき、マツウラさんの足の先が、不意にあたしの脚の付け根に触れた。
「ひゃっ」
思わず声が出てしまう。体中にゆるい電撃が走る。
「ごめんなさい、つむぎ。大丈夫?」
「うん。なんでもない。大丈夫」
ああ。もう駄目だ。恥ずかしすぎる……。
うつむくと、マツウラさんの下半身がよく見えて。
「ごめん、マツウラさん。あたし、のぼせちゃったみたいだから先に出るね」
「のぼせるの早くない?」
「あとでシャワー浴びるから、ゆっくりしてて!」
あたしはマツウラさんから視線を逸らしながらユニットバスを出て扉を閉めると、ニ〇リで買ったカゴに入れておいたバスタオルで身体をぬぐった。
下半身丸出しのまま顔をバスタオルに埋める。
ああ、もう無理。
どうにかなってしまいそうだった。
世界でいちばん触れたい肢体を目の前にして、あたしはなんでもないように振舞わなければならない。そんなことは、不可能だった。
あたしは、マツウラさんのことが好きだ。どうしようもなく、恋愛対象として、女の子として、性的に、不可逆的に、好きだ。
しかしそのことは、絶対にマツウラさんに悟られてはいけないのだった。
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