テーブルの上には、見た限りでは美味しそうな料理が並んでいた。

 麗子は満足そうにそれらを眺めた。部屋の壁掛け時計を見ると、なんと九時半をまわっていた。実に四時間半も掛かったのだった。

「やれば出来んのよ、あたしだって」

 麗子は得意げに呟いた。

 エプロンを外し、白いニットと赤のスエードパンツ姿になった。ワインセラーから赤ワインを取り出して、グラスとともにテーブルまで持ってきた。

 席に着くとワインを抜いた。静かにグラスに注ぎ、メリー・クリスマスと心の中で言ってから、ゆっくりとワインを飲んだ。

 そしてフォークとナイフを手に取ったとき、インターホンが鳴った。

「……誰よ。あたしに喧嘩売ってんのは」

 むっとして立ち上がり、わざとゆっくりインターホンのところまで行って受話器を取った。

「──はい。どなた?」

「俺や」鍋島だった。

「……やっぱりあんたね。あたしを怒らせんのは」と彼女は溜め息をついた。「どうしたのよ」

「ええから、ちょっと開けてくれ」

「あんた、真澄とデートじゃなかったの?」

「……とにかく開けろって。雨が降って寒いんや」

「──勝手なやつ」

 麗子は憤慨して言うと、受話器を戻してダイニングルームを出ていった。


 廊下を進んで玄関ホールに出た彼女は、面倒臭そうにロックを外してドアを開けた。

「あら、馬子にも衣装ってやつね」

 麗子は目の前に現れた鍋島の格好を見て嬉しそうに言った。

 鍋島は上目遣いで麗子を見た。まるで悪戯が見つかったときの子供のような目だった。

「何なの。デートはどうなったのよ」と麗子は腕組みをした。「まさか、余計なことして真澄を怒らせちゃったなんて言うんじゃないでしょうね」

「何もしてへん」

 鍋島はむきになったように即答したが、すぐに首を傾げて呟いた。

「──いや、したかな」

「何やったのよ」と麗子は顔色を変えた。

 鍋島は俯いた。「……あいつに、俺の気持ちを言うたよ」

「……そう」

 麗子は鍋島が真澄の気持ちに応えなかったのだということを察し、沈んだ声で言った。

「あいつには悪いことをした」

「仕方ないわ。あんたにあの子を受け止める自信がないなら」

「ああ」

「それで? それをわざわざあたしに言いに来たってわけ? あたしがきっと怒るだろうからって、言い訳しに来たんだ」

「そうやないよ」

「じゃあ何よ? あたし、今から食事なの」

「今から? 何でこんな遅いねん」

 鍋島は訝しげに眉をひそめた。「何やってたんや?」

「いいじゃないのよ。とにかくまだ一口も食べてないんだから」

「……まあええか、それは」

「そうよ。あんたの用件を言いなさいよ」

「ほんまの気持ちが分かったんや。それでここへ──」

「だからそれは聞いたわよ。あんたにあの子は無理だったんでしょ」

 麗子は苛立たしげだった。そしてそのストレスを吐き出すように一気にまくし立てた。

「あのね勝也、あたしお腹が空いてるのよ。実は今日、初めて一人で料理を作ったの。我ながらかなり気合い入れて頑張ってね、四時間半よ、四時間半。そりゃもう、大格闘よ。それを今から食べようってときにあんたが来て、真澄のことはいいとしても、まだ何だか訳の分からないことをごちゃごちゃと、相変わらず焦れったいったら──」

 ぷうっ、と鍋島が突然吹き出した。

「何よ、何がおかしいのよ」麗子はむっとした。

「──いや、違うねん」

 鍋島は腕を組み、俯いてまたくくっと笑った。

「何が違うのよ。あたしが料理を作るのがそんなにおかしいって言うの? あんたちょっと失礼じゃない?」

 麗子は両手を腰に当てて鍋島を見た。どうやら本気で怒っているようだった。

 鍋島はまだ笑っていた。怪我をした脇腹のあたりを押さえて、少し痛そうに片目を閉じた。けれどもその表情は、さっきの思い詰めたような様子とは違って実に楽しそうだった。

「感じ悪い。言うことないなら帰ってよ」

 振り返って廊下を戻ろうとする麗子の腕を掴んで、鍋島はようやく笑うのをやめた。しかしその顔はまだ可笑しそうだった。

 それから鍋島は言った。

「──いや、俺はほんまにアホな男やなぁと思ってさ」

「……今頃なに言ってんのよ。この、大馬鹿もの」

 麗子は迷惑そうに言うと鍋島に向き直った。

 鍋島は続けた。

「可愛くて、素直で、性格も育ちも申し分なくて、何より俺のことをあんなに想ってくれてる真澄をついさっき神戸の公園でフッて、その場に一人残してきた。ほんで、その足でタクシーとばしてここへ来て、さっきから俺の話よりメシのことばっかり気にしてるおまえに告白しようとしてるんやから」

「なにそれ?」

 麗子は目を丸くしてぽかんと鍋島を見た。

「なあ麗子、俺はおまえのことが──」

「ちょっと待った──!」

 麗子は鍋島の顔の前に手をかざした。「……それ以上は駄目よ」

「何でや」

「決まってるでしょ。考えたら分かるじゃない」

 麗子の顔は強張っていた。まっすぐに鍋島を見つめる瞳の中には、有無を言わさぬ気迫があった。しかしよく見ると、今にも崩れそうな脆さも確かに潜んでいた。

 それを感じ取った鍋島は、彼もまた表情を堅くし、その一途な目でしっかりと彼女の視線を受け止めながら言った。

「俺の好きなんは、真澄やない。おまえのことや」

「ふざけないでよ!」

 言うと同時に、麗子は鍋島の頬を叩いた。鍋島は顔を逸らせたまま黙っていた。

「あたしがあれほど頼んだじゃない。ちゃんとした答えをしてあげてって」

「ちゃんと答えたよ。その答えがそうなんや」

「それで済むと思ってんの?」麗子は声を荒らげた。「あの子は、あたしの従妹だって言ったでしょ?」

「せやからどうせえって言うんや? 好きでもないのにつき合えって言うんか? そんなことしたら余計にあいつを傷つけるだけやろ。見合い話を棒に振ることにもなるんやぞ?」

「だからって、どうしてあたしのことを──」

「それはそれや、別のことや!」

 鍋島の声も大きくなっていた。

「勝也……」と麗子は困ったように鍋島を見た。「あんたって男は──」

「せやから言うたやろ。アホなんや。たぶん地球上で一番のな」

「知らないわよ」

 麗子は顔を背け、怒ったように溜め息をついた。

 その一方では自分が激しく動揺しているのを感じていた。

「──真澄が、おまえのとこへ行けって」

「あの子が?」

「ああ。おまえやったらええって」

「そんな──」

 すると突然、鍋島が靴を脱いで家に上がり、廊下を進み出した。

「ちょっと、急に何よ?」

 麗子は鍋島の背中に言った。

「味見や、おまえの料理の」

「……どうかしちゃってるんじゃないの」


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