彼女は約束の五分前に、その場所に来た。

 十一月初めの大阪は夜になってもまだそれほど冷えてはいなかった。

 それでも彼女は高価そうな黄金色の毛皮のハーフ・コートを羽織り、中には目の醒めるような赤いワンピースを着ていた。エナメルのパンプスと爪の色も同じ赤で、左手にはシャネルのバッグを持っていた。

 決して自分の趣味ではなかった。しかし黙って相手の好みに合わせることが、残された道を探るためには必要なのだと自分に言い聞かせ、言われるがままの洋服に腕を通した。

 駅の周りはいつもの夜の賑わいがそろそろ静まってきた頃で、これからは泥酔者と浮浪者、そして犯罪者がこの街の主役にのし上がってくる時間だった。

 彼女は腕時計を覗いた。午前一時だった。一瞬静かになった駅の構内から、電車の出発を告げる笛の音が聞こえてきた。どこかへの最終電車だろうかと彼女は思った。

 突然、背後から肩を叩かれた。彼女は一瞬びくっとしたが、すぐに笑顔を造って振り返った。そのとき、茶色に染めたウェーヴのロング・ヘアーが大きく広がった。

「待ったか」

 立っていた男は低い声で言った。

「い、いえ ──少しだけです」

 彼女は男の不気味な声に少し怯えたが、すぐに気を持ち直し、自分も声を低くして言った。

「……持ってきていただけましたか」

「ああ。俺が忘れたことがあるか?」

「いえ、それならええんです」と彼女は俯いた。「それで──どこへ行きますか」

 男は黙って前の大通りにかかる横断歩道に向かって歩き始めた。彼女はその後を追い、素早く男の腕を取って自分の手を回した。

「あ、あの……どこへ 」

 男は立ち止まり、彼女の顔を見下ろした。青白い白目が暗い夜空に光ったように見えた。

 やがて男はゆっくりと言った。

「──今、それを知ってどうする?」

「あ、いえ別に」

「誰かに知らせたいのか?」

「いいえ。誰にも」

 彼女は勤めて平静を装いながらまた造り笑顔を見せた。

 左目尻の泣きぼくろが哀しげで、妙に色っぽかった。

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