敗者と成るは獅子か熊か

ミカヅキ

くっつくまで(本編開始一年前)

怠惰な熊は血迷った

 きらきらしてて、ふわふわしてて。

 薄くて小さくて柔らかい。

 あいつが好むのは、まあ大体、そんな女。



怠惰な熊は血迷った



 スペルビアに片想いを拗らせて、もうどれくらい経ったかわからない。我ながら、よくもまあここまで一途に想い続けられるものだと思う。そんな思いで、アケディアは、筋骨隆々の巨体をしょげさせてアジトの片隅、一つ息を吐いた。


 スペルビアのどこがそんなにいいのか、と問われるだろうか。あいつの長所なんて無駄に整った顔くらいだと、猫を被らない彼の姿を知る者は言うだろう。その緩いウェーブのかかったハニーブロンドの髪を風に遊ばせて、空の碧を映したような淡いブルーの切れ長な瞳を細め、その甘い甘いテノールで名を呼ばれれば、あらゆる女が、或いは男も、魅了される――それほどに、スペルビアは美麗な顔立ちをしているのだ。だが、性格はといえば傲慢不遜傍若無人を擬人化したようで、外面の人当たりのいい猫かぶりの下で、他人を見下し、嗤い、踏みにじるのが常である。

 ――と、それが、アケディアを除き今のスペルビアの猫被りでない言動を知る者の共通認識だ。その傲慢に似合うだけの実力があるのがまたたちの悪いところだと、アワリティアが愚痴るのを聞いた事がある。


 ただ、スペルビアを『ずっと昔』から見ていたアケディアは知っている。スペルビアが見下すのは、あくまで物事の本質を見ない愚か者だということを。即ち、今、彼の周りには彼の上辺しか知らず認識を誤る愚か者ばかりだということだ。

 だからか、彼が纏うオーラは、アケディアがよく知るものよりも刺々しい。ずっと苛立っている。そうして、その苛立ちを発散させるように、スペルビアの美しい顔立ちに擦り寄る愚かな女を適当に見繕っては食い散らかしている。

 そういうわけで、スペルビアにはセフレが多い。彼が女を抱くのは、時に情報収集――即ち仕事であることもあるが、ストレス発散も少なくないだろう、とアケディアは分析している。

 スペルビアは潔癖症で、特に『愛』に関してはそうだ。愛のない性行為を彼は嫌っている。これもアケディアしか知らないスペルビアの一面であるだろう。現実としてはスペルビアは愛のない性行為を繰り返しており、その事実を知る者達はスペルビアが潔癖症とは分かるまい。

 彼が愛の無い性行為を繰り返すのが、自傷だと、自分以外の誰が知っているだろうか。

 そうだ。皆、スペルビアの外面ばかりを見ているのだ。そうして、彼の中身を知らない。知ろうとしない。それがまた彼を苛立たせるのだろう。彼は一種、自棄のように、『傲慢』に振る舞う。


 ――俺はスペルビアを知っているのに。誰よりも理解しているのに。誰よりも、スペルビアを愛しているのに。寂しいのなら、俺を好きに抱いてくれればいいのに。

 そう、アケディアは思う。同時に、それが叶わぬ想いであることを知っている。スペルビアは女の体が好きだ。髪が長い女が好きだ。胸の大きい女が好きだ。従順な女が好きだ。スペルビアの外面ばかりを見ている愚かな女に、『男』だというだけで敗北するのが、アケディアには悔しくて仕方が無かった。


 ――否、男だからだけではない。愛しいスペルビアに、アケディアは嫌われていた。

 『自分達』には強さの序列が存在する。自分と、スペルビア、そしてアーリマンはその三強にあたるが、その中で、スペルビアは三位である。スペルビアが弱いのではなくアケディアとアーリマンが規格外で、スペルビアとてそれは理解しているのだが、彼は己の上に立つ存在を嫌った。アケディアを、嫌った。

 彼がアケディアに向ける敵意の目。その目を見る度に、アケディアの胸は苦しくて重たくて、仕方が無くなる。自分はスペルビアの敵ではないと、そう言えたならどれだけいいだろうか。


 昔のように。彼に優しく微笑まれたい。その手で頭を撫でてほしい。名前を呼んでほしい。


 そう、アケディアは願う。それは、今は、不可能だと分かりながら、それでもスペルビアが『忘れた』過去を願う。

 ――『目的』を諦めた訳では無い。だが、『忘れた』ままでもいいから、スペルビアの笑顔を向けられたい。そう、願ってしまう。

 ――なんて浅ましい、と。


 そこまで考えて、半分自嘲の混じったため息をついた。


「アンタが溜息なんて珍しいね、アケディア」


 唐突に声が降ってきて、そちらを見やる。と、にまにまと面白がるような笑みを浮かべた翠の髪の少年――アーリマンが立っていた。


 機嫌が悪いアーリマンの対応は面倒だが機嫌がいいアーリマンの対応も面倒臭い。フードと長い前髪で己の顔が人から見づらいことをいいことに盛大に顔を顰めた。まあどうせアーリマンは気付いているだろうがそれに気分を害した様子はなく、ただくすくすと子供らしい無邪気と子供らしらかぬ邪気を綯交ぜにした笑いを零している。他人を見下しているのが基本のアーリマンだが、アケディアにはある程度寛容であった。

「まあ、アンタが溜息をつくほど気に掛けるなんて、大方スペルビアの事だろうけど」

「……」

「よくやるよねぇアンタも」

 無言を貫いて興味の無さをありありと示しているのに、アケディアに構うアーリマンの鋼の心は何なのだろうか。面倒だと、内心でため息をついた。


「そういえばそのスペルビアだけど、前にまた女を作ってたろ」


 無視を続けようかと思ったが、その言葉には意識を向けてしまった。

 スペルビアは、時々、何かを追い求めるように恋人という存在を持つ。この前スペルビアの恋人という立場を勝ち取ったのは、薄い茶髪に柔らかい琥珀の瞳の、きらきらふわふわした、小さくて薄い、しかし胸はそれなりにある、まあ、スペルビアが好むようなタイプであった。

 スペルビアは基本的に女とは一夜限りや後腐れの無いセフレばかりだが、そんな風に恋人を持つと、そういった女とは関係を絶つらしい。だが大抵は数日、長くて数週間で別れるか、或いは――女が狂ったようにスペルビアに粘着するようになることで――殺すかで破局している。そうして、また荒れた生活に戻るのだ。諦めたように。

 ――ただ、今回の女は長い。恋仲になってから1ヶ月程経過しているが、まだ別れたという話は聞かない。今回の女は特に美人で、なおかつ烏滸がましくない女だったので、スペルビアも気に入ったのだろうか。そう思うと、胸の奥にもやもやとした黒いものが渦巻くのを感じる。我ながら、醜い。

 そんなアケディアの心情など素知らぬ顔で、アーリマンが言葉を続けた。

「その女だけど、死んだらしいよ」

「……スペルビアが殺したの?」

「いや、賊に襲われて殺されたんだってさ。オレも死体を見たけど、まーあれは、強姦目当てだったんだろうねぇ、服とかほぼ襤褸切れになってたし」

 その返答が少し意外で、フードと前髪の奥の瞳を丸くする。スペルビアが手を下すか別れを告げる以外の別れ方は初めてだった。結果的に恋人関係は解消される訳だが、1ヶ月ももつほど気に入っていた女が他人の手で死んで、あいつは何を思ったのだろうか。何も感じなかっただろうか。


 ――それとも、悲しんだ?


 胸の奥の黒いものがまたぐつりと音を立てた。同時に座っていた椅子から立ち上がる。筋骨隆々のアケディアの重い体重を支えていたその古びた椅子から解放と同時にギッと木が擦れる悲鳴が鳴った。

 目を丸くしたアーリマンの横を通り過ぎて、足早に歩を進める。古びたアジトの床は歩くたびにギシギシと嫌な音がして、それがまるでアケディアの愚かさを嗤うようだ。

 嗚呼わかってるさ、きっと無意味だ、辞めておいた方がいい、もうずっと、それこそ彼に忘れられた『思い出』の頃でさえ、この想いを飲み込んできたのに、その努力を無に帰すことなんか。そう理性は訴えるのに、焦燥にかられた足は止まらない。


 恐らくはこのアジトに居るであろう愛しい傲慢を探して、怠惰は諦めることを諦めた。

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