Part 3
大盛りチャーシュー麺煮玉子乗せ、大盛りチャーハン、デカギョーザ六個入り二皿、それが透子一人で平らげたメニューである。先に食べ終わった雅宗と静流は呆気に取られながら三十分間ホームレスの生態を観察していた。
「世界中のご馳走を一度に食べたみたいですう……」
汁も一滴残らずすすって、透子は大満足の様子だった。
「人間にもシケンギ並みの胃袋もったのがいるのね……」
「おれたちだって一度に人一人喰うわけじゃねえぞ」
「で、この子なんなの?」
「ヤミ金から逃げてるホームレスだ。しかも天涯孤独らしい」
「この子が借金したの?」
「いや、父親のだ。その父親が死んじまって、取り立てが怖くて逃げてきたそうだ。これって罪になんのか?」
「あんた、それでも警官?」
「おまえにだけはいわれたくねえが、金のことには興味ねえんだ」
「出た、ボンボン発言。日本中のホームレスに刺されるといいわ」
「おまえもそうだろ、社長令嬢め。で、どうなんだよ?」
雅宗には応えず、静流はギョーザのタレまで舐め尽そうとしている透子に向いた。
「えっと、トッコちゃんだっけ?」
「あ、いえ、トーコで……」
「トッコちゃんは借金の保証人なのかな?」
「いえ、違いますけど……」
「そうよねえ、未成年だし。で、金利はいくら?」
「さあ、そういうことは……。確か合計で四百万借りたのが、一年で一千万になったとか……」
「はい、違法」
「ンなこたわかってんだよ」
「違法なんですかっ!?」
「わかってなかったのかよッ!?」
「知りませんでしたっ……!」
目から鱗といった顔をする。
「まさかおまえ、相手がヤミ金だってこともわかってなかったのか?」
「ヤミ金って……?」
大人二人は天を仰いだ。
「あのねえ、トッコちゃん。ヤミ金ってゆーのは、違法な金融業者のことでねえ、普通の業者からお金借りると取り立てはこわ~いお兄さんじゃなくてえ、ちゃあんとした弁護士さんなんかがやってくるのよお」
「はあ……」
「でねえ、借金の利息っていうのはね、簡単にいうと一年で二十パーセント以上取ると違法になってね、契約そのものが無効になるのね。トッコちゃんのお父さん、合計で四百万ってことは何回かに分けて借りたんだろうけど、それでも一年で倍以上に膨らむのは明らかな法律違反で、ようするに返済義務はないわけよ」
透子のバックに雷光が弾けたのを、二人は見た。
「返さなくて……いい、んですか……っ!」
「うん。それにまともな業者からの借金でもね、保証人になってなければたとえ家族だろうがなんだろうが、返済義務はないの。ただ借金も相続に含まれてて唯一の相続人がトッコちゃんになるんだけど、これは相続放棄をすることで一発解決! ようするにトッコちゃんの場合、完全に警察の管轄。通報ありがとね」
風に飛ばされた洗濯物のように、透子はひらひら舞って膝を折った。
「そんなっ、返さなくていいなんて……っ! もっと早く相談しとけばよかったっ……」
「けっこう多いらしいのよねえ、そういうこと知らなくてなかなか相談しにこない人」
「しかし天涯孤独のホームレスなのに変わりはねえだろ。どうせ家も取られて帰る場所なんかねえだろうしよ、法的にこの子はどうなるんだ?」
「あんた、それでも警官?」
「おまえにだけはいわれたくねえが、確かにちょっと自信なくなってきた……」
静流は小馬鹿にしたようなため息をつく。
「未成年で天涯孤独になった場合、普通は施設に入ることになるのよ。でも基本的には一八歳までだから、一八になったら施設を出て生活保護の申請ね。後見人は弁護士、司法書士、社会福祉士あたりが引き受けてくれるけど、まあ施設の人がなってくれるでしょ。でも一応働ける歳だから、施設に入るよりは保証人だけ用意して自力で生活っていうのが現実的かもね。あんたなってあげたら? 実績あるんだし」
「外国人の次はホームレスかよ……これも警察の役割なのか?」
「あたしだって何人か面倒見てやってるバカがいるんだから文句いわないの。とりあえずご苦労さん。この子は組対に預けて、生活の目処が立つまでは仮眠室にでも置いといてもらうわ」
伝票を雅宗に押しつけて席を立つ。
「さ、トッコちゃん、署のほうで詳しく話聞かせてね」
「はい……お世話になります……」
気が抜けてどっと疲れが出た透子は力なく差し出された手を取った。と思ったらその瞬間に放してしまった。奥のほうで上がった怒鳴り声に驚いたのである。
続いて客の一人が殴り倒された。どうやら客同士の喧嘩らしい。
「おいおい、今度は喧嘩かよ。昨日から事件続きだな」
レジに行きかけた雅宗が加害者のほうへ歩み寄る。黒い革のジャケットに穴開きジーンズの、サングラスをかけた髪も眉も真っ白な青年だった。
「なにがあったか知らねえが、殴るこたァねえだろ」
「……なんだよ、あんた」
つい今しがた発せられた怒鳴り声の持ち主とは思えないほど、暗くじめっとした声で青年は問うた。雅宗は伝家の宝刀に本日二度目のお役目を与える。
「警察だ。暴行の現行犯で署まで……」
言葉がとまったのは、青年の体毛の白さがファッションでないことに気づいたからである。なぜならば、ネイバーにだけわかるネイバーの気配を、青年は発していたのだ。
「署まできてもらおうか。どの部署か、わかるな?」
「……ついに前科がついちまった」
青年はゆっくり唇の右端だけを上げて笑った。
「その前に、支払いは済ませような」
「あんた、細かいな」
「このまま連れてったら食い逃げさせたことになる。おれまで犯罪者だ」
「なるほど、それもそうか」
また唇の右端だけを上げて笑うと、青年は一万円札をレジに置いた。
「悪かったな、ラーメンは美味かったよ」
雅宗が青年を、静流が透子と被害者の中年男性を連れて店を出る。人通りの多い道なのに車を呼ばないのは怪事ならではであろう。幸い何事もなくすぐ本部に着いた。
福岡本部の怪事は全国の怪事の中でもエリートの集まりであり、取調室を含め館内の各所に妖力を抑える仕掛けが施されていることを犯罪者たちもわかっているから、一度連れてこられると抵抗しようとする者はほとんどいない。雅宗に連れてこられた青年も実に大人しかった。
取調室に入り、調書を用意して雅宗は問う。
「名前は?」
「山田太郎」
「ほお~わかりやすい名前だな~ってコラ」
「山岡真太郎」
「ったく、素直にいえよ。日本人か?」
ネイバーに国籍を問うのはナンセンスなようでもあるが、シケンギ一族のようにきちんと戸籍登録されて人間としての権利を有しているネイバーもいるので、必要な質問である。
「日本人」
「戸籍は?」
「ない」
「あっそう。年齢は」
「三歳」
「ほお~随分大きいな~ってコラ。二度もやらせんな」
「あんた、ノリいいな」
「おれは優しいからな。それより、なんで殴った?」
「ラーメンの汁……」
「汁?」
「ジャケットにつけられたから」
「けっこういいジャケットだもんなあ、そりゃあ頭くるよなあ、でも殴るか、普通?」
「イライラしてたんだよ……生理中だから」
「三度目はねえぞ」
「仏は三度まで許すじゃないか」
「鬼は二度までなんだよ」
「へえ。なに族?」
「シケンギだ。だから大人しくしとけよォ、逆らったりしたら喰っちまうからなァ」
「それは困るな、再生力は人間並みなんだ」
「だったら素直に答えろ。えーっと、戸籍がねえってことは身分証も……あ、まさか星札もないとかいわねえよな?」
それは陰陽寮が発行するネイバーの居住許可証、もしくは就労許可証のことであり陰陽寮のシンボルである桔梗の五芒星が刻印されていることから星札と呼ばれている。人間に敵意をもたないネイバーは自身の潔白のためにも必ずこれを所持しているものだが、果たして青年の答えは。
「ない」
「それがどういう意味か、わかってるよな」
「まあ、危険人物と見なされるのは仕方ないな」
いいつつまったく理解していなさそうな無邪気な笑顔であった。
「ったく、めんどくせえな……家はどうしてるんだ?」
「仲間の家に居候してた」
「してた?」
「昨日喧嘩して追い出された」
「だからラーメンの汁が跳ねたぐらいで怒ったのか。んじゃあそいつの連絡先教えろ」
「釈放?」
「それは被害者次第だな。告訴するっていってきたらこっちとしては受け容れるしかねえ。まあ、たいした怪我じゃなかったしいくらか払って示談ってとこだろうが、戸籍も星札もねえとなると簡単に釈放できねえんだよ。身元引受人もいるし、おら、携帯出せ。それぐらいはもってんだろ」
真太郎は素直に携帯電話を渡した。その様子に感心して中身を見た雅宗は、しかし、唖然となった。
「オイ……アドレスどころか着信履歴も発信履歴もメールフォルダもアプリもぜェ~~んぶ、カラじゃねえかっ!」
「ムシャクシャして消した。もういらないからやるよ」
「いらねえよ、解約してこいよ」
「契約したのおれじゃないし」
「……おまえ、仕事はしてんのか?」
「してた」
「なにを」
「ヒモ」
「あァンッ?」
「ただいるだけで金もらってた」
「ようするに捨てられたってことかよ……くそ、ホームレスより始末が悪ィ。てめえの身元引受人にまでなるのは御免だからな」
「別にいいよ、ブタ箱でも。冷暖房完備で飯も出るって聞いたし」
「てめっ、さてはわざと!」
真太郎は答える代わりに唇の右端だけを上げるのだった。
「くそっ、もういい。今はてめえなんかより大事な取り調べが大量に残ってんだ、タダ飯食わせてやるからしばらく寝てろっ」
「怪事は予算余ってるって本当なんだな」
「人間警察より人員不足だからな、金の力でも借りねえと体がもたねえよ」
そういうわけで、真太郎を留置場にぶち込んでから当初の仕事に戻る雅宗であった。
そしてその夜、福岡本部史上最悪の不祥事が起こるのである。
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