Part 2

「国家の経済力と国民の品性は反比例する」をテーマに論文がひとつ書けてしまえそうな狂えるバブル経済の絶頂期たる一九八五年に起こった第二次関東大震災以降、日本の首都は京都である。ただしあくまでも政治の中枢ということであって経済の中心地は福岡となっており、その存在感の大きさから福岡が首都だと思っている外国人は非常に多い。おそらくは「アメリカの首都は?」と問われて「ニューヨーク!」と答える日本人の割合よりは多いだろう。

 福岡の存在感が大きい理由はふたつある。ひとつはむろん、東アジア一の国際都市ということ。もうひとつは、怪奇事件の多さである。外国人観光客がこれを見たさに訪れるせいで観光スポットとしても京都のお株を奪ってしまい、「ジャパンといえばファンタスティック、ファンタスティックといえばフクオカ」という不謹慎なキャッチコピーまで世界中ではやっているほどだ。

 もし本当に外国人が怪奇事件に巻き込まれるような事態になれば国際問題に発展しかねないため政府としては頭を抱えているものの、彼らによる経済効果はもはや第二のバブル時代と呼べそうなほど莫大なため、「絶対またきてね」というのが本音と見て間違いないだろう。

 それに、ネイバーもそこのところは意外と気を遣っている。いまだネイバーの存在が世界的には微妙であり、ネイバーといっても大して力のない、逃げるようにして日本へやってきた者も多く、とくに欧米のネイバーは人間に捕まれば即座に抹殺されるか捕まって実験道具にされるかという扱いを受けてきたため、できる限り正体を隠したまま平穏に生きていたいのである。

 そういった事情と事情が手を繋いで、この世界のバランスはどうにか保たれているのだ。

 とはいうものの、バランスを壊そうとする輩はどこにでもいるため警察組織は必要である。

 福岡県怪事本部はその象徴でもあった。庁舎は地上二十階に地下五階と、竣工からたった五年で跡形もなく崩壊した当時の警視庁本部庁舎よりも大きい――福岡県警本部の、隣。職員の数が違うため規模を比較すべきではないが、県警本部の隣にある地上六階、地下三階の五芒星を掲げるビルが福岡における怪事の拠点であった。

 最上階には怪現委支部のオフィスが入っており、一階はロビーに食堂、人間用の相談窓口があり、二階はネイバー用の各種相談窓口、地下一階から三階には留置場や仮眠室、訓練施設があり、地上の三階から五階が怪事のメインフロアとなっている。

 所属する職員はおよそ三百人。刑事部は重犯罪捜査の一課、知能犯罪及び軽犯罪捜査の二課、組織犯罪捜査の三課、立て篭もりやテロなど一般人を巻き込む危険の高い事件を扱う四課、そして刑事総務課と鑑識課があり、他にも怪奇現象調査部や総務部、地域部、警務部と、これらの三百人が世界一の怪奇スポットたる福岡の治安を支える精鋭部隊であった。

 その精鋭部隊の一人である熾堂しどう雅宗巡査部長は港の大捕り物から一夜明けた昼前、取調室にいた。ただ、部外者が見ると彼のほうが被疑者に見えてしまうだろう。怪事は刑事と同じく私服警官だが、刑事がみなスーツを着ているのに対し怪事はほとんどが文字どおりの私服で、中でも雅宗は体質的な理由からラフな格好を常としており、今着ている服も肩甲骨丸出しの黒いゆるゆるタンクトップにだぼだぼのジーパン、そして素足に運動靴ときている。相手がホスト風とはいえスーツを着ているため、雅宗のほうが傷害で挙げられたヤンキーのようであった。

 しかし当然ながら実態は逆である。相手のほうが重罪を犯して捕まった犯罪者で、雅宗はそれを取り調べる警察官。若く精悍な顔に凄味を乗せて、被疑者と向かい合っていた。

 取り調べ対象は昨夜雅宗が右腕を喰った獣人系の男、自称アメリカ人のアンディ・ヘラー。

 片腕がないからといって軽く見るのは怪事失格である。取調室や留置場にはネイバーの妖力をほぼゼロにまで抑える結界が張ってあるし手錠にも同等の効果があるが、中には妖力とは関係ない体質的な特殊能力をもった者もいるのだ。雅宗も当然それを警戒しており、もし反抗してきたら左腕と両足も喰ってやろうと構えていた。

「いい加減吐いちまえよ。飯食わしてもらえなくて腹減ってんだろ?」

「…………」

「黙秘もいいけどなァ、他のやつが喋っちまったらそれでおしまいなんだぜ?」

「…………」

「タマ潰すぞ、ゴルァ!」

 胸倉を掴み上げて宙に浮かせる。

「痛ェんだよ……」

「あァんッ?」

「腕が痛くてそれどころじゃねえんだよッ! メシはいいからまず麻酔よこせよッ!」

 雅宗は呆気に取られた。

「……医務室に、連れてってもらってねえのか?」

「もらってねえよ! ブタ箱ブチ込まれて今の今までこのまんまだよッ!」

 アンディは涙目だった。

「そういうことは早くいえよ……知らなかったとはいえ、一時間もいじめちまったじゃねえか」

 下ろしてやって、ポンと肩を叩く。

「おまえはどうやらただのザコみてえだし、今から医務室に連れてってやるよ。けどな、あのクソアマにゃあ気をつけろよォ。相手が弱ってようが泣いてようが、面白がって斬り刻むようなやつだからなァ」

「それでもデカかよ……」

 ネイバーの間では怪事もデカという。

「おれもそう思う。ま、ケツにショットガンねじ込まれて引鉄引かれたくなけりゃあ、あいつの取り調べでは素直に喋るんだな」

 ようするに、苦手な取り調べを体よく終わらせたのだった。


 熾堂雅宗、二四歳、喰人系ネイバー・シケンギ族、一九〇センチの長身と鍛え抜かれた筋肉をもつ、福岡県怪奇事件対策局本部に勤める刑事部捜査第一課強行犯捜査第一係の巡査部長。

 京都に生まれ、中学卒業後、怪奇現象対策委員会が運営する怪奇現象対策専門学校の警察学部捜査科四年コースに入学、優秀な成績で卒業する。捜査では主に、かつて自らが逮捕した鑑識課員の巡査レオンハルト・バルシュミーデや怪専の同期である三課巡査部長の藤森静流らと組んで勤務成績も実に優秀である。

 なぜ違う課の者と組んでいるのかというと、怪事においては肩書きや階級はあってないようなものだからである。面倒くさいからと課長が係長に捜査指揮をやらせたり、人数が足りないからといって総務部員を張り込みに使ったりなどは日常茶飯事で、ときには人間の刑事部や組織犯罪対策部の応援に出ることすらある。つまるところ配属部署は能力を総合的に判断して形式的に決めるものであって、きっちり結果が出せたなら過程は問題ではなく、むしろ相性のいい者がいるならそいつと組んで効率的に結果を出せ、ということなのだ。

 そういうフリーダムな組織体制は雅宗に合っていた。

 そもそも日本という国自体が戦後からずっとフリーダムなのだ。いくら既成事実ができてしまったからといっても、普通は怪物と協力して国作りをしようなどと考えはしない。事実、外国でも一部の人間だけは怪物の存在を知ってはいたが、彼らを国政に参加させようなどと試みた国はひとつもない。

 日本だけである。

 寛容さが日本人の伝統的精神だといってしまえば身も蓋もないが、日本だからこその結果であることは確かだろう。第二次世界大戦時もそうだし、第二次関東大震災のときもそうだった。いや、それ以前から怪物たちは密かにこの国に関わっていたのだ。日本人はそれを力尽くで排除しようとはしなかった。古より心のどこかで彼らの存在を認め、抗いがたい自然現象と同じように畏怖してきたのだ。

 だから、ひとたびその存在をはっきりと認識したとき、欧米のように種の存続をかけた闘争などという大袈裟な発想をせず、協力できるのならしようと、手を差し出したのだ。

 人間、怪物、そして双方の事情を知る退魔師など人間の特異能力者たち、この三者が巧く手を取り合えたのは、日本の寛容の精神が根底にあったことは確かである。そして寛容さが自由な民族性を育み、今の日本を築いたのだ。

 そういう意味で、日本人という人種は実にたくましいといえよう。

 福岡という都市は、そんな日本を象徴する都市でもあるのだ。だからこそ人間もネイバーも、いい意味でも悪い意味でも集まってくるのである。

 そして、その悪い部分を取り除きより良い方向へと導くために、人間の警察も怪事のような特殊警察も、日夜励んでいるのであった。

 もちろん雅宗も同じ思いである。怪事に入ったのは怪事官僚である父の強い勧めでもあったが、なによりもネイバーが堂々と存在を主張できることが魅力だった。

 戦後までは力が強すぎるネイバーや人間を主食とするネイバーはとくに肩身が狭く、下手に活動しようものなら退魔師がすっ飛んできて思うように生きられないのが常だった。怪事は、それをほぼ取っ払った状態で生活できる場なのである。シケンギを始めとする力を持て余していながら人間に敵対心を抱かない種族にとって、これは画期的なシステムだった。

 シケンギに関していえば食の問題もある。それまでは退魔師と折り合いをつけてなんとか喰いしのいできたのが、怪事にいれば活きのいいネイバー犯罪者を合法的に食べられるのだ。むろんやりすぎては問題になるが、多少ならばネイバー用の弁護士も文句はいわないので、これは大変ありがたかった。ゆえに、シケンギはそのほとんどが怪事に所属しているのだった。


 庁舎を出て、雅宗は青空に向かって伸びをした。

「給料日はまだだが、久々にビストロ・アルブルに行くかなあ」

 ビストロ・アルブルとは怪事本部のお膝元であるこの博多区千代で十年以上営業しているフレンチレストランである。ランチでも五千円というかなりお高い店ではあるが、怪事一の食通を自負する雅宗にとっては決して高くはない。

 なぜなら彼は、プロ顔負けのグルメなのだ。

 子供や怪事に属さないシケンギは機会があれば敵対ネイバーを殺して食べるが現在ではそういう事態は稀で、政府が病院などに手を回して処分されるはずの死体や臓器、死刑執行後のネイバーを提供してもらっているものの、本来シケンギは生きた肉を食べるものであり、死肉は非常食である。また、その生態上ほとんどの者が料理を苦手とする。しかし、雅宗は違った。中学生のとき父親の昇進祝いで連れて行ってもらったレストランで食べたステーキが、とても美味かったのだ。

 そのとき、調理次第ではどんな肉でも美味くなるということを知った雅宗は、それ以来小遣いのすべてを食につぎ込んできた。その甲斐あってか、一族みな味音痴といわれるシケンギにして塩加減をグラム単位でいい当てるほどの味覚を手に入れ、ネット上で執筆している料理評論は知る人ぞ知る人気ブログとなっている。

 ビストロ・アルブルは、料理評論家としての雅宗が高く評価している店なのだ。事実、国際美食協会の二ツ星にも輝いて世界的に認められている店でもあるため、借金でも背負っていない限り避ける道理は雅宗にはない。

 よって、気分よく店までのおよそ五百メートルを歩く。周りは大都会の御多分に洩れず見渡す限り高層ビルの山。すぐ近くに巨大ショッピングモールや外国企業のオフィスビル、九州一の大病院や地下鉄の駅があるため年中人通りは多く、下手をすれば日本人のほうが少ないこともある。そして、多少強引なナンパていどは日常風景である。

 今日もまた、駅に近い場所でナンパが行われていた。二十歳前後の若者三人が高校生くらいの少女を囲んで話しかけたり手を引いたりしている。誘われているほうが満更でもなさそうなら無視する雅宗だが、その少女は明らかに困っていた。見るからに押しの弱そうな可憐な少女である。ここはおれの出番だなと割って入った。

「おい、コラ。ナンパなら誘われて嬉しそうにするやつにやれ」

 突然筋骨隆々の大男に邪魔をされたため若者たちは一瞬驚いたように雅宗を見上げた。

「な、なんだァ、あんた、ゾクかよ?」

「誰がゾクだ、コラ」

 そういわれても仕方のない格好である。

「この紋所が目に入らぬくゎっ」

 時代劇のように仰々しく、伝家の宝刀・桔梗の代紋を突きつけた。

「ゲッ、怪事かよ……ナンパぐれえ好きにさせろよな」

「だったら別のところでやれ。おまえら、すぐそこに署があること知らねえのか」

「知ってっけどォ、怪事ってナンパとめんのも仕事なのかよ」

「相手が嫌がってたらな。オラ、散った散った!」

 雅宗のゴツい腕に押されては抗いようもなく、若者たちは悪態をつきながら去っていった。

「おまえも嫌なら嫌って大声ではっきりいえよ。そういうのが一番効くんだからよ」

 少女に振り返って、視界にいなかったので視線を下げた。身長差が四十センチはあるようで、至近距離にいては互いに相手を見づらいため雅宗は一歩下がる。そうしてはっきり顔が見えたとき、少女の異変を見て取った。なにやら怯えているようである。

「どした? あいつらになんかされたのか?」

「い、いえ……」

「じゃなんだ、実はおまえがなんかしたのか?」

「い、いえっ……」

 再び否定した少女だが、動揺したように雅宗は感じた。

「じゃあ、親か、友達か?」

「いえ、あの……」

 顔を伏せ、口元に手をやる。当たりだったらしい。

「警察に知られちゃマズイことやっちまったのか?」

 できるだけ優しく問いかけ、安心させようとしゃがみ込む。

「なんだ、服が随分汚れてるな……」

 まさか虐待やいじめの類かと、眉をひそめる。

「ん……?」

 そのときまた、少女の異変を察知した。

 一七歳かそこらの一見可憐な少女には似つかわしくないにおいがするのだ。

 土と緑と……生ゴミのにおいが。

「お、おまえ、まさか……」

「ホームレスです……」

 観念したように、少女は告白した。

「なんてこったい……」

 確かに大都会にホームレスはつきものである。しかしまさか、年端もゆかない少女が一人でこの大都会を彷徨っているなど、雅宗には受け容れがたかった。

「なんだってまたそんな若さで……」

「お、親が……借金して……」

「家を捨てて一家離散か?」

「いえ、母は去年病死して、それから父が借金を重ねて……」

 聞くと、もともと貧乏だったが病に倒れた母の面倒を見ながらもなんとか家族三人暮らしていたらしい。しかし母親が去年他界し、それまでの心労からか父親はなにかがぷっつり切れたように荒れ、借金を重ねて遊びまくり、その挙句二ヶ月前に急性アルコール中毒で死んでしまい、あっさり天涯孤独。あとには借金だけが残ったのだという。しかも毎日怖いおじさんたちが取り立てにやってくるため、少女、秋村透子は身の危険を察して夜逃げし、ホームレス生活を余儀なくされた……という次第であった。

「おまっ、なんで早く警察に行かねえ! 警察でも役所でも、そういうところを頼って護ってもらえよ!」

「だ、だって、わたしは父の借金を返さなきゃいけないのに、怖くて逃げ出しちゃったから、警察に行くと捕まると思って……っ!」

 大きな目に大粒の涙を浮かべて必死に堪える姿は、ストレートに雅宗の心を突き刺した。

 どう考えても相手はヤミ金、であればたとえ透子にも非があったとしても警察の出番である。豪勢なランチと洒落込んでいる場合ではない、一刻も早く生活安全部か組織犯罪対策部に連れて行かなければならない。

「熾堂雅宗巡査部長! 婦女暴行の現行犯で逮捕する!」

 突然背後から声がして、雅宗は反射的に叫んだ。

「ちがああう! おれじゃねええッ!」

「犯罪者はみんなそういうのよ」

 静流であった。彼女もまた警官に相応しくないへそ出し肩出しというふざけた格好である。

「誰が犯罪者だボケッ! しかしいいところにきた」

「なによ、あたし今からラーメン食べに行くんだけど。壱龍に」

「ら、ラーメン……」

 透子の舌がじゅるりと鳴った。

「ラーメン屋でいいなら取り調べしてあげるわよ?」

「うるせえ、タコ。それよりおまえ、よく組対に応援行ってたよな?」

「ええ、この美貌を見込まれて違法スレスレの囮捜査にね」

「だったらヤミ金にも詳しいだろ。ちょっと話聞いてやってくれよ」

「いいけど、だったらビストロ・アルブルね」

「あ?」

「行くつもりだったんでしょ、アルブル」

「……やっぱいい。直接組対に行く」

「ああんっ、待ってよ~う、ちょっとした冗談だってばあ! 壱龍でいいから奢ってよ~っ」

「ラーメンっ……」

 静流にしがみつかれ、ホームレス少女に食い入るような目で見つめられ、雅宗に振り切ることはできなかった。

「まあ、当初の予定よりゃ安上がりか……」

「あ、だったらデカギョーザも追加で!」

「ギョーザっ……」

「くっ……そんな目で見るなっ……」

 裕福な家庭で育った雅宗の、これが弱点だった。

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