東京
中田祐三
『五月三十一日 19:58 新宿駅 プラットホーム』
「う~んとね、これの次みたい……」
ここのプラットホームは相変わらず人に溢れかえっていた。
上京したばかりのように人にぶつからない場所で、俺は彼女と目を合わせる。
「ああ……、あと十五分なんだね、私の東京生活は……」
穏やかに彼女がそう告げるから余計に現実を思い知らされる。
俺と彼女が始めてデートした場所、ここ『新宿』で俺達は今生の別れをするのだ。
「お前と出会えてよかったよ……本当に」
自然と出るそんな言葉に、笑って両の手のひらを握る。
彼女の指は少しだけ冷えていた。
「私も~……へへ、嬉しいよ」
屈託なく笑う彼女につられて俺も笑いかえす。
「……もう夜でも暖かいんだね」
「ああ、そうだね」
言いたいことは沢山あるというのに、とても電車が来る十数分では足りない。
だからぎこちない会話は続く。
はじめて二人でデートした新宿駅から見えるビル群はその中身はともかく、数年前から変わらずにそこにはあって、相も変わらず『今の俺達』や『昔の俺達』の途切れつつある話題の取っ掛かりを作ってくれた。
白々しい会話を繰り返す空しさを知りながら、それでも口を閉ざすことが出来ない俺達はなんて滑稽なのだろう……。
それでも終わりの時を迎え、なお沈黙で過ごせるほどに俺と彼女の間の思い出は決して少なくないのだから。
二年と二ヶ月。 今まで生きてきた人生の十分の一程の年月、いや実際には一緒に過ごしたのはその八割くらいだろう。
燃えあがり、そして過ぎ去った『恋愛』のかけらを肴に俺達は別れの時を託つ。
やがて構内にアナウンスが響き、二人を別つ電車がやって来た。
最後尾の車両に彼女はトンと乗って、クルリと身体の向きを戻す。
「それじゃ……」
笑顔を浮かべて朗らかに別れを演出しようとしてくれるんだろうが、それは逆効果だ。
表情に力を入れないと顔が崩れ、ぐしゃぐしゃになってしまいそうになるじゃないか……。
愛し合っているのに別れる事がこんなにも辛いなんて……知りたくなかった。
それでも引き止めることは出来ないし、してはいけないのだ。
昔からドラマや歌、小説の中でよくあるありふれた話じゃないかと納得していたはずなのに……。
希望を持った男女が出会い、恋をし……やがて夢を諦め、帰郷する……一人を残して。
「夢をかなえて、大き…くなっ……てね」
くぐもった声と明るい笑顔で彼女が思い出を最後まで美しく彩ろうとしてくれているようだ。
「ああ……約束するよ」
だから俺も最後まで油断せずに表情を維持しながら真剣に答えた。
そして発車のベルがなって扉は閉められ、俺と彼女は隔たれた。
俺は馬鹿だ。 いつだって後悔は過ぎてからやってくるのに……どうしようもなくなってからそれに気づいてしまうんだ。
ゆっくりと電車は動き出して、彼女を運んでいってしまう……もう彼女はこちらを見ないで背中を向けている。
うん、それでいいんだと俺も納得をした。 でも俺は彼女の乗った電車が離れていくのをしばらく見つめ続けていた。
情け無い……。
自嘲を浮かべて駅構内を無数の人の中を縫うように歩きつづける。
ピークは過ぎたとはいえ、鼻はツンとしていて、目は赤くなっているだろう。
すぐ横で誰かと肩がぶつかり、謝っている人がいる。 そしてそのすぐ後ろをうろうろと困ったように構内をさまよっている人もいた。
そう、彼も彼女も俺もきっとここにいる人達もすべてありふれた日常なんだ。
出会い、別れ、また出会い、そして別れる。
夢を追い、追われ、そして諦める、そしてごく稀に夢を叶える
そんなプロセスを人間は繰り返していくだけなのだから、泣く程のことじゃないか……。
通い慣れた東口への階段を上がりながらそんなことを思っていた。
足にも力を入れ、一段、一段と確実に階段を昇り、屋外へと踊り出る。
ふと空を見上げた。 あいも変わらずこの場所の空は狭く、高く、そして遠い。
そんな東京の空にまた一つ夢が今日も吸い込まれていった。
ただそれだけのことなんだ……。
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