公募用に手直し版『愛、感謝、そして全ては宿命』(2020年12月31日公開)

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本ページをご覧いただき、ありがとうございます。

以下は公募用に手直しをした『愛、感謝、そして全ては宿命』です。

大まかなストーリーそのものには変更はありません。


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 高校の卒業式の日、綾芽(あやめ)は故郷を飛び出した。

 自身の両親含め、かなり特殊な故郷そのものに疲れ果てていた綾芽であったが、これから四年間通うことになる大学の正門をくぐった時、やはり”普通の大学生活”を望まずにはいられなかった。

 こんな自分であっても、普通に友人を持ち、普通に人間関係を築いていけるはずだと。

 その望みは見事に叶い、綾芽は入学直後より同じ文学部国文学科の瑛子(えいこ)、静佳(しずか)、夢美(ゆめみ)の三人と、とりわけ親しい友人として付き合ってきた。

 けれども、綾芽と彼女たちの出会いから約一年八カ月ほどの年月が経過した今、自分たちの間には亀裂が入り始めていた。いや、”その亀裂を自ら生じさせている者”が自分たち四人の中にいるのだ。


 日が暮れなずむ夕刻。

 綾芽、瑛子、静佳がいる大学のラウンジスペースも、いまや人はまばらだ。

 キョロキョロとせわしなく眼球を動かし、周りを確認した瑛子が切り出した。

「ねえ、夢美が今、ハマっている”愛の伝達者・玉門ホト”って人、本当にヤバいよ」

 今にもブホォと噴き出すのをこらえているのは明らかである瑛子。綾芽も、瑛子が意地悪な気持ちで笑いをこらえているのではないことは分かっている。

 彼女もまた、自分や静佳と同じく夢美のことを心配しているのだろう。

 しかし、夢美がハマりにハマっている『愛の伝達者・玉門ホト(ぎょくもんほと)』なる女性は、瑛子のネットサーチによると、全てが事実であるかは分からないが想像以上にヤバい人物であったのだ。

「見てよ、これ。夢美も、なんでこんな胡散臭いおばさんを信じて崇めようと思うかな」


 肩を寄せ合うようにして、瑛子のスマホを覗き込んだ綾芽も静佳も、言葉を失わずにはいられない。

 なぜなら、年甲斐もなく白拍子のコスプレに初挑戦しちゃいました風の衣装を身を包んだおばさん――ふっくらまんまるというより、全身が弛みきった肉でタプタプの白い毒饅頭を思わせるおばさん――が微笑んでいたのだから。

 首の色と全く合っていないファンデーションを塗りたくった丸い顔は、奇妙なまでに白浮きしている。そして、全体的な厚化粧のなせる業なのか、それとも単なる趣味であるのか、だらしない口元は真紅のリップでニュルンと決めている。

 まあ、誰しも年はとるものだし、生まれ持った容姿や趣味について、とやかく言うのはここでやめておこう。

 『愛の伝達者・玉門ホト』について、一番ツッコミどころがあるのは、公式ホームページ内の自己プレゼンテーションだ。


『私は、天界よりつかわされし、愛の伝達者・玉門ホト。

 きっと、今のあなたは苦しくてつらい……

 でも、そんなあなたの苦難にも意味はあります。

 愛、感謝、そして全ては宿命なのです。

 定められた宿命から足掻き逃れようとするのではなく、受け入れて身をゆだねてみましょう。

 幼少期より数々の神秘体験を体験し続けてきた、愛の伝達者・玉門ホトが、あなたに宇宙からの真なる声を、魂の震えとともに伝えます。

 また、玉門ホトは大切な方を亡くした方に向けて、天国へのチャネリングも行っております。

 そして、今ならなんと、玉門ホト自らが宇宙のエナジーを注入したパワーブレスレット(天然石)を先着二十名様に、税込三万九千円(サンキュー価格=感謝価格)で、溢れる愛とともに進呈いたします!』


 一通り、読み終わった綾芽もププッと笑いを漏らしてしまう。

 隣にいる静佳はその名前も外見も性格も何もかもがおっとりとしたお嬢様のため、笑っていいものかどうか困惑しているようであった。

 綾芽の笑いを見た瑛子は、もう自身の笑いを押さ込むことはできないようであった。

「ヤバいよ、いろんな意味でヤバい。何よりまず『玉門ホト』って……夢美は気づかないのかな? 私たち国文学科なんだから、それくらいは知識として知っとかなきゃいけないと思うんだけど」


 現在はほとんど使われていない言葉であるが、”玉門”も”ホト”も女性の陰部を意味している。本名ではないとは思うが、名字も名前も女性器を意味した響きとはダブルでヤバい。

 そのほか、この自己プレゼンテーション文には、天国と天界が混在している。文章の推敲すらきちんとできていない。ツッコミどころ満載の愛の伝達者だ。

 

 綾芽や瑛子のように笑いを滲ませることなく、黙って聞いていた静佳が口を開いた。

「……『でも、そんなあなたの苦難にも意味はあります。愛、感謝、そして全ては宿命なのです』か……この人、”私の妹”みたいな状態にある人や、悲惨な事故や事件に巻き込まれて亡くなってしまった人を前にしても、同じことが言えるのかしら?」


 その静佳の言葉に、綾芽や瑛子の笑いもサッと引っ込んだ。

 静佳には、十才ほど年の離れた妹がいる。

 綾芽と瑛子は、彼女の妹に直接の面識はない。だが、彼女の妹は先天性の病気によって小学校にも通うことができず、ずっと入院生活が続いているらしかった。そして、その入院生活は半永久的に続く可能性が高いとも……


「……そうだね。絶対にそんなこと言えないよ」

 瑛子がすかさずフォローに入った。

 そのフォローをさらに強化なものとするために、綾芽もコクリと頷いた。

 友人たちに気を使わせてしまったことにハッと気づいた静佳は、”ごめんね”というふうにその華奢な肩をすくめた。


「ねぇ、静佳、綾芽。実は私も、スピリチュアル系の本とかたまに読むんだ。新しい発見もあるし、そうだったんだ、と腑に落ちることだってないわけではないし、読み物としては面白いジャンルだとも思うよ。でもさあ、夢美みたいに生活すべてがスピリチュアル一色になって……自分と同じ人間を、まるで神のごとく崇め奉るのって相当に危険なことだよね。この日本国内だけじゃなく、海外でだってスピリチュアルというかカルトがらみの事件がたくさん起こっていること、夢美だって知らないわけじゃないと思うのに」


「瑛子の言ってること、すごくよく分かるわ。夢美は、この奇矯なおばさんを崇め奉って、もう依存の域まで行ってると思う。極端な意見だけど、お金を出せと言われたら、いくらでも出しそうだし、手段も選ばなくなりそう。最終的には教祖の望みとあらば、どんなことでもするようになるんじゃないかしら? 本当に心配だわ」と静佳も言う。


 瑛子が重苦しい息を吐き出す。

「私も夢美が心配ってのはあるよ。けど、もう段々話合わなくなっちゃってるし……もう、あの娘(こ)、私たちの言うことなんて聞きゃしないよ、絶対。あからさまにCO(カットアウト)をすると、ややこしいことになりそうだし徐々にFO(フェイドアウト)していくのが一番かもしれないよ」。

「? ……何? そのCO(カットアウト)とかFO(フェイドアウト)って?」

 静佳が首を傾げた。


「CO(カットアウト)は、縁を切るってこと。鎌で切るようにすっぱりとね。んでもって、FO(フェイドアウト)は徐々に距離を置いていくってこと」

 某大手掲示板の住人――それも独身の大学生なのに鬼女(既婚女性)板の住人――であるらしい瑛子は淀みなく答えた。


 せっかく友人となる縁があった夢美との付き合いをフェイドアウト。もしくは、最悪の場合はカットアウトを選択しなければならない事態にまで来ていることは、彼女たちの話を聞いている綾芽も理解していた。

 やっぱり友情にも始まりと終わりはあるのだ。

 自分たちと夢美の友情の終わりは、もうすぐそこまで迫りきているのかもしれない。


「あ! 皆、ここにいたんだ!」

 湿っぽくなっていた空気に、突如、明るい声が割り込んできた。

 その声の主は言うまでもなく、まさに今、FOすべきかCOすべきかといった話題の主人公の夢美であった。

 そう、”白い毒饅頭メイク”をその顔にほどこした夢美だ。


 入学当初の夢美のメイクはそれほど濃くはなかった、というよりも、ほぼスッピンだった。

 しかし、目の前にいる夢美のファンデーションは、やや小麦色の首の色と全く合っておらず、完全に白浮きしている。全体の調和から外れた顔のその唇には、お約束のごとく、真紅のリップがニュルンと引かれている。

 何も知らない者が夢美を見たなら、外国人美女――あえて例を出すなら少し前のテ〇ラー・スウィ〇ト――に憧れてメイクを真似たものの、かなりやり過ぎて違和感と薄気味悪さしか感じさせない、メイクが超絶ドヘタな女子大生にしか見えないであろう。

 でも、綾芽も瑛子も静佳も理解している。

 夢美のこの不自然にも程があり、気持ち悪いの一歩手前までいっているメイクは、彼女が心酔している『愛の伝達者・玉門ホト』にインスパイアされたものだと。


「ねえねえ! これ、見て! これ! すごいでしょ!」

 いろいろと引いている綾芽たちの様子には気づかず、夢美は左手首に巻いたピンク色のブレスレットを、ジャラッという音とともに突き付けてきた。

 それって、まさか? と綾芽たちはハッとせずにはいられない。

 綾芽たち三人が顔を見合わせるよりも早く、夢美自ら得意気にブレスレットについて語り始めた。

「これ、ホト先生が宇宙のエナジーを注入してくれたブレスなの。先着二十名限定の超特別なパワーブレスなのよ」


 あのサンキュー価格、三万九千円のパワーブレスレット……あれを買ったんかい?

 原価は販売価格の十分の一にも満たないのは明らかな安っぽいブレスレットを買うより、もっと他のことにお金を使った方がいいんじゃ……


 だが、綾芽たち一同の心の呆れ声が夢美に届くはずがない。彼女は、なおもうれしそうに……とってもとってもうれしそうに喋り続ける。

「ほら、私、ホト先生から、直筆のお手紙までもらっちゃったんだ。ホト先生が言うには、私の魂の波動や霊格は抜きん出て高いって。私とホト先生は、前世でも今みたいに師弟の関係だったらしいの。だから、ホト先生は大勢の弟子の中でも私のことをすっごく特別に思ってるって!」

 唾を飛ばさん勢いで話し続ける夢美とは正反対に、綾芽たち三人は揃ってチベットスナギツネのような顔へと変化していく。いつもにこやかな顔を滅多に崩すことは少ない静佳ですら。


 魂の波動とか霊格とか前世とかよりも、来年からはより一層、地に足をつけて卒論や就活に挑まなければならないというのに。

 それに、玉門ホトの直筆の手紙の『あなただけ特別』といった月並みであるも、甘い毒のごときパワーワードによる金蔓の囲い込みにまんまと夢美はひっかかっている。

 そもそも、当の玉門ホトにしたって、夢美が大学生とはいえ未成年なのは知っているはずだ。それなのに、自分自身に”芯なるもの”を持っていない頭の弱い未成年よりなけなしの金を搾取しようとしている。どのみち、碌な者じゃないだろう。


「この手紙の中にはね! ホト先生のレッスン合宿の申込用紙も入ってたの! なんと、再来月にリピーターさんたちだけを集めて、沖縄にあるなんとかって島での泊りがけのレッスン合宿が開催されるのよ! だから、バイトのシフトもいっぱい入れちゃった! 実はこれからもバイトなんだ!」

 レッスン合宿なるものに、どれくらいのお金がかかるのかは知らないし、聞きたくもないが、きっと夢美の手首にジャラッと巻かれた”宇宙のエナジーがたっぷりと注入されたパワーブレスレット”以上のお金が、島までの移動費も含め、必要となることは間違いない。


 綾芽は、夢美の厚く塗られたファンデーションの下に、濃い隈が隠されていることに気づいた。それに彼女の瞳だけはやけにギラギラと妙な光を放ち続けているも、改めて全体を見れば少し痩せたというか、瑞々しさを吸い取られてしまったようだ。

 彼女が、レッスン合宿の費用を捻出するために食費を削り、バイトも増やして相当な無理をしているのは明らかだ。


 手をヒラヒラと振りながら、夢美は上機嫌のまま去っていった。

 残された綾芽たちは、重苦しい沈黙の中で顔を見合わせるしかない。


「……なんだか怖いわ。絶対にいつか、飲み込まれてしまいそう」と静佳。

 ”いつか”というより、もう飲み込まれる寸前にいるだろう。


「夢美の第一印象って、元気なスポーツ少女っていうか、はつらつとした感じで、スピリチュアルとか一番笑い飛ばしそうなタイプに見えたんだけど、まさかあれほどハマるとはね……もうゆっくりと距離置いた方がいいよ」

 瑛子は、自分のスマホに表示されたままの玉門ホトの滑稽な写真へと目を落とした。その顔はもう笑ってはいなかった。

 もちろん、綾芽も笑うことなどできなかった。




 瑛子の言うように、自分たち三人はこのままゆるやかにふわっと夢美とFO(フェイドアウト)していくしかないと思っていた。

 しかし、そうはいかなかった。

 あのラウンジスペースでの二週間後、静佳の妹がついに亡くなってしまったのだ。

 ”ついに”という言い方は誤解を招くかもしれないが、もう病状が快方へ向かう見込みなど皆無に等しかったらしい静佳の妹は、その短く儚い生涯を終えた。


 葬儀の日は、雨が降っていた。

 静佳の妹がこの世で過ごした時間は、わずか九年と四か月であった。

 静佳の顔をそのまま幼くし、もっと肌も白く、頬も顎も細くさせたような、あどけない少女が遺影の中で微笑んでいた。


 綾芽も瑛子も、故人とは直接の面識はないも、友人である静佳の家に招待されて夕食をご馳走になったこともあり、喪服に身を包んで葬儀に参列していた。

 学校の制服ではなく喪服を着て葬儀に参列することは初めてであった綾芽は、静佳含む遺族の方々に失礼はないか不安であった。

 綾芽の隣に座る瑛子も、ほぼ新品であるだろう喪服に身を包んでいた。

 そして、静佳が知らせたのか、夢美も葬儀に参列していた。

 玉門ホトに異常な程に心酔している夢美であったものの、遠目から見る限り、例の白い毒饅頭メイクではなく、葬儀の場に相応しい常識的な格好だ。

 静佳は、喪主である父親や母親とともに親族席に座っていた。流れ続ける涙を白いハンカチで時折ぬぐいながら、彼女は肩を震わせていた。


 出棺、火葬、骨上げ、還骨法要と、葬儀は厳粛に執り行われた。

 故人の肉体的な苦しみにも満ちた生とあまりにも早すぎる死に、参列した誰もが追悼の意を示していた。

 外から聞こえてくる、さらなる哀しみを誘うかのごとき降りしきる雨の音が、遺族だけでなく参列者たちの心をも震わせずにはいられなかった。


 葬儀場を後にする前、綾芽と瑛子は静佳に声をかけた。

「綾芽、瑛子……今日は本当に来てくれてありがとう」

 鼻を啜った静佳は、どこか遠い目で雨が降りしきる外へと目をやった。

「どうして、こんな日に雨降ってるのかしら……あの子は……あの子は毎日、病室からの景色しか見ることができなかったのに。せめて……晴れた日に送り出してあげたかったわ。晴れ渡った綺麗な青空を登って天国へと……っ……」


 綾芽の胸も痛む。傍らの瑛子の目にも、涙が滲み出していた。

 静佳が止まることのない涙を、濡れた白いハンカチで押さえた時、夢美がやってきた。

「静佳……妹さん、とても残念だったね」

 遠目にはきちんと葬儀にふさわしい格好で参列しているように見えた夢美であったが、至近距離で見るとそうではなかった。


 夢美の左手首には、あの玉門ホトのピンクのパワープレスレットが光っていたのだから。

 綾芽だけでなく瑛子も、そして遺族である静佳も気づいている違いなかった。この距離で気づかないわけなどない。

 一般的に葬儀の時につけても可とされているアクセサリーといえば、華美でない真珠のネックレスもしくはイヤリングぐらいであるだろう。だが、夢美は明らかにマナー違反であり、遺族の感情を逆撫でする可能性をも含んだチャラチャラとしたブレスレットを喪服の袖からのぞかせている。

「……夢美も本当に今日は来てくれてありがとう」

 静佳は夢美の非常識なブレスレットには何も触れず、葬儀に来てくれた礼のみを伝えた。

 そこで夢美もすぐに帰れば良かった。


 だが、夢美は喋り始めた。

「あのね、静佳。ホト先生が静佳の妹さんのことを特別に霊視してくれたんだ。静佳の妹さんは若くして亡くなってしまったけど……それも宿命だったんだよ。妹さんは静佳と静佳の家族たちに、愛と感謝と……そして、”忍耐”を伝えるため、この世へとやってきて、その役目を終えたから、次の段階へと入るために天界へと旅立っていったんだって。だから、そう悲しみ続けることは……」

「――夢美!!」

 瑛子が夢美を諌める声に、綾芽の声も重なり合った。

 葬儀の場でこいつはなんてことを……! 

 遺族である静佳の前でなんてことを……!


 だが、夢美はなおも続ける。得意気に続ける。

「ホト先生の霊視には間違いはないよ。若くして亡くなることを妹さん自身が生まれる前に決めてきたんだから。カルマの解消っていうの? それとね、ホト先生は『葬儀の場は、後に残された人たちの無念や哀しみが渦巻いている重苦しくて汚れた空間だから、エネルギーを吸われてしまわないようにちゃんとこのブレスをつけていきなさい』って。重苦しく汚れた死のエネルギーに引きずられることのないように……」


 今すぐこいつの口をふさいで、ここから引きずり出さなければ……とした綾芽と瑛子よりも速く、静佳の右手が夢美の左頬を打った。

 パァンという打擲音が辺りに響き渡る。

 幾人もの参列者たちが「何事?」というように息を飲みながら、こちらの様子をうかがっていた。

 視線の中心部にいる当の夢美は、ぶたれた左頬を押さえたまま「え?  え? え?」と驚きによって目をパチパチさせていた。


「私は妹を失った……でも今日……友達の一人も失ったわ……」

 唇をワナワナと震わせた静佳の瞳からは、さらなる大粒の涙が溢れ出す。


「どうしてよ?! どうしてそんなことが言えるの?! 小学校にすら通うことも出来ず、『家に帰りたい、学校に行きたい、友達が欲しい』って泣いてたあの子の……どんなに望んでいても何一つ望みが叶わずに逝ったあの子の人生が……それが宿命だったっていうの! あの子は苦しみを味わい背負うためだけに生まれたきたわけじゃない! 絶対に……絶対に違うわ!!」


 静佳は、過呼吸を起こさんばかりに肩を上下させ声を荒げていた。

 いつもおっとりとした静佳ですら、これほどに哀しみと怒りを剥き出しにせざるを得ない言葉――遺族に対して絶対に言ってはならぬ言葉――を夢美はその口から発したのだ。

 そして、遺族の心を傷つけるとともに、短くも懸命にその人生を生き抜いた静佳の妹に対しての尊厳すら、夢美は踏みにじったのだから。

 騒ぎに気づき慌てて駆け付けてきた静佳の父親が「静佳、やめなさい」と、慟哭し続ける娘の肩へと手を置いた。




 一人暮らしのアパートにて、綾芽は”何かを頭の中から追い出す”かのように……けれども、追い出しきれないことを実感しつつ、ガーガーと掃除機をかけ続けていた。

 葬儀の時、もっと早くに自分と瑛子が、夢美の口をふさぐべきであった。

 そもそも、夢美が喋り始めた時点で、引きずってでも静佳の前から退出させるべきであった。

 故人や遺族に対する思いやりすら吸い取られてしまった夢美は相当な重症だ。

 まるで”夢美という器”に、玉門ホトなる奇怪なおばさんの歪んだ教えがドボドボと流し込まれ、本来の夢美の中にあった倫理観や思いやりなどが押し出されてしまったかのようだ。

 そもそも、夢美がホトおばさんの教えをどっぷりと受け入れる気満々なのが問題だ。金を狙うハイエナの侵入を防ぐために”閉めておくべき門”を開きっぱなしにしているため、洗脳される隙を与えまくっている。

 第一、綾芽が思っていたほど、元々の夢美は倫理観や思いやりを持ってはいなかったのかもしれない。

 普通に持っているように見えていただけで、ホトおばさんによって”皮”が剥がされ、本来の彼女の内面が剥き出しとなってしまっただけではないのだろうか?


 綾芽が数度目になる溜息をついた時、掃除機の音にチャイムの音が入り混じった。

 掃除機のスイッチをオフにする。

 そんな綾芽を急かすように、チャイムはもう一度鳴らされた。


 このアパートにまで招き入れるほどの間柄の友人は限られている。

 静佳や瑛子は、絶対に事前に一報を入れてくるはずだ。夢美も以前はそうであったが、スピリチュアルにはまり始めてからは「シンクロニシティ! 私の魂に必要なら、目の前に必要な物や人がすぐに現れるの!」などと言って、事前連絡を怠るにも程があるようになっていた。


 玄関へと足を向ける綾芽の嫌な予感は大きく膨らんでいく。

 ドアスコープから確認できた来訪者は、やはり夢美であった。

 居留守を使おうか? という考えが一瞬よぎる。

 しかし、防音が行き届いているとはいえない安アパートにおいては、先ほどまでの掃除機の音はしっかりと外にまで聞こえているであろう。

 何より綾芽自身、この機会にはっきりと友人としての付き合いを考え直したいと、夢美本人に伝えた方がいいのかもしれないと思った。


「……何?」

 玄関チェーンをかけたままであったが、綾芽は夢美に何の用でここに来たのかと、一応は聞く。


「うぅ……っ……ホント、良かった。綾芽は私と話してくれるんだね……っ……」

 夢美は泣いていた。

 まるで、幼い子供のようにエグエグと泣いていた。

「綾芽は……瑛子みたいにCO(カットアウト)とかワケの分からないこと言わずに、私を家に入れてくれるんだね……っ…………」


 ”まだあんたを家に入れるとは、私は一言も言っていないんだけど……”と綾芽は思う。

 どうやら夢美はここに来る前、瑛子が一人暮らししているマンションに行き、CO(カットアウト)されてしまったらしかった。それこそ鎌で切るようにスッパリと。

 しかし、ここまで号泣している夢美を追い返すのは可哀そうに思わないでもない。


「入りなよ」

 綾芽が玄関チェーンを外すと同時に、夢美は綾芽の胸へと飛び込んできた。

 そして、綾芽にひしっと抱き付いたまま、ワンワンと声をあげて泣いた。


「ごめんなさい! 本当に全部、私が悪かったの! ごめんなさい!!」

 謝罪の言葉。

 夢美もやっと分かってくれたらしい。でも、彼女はもっと早くに分かるべきだった。

 自分たちと夢美の仲は……”特に静佳と夢美の仲は”修復不可能であるだろう。

「中で座ったら……コーヒーぐらいは入れるから」

 綾芽に促された夢美は、なかなか止まらないらしい涙を手でゴシゴシとぬぐい、頷いた。


 数刻前に沸かしたお湯がキッチンのポットにあったため、綾芽はすぐに二人分のコーヒーを用意することができた。

 コーヒーカップを乗せたトレイを手に綾芽が部屋へと戻った時、夢美は妙にソワソワというか目もキョロキョロとせわしなく動かし、落ち着かない様子であった。


「ホントにごめんなさい……ホ、ホントに私……っ……」

 コーヒーにも口を付けず、ヒックヒックとしゃくりあげ続ける夢美。


「夢美……私は、夢美が元の夢美に戻ってくれるなら、今まで通りとはいかないけど、大学ですれ違っても挨拶ぐらいはする関係になれるかもしれない。でも、瑛子や……特に静佳との関係については、私は何も言えないし、言う権利だってない」

 極めて冷静に伝える綾芽。

「そ、そうだよね。それは私も分かってる……」

 うつむいたまま、夢美も答える。


「元の私に戻れるように努力する……だから、綾芽に一つだけお願いがあるの!」

「……?!」

 一つだけのお願いなるものに思わず身構えてしまう綾芽。

 もしや、最後に静佳や瑛子と話し合いの場を設けるお膳立てをしてほしいということか?


 しかし、夢美のお願いは拍子抜けするものであった。

「…………何か食べさせて欲しいの。簡単なものでいいから……私、ホト先生へのお布施にお金を使っちゃって……この数日、碌に食べていないの……」


 思わずズルッとこけそうになった綾芽。

 謝罪に来たうえ、ご飯までたかる人はそうはいないだろう。

 奨学金とバイトで全てをまかなっている綾芽自身も、相当に余裕のない生活であるが、お腹をすかせた元友人を追い出すのは気が引ける。


「私……インスタントの買い置きとかはしてないから、ちょっと時間はかかるけど、それでもいい?」

「うん……ありがとう」


 健康志向や料理を極めているというわけではないが、綾芽はインスタント食品は滅多に食べない。基本的に、毎日コツコツと自炊だ。

 自分の部屋に夢美を残し、綾芽はキッチンへと向かった。

 一人用の小さな鍋にお湯を沸かしながら、まな板の上で白菜をトントンと刻み始める。


 だが――

「!!!」

 包丁を握っていた綾芽の肌が、一瞬でゾッと粟立った。

 慌ててガスを止めた綾芽は、自分の部屋を振り返った。

 部屋のドア――”夢美が一人でいる部屋のドア”――より、”嘔吐くような何か”がゾワワッと溢れ出て、キッチンにいる自分の肌をも粟立たせているのだ。 

 綾芽は霊能力や超能力を保有してなどいないし、そんなもの保持したいと思ったことすらない。

 この戦慄のごとき嫌な悪寒であり予感は、どんな人間でも持っている”第六感”というべきものなのかもしれない。 

 部屋の中で、夢美は一体、何をしているというのだ?!


「――夢美!!」

 ドアをバァンと開けた綾芽の目に飛び込んできたのは、最悪の光景であった。

 そのうえ、とてつもなく恐ろしい光景であった。

 なんと夢美は、綾芽が普段使いしている鞄から綾芽の財布を取り出し、そのなけなしの中身までも取り出そうとしている真っ最中だった。


「あんた!! 何やってんよ!!」

 綾芽は、夢美の手から財布をひったくった。いや、自分の財布を自分の手に取り戻した。


 あんたは、先ほど謝罪の言葉を口にしたのではなかったのか?! 

 友人たちを失ってから、やっと目が覚めたのではなかったのか?!

 それなのに、あんたはなぜ、私の財布からお金を盗ろうとしている!?!


「な、何してんのよ!?」

「ごめんなさい……! でも、分かって! 私、ホト先生の特別合宿に行きたいの! 沖縄の島でホト先生と綺麗な星たちを眺めながら、チャネリングするのよ! 申込期限が迫っているのに、そのためのお金が足りないの! お願い、お金を貸して! ちゃんと返すから! ちゃんと返すから!!」

「借りるんじゃなくて、明らかに盗もうとしてたじゃない!!」

「違うの! 違うの! 違うの! お願い! 私はホト先生の特別合宿に参加しなきゃいけないの! ホト先生の側にいれば最終的に全てうまくいくのよ! そのための初期投資費用なのよ! ホト先生の愛と感謝の教えで、皆が美しく豊かになって輝いて、全てを手に入れることができるのよ!!!」


 夢美の顔には、涙の名残がまだ残っていた。

 しかし、夢美のその唇より発されし言葉――”盗人猛々しい”としかいえない言葉――に、綾芽の全身を流れる血は今にも沸騰せんばかりだ。

 数日前、夢美にビンタを食らわせざるを得なかった静佳も体感したであろう、”押さえきれぬ怒り”が、今、自身の体内にも巡りに巡っている。


「……あんたって、本当に最低最悪よ……何なのよ!! 何がスピリチュアルよ! 何がホト先生よ! そこまですることなの! 友達の心を傷つけて、こうして信頼関係まで滅茶苦茶にしたあげく、犯罪にまで手を染めようとして!!! あんな卑猥な名前のおばさんがそんなに好きなら、あのおばさんのトコに行っちゃえばいいじゃない! あんたなんか、もう二度と帰ってこなくてもいいわよ!!」

「だから、ホト先生に会いに行くにはお金が必要なのよ!」


 もう駄目だ。

 こいつには、何を言っても通じない。

 ”とりあえず”私の家からは追い出そう。


 綾芽は、深く息を吸い込んだ。

「夢美…………最後に聞きたいんだけど、もし、あんたはどんな目に遭っても、愛と感謝で全てを受け入れられるの? それが『あなたの宿命であるのよ』って、ホト先生に言われたなら、どんなことでも受け入れられるの? ……例えば、あんたが今、誰かに殺された”としても……そう、私とかに……」

 そう言った綾芽は、開きっぱなしのドアへと振り返り、キッチンのまな板の上でギラリと光る包丁にチラッと目をやった。


 夢美の顔がサアッと青ざめる。

「え……? いや、そっ……それは……」

 声まで裏返っている。

 静佳には”妹の死は宿命であるから受け入れろ”と言ったくせに、自分自身が無念のうちに殺されて死ぬかもしれないという宿命は、ホト先生の教え通りには受け入れることはできないらしかった。


「…………冗談よ。そんなことするわけないじゃない。あんたみたいなの殺して、殺人者の烙印なんて押されたくないし」

 今のは、単に盗人の夢美を一刻も早く自分の家から追い出したい綾芽のブラック過ぎる脅しであった。


 綾芽は部屋のチェストにスッと手をかけた。

 夢美に対するブラックで意地悪な感情は、マグマのように煮えたぎったまま、まだまだボコボコと音を立て続けている。

 けれども、いくら夢美でも自分が今から仕掛ける”ブラックな罠”にまんまとひっかかって破滅の流れに乗るはずがない。綾芽はチェストから一冊の薄いパンフレットを取り出し、夢美に手渡した。


「これは……初めて聞く名前のスピリチュアルな教団だけど……この教団がある場所って綾芽の出身地よね? どういうことなの?」

 訳が分からないといった夢美。


「私が今まで、夢美たちに故郷の話をしなかったのは、そういうことなのよ。私がスピリチュアルをあまり好きじゃないっていうか、正直、憎まずにはいられないのはそいつらが理由なの。私の家族は昔から、そのパンフレットにデカデカと顔写真を載せている、その女教祖を生き仏のごとく崇め奉っていたのよ。『教祖サマ! 教祖サマ!! ああ教祖サマァ!!!』って具合にね。そのうえ……両親は一人娘の私を、いずれはその女教祖の息子に捧げるつもりだったのよ……」


 綾芽は大学で知り合った友人たちに、自分の故郷や過去の話はしないようにはしていた。いや、正確に言うと”できなかった”。

 しかし、夢美と話をするのはおそらく今日で最後になるだろうから、もうどう思われようが構やしないという気持ちが、沈黙を続けていた綾芽の背中を後押しさせたのだ。


「…………教祖サマのムチュコたんである、おっさんの貢ぎ物にされるなんて絶対に嫌だったから、私は早いうちに処女を捨てて、高校の卒業式の日にそのまま故郷を飛び出したの。大学受験と進学のための費用だって、遠方に住んでいるまともな親戚の人に借りてね……近所の信者たちだけでなく、実の両親にも『汚れた娘』だの、『下劣な男の性玩具に成り下がった』だの、『色キ〇ガイのごくつぶし』だの、いろいろ言われ続けて、まともな少女時代なんて送ることができなかった私だけど、この選択に間違いはなかったと思っている」

 

 夢美がゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。

 綾芽は”早いうちに処女を捨てた”と、処女喪失の詳細な時期についてはぼかしたが、まさか夢美も綾芽が中学一年生の一学期に好きでもない男と初体験を済ませた――数か月前までランドセルを背負っていた少女が、それほどに貞操の危機を感じざるを得なかった――とまでは思いもしないであろう。


 男性との交際経験のないらしい夢美は、まだ処女であるはずだ。それに静佳や瑛子にしたって同様であろう。

 静佳はその見た目通りの箱入り娘だ。瑛子はエロ系の話になったら目を輝かせて饒舌になるも、単に耳年増なだけで処女だということは端々から感じられる。


 自分のように異常な環境で思春期を送らざるを得なかったわけでもなく、両親や周りの者たちから真っ当に、そして大切に育てられたであろう三人の友人を、綾芽は進学先の大学で得ることができた。

 いまや、その友人の一人は元友人となって、目の前にいるけども。


「私が故郷を飛び出す時に、両親のどちらかが私のバッグにそのパンフレットを忍ばせておいたんでしょうね。いつか、私が自分が間違っていたことに気付いて、”素晴らしい”教祖サマとそのムチュコたんの元に身を捧げに戻ってくるはずだってバカみたいな期待を抱きながらね。私もそのパンフレットに気付いた時に、駅のゴミ箱にでもダンクシュートしておくべきだったんだろうけど……なんだか呪われそうで捨てられなかったのよ。なんだかんだいって、”教祖サマ狂いの異常な空気”に草木も何もかもが蹂躙されているような故郷で十八年も過ごした私自身にも、いろいろと染み込んでしまっていて、もう拭い取れないんでしょうね」

 思わず、クッと喉を鳴らし苦笑した綾芽。

「でね、夢美……その教団は常に人員を募集しているのよ。信者としてだけじゃない。裏方での働き手もね。噂じゃ日払いで相当な額をもらえるそうよ。私が暮らしていた頃にも、よく都会から報酬に釣られてやってきた若い女の人たちが教団の施設に出入りしていたわ」

 綾芽が自分が実際に見聞きしてきた”前半部”を夢美に伝えた。


 しかし”後半部”は、あえて伝えなかった。

 都会からやってきた若い女の人たちだけど、いつの間にか、あんな毒団子に上から串をブッ刺したみたいな顔と体型のうえ、不潔っぽいムチュコたんを取り合うようになって往来で大喧嘩してたわ。その中には、お腹の大きくなりかけている人だっていたのよ。女教祖のムチュコたんは処女好きだから、入信時に処女か非処女かを確かめて、処女の方をより優遇して、自分のお付き(夜のお付きも含む)にしていたらしいのよ、と。


「……ここに行ったら、日払いで相当なお金をもらえるかもしれないのね」

 あまりにも早すぎる夢美の意思決定。

 綾芽の”ブラックな罠”にまんまとひっかかり、行き着く先には破滅しか見えない流れに自ら乗ろうとしている。


「夢美……あんた……!!」

「止めても無駄よ!! 第一、綾芽がこの教団のこと、教えてくれたんじゃない! こうして、私にパンフレットを見せてくれたんじゃない! 私、ホト先生に会うためなら、どんなことをしたも……他のスピリチュアル教団に尻尾を振って、迎合するふりをしたって、お金を手に入れるわ!!!」


 薄いアパートの壁を震わせるほどの大声で叫んだ夢美は、パンプレット――綾芽があげるともいっていないパンフレット――を手にギュッと握りしめたまま、慌てて止めようとした綾芽の手を振り払い、飛び出していった。


 それが綾芽が夢美を見た最後であった。

 正確に言うなら、”生の夢美を見た”最後であった。




 二年が経った。

 綾芽、静佳、瑛子は大学卒業を目前にしていた。

 静佳は大学卒業と同時に結婚し、瑛子は他大学の大学院へと進み、綾芽は就職する。

 これから、それぞれの新しい生活が始まる。

 綾芽は夢美のことを思い出さずにはいられなかった。いつの間にか大学も退学し、誰とも連絡がつかなくなった夢美。

 夢美自身が選んだ選択であるとはいえ、自分が夢美に更なる破滅への道案内をしてしまったことは間違いない。


 夢美は今、どこで何をしているのだろう? そもそも生きているのだろうか、と。


 そんな綾芽の心配は無用であった。

 夢美は生きていた。それもとっても幸せそうに。


 綾芽が暇つぶしに何気なく、ぶらりと立ち寄ったブックストアにおいてのことだ。

 ついうっかりスピリチュアル本コーナーに足を踏み入れてしまった綾芽であったが、体が即座に拒否反応を起こしたため、慌ててそこを立ち去ろうとした。

「!」

 しかし、綾芽の目は見覚えのある顔をハッととらえたのだ。それも二人も。


 平積みされたスピリチュアル本の表紙に、その二人の満面の笑顔デカデカとあった。

 一人は夢美だ。少しばかりふくよかになった夢美だ。

 そして、夢美の隣で微笑んでいる中年男――毒毒団子に上から串をブッ刺したみたいな顔と体型は変わらず、老いと更なる不潔さを塗り重ねた中年男――は、あの教祖のムチュコたんだ。


――え? え? 夢美? 夢美よね? ……あれだけ、ホト先生、ホト先生って言ってのに……まさか、たった二年でホト先生からあっさり鞍替えして、現在に至るってわけなの? 毒饅頭ではなく毒団子に完全に制されてしまったということ!? 夢美は、女教祖のムチュコたんの周りにいた数々の女(妊娠出産済の女も含む)たちをバシバシと蹴落とし、”公式な第一夫人”にまで昇りつめたってこと……?!


 夢美たちが微笑んでいる本のタイトルは、『二十五歳の年の差もなんのその! 宇宙一スピリチュアルな仲良し夫婦が導くあなたの宿命』であった。

 さらに本の帯には、こう書かれていた。


『愛、感謝、そして全ては宿命なのです! 

 あなたの苦難にも、きっと意味はある。

 定められた宿命に抗うのではなく、流れるに身を任せる魚のように生きてみましょう! 

 地球という星へと舞い降りた、宇宙一スピリチュアルな仲良し夫婦が、この地球にただ一人しかいない”あなた”に定められた宿命を導きます!


 二〇×一年八月九日~ 二〇×一年八月十五日開催予定のスピリチュアル合宿「ギャラクシー・メイクラブ」(参加費 税込四十二万千九百円)にご参加いただいた方には「ミラクル夫婦和合ネックレス」を税込五万九千円で特別ご奉仕!』


 最悪だ。まさか、こんなことになっていたとは!

 スピリチュアルに搾取されていた夢美が、搾取する側に回ってしまったなんて!


 例の玉門ホトのパクリであるだろう紹介文。

 そのうえ、何なのだ? スピリチュアル合宿「ギャラクシー・メイクラブ」って……

 夢美たちも、本の出版社も”メイクラブ”(make love =性交する)の意味を知らないはずがないだろう。

 参加者たちより、さらなる金を毟り取るつもりであるらしい「ミラクル夫婦和合ネックレス」といい、これは”いかがわしいセックス合宿”への勧誘そのものだ。


 綾芽の唇が震え出した。

 それは後悔によってか、恐怖によってか、滑稽さによってかは、綾芽自身にも分からなかった。

 しかし、夢美と教祖の息子がこうして本の出版にまで至り、ブックストアにその本が平積みされているということは、相当に多数の信者を、地域だけでなく全国に手を広げて集めてきたのと同義である。

 このことこそが、最悪にして最大の恐怖なのかもしれない。

 一刻も早く立ち去ろうとするも、足を動かせなくなっていた綾芽の眼前で、一人の若い女性が夢美たちの本をスッと手に取った。

 そして、彼女はそのまま真っ直ぐにレジへと歩いて行った。



(了)

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