Episode3 Tribute ~狐と鳥Side~

 狐と鳥の前で男は死にました。

 死神に鎌で首を刈り取られて、あっけなく死にました。


 けれども、狐と鳥は逃げませんでした。


 なぜなら――


「死神様、先ほどの者の命を私たちからの貢ぎ物として、聞き入れていただきたいことがあるのです」


 まるで、今や水気どころか血抜きまでもされている男の死体にちろりと目をやった狐が言いました。


「……うむ? うぬら、この国の生まれではないな? さて、その姿を現せい」


 地の底から響いてくるかのごとき、しゃがれた声を出した死神は、鎌を光らせたまま狐と鳥へ向かって、顎をしゃくりました。


 狐と鳥は、"姿を現し”ました。

 狐は狐でなくなりました。

 鳥も鳥ではなくなりました。

 彼女たちは、それはそれは美しい人間の女性としての姿を現しました。



「私は大陸の生まれでございます。かつての名を蘇妲己と」


 涼やかであり、雅やかな美しい声で、まずは狐が答えました。


「私も同じく大陸の生まれでございます。わたしのかつての名は胡喜媚と」


 鈴の音を転がすがごとき、愛らしい声で鳥も答えました。


 狐と鳥は、いえ、九尾狐狸精である蘇妲己と九頭雉鶏精である胡喜媚は死神に向かってバッと平伏しました。

 

「死神様、どうか私たちの妹を、琵琶をお返しくださいませ」

「どうか、”王貴人”を、私たちにお返しくださいませ」


 突然、美しい2人の女性に深々と頭を下げられた死神は、鎌となっていないほうの左手でポリポリとその髑髏の頬を掻きました。

 そして、先ほどまで自分が恋歌を弾き語りをしていた楽器へと目をやりました。


 リュートという楽器に非常によく似ていましたが、これは死神がかつて中国大陸まで出張したことがあった時に、手に入れた琵琶でした。

 そう、この琵琶は、彼女たち2人の妹分である”王貴人”という名の玉石琵琶精でしたのです。


「ほうほう、それが目的であったというわけか……あの特に意味もなく、死に急いでいた男を我に貢ぎ物として捧げる代わりに、妹の解放をとな」



「痛みなくして、妹をお渡しいただこうとは考えておりませぬ。その痛みは私たち自身の痛みでないことは、さておき」


 蘇妲己の言葉に傍らの胡喜媚も頷きました。

 確かにあの男については、蘇妲己も胡喜媚も”自分の身を削って”の貢ぎ物というわけではありませんでした。


「待て待て、そこのたった1人の男の命と引き換えにこの美しい音色を奏でる琵琶を渡せと、うぬらは申すのか……」


 不服そうな死神は、蘇妲己と胡喜媚の顔をジロジロと眺めました

 その視線は無遠慮でした。

 まるでごく普通の人間の男のように無遠慮でした。


 死神に向かって、何かを切り出しかけた胡喜媚を蘇妲己が制しました。


「美しいのう、うぬらは……」


 なんと、死神は頬を赤く染めておりました。

 死神もやはり男でした。


「あい、分かった。うぬらの美しさに免じ、この琵琶はうぬらの手へと返すとしよう」


 蘇妲己と胡喜媚の顔が輝きました。

 死神の心を動かしたのは、貢ぎ物としての男の死ではなく、最終的には彼女たちの美しさであったということは、何とも皮肉でありました。

 あの男の命は、貢ぎ物ではなく、単なる添え物となってしまったのですから。



「……この世の生者のほぼ大半に、恐れられ忌み嫌われる死神とて、音楽を嗜むべきかと思っておったが、やはり死神には琵琶よりこの鎌の音の方がしっくりとくるものであるしな」


 しみじみと死神は言いました。

 蘇妲己と胡喜媚は、王貴人を取り戻しました。

 本当でしたら、ここで一件落着のはずでした。



 しかし――



 蘇妲己が口を開きました。


「死神様、実は……先ほど胡喜媚が申し上げようとしたのですが、あなた様への貢ぎ物はあの死に急ぐ男だけではなかったのです」


「……なんと!」


「私たちは妖(あやかし)であります。私たちを忘れない者がいる限り、私たちはこの世に何度でも蘇るのです。そして、ご存知の通り、私たちと同じく妖なる存在は、国を越えても、海を越えても、この世に数多存在しております」


 あやしく瞳を光らせた蘇妲己はなおも続けました。


「上半身が人間の女、下半身が魚である、セイレーンたちと私たちは”話をつけて”まいりました。もうすぐ、この近くの港より船が出港いたします。大勢の人間どもを乗せた船が、希望へと向かって帆を進める船が……」



 空洞となっているはずの死神の眼窩の奥も、あやしく光りました。

まるで涎を垂らすかのように、死神の鎌からはポタリと男の血が滴り落ちました。



「……ほほう、セイレーンとな。何もかもを惑わすあいつらの歌声はこの世のものとも思えぬほどの美しさであるからな。あいつらに目をつけられた船はひとたまりもないであろう。そうか、うぬらが手はずを整えてくれたがゆえに、今宵の我の”大漁”は約束されたということか。ほんに、気が利く女子どもであるのう」


 死神が笑いました。

 蘇妲己も胡喜媚も笑いました。




――完――



★おまけ★

Episode3を三行でまとめるとしたなら……


 いわゆる国を越えた妖たちの死神さんへのTribute(貢ぎ物)の連携プレー。

 それに、死ぬ死ぬ言っていたら、本当に死ぬよ。

 洞窟の中でラブソングを弾き語りしている死神さんに首を刈り取られてね。

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