ボーンズ、ラストフライト

「ちはる、来月のこの日、予定を開けられないか?」


 夕飯後、ひなたがお風呂に入ってくるねとリビングを出た後に、雄介ゆうすけさんが、壁にとめてあるカレンダーを指さしながら声をかけてきた。


「ん? どの日? 平日なの?」

「ああ、金曜日なんだが」

「そうね、大丈夫だと思うわよ。子供達は?」

「もちろん颯太そうたとひなたもだ。悠太ゆうたには俺から連絡を入れる。俺が言ったほうが、休みをとりやすいだろうから」


 そう言いながら、なぜかお風呂のほうを気にしている。耳をすますと、お風呂場からお湯を流す音がして「あっつい、パパがいれると温度高すぎ!」とひなたの文句が聞こえてきた。そんな雄介さんの様子に、ピンとくるものがある。


「もしかして、雄介さんのラストフライトがこの日になるの?」

「ああ。いよいよだ」


 やっぱり。いよいよ来たるべき日が来たってやつだ。


「そろそろ退官なのに一向にその話をしないから、ラストフライトで飛ぶのは、とっくにあきらめているんだと思ってたわ」

「まさか」


 つまり、ひなたが聞いたら大騒ぎすることは間違いないから、お風呂に入っている時を見計らって私に話したってことらしい。


「ちはるには、俺が初めて配属されたのは、小松こまつの飛行隊だって話はしたよな?」

「ええ」

「最初と最後を同じ基地で迎えられるなんて、本当に幸せだよ。当時とは、随分と立場も変わってしまったが。あのころはまさか自分が、教導群の司令におさまるなんて思いもしなかったな」


 雄介さんはそう言うと、テレビの横の棚に飾ってあるフォトフレームの一つを手にとった。それは私と出会うずっと前、雄介さんが小松の飛行隊に配属される前、訓練中だった新田原にゅうたばるで撮った、葛城かつらぎさん達との写真だ。


「当然のことだが随分と年食ったよな、俺達」

「そう? あまり変わってないように見えるけど。特に岩代いわしろ一佐なんて、まったく変わってないわよ?」

「あいつは昔から家老みたいな老け顔だって、言われていたからなあ」


 そう言いながら笑う。


「またひどいこと言って」


 まだ二十代そこそこの雄介さん達は、全員が自信満々な笑みを浮かべてこっちを見ている。この中に、今も現役パイロットとして飛んでいる人はもういない。早くに自衛隊を退官して、民間航空会社に転職した同期の人達も、すでに定年を迎えて退職したという話だ。そうやって考えると戦闘機パイロットって、現役として飛んでいられる時間は短いんだなって思う。


「ひなたと颯太は金曜日で、一日だけのお休みなら大丈夫だと思う。あれこれ言う人もいるかもしれないから、雄介さんちの実家での法事ってことにしておくわね。ああ、それと」

「ん?」

「できたら、そっちからうちの司令に話を通してくれると、ありがたいかな。うちのクルーは大丈夫だと思うけど、やっぱり偉い人から話を通してもらったほうが、私としても休暇をとりやすいし」


 ちょうど今の時期は航空祭も演習もないし、定期便程度の任務しかないから問題ないと思う。だけど、もともと保有数の少ない大型の空中給油機は、いつ何時どこへ呼ばれるかわからないのだ。任務で飛ぶのは別にかまわないんだけど、雄介さんのラストフライトはなんとしてでも立ち会いたい。


「わかった。じゃあ教導群司令として、そっちの基地司令に正式に依頼しておく」

「自分でお願いしておいて言うのもなんだけど、なんだか仰々ぎょうぎょうしいわね……」

「教導群司令のラストフライトなんだ、仰々ぎょうぎょうしくてちょうど良いだろ」


 聞くところによると、米軍からもマクファーソン大佐や、日米合同演習で雄介さん達と一緒に飛んだ空・海軍の元パイロット達が顔を出すとのことだった。つまり、それなりに偉い人達が顔をそろえるということ。ちょっとした身内だけのセレモニー程度だと思っていたけど、かなりな人数が参加することになりそうだ。


「それで大丈夫なの? ラストフライト、ちゃんと飛ばせるの?」


 もちろん自分が飛ばさなくても、誰かの後ろに乗ってというパターンもありだと思う。だけど、雄介さんがそんなことで満足するわけがないのは、私が一番わかっていた。


 ただ、雄介さんの片足は膝から下が義足だ。いくらシミュレーターで訓練を続けている限りは、ウイングマークの返納をしなくても良いと言われていても、実際にイーグルとを飛ばすとなると話は別。上からなにか言われやしないかと、密かに心配していた。


「もちろん。ここ数ヶ月は、笠原かさはらに教官としてついてもらって飛んでいた。あいつのお墨つきがあるんだ、問題ないだろ」

「まさか、司令権限で無理やり、お墨つきを出させたわけじゃないのよね?」


 私の言葉に、雄介さんは心外だなと顔をしかめる。


「いくら俺が上官権限でおどしても、あいつは自分がダメだと判断したらテコでも動かんよ。そういうヤツだから、アグレッサーの隊長に選ばれたんだから」

「なら良いんだけれど」


 但馬たじま君を始め笠原さんにしても、アグレッサーの先輩である雄介さんのことを、神かなにみたいな目で見つめるんだもの、ことが雄介さんのことになると本当に大丈夫かしらって心配だ。あっちにいる知り合いで、誰か中立な目で見てくれる人はいないかしら。……風間かざま君? だめだめ、風間君こそ元祖雄介さんあがたてまつりで、いまだにそれは変わってないんだから。


―― 小松にはいないけど、岩代一佐に頼んでみようかしら…… ――


 あの『ガミガミさん』なら、公明正大な判断を下してくれるはずだ。雄介さんには内緒で、連絡を取ってみようと心に決めた。



+++++



 そして当日。


 一足先に家を出た雄介さんの後から、自分のこと以上に興奮して、前の晩から大騒ぎをしているひなたと颯太を連れて、基地へと向かった。悠太は葛城さんと一緒に、朝一番の定期便でこっちに来ているとのことだ。


「良かったね、ひなた。パパがパイロットしていたところを、一度も見たことないって残念がってたけれど、これで見ることができるじゃない」

「うん! でも、本当なら後ろに乗せてほしかったなあ。ねえ、お兄ちゃん達でも乗せてもらえないの?」


 ひなたが、私をはさんで反対側を歩いている次男の颯太に質問をする。


 颯太は私達と同じように、航学として航空自衛隊に入隊するために勉強中だ。受験に際して、どんな対策が有効なのかと質問されたけど、私達が受験したのはもう数十年前のこと。あまり参考になりそうになかったので、申し訳ないけど葛城さんのところのかける君やはやて君に聞いてみなさいと、丸投げさせてもらっている。その甲斐あってか、学力に関しては問題なくやっていけるのでは?というラインに到達しているとのことだった。親としては一安心、かな。


「僕はまだ、資格がないからダメだよ」

「悠太お兄ちゃんは?」

「悠太も颯太と同じで乗れないんじゃないかしら。防大あっちで訓練を受けていれば、後ろには乗れるだろうけど。颯太はそんな話、今のところ聞いてないわよね?」


 最近じゃ兄弟で、生意気にも男同士の話をするようになった颯太に確認する。


「うん、そんな話は聞いてないな。だって兄ちゃんが目指しているのは、航空管制だから」

「そうよねえ」

「ってことはやっぱりママだけなんだね、パパと飛べるのって」


 残念がるひなたを、颯太がまあまあとなだめる。その横顔が雄介さんそっくりで、思わずドキリとしてしまった。


「それに僕達が乗れたとしても、きっと後ろには乗せてもらえないと思うな」

「どうしてー?」

「だって父さん、母さんでないと空を飛んでる気分になれないって、いつも言ってるじゃないか」

「それはママの後ろに乗る時でしょ? 今日は違うんだよね? パパが操縦桿を握るんだよね?」


 そう言いつのるひなたに、颯太はわかってないなあと笑う。


「たとえそうだったとしても父さんのことだ、なんだかんだ理由をつけて母さんを後ろに乗せるに決まってるじゃないか。俺、父さんにうらまれたくないから、乗せてやるって言われても乗らない」

「えー、私、乗りたいのにぃ」

「ひなたは無理に決まってるだろ? 身長だって158センチないのに。なんとか伸びるように祈らないと、パイロットにはなれないぞ? あと何センチだ? 10センチ?」

「あと6センチ!」


 頬をふくらませて黙り込んでしまうひなた。


「ごめんね、ひなちゃん。もう少し大きく産んであげられたら良かったんだけど」

「ママのせいじゃないよ、だから大丈夫。牛乳も飲んでるし、去年一年で3センチ伸びたからきっと大丈夫」


 ひなたはまだ小学生で伸び盛り。悠太も颯太も175センチ超えの長身だから、心配ないと私は思っているけど、パイロットになりたいと思っている本人にとって、この身長制限158センチは、到達するまで心配の種だろう。最近では牛乳ばかり飲んでいて、お腹をくだすんじゃないかと母としてはとても心配だ。



+++



 ゲート前に到着すると、フライトスーツの上からジャンパーをはおった但馬君が、私達を待っていてくれた。但馬君は私に敬礼をすると、子供達に向けてニッコリと微笑む。


「ようこそ、小松基地へ。三佐もお越しくださり、ありがとうございます」

「こちらこそ、今日はありがとうございます。子供達まで御招待いただいて」

「いえ。本当なら土曜日か日曜日にして、学校を休まないですむようにしてあげたかったんですが、なにぶん日祝日は飛行許可をとるのが難しくて」


 子供達の許可証を受け取ると、それを首にかけさけてゲート内に入った。


「葛城さん達はもう到着されているの?」

「はい。一時間ほど前に輸送機で。ああ、ちょうど離陸するところですね、あれに乗って来られました。もちろん三佐の息子さんもご一緒でしたよ」


 建物の向こう側に見える滑走路に、離陸体勢に入ったC-1輸送機が見えた。


「わー、C-1ちゃんだ♪」


 ひなたが嬉しそうに声をあげる。


「もう少し早く来れば、間近で見学できたのに残念だったね」

「次のオープンベースで見学できると良いな~~」

「ねえ、但馬君」

「なんでしょうか」

「私の質問に、航空自衛隊のパイロットとして正直に答えてくれる?」

「はい、三佐」


 私の言葉に、但馬君はひなたに向けていた笑顔を消して、真面目な顔でうなづいた。


「主人のことなんだけど、本当にイーグルを飛ばしても大丈夫なの?」


 私の質問の意味がわ分からなかったのか、但馬君はしばらく変な顔をして私のことを見つめ、やがて口を開く。


「あの……もしかして、司令の腕を疑っておられるのですか?」

「そういうわけじゃないの。ただ、実際に操縦桿を握って飛ばしたのはそれこそ二十年以上前のことだし、いくらシミュレーターを使って飛行時間をかせいでいても、実際に飛ばしていたのとはわけが違うことは、貴方も当然わかっているわよね? それだけじゃなくて、片足が義足なわけだし、心配だと思うのは当然のことじゃないかしら」


 だけど、彼の意見は私とは違う様子だ。


「司令はここ数ヶ月のあいだ、笠原隊長と一緒に飛んでおられました。自分も何度か司令と御一緒させていただき、操縦桿をお預けしましたが、なんら問題になるようなことは感じられませんでした。ですから自分が拝見した限りでは、司令はイーグルを飛ばしても問題ないとしか、答えようがありません」

「本当に?」

「はい」


 誤魔化していないかと注意深くその表情を探ったけれど、本人はいたって本気のようだった。


「大先輩だから評価が甘くなるとか、そういうことはないのね?」

「そんな判断をしたら、それこそ司令に対して失礼です。我々は、操縦の技量に関しては嘘偽うそいつわりは絶対に言いません。そこはなにに誓ってもかまいませんよ」


 真面目な顔をしたままで、但馬君はそう言い切る。


「そう。だったら良いの。私は事故の後も主人と一緒に飛んできたけど、操縦桿を預けたことは一度も無かったから少し心配でね。ダメね、夫のことが信じられないなんて」

「それはしかたのないことでは? 三佐は司令が事故に遭われた当時のことを、御存知なわけですし」

「子供が産まれると、どうしても心配性になっちゃうのかしらね、母親って」


 そうつぶやくと、但馬君はいつもの微笑みを浮かべた。


「司令が三佐に操縦桿を預けたままなのは、それだけ三佐のことを信頼されているからですよ。いつもおっしゃっています。妻が男だったら、俺より凄い戦闘機パイロットになっていたに違いないって」

「そんなこと言ってるの? 私が男だったら変な世界の話になるから、そんな例えは考えるだけでもやめろって、私には言ってるくせに」


 まったく男って勝手なんだからと言ったら、但馬君がおかしそうに笑う。そんな話をしていたら、建物の玄関先に、フライトスーツに身を包んだ雄介さん達が顔を出した。


「おい、但馬。俺の嫁をくどこうとしているなら、よしておけよ。最後の最後で、部下をぶっ飛ばすなんてことはしたくないからな」

「失礼いたしました、司令」


 そう言って、但馬君は真面目な顔に戻ったけどどこか楽し気で、それは雄介さんも同じだった。これがマクファーソン大佐だったら、青筋を立てて本気で腹を立てるところなのよね。雄介さんは、但馬君を始めアグレッサーのパイロット達のことを、本当に信用しているんだから。


「あ、パパ、ちゃんとドクロとコブラのエンブレムがついたフライトスーツだ!」


 初めて見る父親のフライトスーツ姿に、ひなたは興味津々きょうみしんしんな様子で、駆けよってあっちこっちをチェックしまくっている。


「当然だろ? 俺は飛行教導群の司令なんだから」

「しかもちゃんと榎本ってローマ字で刺繍ししゅうされてるよ!」

「今日はやけにチェックが厳しいな、ひなた。二人はスマイリーに、悠太のところに連れていってもらえ。ちはるは着替え、持ってきてるんだよな?」

「持ってきたわよ」

「じゃあお前は俺と一緒にロッカーに直行。あまりゆっくりしている時間はなさそうだから、急ぐとしよう」


 三人と別れて、私は雄介さんの後に続いた。


「ゆっくりしていられないって、天気が崩れるって言ってる?」

「いや、天気は終日快晴だ。そうじゃなくて、ショットガン達が自前の航空機を引っさげて押し掛けてきているからな。さっさとお帰り願わないと、マニアに嗅ぎつけられて小松周辺が大騒ぎだ。そこの窓から見てみろ」


 そう言って滑走路が見える窓を指す。窓から外を見ると、エプロンに米国空軍のアグレッサー仕様のイーグルとファルコンが駐機しているのが見えた。


「……あらら、本当に飛ばしてきたのね」

「本当にあららだ。どいつもこいつも飛びたがりで困ったもんだ。今日の主役は誰だと思ってるんだ?」


 雄介さんがぼやく。


「皆、雄介さんと一緒に飛びたいのよ。だってラストチャンスでしょ?」

「葛城達まで押し掛けてくるし。あれだけの数を飛ばすのに、どれだけ書類を提出させられたと思ってるんだ……しかも米軍機までいるんだぞ?」

「役得役得。それもあと少しの辛抱でしょ?」

「だと良いんだがなあ。イヤな予感がしてしかたがない」

「またそんなこと言って」


 本当は嬉しいくせに。


 ロッカーで着替えをしてからヘルメットを手にエプロンに出ると、そこにはすでに、離陸前の準備を終えたイーグルと葛城さん達が待っていた。人数が多くて、ハンガーとエプロンはちょっとした演習前の雰囲気になっている。


「久し振り、ちはるちゃん」


 八重樫やえがしさんと桧山ひやまさんが片手をあげて声をかけてきた。


「お久し振りです。今日は皆さんも?」

「もちろん。俺達がいないと、なにをしでかすかわからないのもいるし」


 そう言って、少し離れた場所に立っていた葛城さんとマクファーソン大佐のことをさす。指をさされた葛城さんは、ムッとした顔をした。


「おい、俺をショットガンと一緒にするのはよせ。ちゃんと後ろに乗りたがるこいつを止めただろうが」

『おい、俺だって少しは日本語を理解できるんだぞ。ヨケイナコトユーナ』

「後ろに乗りたがるって?」


 首をかしげると、桧山さんが溜め息まじりに笑う。


「ショットガン、一回ぐらいボーンズの後ろに乗りたいとか、今になって言い出すんだからな。空軍男ならもう少しは空気を読めってんだよな」

「さっきなんてさっさと乗り込もうとするから、俺達で羽交はがめにして止めてたんだよ。今はあそこでいじけてる。ちはるちゃんが声をかけてやったら、少しは元気になるんじゃないのか?」


 八重樫さんは、雄介さんが本気でイヤがるとわかっていて、こんなことを言っているのだ。まったく、こんなところはあきれるぐらい昔と変わっていないんだから。


「マクファーソン大佐に挨拶してきたほうが良い?」

「ほおっておけ」


 そして雄介さんの返事も相変わらずだった。だから、大佐には軽く手を振るだけにとどめておく。


「風間、お前もダメだからな。それから沖田おきた、お前もダメ。いくらスマイリーの友達でも、ダメなものはダメだから」


 そう桧山さんに言われたのは、風間君と沖田君。


「わかっています。自分は但馬一尉と飛ぶことになっているので、御心配なく」

「俺もわかっていますよ。そんなことしたら一佐どころか、うちの嫁にもこっぴどくしかられますからね。今日は岩代一佐を後ろに乗せて飛びますから、御心配なく」

「おい、風間。今、俺のことを乗せたくないと一瞬だけ思ったろ?」

「なんでそこでひがんだ年寄りみたいなことを言うんですか、一佐。思ってるわけないでしょう」


 なんて言うか、本当に飛びたがる人が多すぎであきれてしまう。そして、あっちこっちで言い合いが始まりそうな雰囲気に、溜め息がもれた。これは真面目な話、さっさと離陸したほうが良さそうだ。


「はいはい、皆さん。お喋りはそこまで! のんびりしていたら日が暮れてしまうわよ! さっさと離陸準備にかかりなさい!」


 小牧こまき基地でするようないつもの調子で、手を叩いて大きな声でそう言ったら、全員がこっちを見て敬礼をした。


「「「「了解、機長殿!」」」」


 いっせいにあちらこちらから声が上がって立ち尽くす。


「……もしかして今の、私へのイヤがらせ?」

「まさか。さすが機長殿だって、皆が感心しているのさ。さて、俺達も準備にかかろう」

「ほめられてる気がしない」

「気のせいだ」


 雄介さんが私を連れてきたのは、緑と黒の迷彩塗装がされたイーグル。普段は但馬君が飛ばしている機体のはずだった。


「今日はこれで飛ぶの?」

「ああ。スマイリーが是非とも、ちはるをこれに乗せてやってくれと言ってな」

「これ、雄介さんが乗っていたイーグルによく似ているわよね」

「似ているどころか、塗装パターンはまったく同じらしいぞ? もちろん機体は別物だが」

「そうなの?」


 びっくりしてまじまじと機体をながめていると、飛行前の点検を始めていた整備員達が、私達の元に集まってきて敬礼をした。


「今日は、大所帯でのイレギュラーな飛行になりそうですまない。但馬じゃないが、よろしく頼む」

「はい。昨日からしっかり点検をしております。異常は見つかっておりません」


 機付長の佐伯さえき空曹長が報告する。とは言っても、離陸する前の点検はいつもと変わらない。乗り込む前のパイロットによる機体の目視点検は、どんな時でも必須だ。


 丹念に機体に手を当てながら点検をしていく雄介さんの後姿を見つめていると、初めてイーグルで一緒に飛んだ時のことが思い出されて、懐かしいような悲しいような複雑な気分になってきた。あんな事故がなければ、大好きな空をもっと飛んでいられたのに。


「どうした、ちゃんと点検しろよ機長。お前も後ろに乗るんだから。……どうした?」


 雄介さんが振り返って首をかしげた。


「ん? なんて言うか、ちょっと昔を思い出してた。私、イーグルのことは良くわからないから、点検してもあまり役に立たないような気がするんだけど」


 手招きされて雄介さんの横にいく。


「なんだ、飛ぶ前の俺との共同作業に不満でもあるのか?」

「そんなことないけど、雄介さんとの共同作業は色々と大変だから」

「一体どんなことを思い浮かべてるんだ、機長。まったくお行儀が悪いな」


 そう言って笑いながら私の頬を軽くつねった。


「俺の最後のフライトなんだ。ちゃんと見届けろよ」

「はいはい。まったく、何歳になってもわがままなイーグルドライバーなんだから。それにしても七機もあがったら、編隊を組むのが大変そうね。誰が頭なの?」

「もちろん笠原と言いたいところだが、ここはやはり、風間にやらせようって話で落ち着いた」


 悪戯いたずらっぽい笑みを浮かべるので、思わず噴き出してしまう。


「もう、ひどいんだから。風間君、緊張しすぎて岩代教官にどやされるんじゃないかって、今から心配になってきた」

「元ブルーの隊長殿だ。おっさん率の高い七機編隊の指揮なんて、ヘとも感じないだろ」

「それとこれとは別な気がするんだけど」


 そうなのよね。静浜で雄介さん達と飛んだ時に、飛行教導隊に行きたいって言っていた風間君だったけれど、いったいどんな運命の神様のいたずらか、ブルーインパルスで飛ぶことになり、さらにはその数年後には隊長まで任されてしまったのだ。八重樫さんはやっぱりねと笑っていたらしいけど、本人はアグレッサーからのお声がかからなくて、わりと本気でくやしがっていたというから、風間君らしい話だった。


「でもすごいわね。アグレッサーだけじゃなくて、元ブルーが二人も一緒に飛んでくれるなんて」

「葛城いわく、ここにサンダーバーズが加われば完璧なんだとさ」

「やめて。小松基地がお祭り騒ぎになって、基地司令が高熱を出して倒れるから」


 葛城さんが言うと、本当に連れてきそうでシャレにならない。雄介さんは笑いながら機体を軽く叩いた。


「さて、異常なし。じゃあ行くとしようか、機長殿」

「了解しました、一佐」


 全員がコックピットに乗り込み離陸準備に入った。それぞれの機体のエンジンに灯が入り、きっと外はとんでもない騒音になっていることだろう。そこへイヤーマフをした悠太達がやしろ君達に連れられて出てきた。


「そう言えば、社君はどうして一緒に飛ばないの?」

「あいつと羽佐間はざまは、今はライトニングの件で毎日がいっぱいいっぱいだからな。今回も、直前まで顔を出せるかわからないと言っていたんだ」

「なるほど」


 子供達はこっちの機体の前にやってきて、ニコニコしながら手を振っている。


「パパ最高、だとさ」


 ひなたが送ってきたハンドサインを見た雄介さんが笑った。エンジンチェックとプリタクが終り、順番に滑走路へと出ていくイーグルとファルコン。もちろん先頭は風間君だ。それを、エプロンに出てきた隊員達が手を振って見送ってくれている。


「こんなにたくさんの機体がいっせいに飛ぶなんて、小松では珍しいんじゃないの?」

「だから書類の提出が大変だったって言っただろ?」


『こちら小松管制塔。上空及び近辺空域で飛行する航空機は無し。風もほとんどありません。ランウェイ24より順次離陸をしてください』

『了解、小松管制塔。こちら風間、各機順次、私に続いて離陸せよ』


 風間君の声に全員が了解の通信を返す。事前に飛行の打ち合わせはされていたようで、きちんと離陸していく機体。


「久し振りに聞いたけど……風間君、ちゃんと隊長さんしてて安心した」


 私のつぶやきに、雄介さんが声を殺しながら笑うのが分かった。


 離陸して高度を上げると編隊を組む。私も今まで航空祭で異種機同士の編隊を組んだりしているけど、ここまで多いのは初めてだ。


「七機編隊だなんてすごいわね」

「ちはるちゃん、イタリア空軍なんて十機編隊でアクロを披露ひろうするんだぞ? 七機なんてまだまだ可愛いほうだろ」

「葛城、お前はなにをしたいんだ」

「まあ可能なら色々と」

「あきれたヤツだな、まったく」


 雄介さんが笑う。「可能なら」と葛城さんにしては珍しい言葉を口にしたってことは、やりたいことは今の彼等ではとうてい不可能なことなのよね、きっと。まあなにがやりたいのかは、だいたい想像はつくけれど。


「では打ち合わせ通りいきますよ、皆さん」


 風間君の声が割り込んできた。打ち合わせ?


『全機準備はよろしいか?』


『俺達を誰だと思ってる?』

『こちらは準備よしだぞ、空自君』


 風間君の問い掛けに、葛城さんとマクファーソン大佐がこたえる。


「なに? 打ち合わせ通りってなにをするつもりなの?」


 もう嫌な予感しかしない。まさか模擬空戦をいきなり始めるとか言わないわよね?


「まあなんだ。ブルーほどトリッキーなことはできないが、編隊飛行ぐらいならオッサン達でも可能だろうって話だ。十機編隊ほどじゃないが、下からだときっと見応えがあるぞ」

「私も見たいのに」

「心配するな。ちゃんと広報に頼んで録画している」


 風間君の指示で、それまでとは違った密集した七機のデルタ隊形をとった。雄介さんは風間君の真後ろ。ブルーの四番機の位置に近いけど、七機なのでどういう位置づけになるんだろう。そして両サイドには、葛城さんとマクファーソン大佐が飛んでいた。


「なんだか凄い人達にはさまれちゃってるのね、私達」

「俺が間に入らないと、二人はすぐに小競こぜいを始めるからな」

『お前達、今日は編隊長の風間二佐の指示に従って、おとなしく飛べよ』


 両方に人差し指を向けながら念押しをする。わかったよという言葉の奥で、チッと舌打ちが聞こえたのは気のせいだと思いたい。七機編隊でのファンブレイクから、風間隊長(?)の指示で隊形を変化させながら、航過飛行を地上で見上げているであろう子供達に披露ひろうする。


 私はコックピットから、離れたり近づいたりする他の機体を見ているだけだったけど、本当に見事としか言いようがない。さすが日米パイロットのOB現役コラボ。あとで映像を見るのが楽しみだ。


 そんな楽しい時間もあっという間に終わって、一機ずつ地上へと戻っていく時間になった。地上で駐機してコックピットから降りたら、雄介さんが飛ぶことは二度とないのだ。できることなら、もう少し一緒に飛んでいたかったな。


「ちはる」

「なに?」


 滑走路をタキシングしている途中で声をかけられた。


「俺はこれで最後だが、ちはるはまだまだ現役自衛官として飛び続けるんだ。各務原かがみはらでは、また俺のことを乗せて飛んでくれよ?」

「また誘って良いの?」

「もちろん」

「だったら頑張って時間を作らなくちゃ!」


 まだ雄介さんと一緒に飛べる!! そのことに、思わず両手をあげてバンザイをしたくなった。


 ハンガー前に来ると、そこに立っていた隊員の誘導に従って機体を停止させる。エンジンの灯を落とすと、今までの喧騒けんそうが嘘のように静かになった。


「すべての機体の停止を確認。榎本えのもと一佐、長きにわたりお疲れ様でした」

「ありがとう、吉永よしなが三佐。最後に大所帯の面倒をみさせて、申し訳なかった」

「いえ。めったにない飛行隊の管制に立ちあえて光栄です。皆さん、お見事でした。管制塔からは以上です」


 雄介さんは管制塔の吉永三佐と最後の通信をかわすと、名残惜なごりおしそうにコンソールをなでる。やっぱりラストとなれば寂しいわよね。気がすむまでお別れをさせてあげようと、黙ってその様子を見ていることにした。


「さて、そろそろ出ていかないと、なにをこそこそ嫁と話しているんだって引きずり降ろされるかな」


 しばらくすると、雄介さんはそう言って笑いながらキャノピーを開けた。


「雄介さん」

「ん?」

「今日は乗せてくれてありがとう。雄介さんのラストフライトに立ち会えて良かった」

「ここでハグなんて無しだからな」

「わかってる。それは帰ってからね」

「楽しみにしているよ」


 整備員の一人がタラップを機体横に設置した。雄介さんは安全ベルトをはずすと、上がってきた佐伯空曹長の手を借りてゆっくりと立ち上がる。その後に続いて降りてから、さっきまで気になっていたことを質問してみることにした。


「ねえ、今回の飛行、もしかしなくても事前に、全員で一度は飛んでるわよね?」


 どのパイロットも技量が高いのはわかっている。だけどいくらなんでも、あの編隊飛行の数々を、ぶっつけ本番でやってのけたなんてことを信じるほど、私もおバカじゃない。絶対に一度は皆で予行しているに違いないのだ。だけど雄介さんは、さあどうだったかなと言いながら笑うばかりで、答えてくれなかった。


 そこへひなたが駆けよってくる。


「すっごいよ、パパ。普通に飛ぶだけだと思ってたのに!!」

「初めて飛ぶところをお前達に見せるんだ、少しはかっこいいところを見せないとなあ」

「うん、すっごくかっこよかった! パパ、お疲れ様でした! じゃあ、お待ちかねのシャワータイムだよ! ママも一緒にね!」


 ひなたの言葉にえ?と聞き返そうとしたとたんに、文字通りまわりからお水が飛んできた。


「ちょっと、なんで私まで?!」


 巻き添えをくうなんて真っ平御免と逃げようとしたら、雄介さんの腕につかまった。


「夫婦は一蓮托生いちれんたくしょうだろ? 人前で一緒にシャワーなんて、なかなかない機会だぞ?」

「それシャワー違いでしょ?! それに一蓮托生いちれんたくしょうとか言いながら、私を盾がわりにしているのは何故?!」

「気のせいだ」

「嘘ばっかり! 絶対に私のことを盾にしてる! ちょっと雄介さん!」


 …………まあお水ばかりではなく、たまに暖かいお湯がまじっていたから、バケツシャワーに参加した全員の名前を聞き出して、仕返しすることはやめておくことにする。


 でも、絶対に私のほうが、雄介さんより濡れている部分が多かったはず!



+++++



 さて、ラストフライトのセレモニーが大々的に行われたんだし、これで自分の誕生日には、大手を振って退官して楽隠居……なんて雄介さんは思っていたらしいんだけど、そうはならなかった。どうしたことか、ちょっと上の人が何か小細工したらしくて、あと三年間は空自で働くことになったらしい。


「あの狸オヤジめ、俺達をまだこき使うつもりか」って悔しそうに言っていたところを見ると、どうやら葛城さん達もご同様だったみたいだ。


 そしてこの件では、その話が出る度に沖田君がなぜか申し訳なさそうな顔をするので、ああ、あの人が首謀者なのねとピンときたのは言うまでもない。


 ま、ゆうさんに聞いたところによると、葛城さんは「入間の航空祭で、シルバーインパルスとして飛ばせてくれるなら、残ってやってもいいぞ」なんて条件を相手に突きつけたっていうんだから、どんだけ飛ぶのが好きなのよって話なのよね。

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