第三十三話 卒業式ともう一つ
夏期休暇が終わると、十月の卒業式はあっというまにやってきた。卒業式は、入学式が行われたのと同じ講堂で行われる。それぞれが校長の
この後は全員がそれぞれ元いた部隊へと戻っていく。中には同じ
卒業がまだ先の候補生達に見送られ、父兄や関係者達が待っている場所へと向かった先で、制服を着込んだ
「よう、卒業おめでとう、
「ありがとうございます! あれ、杖は? なくても大丈夫なんですか?」
駆け寄ってみると、以前は持っていた杖がないので心配になってたずねた。
「今日は持ってきてない」
「まさか、後ろに隠し持ってるってことはないですよね?」
念のために背後ものぞきこんでみる。
「長時間立ち続けたり長い距離を歩かない限りは、もう必要ないんだ。別にかっこつけたくて隠してるわけじゃないぞ」
「そうなんですか、良かった」
そう言いながら、来ているはずの両親の姿を探した。このへんで待っていると思ってたんだけどな。
「ああ、そうだ。お母さんは病院で緊急の手術が入ったとかで来れなくなった。今頃は手術室だと思う。で、お父さんはお母さんが来れなくなったということで、なぜかあっちに残ることになった」
「え? どうして?」
母親が来れなくなったのは理解したけれど、それでどうして父親までが来ないのか分からない。
「俺と二人っきりにすると殴り合いになるかもしれないからダメだと、お母さんに言われたらしい。文句を言うなら注射を打つぞって、お母さんに脅されて泣く泣く諦めたと言っていたな。ところで注射ってなんのことだ?」
「ああ、なるほど。それ、前に父親が三佐をぶん殴りに行くって言い張って、母親がそんなこと言うなら、一年ぐらい眠りっぱなしになる注射を打っちゃうわよって脅してたの。多分それのこと」
どうやらあの時の脅しは、いまだに有効らしい。
「なんとまあ。どうりで、ちはるのお母さんとうちの姉貴とは話が合うはずだ」
ようやく合点がいったと笑った。
「まあそういうこともあって、俺が代表してちはるのお出迎えすることを、御両親からおおせつかったというわけだ」
「そうだったんですか。ありがとうございます!」
きっと母親なりに気を遣ってくれたんだろう。もしかしたら父親も泣く泣く諦めたふりをしながら、そんな母親の思惑に乗ったのかもしれない。まあ実際のところは、量産一号機の初飛行が間近に迫っているので、それどころじゃないのかもしれないんだけど。
ところで
それと胸についているウィングマークが、ピカピカで真新しいというのも注目すべきところ。それを見て嬉しくなってニンマリと笑うと、雄介さんも私の胸のウィングマークに目をやってかすかに笑みを浮かべた。
「だけど、すみませんでした。今は大事な時なのに」
「ん?」
「だって、テスト飛行の開始が迫ってるんでしょ?」
「ああ、それな。こっちの作業はほぼ終わっているんだ。だから次に本格的な忙しさになるのは、
葛城さんというのは雄介さんの同期で、今回のテスト飛行のパイロットを務める人だ。前任地は
それから葛城さんの他にもう一人、
「私も休みの時には見に行きますね。父親には許可をもらっているので」
「それはかまわないが、それとは別に
「なんのことですか?」
真面目な顔をして聞き返したら、しらばっくれてもムダだぞって顔をされてしまった。
「あそこにあるT-4に乗せろと言ってるらしいじゃないか。親父さんがどうしたものかと困っていたぞ」
ちょっと電話で話しただけなのに、どうしてその話が雄介さんにまで伝わっているんだか。
「別に無理にとは言ってないですよ。休みの時にしか行けないし、本当に飛ばせるようになるかわからないですけど、後学のために少し勉強させてくれってお願いしただけです。三佐が岐阜で新しいことを始めたから、私もちょっと違うことをやってみたいなって。もちろん、今の任務をおろそかにするつもりはないですよ?」
雄介さんは量産一号機の初飛行に合わせて、本格的に整備員としての勉強を始めていた。将来的には、
「まったく、怖いもの知らずもここまでくると考えものだな。そのうち本当に飛ばすことになるんじゃないか?」
「そのうち飛ばすのなら、大型機が良いかな。ほら、アメリカ空軍で飛んでいるボーイングの給油機とか。あれ、空自で導入しないかなあ……」
「KC-135か? まったくちはる、一体どこまで飛ぶつもりでいるんだ?」
「まあそうですね、せめてアメリカ本土ぐらいまでは自分で飛ばしてみたいかな」
私がそう答えると、やれやれと呆れたように笑った。
「ところで話は変わるが……」
雄介さんが制服のポケットに両手を突っ込みながら、私を見下ろす。その顔こそ、なにか企んでいるように見えるのは気のせいだろうか?
「静浜でちはるが、ひざまずくのは男と決まっていて、その時が来たら俺にひざまずけと言ったのを覚えているか?」
「ちょっとニュアンスが違うような気はしますけど、覚えてますよ。物騒に聞こえるって、三佐が文句を言ってたことも」
私、そんなに偉そうな口調で言ったかな?と内心で首をかしげながらうなづいた。
「今がその時だと思うから、ここでやっておこうと思うんだがどうかな」
「?」
三佐はそう言うと、いきなり私の前でひざまづいた。そして制服のポケットからキラキラ光るものを出して、私に見せるとニヤリと笑った。
「機長、いや、天音ちはる三等空尉、俺と結婚してくれるか?」
差し出されたその手の中にあるものは指輪だ。しかもキラキラと光る石がついている! これは世の言うプロポーズというもの?!
「こ、こんなところでなんてことをするんですか!」
周囲には卒業生だけではなく在校生やら関係者がいっぱいいて、なにが起きているんだ?と遠巻きに立ち止まると、興味深げに私達の様子をうかがっている。
「こんなところだからだろうが。さあ、これだけの人間の前で、上官の
「これって
「こんな風にひざまずいてする脅迫なんてあるものか。さあ、返事は? 聞かせてくれ。今日はちゃんとキルコールした責任をとるつもりで、ここに来たんだからな」
そりゃあキルコールした責任はとってくれとは言ったけど、まさかこんな人の大勢いるところで、責任をとります宣言をされるとは思わなかった。もしかしてここなら、私がことわらないまでも、保留すらできないだろうと考えてのことだったら、三佐はなかなかの策士だ。
「返事は? んー?」
しかも、呆れたことに面白がっている。
「ここで返事をしなきゃダメなんですか? 二人だけのところであらためてなんてのは?」
「そんなことをしたら、俺がここでひざまづいた意味がないじゃないか。そんなのダメに決まってるだろ」
ってことは、皆が耳をそばだてている中で返事をしなくてはならないということだ。
「それで? どうなんだ? 俺と結婚してくれるか?」
「なんでこのタイミング」
「これ以上に良いタイミングがあるものか。少しばかりくたびれた片足の元イーグルドライバーだが、どうなんだ?」
別に片足だろうと両足だろうと私は気にしてないのに、三佐はやっぱりそのへんのことを気にしているんだなあと改めて思った。
「……いいですよ、わかりました。私、天音ちはる三等空尉は、
とたんに周囲から、冷やかし混じりの歓声が上がった。もう恥ずかしいったらありゃしない。
「まあ、最初に撃ち落とされたのは俺のほうなんだけどな」
そう言いながら三佐は、私の左手をとって薬指に指輪をはめてくれた。残念なことに、仕事柄この手の石がついた指輪をはめ続けることはできない。だからさっさと二人で、おそろいの結婚指輪にするべきだと思う。そう提案すると、三佐も賛成してくれた。
「すまないが手を貸してくれ。さすがに片足でこのまま立つのは無理そうだ」
「もう無茶をするんだから」
「ひざまずけと言ったのはちはるじゃないか」
「こんなところでひざまづくとは思ってなかったですよ」
両手で雄介さんの手をつかむと、体重を後ろにかけて勢いよく引っ張り上げた。立ち上がった雄介さんは、そのままの勢いで私のほうに倒れ込んでくる。そしてそのまま腕が体に回されて抱き締められた。さらにキスまで!
「ちょっとここは公衆の面前! しかも校長と空幕長がおいでです!」
雄介さんに抱き締められた私の視界に入ってきたのは、その手から修了証書を受け取ったばかりの天城空将補と訓示を読み上げた白峰空将だ。二人は私達のことを見て、なにをしているんだ?って顔をした。そこにいた他の人から話を聞いてうなづくと、ニヤニヤしながらこっちをながめている。
「だからなんだ。白峰空将と天城空将補だって男だ、こういうことの心当たりはあるだろう」
「そういうことじゃないですよ、もう絶対に向こう三十年ぐらい語り継がれちゃいますよ! 卒業式当日にこんな場所で、プロポーズだけじゃなくキスまでしちゃって!」
「それは良かった。退官するまで俺達は有名人だな、ちはる」
「だからそういうことじゃないです! こんなところでいちゃいちゃしていたら、叱られて
三佐の体を押してその腕の中から抜け出すと、ちょっと怖い顔をしてみせた。
「そうか? 怒っている人がいるか?」
そう言いながら雄介さんは振り返った。そこには、ニヤニヤしながらこっちを見ている天城空将補と白峰空将。雄介さんが二人に視線を向けたところで、白峯空将が片手をあげてハンドサインを送ってきた。それに応えるようにして雄介さんもなにかを送る。それを見た二人が、ますますニヤついた顔になった。
「ちょっと! なに偉い人にサインを送ってるんですか!」
「あっちが先に送ってきたんだ、問題はないだろ。それに応答しないほうが失礼に当たる」
「でもですね」
「
「なんでそこでお墨付き?」
雄介さんが
「あれ、知らなかったか? あの人も元イーグルドライバーだ。つまりはイーグルドライバーからの
「……え?」
「空自がイーグルの運用を開始した年に、初めて飛ばしたのが白峰空将が所属していた飛行隊だったんだよ。つまり白峰空将は初代イーグルドライバーってやつだ。知らなかっただろ? ちなみに天城空将補は、白峰空将の部下だった」
そして私を見下ろしてニヤッと笑った。
「これでわかっただろ? ってなわけで空幕長直々のお許しが出たんだ、もう一度な」
そう言いながら、雄介さんは私を引き寄せてキスをした。
そして私の心配した通り、この件は向こう三十年ぐらい語り継がれ、私達はたびたびこの話で冷やかされることになった。そして困ったことに、そのたびに雄介さんが皆の前で私にキスをするものだから、ますます噂の上塗りという悪循環に陥ることになるんだけど、まあそれはまた別の話だ。
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