地獄のサポートセンター
于眞渓 未瀧
序章:特赦課の日常①
地獄界、特赦課――午後5時。1日の中でも追い込みの時間が近づいて来る。
終業まであと30分。ちらと壁に掛かる時計に目を遣ると、先程仕上げた申し開きの文面を
再チェック。誤字脱字は無い、良し。ただ――やや度が進んだようにも感じられるレンズが
結ぶ文字のぼやけに、こちらでも疲れ目はあるのだろうかと首を捻りながら、しかしそれも
当然かと妙に納得してしまう。
さて、今日も各階層での苦行を優秀な結果で終えた罪人たちが、それぞれの申し開きの為、
天より垂らされた蜘蛛の糸を鳴らす。ここはその申し開きをエンマ様へと繋ぎ、罪人たちが
再び天界へと旅立つ為の「天界飛び級コール」のサポートセンター。
文字通り、どの階層の罪人でもここで申し開きをし、認められさえすれば残りの天寿は
帳消しとなり即座に天界逝きが約束される、地獄で唯一のサポート窓口だ。
オペレーターは階層の数と同じ、計8名。1日1本なら余裕で捌けた人数だが、新システムに
移行してからはどうにも人手不足が否めない。獄卒さんの1人でも誰か回してくれたら変わる
んだろうけど。デスクワークで固くなってしまった身体を解すように両腕を思い切り伸ばし
背を逸らすと、心地良い痛みが今日の激務を物語る。
1日1人の受電ペースから、西洋・東洋部の統合でシステムが変わり各階層での苦行を勝ち上がった上位3名からの申し開きを受けるルールとなってから、格段に慌ただしさを増した業務に最近は手を抜く暇も見つけられない。せいぜい残業にならぬよう、受電ペースを自身で調整する程度が関の山だ。前生でもここまで働いたことはなかったのではないかと、ほんの少し
可笑しくなりながら微妙に余ってしまった時間をどう誤魔化すかと算段を練る。
残業手当は勿論つくが、せずに済めばそれに越したことはない。手当と言っても既に地獄の住人である自分に支払われる対価と言えば、エンマ様自らが挽くコーヒーぐらいなものだ。
だがそれもエンマ様の仕事あがりの一杯のご相伴に与る形となる為、寛げるかと聞かれると
そうでもない。……まあどちらにせよ、あまり有難いものではないとだけ言っておく。
8時間の苦行を終えた罪人たちからの電話は、その当日に掛かるわけではない。
オペレーターが取るのは当日以前に申し開きの権利を勝ち取った、別の罪人たちからの
入電だ。罪人たちが8時間きっかりの苦行を行う間、オペレーターは同様に当日以前の
罪人からの申し開きを受ける。1日1人から3人へ増えた分、順番待ちの待機期間は
増えたが、権利さえ勝ち取ればその日から申し開きまでの間と、沙汰待ち期間の1週間は
苦行が免除されることもあり、罪人たちにとっても悪い話ではない。
却下となれば地獄の住人に逆戻りだが、承認が通ればそのまま天界逝き。
天界逝きが増えればエンマ様を始め獄卒・罪人・オペレーター、皆が楽になれるという実に
素晴らしいシステムだが――現時点で一番大変なのは恐らく自分たち、オペレーターだろう。
前には申し開き待ちのエンマ様、後ろには順番待ちの罪人たち。
……以前のまったりペースが懐かしい。
ちょっと休憩。離席の為、ロック用に電源ボタンを押すと何とはなしに転じた視線の先、
切り替わる黒いモニターに瞬時浮かぶ笑みの輪郭にそんな筈はないと解っていても
身体が竦む。しかし小刻みな起動音と共に見慣れた蓮の花を象るスクリーンセーバーの
ロゴが表れる頃には、いつものように規則的に刻み始める鼓動。
大丈夫、何ともない。誰にも気付かれぬよう小さく息を吐くと、立ち上がりついでに
2つ並んだモニターの角度を調整する。集中すると前のめりになるせいか、いつも夕方には
モニターが朝よりも微妙に後ろに下がってしまう。恐らくそれは度の合わない眼鏡で画面に
寄り、けれど文字が見えないからとモニターを手で後ろへずらしてしまう悪循環に
よるものだ。
やっぱり眼鏡変えようかな、用度品で依頼するかと中央の休憩スペースに置いてある
「特赦課用」と力強い筆致で書かれた注文カタログの元へと歩を踏み出そうとして――
席同士を間仕切る衝立の上に置かれた、無機質なデスクに対し不釣り合いなエンマ様直筆の
筆文字のネームプレートが、妙な自己主張を見せるさまに目を留める。
特に自分の場合は。
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