PROLONG LIFE

夜表 計

第1話黒い雨

 一歩踏み出す度に足に激痛が走る。

 足場の悪い道を行かなければならなかったとは言え、歩行アシスト機能が全く役に立っていない。恐らく右足の親指の爪が剥がれかかっている。いっそのこと剥がれてくれれば爪と露になった皮膚が喧嘩せずにすんだのだが、愚痴を言ってもこの痛みが消える訳もなく、ただ黙々とテントが張れる場所まで歩くしかない。

『R、前方100メートル先に川が見える』

 5メートル先を歩く相棒の声が無線から聞こえる。

 確認しよう、と小声で答える。首のチョーカーが喉の振動を検知し、増幅と補正のかかった鮮明な声を相棒に届ける。

 川に近づくと、黒い水が流れているのが、見えてきた。川が黒いのは泥で濁っているからじゃない。この雨が、奴らの棲息域が、この川を黒く染めている。

『駄目だ、流れが速い。別の場所を探そう』

 5メートル間を空ける相棒に頷き、間隔を保ちながら上流へ歩みを進める。

 歩き続け、流れの弱い場所を探していると、ゴーグルに映る3次元地形計測グラフに大の男の顔がすっぽり入るほどの足跡が突如現れた。

「レド、奴らだ」

 雨音にかき消されるほどに小さく、相棒に忠告する。

『こっちもだ』

 無線から緊張が伝わってくる。嫌な汗が背筋を伝う。

「動くな、声も出すな」

 まだ奴らとの距離があると判断し、口元を押さえ最後の忠告をする。

 5メートルの間を空けているため、直ぐに助けに行くことは出来ない。そもそも奴らを倒すことなど出来ない、ただじっと過ぎ去るのを待つしかない。奴らに見つかれば連れてかれてしまう。そして二度と戻って来ることはない。

 距離を空けているのはそう言うことだ。お互いに警告しあい、1人でもシェルターに荷物を届ける事が出来れば多くの命が助かる。ゆえに運び屋は、大義の為であれば相棒の命を見捨てなければならない。小を殺し大を生かす。それが運び屋のルール。

 足跡が離れて行く。その方角は、そっちには、

『R、こっちはもういなくなった』

 相棒は気付いてない。叫ぼうとする衝動を必死に抑え、小声で警告を発する。

「そっちにもう1体行った」

 奴らに気付かれないように逸る気持ちを抑え、ゆっくり相棒の方へと進む。

 無線から言葉にならない雑音が響いてくる。

 雨が激しく降り注ぎ、相棒のマーカーが激しく揺れる。黒い雨はその光を反射、屈折などせず、相棒の所在を曖昧にする。

 駄目だ、もう助からない。その事実が足を止める。

 相棒は一通り振り回された後、地面へと急降下し、マーカーが消える。

 ここからではどうなったか見ることは出来ないが、容易に想像が出来る。

 激しく振り回され、身体の内側が激痛に襲われた後、地面から沸き上がった黒い水に飲まれていく。何度も見た光景だ。

 飲まれていく同業者達の表情は皆同じだった。痛み、恐れ、悲しみ、後悔、絶望、そして生への渇望が綯い混ぜになって浮き上がっていた。

 雑音だけで、もはや声など聞こえなくなった無線から相棒の声が聞こえてきた。それは本能的な願望では無く、1人の人間としての願いだった。

 そして、無線から何も聞こえなくなった。雨音だけが現実を教えてくる。

 ゆっくりと相棒が居たところまで歩いて行く。その間、頭の中はレドの最後の言葉が木霊していた。

 周囲には、相棒が背負っていた荷物が散乱していた。その荷物に紛れて銀色のペンダントが目にはいる。それはレドが肌身離さず持っていたお守りだった。

 黒い水に飲まれながらもレドは何かを残そうとした。ペンダントを強く握り締める。

 散らばった荷物を集めようと立ち上がった瞬間、身体を突き抜けるような視線を感じた。見上げるとそこには目玉の付いた巨大な塔のような何かが建っていた。光る目玉のせいかその大きさが実感として身体を震わす。

 動く事が出来ない。奴らに囲まれた時とは違う緊張が身体を縛り付ける。

 目玉の光が点滅し始める。何が起きたのか訳もわからないまま点滅は激しくなり、そして辺りを塗り潰す閃光が目を焼こうと降り注ぐ。

 目を守ろうと身体をひねり、片手で顔を覆う。それでも瞼を突き抜ける光が意識を白く染めていく。


 意識にかかる靄が晴れていく。身体を起こし、周囲を確認する。突如として3次元地形計測グラフに急な段差が表示される。

 意識を失う前はなだらかな坂道だった場所に巨大なクレーターが出現していた。

 また、爆発が起きた。俺達の生命線を壊すようにそれは地形を変えていく。

 ゴーグルを外し、雲が晴れた空を見上げる。そこには黒い人型が何百体も連なり虹のようにアーチを描いて浮いていた。


 荷物をまとめ、人類の生存を許さないこの大地を再び歩き出す。

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