第32話 精巣摘出…ホルモン治療

 僕の精巣摘出手術の準備は手際よく進められ、執刀医の先生が入ってくると、僕は笑気ガスを吸わされた。


 そして、胸の上でカーテンを閉められると、僕は自分の股間が見えなくなった。


 僕には意識がある状態だったが、感覚が鈍くなった感じで、自分の股間で何がされているのか、よく分からない状態だった。


 えっ、注射器が見えた!…麻酔かな?


 股間で何かをされている感触はあったが、カーテンで視界を塞がれた状態では、自分がされている事を想像するしかなかった。


 暫くすると、突然、何かを引っ張られる感覚がして、体が仰け反りそうになった。


 えっ、これって、金玉を抜いているの?


 すると、同じ感覚がもう一度して、暫く経つとカーテンが外され

「無事に終わりましたよ」

と執刀医の先生がマスク姿で言った。


 もう終わったの?


 僕が、呆気にとられていると看護師さんが僕の股間に布を掛けてくれた。


 20分くらいしか経ってないけど…。


 すると、母と柴田先生が部屋に入ってきた。


「立てる?」


 えっ、手術をしたばかりなのに…それとも、本当は手術をしてないの?


 僕は柴田先生に立つよう言われたので、分娩台から足を下ろしてみた。


 頭は少しボーッとするけど普通に動ける。


 股間に掛けられた布を取られると、僕の股間にはガーゼが貼られていた。


 本当に手術をしたんだ…。


 僕はパイル地のショートパンツを穿いて立ち上がった。


 あっ、普通に歩ける…。


 僕は患者衣を着ると、個室に案内された。


「土曜日に経過を診るから、それまではシャワーを我慢してね。今は麻酔が残ってると思うから、ベッドでゆっくりして」


 柴田先生はそう言うと母と一緒に部屋から出て行った。


 僕はベッドに横になった。


 僕は男なのか?それとも女なのか?


 自分がどんどん中途半端な存在になっていく気がする。


 ほんの一週間前は、自分が男として生きていく道も選択肢の一つとして悩んでいたのに…。


 いや、逆か…僕には女として生きて行く道しかなかったのか…。


 僕は何故か涙を流していた…。


 そして、昼過ぎになると局所麻酔が切れてきたのか、股間がズキズキと痛みだした。


 しかし、その痛みは激痛ではなく、今朝の痛みと比較すると、全く気にならないものだった。


 すると、病室に精神科の松村先生が入ってきた。


 先生は母に挨拶をすると、僕にクリアファイルに入った書類を見せてきた。


 診断書?


『病名:性同一性障害(MTF)』


『DSMーⅣ及びICDー10のガイドラインにより上記障害と診断する』


 先生が提示した書類には、僕が性同一性障害であることが記載されていた。


 これって、僕が18歳になるまで貰えない物じゃないの?


 それに、僕はまだ2回しか性同一性障害のカウンセリングを受けていないのに…。


 僕は松村先生に1回のカウンセリングと、別のクリニックで1回のカウンセリングを受けただけだった。


 当初の予定では、僕は二年間に亘り、合計二十回以上もカウンセリングを受ける事になっていた…。


 法律が改正されて、性同一性障害の治療が出来る年齢が16歳に引き下げられていた事は知っていた。


 しかし、16歳の若さで診断書が発行されるケースは、ほとんどないと言われていた。


 それは、ホルモン治療をする事により、生物上の性別の生殖機能を失うからで、誤診だった場合、未成年に対して病院サイドが責任を負いきれないからだ。


 性同一性障害の診断は難しかった…心の性別なんて目に見える物ではないからだ。


 しかし、僕は精巣を事故で失う事になり、診断書を発行する病院サイドのリスクがなくなっていた。


 僕は正式に性同一性障害に認定されてしまった。


 本当に僕の心は女性なの…?


 誰でも、女性的な部分と男性的な部分を持ち合わせている。


 きっと、心の性別って、体の性別と違って、簡単に二つに分ける事が出来ない物かもしれない。


 心が完全な女性をプラス10として、完全な男性をマイナス10とすると、僕はきっとマイナス5くらいの感じだ…。


 いいのかな?…これから女として生きていけるのかな…。


 すると、病室に柴田先生が入ってきた。


 性同一性障害に認定された僕は、早速、ホルモン治療をされる事になった。


 僕の体は男性ホルモンも女性ホルモンも生成出来ない状態だったので、人工的に女性ホルモンを投与する必要があった。


 僕の体は、丁度、生理の終わったおばあちゃんと同じ状態で、骨粗鬆症等の更年期障害を起こす危険性があった。


 なるほど、診断書の発行が早まった理由はこれか…ホルモン治療をしないと、僕は他の病気を発症する危険性が高かった…しかし、ホルモン治療をするには性同一性障害の診断書が必要だ。


 柴田先生は、僕に透明な丸いシールを渡してきた。


 女性ホルモンの投与方法には幾つかあり、注射や経口薬のタイプもあったが、今は皮膚に貼り付けるパッチタイプの物が主流になっているそうだ。


 僕は直径3センチ程の薄くて丸いシールを下腹部に貼るように言われた。


 言われた通りに貼ったけど、特に何も起きない…。


 シールには女性ホルモン剤が塗布されていて、皮膚から吸収されるそうだ。


 効果は3~4日あるそうで、効果がなくなったら貼り替える必要があるとの事だ。


 僕は、これから一生、このシールを貼り続ける事になる…。


 そして、暫くすると僕は病室で一人になった。


 僕は精巣の摘出手術を受けたばかりだったが、麻酔が切れて来ると通常の体調に戻っていた。


 虫歯を抜いた後より、体の負担が少ない…病室にいる意味があるのかな?


 でも、慌てて病院に来たから、洋服がない…何処にも行けないから、母が戻って来るまではベッドで大人しくするしかないか…。


 そして、昼過ぎになると母が病室に戻って来た。


 紙袋を持ってる…僕の着替えだ…家まで取りに行ってくれたんだ。


 母は紙袋から洋服を取り出した。


 うっ、ワンピースだ…しかも、可愛い系だ…ベリーショートの髪型には似合わないのに…。


 僕が嫌そうな表情をしていると、母は

「大丈夫よ、ちゃんとウィッグも持って来たから」

と言って、ショートボブのウィッグを取り出した。


 これって昨日僕が買った物かな?


 母の持って来たウィッグは少し茶色い髪色だった。


 僕が買ったのは黒髪だった筈なのに…。


 僕は取り敢えず、ウィッグを装着してみた。


 前髪の長さがピッタリだ…間違いない…これは僕が昨日買った物だ。


 お店や部屋で見た時は黒髪だったのに、自然光の中で見ると茶髪に見える…せっかく学校用に買ったのに…。


 僕がウィッグが入っていたビニールケースを見ると、そこには「ダークブラウン」としっかりと表示されていた。


 確認不足だった…。


 僕は少しがっかりしたが、母が持って来てくれたワンピースに着替える事にした。


 股間を手術したから、当分の間はズボンが穿けない…こんな時はスカートが穿ける女の方が楽かも…えっ、何だこれ…ピアノの発表会みたいなワンピースだ…。


「やっぱり、よく似合ってる!」


 母は僕のワンピース姿を見て喜んだ。


 母さんとはファッションの趣味が合いそうにないな…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る