第18話 俺はどこにいる?パラレル・ワールド


 昨日の続きの話。


 とにかく俺は、今の現状を打開するために考えた。遡っていくと、俺は、「俺が誰であるのか」全く知らない。


 子供の頃、俺は男なのか女なのか、どっちなんだろうと考えた。

もちろん生物学的な性で言えば、「ついてるのか」・「ついてないのか」で、はっきりする。


 俺は全てを疑うので、ついてるからそう、ついてないからそう、そういう単純なものではないだろう、と考えていた。


 間違った入れ物に中身が入ることだってあるだろう。


 まさか8歳の時くらいに真剣に考えたことを、この年まで引きずるとは思ってもみなかった。俺が急にこんなことを思ったのは、まあ今、時間がありすぎるせいだろうが、あまりに人生が八方塞がりすぎて、何かがおかしいんじゃないか、と思ったからだ。


 俺は、今の体の「生物学的な性」を棚に上げ、俺は男なのか女なのか考えた。


 女の時の記憶もたくさんあり、俺は、間違いなくその時、女だった確信がある。男だった時は、当たり前だが、確信があり、男だった。


 今はどっちだ?


 俺は、子供の頃に「どっちでもないよな、うん」と思った答えが、今もまさか無意識で続いてるとは思わなかった。


 突き詰めて考えると、実は俺はどっちでもない。


 そうなってくるとすごくややこしいことになり、俺の孤独感というのは、他の人と自分が共有できる現実範囲が狭すぎる、ということだった。


 どっちでもいいんじゃないか。


 実はその時々で、もっと柔軟に嘘をついてきたはずだった。外から見て、それが普通と思われるような、そういう役割を上手にこなして。


 今それができなくなったのは、はっきりと「どっちでもない、困ったな」と意識してしまったせいかもしれない。


 外から見える自分と本当の自分にすごく違和感があり、かといって、たくさんの記憶を持っていると、「自分というものを決定づけるもの」がよくわからない。


 その時々、全くの別人として生きていた記憶。


 とりあえず、「今の体でこの時間軸で経験したことの記憶」で、同一性を保てばいいんだが、その時々に、当時の別人だった時に体験した過去生のトラウマが邪魔していることに気づいてしまった。


 ややこしいのはこの辺りからだ。


 俺は、今の体で体験したこと以外の過去生の体験に、ここまで自分が引っ張られるとは思いも寄らなかった。だって、気のせいかもしれないじゃないか。


 なのに、気のせいでないくらい、自分を苦しめる。その理由がよくわからない。


 現実感覚を持って、リアルに、以前のことを急に思い出し過ぎる。


 俺は今の体でも十分にショックなことをたくさん体験してきたのに、それ以上に酷いことをどんどん思い出してくると、正直、どう生きていいのかわからなくなる。


 一時期、そんなことも知らずに平和に過ごしていた時期。


 疑いを持たず、普通に生きていた時期。


 その時期のことを思い出して、その時系列が呼び込む未来を歩けばいいじゃないか、と思ったんだけど、それができなくなった。


 それは何故かというと、よくわからない、ありえないような困難が立ちふさがってきていて、それを打開しようとすると、これまでの地続きの自分では到底無理であるとわかるから。


 俺は暴力的になったり、攻撃的になったり、被害者になったり、落ち込んだり、パニックになったり、無気力になったり、病人になったりと、よくわからない反応をしている自分に驚く。自分の反応というのは、意図して出ていない。


 まさかこんなにお腹が痛くなるのが、ストレスが原因だなんて、誰が思うだろう。俺は他の人と比べても、比較的「気楽な暮らし」をしているはずだった。どんだけ弱いんだ?


 それくらい自分がショックを受けていること、今の現実が、立て続けに自分を揺さぶっているのだろう。思い当たる節はあるが、自分には解決できない外の問題だ。


 俺は、ものすごく繊細で感じやすいようなところが、昔からあった。


 確かにそうだが、それにしても我慢できない。多分、この体で経験したことについても、積もり積もって、押し込めて我慢したことが、爆発するように許容量を超えてしまってる。


 その上に、この体以外で体験した辛い記憶がバンバン出てくると、身動きが取れない。


 


 俺の知ってる人に、統合失調症を発症したお兄さんがいる。お兄さんと呼んでも、血は繋がらない赤の他人。俺はそのお兄さんのことが大好きだったんだが、発症前、発症後、まともに会話できるのは俺くらいなんじゃないか。


 そのお兄さんはすごいイケメンで、音楽が上手で、学生でもプロとしてバイトしていた。背が高く、将来を嘱望されていた。音楽仲間がよく家に来てセッションしてたっけ。まさかこんな未来が来るなんて。なんというか、感覚も俺と似てて、良い友達になれそうな、そんな感じで、時々いろいろ、話してた。俺はその日のこともよく覚えてる。お兄さんの家に救急車が来た日。


 そのお兄さんが発症したきっかけは、すごくショックなことが重なった、そういうタイミングだった。何も知らされてない俺でも、時々見かけるお兄さんが、苦しい恋をしていることを何気なく知っていた。まさかそれが、こんな未来を呼ぶとは。恋というのは本当に侮れない。それだけが原因じゃないが、誰にでも起こりうるようなちょっとした人生の困難。ちょっとした、なんて俺にいう資格などゼロだな。俺は、お兄さんを助けてあげることが全くできなかったのか、自分で自問自答する。まさかそんなに苦しんでいたなんて。普段、落ち着いてクールに見えるお兄さんからは、こんな未来が想像もつかなかった。何か一つ、変わっていたら、現実が違っただろうか。


 確かにお兄さんは追い詰められていたと思うけど、そう思うと俺だって相当の追い詰められ方をしていて、自分だって完全に壊れないのがむしろすごいんじゃないか、と思えてくる。俺が体験していることの方が、こんなことを言ってはなんだが、客観的に見ても悲惨だ。まあ、そんな比較、全く意味がないな。


 俺って、しぶといんじゃないか、と思わず苦笑する。


 お兄さんと病気の発症後に話した話などは、ここでは割愛する。まるで、なんというか、筋が通ってない会話になるんだが、エスパーと話してるみたいな会話になる。俺にはそれがよくわかった。普通の人なら、この人おかしなこと言ってる、で片付けられてしまうような話。


 お兄さんは、お兄さんが知るはずのない俺の過去を見て、話してた。なんでお兄さんがそれを知ってるのか、本当に謎だった。お兄さんは俺の過去、お兄さんと出会う前の俺が子供の頃のことを知ってた。俺らの現実は捻れて繋がってるということに、真剣に驚いた。詳しくは話せないが、お兄さんは、まだ俺と出会う前に俺が住んでた家の庭での出来事について、そこで俺と遊んだ時のことを話した。


 でも実は、俺、お兄さんがその当時、俺がすごく気に入って、いつも一緒にいて遊んでた子の生まれ変わりだと知ってる。ややこしいな。俺が子供の頃、よく遊んだ子とお兄さんはパラレルの存在。パラレルの存在というのは、連動している。別の世界に生きているのに、横つながりで影響し合う。それがどういうことなのか、うまく説明ができない。俺がそのことに気づいた時、実際の現実世界というのはどうなっているのかよくわからない、と首を捻った。普通に生きていると、パラレルの世界があることに気づかない。


 パラレルの世界にいた住人が、こっちに侵入してくることがある、というのか。別世界のはずなのに?単なる他人の空似なんじゃないか。


 それが、条件をちょちょっといじっただけで、この条件ならありえる、というふうになった時に、上手に自分が主軸として生きている現実世界にパラレル・ワールドから介入してくる。そのことに気づいた時、俺は人生というのはなんとでもなる、実はどうにでもハンドルできるのだ、と気づいた。おかしなことを言う、と人からは思われる。例えば、亡くなった人、その死を悲しんでいたら、「そっくりな人」が出てきて、また役者だけ入れ替わるみたいに、前と同じように自分の人生が続いていくというような。


 どうもそういう経験をしている人は多い。残念ながら俺には起こらない。俺は、そういう現実を拒絶しているのだろう、と思う。強い拒絶があると、現実がそんなふうに回らない。俺は、自分があまりにも自分に都合の良い現実を呼び込むことを拒否してる。俺は苦しむことによって、何かを見出そうと、無意識に「簡単でていのいい解決」を却下する癖がある。


 それってパラレル・ワールドの存在の介入じゃなくて、単なる偶然というか、補完された何か代替物のようなものじゃないか、と普通なら考える。


 俺、「どうやっても説明つかないおかしなこと」を現実世界に読み取って、その「フィルター」をかけて世界を眺めると、「世界が説明可能になる」ということに気づいて、それで驚く。俺が突拍子もない自説を説明する時、俺にとってそれは「そのフィルター」で世界を斬ると説明可能になる、という本当に自分勝手な自説で、時と場所、主張の仕方を間違えると、俺は確実に精神病院の入院患者となってしまうだろう。だからあまり強く主張しない。


 そうかもしれないし、そうでないかもしれない、創作物、イマジネーションの範囲にとどめないと、「頭のおかしい精神病者」ということにされてしまう。


 そんなの気のせいに違いない、当たり前に、単に偶然だろう。自分に都合良いこじつけだ。


 絶対に他の人はそう思うに違いないから、あまり説明しない。でも例えば、じゃ、このお兄さんが、「知りえるはずのないこと」を「知っている理由」は説明できない。俺の勘違いかも?


 いやあ、俺は突っ込んでもっと聞こうとした。なぜ、俺が子供の頃、住んでた庭を知ってるの?覚えてるの?


 お兄さんの返事はもちろん、的を得ない。当たり前だが、知ってることを「なぜ知ってる?」と聞いても、「知ってるから知ってるんだ」となってしまう。


 俺の人生にはそういうことが多い。どうしても説明しようとすれば、現実認識を変えるしかなくなる、そういうことが。


 ここに落とし穴がある。実のところ、人の感覚、知覚というものは、絶対的なものでなく、、いわゆる錯覚ということが頻繁に起こるから。


 ススキがとっさに幽霊に見えるような、そういうタイプのもの。


 そんなふうに中立的に、ニュートラルに考えようとしたが、俺はとりあえず、お兄さんが言っているのは、俺の過去、そしてお兄さんは、本当は大人になって初めて出会ったはずだが、俺が過去に仲良く遊んでいた子とパラレルの存在で繋がってる存在。だからお兄さんは、知るはずのない俺の子供の頃の庭のことを、よく覚えてる。まあ、もしかして、庭なんてどこの家でも似ているかもしれないが、俺は、でも、そうとしか思えない、と結論づけた。だって、イマドキ、そんな庭は近所にない。お兄さんの家の庭もそんなじゃない。


 お兄さんのお母さんもよく知っているが、お母さんはどうやら、俺がお兄さんと話すことに不安を持っているらしい。お兄さんは家族と話す面会の時に、すごく興奮するらしいから。何か、家族間で、そういう「怒りのトリガー」となることがあるのかもしれない。家族ならどうしても、そんなことがあって当たり前だ。俺は関係ない第三者。でも、俺が喋って、お兄さんに何か精神的に影響しても、良くないということなんだろう。それはよくわかる。他の人の感覚では、自分たちは完全に正しい、お兄さんの現実認識の仕方がおかしい、そういうことだから。


 俺とお兄さんが話す時、お兄さんはそんな、急に怒り出すようなそぶりはまったくない。薬のせいかもしれないが、お兄さんが怒るとか暴れるとか、想像もつかない。ただ、俺は、話せば何か分かる気がしたが、話せる機会は、短い帰省の時しかなかった。お兄さんは良くなる見込みがないと、病院での生活になってしまったから。俺にとっては、お兄さんは、確かに現実認識が他の人とは共有できないが、少なくとも、俺とは共有できる。なんなんだろうな、俺は。


 他の人はおそらく、この人、意味不明のこと言ってる、とすぐに思うだろう。今見ている現実と全く違うことを言うから。


 俺は、コミュニケーションの中での意味不明なことというのは、俺の現実認識と、相手の現実認識がまるっきり違うことによって起こると考える。相手の現実認識を正確に理解すれば、相手の言っていることが、ある一定の筋が通ってることに気づく。相手の生きている世界が見える。


 お兄さんは、お兄さんが受け入れがたい現実に遭遇して、現実を曲げることで、それに対処したんだろう。だから現実認識の仕方が、今のように「どこかこことは違う世界」にスライドしてしまった。俺には、お兄さんがどの現実に今生きているのかが見える。だからコミュニケーションをとることができる。


 お兄さんが生きている現実は、パラレル・ワールドであり、今、ここの現実ではない。


 それは悲劇的なことだったが、お兄さんが自分の生命を守るには、現実の方を変えるしかなかった。無理矢理に。


 お兄さんの気持ちを思う時、人というのは本当にフラジィールな存在だ、と思う。俺のように、無理矢理に清濁を飲み込もうと、普通はそんなこと、できないのかもしれない。多くの人が何も気づかずに生きて、自分のフィルターであまりに詳細な情報は自然にカットしている。俺のようにそういうことまで全部取り込んで、分析しながら生きていたら、身が持たない。


 俺は子供の頃、実は俺は、男でも女でもないな、ということに気づき、それがまさか、今の今まで、無意識の中で続いていたことについて、とても驚いた。


 子供の頃、俺は全く過去生のことも覚えてなかったし、未来も見なかった。現実だけを見ていて、SFみたいな世界ってすごいな、と思ったけど、まさか本当に自分が、そんな世界に生きるなんて思いも寄らなかった。


 その時々、必死で生きていた時は、そんなことも忘れて現実の中で、ただただ努力をしていたが、今のような状況になってしまうと、「自分の基本設定」から実はおかしかったのだ、と思い至ってしまう。


 でも、男でも女でもないとなると、非常にややこしい。


 俺は、実は途中で性別が変わるような、魚や昆虫なのか?


 いや、そうじゃないよなあ。最初から俺は「実は生物学的な性を無視したら、実は俺はどっちでもない」と知っていたのだから。


 ややこしいことを避けるために、俺は「生物学的な性」の決定に従い、役割をこなしてきた。でもその時々、なんか違和感を感じたことは否めない。


 決定的な違和感じゃなければ、その時々、役者のように役に入り込んで、忘れることができるんだが、人との関係性において、はっきり出てきてしまうとまずい。


 俺はどうやら、BやJさんといると、そんなふうに混乱するらしい。


 Jさんといると、どうしても戦場にいた頃の記憶が優勢で出てきてしまう。そうなると行動の仕方が、なんだかおかしくなってしまう。


 俺はいつもいつも、戦場であっさりと死んでいたから、できるだけ死なないように、選択しようとする「自然の動き」というものが、極端になってしまう。


 不意に後ろから肩を叩かれ、攻撃的に体が反応するというようなことも頻繁に起こる。一瞬、無意識で、殺されるような錯覚に陥って、反応が攻撃的になる。体が勝手に反応し、殺されないために、つい跳ね除ける。


 それは実は、戦場で前に出会ったことがある人だと、無意識で勝手に起こっていた反応だったのだが、記憶を思い出してなかった時は、おかしいな、アレッ?と、思っていただけだった。なんだよお前、びっくりするだろが。


 よくそう言われた。今もBにはよく言われる。実はBは、俺を殺した人と同じパラレルの世界に住んでる人だから。


 きっとわかりにくいと思うんだが、俺を殺した人、前世で俺を殺した人と出会って、Bはその人のパラレル・ワールドの別バージョンの人物。


 そんなことがあるのか、と言われてしまうが、現実世界が層になってる様子はすごく奇妙だ。俺とBが一緒に住んでるのは、過去生のカルマのせいだ。


 俺は、その人のことも、Bのことも好きなんだが、なんせ相手は、どんなにいい人でも、最終的には「俺を殺す人」だ。そういう人と一緒にいるストレス。だったら一緒にいるのを止めればいいんだが、現実は、本当に殺されかれないようなシーンが再現される現実に変化してきて、これじゃ、前と同じだと俺は驚く。


 これがカルマの怖さだ。引き合って、勝手に現実が紡がれるようになってる。


 今度は殺されない現実を選ばないと。俺って全く成長してねえな。


 今度こそ、と思うんだが、事態がどんどん悪い方に進んでいって、俺は、運命というのは変えられないものなのか、と思い始めている。


 運命は変えられないとか、決してそんなことはないんだが、この人生を無事に終えるには、とにかく自分が変わらないとダメだ。


 俺は一応、今の体の性別に合わせて生きるつもりだが、そういう理由もあり、俺とセックスとの相性はすこぶる悪い。


 この話は前にしたと思うが、俺が女だった時に、溺愛していた息子と抜き差しならない関係になってしまったことがある。


 その記憶を突然思い出した時は、本当にショックで、同時に、ああ、だから、自分にとってセックスというのは鬼門であるのか、と納得した。


 自分が人生からなるべく遠ざけようとしてきたことには、ちゃんと理由があったのだ。俺は、男でイニシアチブが取れる状態は、ある意味、救われてる、と感じた。イニシアチブを取ることができない女だと、どうすることもできない。流される感じは我慢できない。


 俺は母親だった時に、どうしたらこんな不毛な状況から抜けられるのか、悩みに悩んだ。俺はシングルマザーで、なぜ子供の男親がいないのか。なぜシングルマザーになったのか、全く思い出せなかった。幸せな結婚生活というのは、過去生を思い出そうとしても、そんなことはほぼ、一度もなかったんじゃないか。その子の父親と生活した記憶はゼロだ。


 思い出したことというのは、住んでいた部屋の前の廊下のこととか、部屋の中のこととか、息子が着ていた服の模様とか、なんというかどうでもいいディテールばかりだった。貧しかったのは確かだろう。部屋の感じで言うと、古い木造アパートみたいな、そうなると時代がさほど古くないということになり、今度はそうなると、この記憶は俺と同じこの体で体現されたものでなく、もしかしてパラレルに住んでる、俺とそっくりな別バージョンのどこか遠くの世界に生きてる女の俺じゃないか、とも思える。


 ここがややこしい。過去生とざっくり書いたが、体一個に、一個の記憶が時系列であるわけじゃない。同じ時代に、別の場所で、という記憶が存在してしまう。そのことを説明しようとすると、どうしてもパラレル・ワールドがある、ということになってしまう。俺なんだけど、俺じゃない。なぜ記憶が共有できるのか、俺は俺だけどパラレルワールドで生きている人だから、似た魂なんだが、厳密に言うと、俺が今生きてる時間軸と重なった次元のどこかに生きている。そうなってくると本当にややこしい。それは俺であり、俺じゃない。


 そういう人と出会うと、奇妙に鏡を見てるような気持ちになる。上っ面の条件だけ取り替えただけで、そっくりだ。もちろんお互い、なんか似ているね、というので終わる。それはそうなんだけど、どこか気持ち悪い。その気持ち悪さというのは、この体が共有している現実の範囲が広すぎて、前に書いたかもしれないけれど、俺はこの体にきっちりと収まりきれてない。それが、すごく気持ち悪い。


 俺は昔、他人と自分を隔てているものがよくわからない、と感じたことがある。子供ならではなのかもしれないが、この体という容器と自分の中身、思考回路、現実のつながりが、いまひとつ飲み込めていなかった。


 本当に小さな頃は生きるのに必死だから、椅子に頭をぶつけたり、テーブルの脚を掴んだりと、体が思い通りに全く動かないことについて、本当にストレスがあり、そういう時期を過ぎると、自分が世界と繋がりすぎていると、よくわからない感覚に陥るため、体の中にきっちり入ろうと無意識の努力が始まる。


 俺は時々ちゃんとできてても、突然によくわからないと思うことがあり、必死だから気づかないが、今、必死でなくなって、体の運転を自動モードでできるようになってしまうと、とにかく、突き詰めると「存在すること自体が難しいことなんだ」と思えてくる。


 「普通に存在する」ということは、本当に難しい。他の人が難なくやり遂げていることも、突き詰めて考えたら、息の仕方さえもわからなくなる。


 俺が、母親だった時、景色からいうと、昭和の日本なんだろう。俺は前に、歴史年表みたいなものを自分の記憶をたどって書こうとしたが、あまりに重なっている部分が多くて、意味不明だと感じた。こうなると、一個の体に一個の魂じゃなくなる。時系列的に重なりすぎててよくわからない。それで「一個の体に一個の魂、一つの時間軸で現実体験をしている」という認識自体が間違っているのだ、という結論を導き出した。人の記憶が勝手に自分の記憶と認識されている、というのではない。映画や小説で感情移入するのとは全く違う。


 突然にフラッシュ・バックし、全然、今の自分と関係ない状況に放り込まれるのが似てる。俺は、体外離脱したことは一度だけだったが、その時は、どうやって戻ればいいのか、離脱している間、本当に怖かった。


 それとはまた違って、フラッシュ・バックというのは、本当に一瞬、記憶を思い出す感じだ。まるで今、体験していることかのように、鮮明に。そしてあんまり脈絡もない。トリガーとなるのは、なんだろうな、あまりにランダムだから、トリガーが思いつかない。そうなってくると避けようがない。リラックスしていて、普通にぼーっと何かを待ってるような時、歩いているような時にも起こる。それ以外に、「以前に出会ったことがある」人に対面しても、突然起こる。


 そんな感じになると、気持ちが休まらない。落ち着いた頃、忘れた頃に急に起こる。そこまでショックすぎることは思い出さないが、死ぬ間際、殺される間際を思い出した時はショックだった。


 なぜショックかというと、テレビやドラマで死ぬ、その想像とは全く違うものだったから。全く違うということは、実体験なのか?と思わざるを得なかった。自分自身の想像の範囲を超えて、勝手に出てきたものというのは、疑いようがなくて、以前、殺されたことある人に「殺された時って、どうだった?どんな感じだった?」と、聞いてみるしかなくなるじゃないか。


 俺がショックを受けたのは、他でもない「これは本当のことなのかもしれない」という「現実感のある手触り」だった。映画やテレビ、小説じゃない。俺の現実認識というのは、どうなってるのか。俺は、今まさに殺されようとしている時、殺されるってこんな感じなのか?思っていたのと違う、とすごく驚いていて、これは、体験した人じゃないと絶対にわからない。敢えて詳しく書かない。前世療法の本とか読んでみたが、死の瞬間は人によって違うが、俺が体験したことは「殺される」瞬間の記憶で、同じ記憶を持つ人がいない。


 ああ、だから、何度も同じ人に出会ってしまうのか、と腑に落ちたが、カルマの解消の仕方というのがよくわからない。とにかく、相手に尽くすことで解消されるんだろうが、殺した方が、被害者に尽くすんだから。


 Bが俺に良くしてくれるのも、無意識でそのセオリーを踏まえているせいだ。恐ろしいが、「法則」というものから、人は逃れられないらしい。


 あと、思い出したのは感覚的なことばっかりだった。俺は息子を溺愛していたが、自分の血を分けた子なのに、全く思い通りにいかず、完全に翻弄されて、小さな子供のはずなのに、どういうことなのか理解ができなかった。誰かに助けを求めるにも、あまりに異常な状態で、相談することすら憚られた。


 息子は子供のように無邪気でいて、それでいて、大人の男のようにどこで習ったのか全くわからないというのに、何から何まで長けていた。本当に意味がわからない。普通、子供というのはただヤリたいだけというか、もっと、自分のコントロールができないものだろう。それが全く違った。理解できない。完全に自分は弄ばれていて、そのことについて、相手が全くの大人で、どうすることもできない。逃げられない。どういうことなのか、俺は、セックスに完全に嵌ってしまっていて、完全にその子にコントロールされていて、そうやって出来上がってしまった世界が、あまりに閉じていることについて、外に助けを求めていた。


 逃げ出せない。


 俺はその記憶を突然思い出した時に、この子が大人で、自分の子じゃなく、もしも赤の他人であれば、何の問題もないのか?と自問自答した。何度も。


 俺の無限ループ。


 人生を何度やり直しても、同じループに嵌まり込む。なぜだろう、なぜ逃げられない?出られない?


 条件を変えても、何も解決しない。



 そいつが赤の他人で、俺が女で、自分の子供じゃなくて出会っても、何も解決しない。


 なぜ解決しないことがわかったかといえば、そうやって今度は条件を変えて、再び出会った記憶があるからだ。


 条件だけ変えても、何も解決しない。俺は、ふとした時に、突然、過去の記憶を思い出して、凍りついた。


 この子……もしも、赤の他人だったら?もしも自分の子じゃなくて、彼氏や夫だったら?そうなら、良かったのに……


 俺は、混乱した。全然良くない。この子は、俺の子だった。もしも、赤の他人だったら、そうなら、と。


 一体何が悪いのか、条件を変えようが、何も解決しない。


 俺は、これがカルマと呼ばれるものなのか、と考えた。どんなふうに解消しようとしても、全く変わらない。生きれば生きるほど、業が深くなってしまう。同じ過ちを何度も繰り返す。


 俺の尊敬する友人が「禁欲することだ」と言った。


俺は、そんなの俺にとって造作ないこと、と答えた。


 ずっと長い人生の中で、俺は自分の性欲とそんなふうに付き合って、何も問題ないと、そう感じてきて。


 それが、違うかもしれない、と気づいたのは、なぜなのかわからない。


 もしかして、もうすぐ死ぬとか、そんなか?


 死ぬ前に自分の遺伝子をばらまいておかないと、というような生物学的な自然な衝動、欲求の発露なのか?


 そう思ったが、実はまだまだ死なないということが検査でわかった。なんだよ、紛らわしい。


 わかったところで、何も解決しない。それに俺はどうせ、死んだって生まれ変わることをよく知ってるのだから。


 問題解決に向けて、どんなふうに生きるのが正解なのか。何度も死んで、何度も生まれ変わって、なのに何も問題が解決していかない。


 なぜだ?なぜ俺は人生から、ちゃんと学ばない?わかっているのに、なぜ、事態は同じように最悪な方、最悪な方へ進んでいくのか?


 受け入れる、許容する、許す、反発する、関係を切る、環境を変える。


 いろんなことを試し、今まだ、人生の困難に直面する。何かを変えねば、永遠に困難がやってくる。


 友人は「人生とはそういうものです」と仏様のように言ったが、俺は、自分を変えれば、何かが変わるんじゃないか、と。


「起こってくる事象にとらわれないことです」


 その友人とは定期的に長いメールで話をしているが、ここ一年くらい、話していない。俺は、いつまでも俺が、同じ場所に立ち止まっている、進歩のない状況が恥ずかしくて、メールすることさえ、できないでいる。


「自分の中に想起されるものをただ見つめ、赦し、そのまま流していくことを繰り返すだけです。ニュートラルに自分が感じることについて、善悪の判断をせず、客観的にそうなのだ、と、すぐに手放し、とらわれないことです」


 答えはそうだ。わかってる、わかってるのに、なぜ苦しいのか。


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