第1話  賑やかな食卓

天井の隙間から、木漏れ日のような光が降り注いでいる。

時刻は8時半。

これが平日だったら大変だけど今日は土曜日だ。

だから大学もお休みだし、焦るような予定も無い。



「二度寝しようかなぁ……うん?」



一階から美味しそうな匂いが漂ってくる。

食欲と安心感を誘う物音と共に。

そうなると、空腹感が僕の怠惰を許さなかった。

何とか身を起こして階段を降りていく。



「おはようユウくん。まだ寝てても良かったのに」


「母さんおはよう。お腹空いちゃってさ」


「もう粗方出来てるわよ。先に食べてて良いからね」


「うん。そうするね」



リビングに向かうと、父さんと妹が居た。

二人とも週末は昼近くまで寝てるのに、こんな時間に顔を揃えるのは珍しい。



「おはよう父さん、ミカ」


「おはようユウキ!」


「お兄ちゃんおはようー」



僕は定位置に座りながら食卓を見た。

朝食にもかかわらず、テーブルの隙間が無いほどに料理が並べられている。


厚手のパンと粗挽きウィンナー。

スクランブルエッグとレタスサラダ。

コーンスープにバナナ入りヨーグルト。


かなり品数が多いけど、我が家ではこれが当たり前だった。

健康の源は食事から。

母さんはそう言って譲らないのだ。



「先食べてて良いってさ。だから僕はいただくよ」


「そうなのか。じゃあ父さんも食うかな」


「いただきまーふ」



サクリ。

こんがり焼いたパンから魔法のような音が鳴る。

僕は昔からこの音が大好きだった。

何よりも食べている実感を与えてくれるからだ。


父さんはウィンナーを両端から食べ、最後に真ん中を頬張る。

ミカはまだ眠たいのか、薄眼のままでヨーグルトを口に運んでいる。



「今日は天気が良いし、ちょっと遠出しないか? 遊園地、動物園、緑地公園なんかもいいな」


「いいね。僕は今日予定無いよ。ミカは?」


「アタシだめー。今日は夕方まで練習があるのー」


「そうなんだ。だから早起きなんだね」


「先生がやる気出しちゃってさー。『今度の大会は優勝するぉお』とか言ってんの」


「じゃあ大分しごかれるよね」


「あーぁ。前の先生の方が良かったなぁ」



ミカはぼやきつつ、カップに入ったスープを啜り出した。

それを見て父さんも鏡合わせのようにして飲み始める。



「じゃあお出かけは明日にしようか。それだったら良いだろう?」


「うん。日曜は練習無いから大丈夫だよ」


「よぉし。たまには奮発して、お小遣いいっぱいつかっちゃおうか……」


「父さん! スープこぼれてるよ!」


「え……本当だ!」



父さんの脇腹からコーンスープが溢れ、床に滴っていた。

どちらかというと左半身の損傷が激しいから、飲食物が漏れてしまいがちなのだ。



「かぁさーん。布巾。布巾持ってきてー」


「あらぁ。お父さんどうしたの?」


「食事中についウッカリ体を揺すってしまってね。床を汚してしまったんだ」


「そう……。でも、ちょっとした汚れくらい構わないじゃない。今更でしょう?」



母さんがため息交じりに言った。

それもそのはず。

何せ室内は血と泥とホコリで、凄まじい荒れ様なのだから。

僕たち住民が居なかったら廃墟そのものにしか見えない。



「ああ、そうだね。つい人間の頃の癖が……」


「しっかりしてくださいな。子は親を見て育つんですからね」


「新環境ってのは若い方が順応しやすいんだよ」


「まぁそうだけどもね」



母さんは箸を片手に座り、スムーズな動きでテレビを点けた。

バラエティ風のニュース番組ばかりが放送されている。

矢継ぎ早に回されるチャンネル。

その一瞬一瞬に映し出されたのは、ダイジェストで紹介されるサッカー選手たち、討論を繰り広げるおじいさんたち、オシャレスポットを紹介するアナウンサーだった。

もちろん全員がゾンビだ。



「予報やってないかしらね。時間帯が良くないのかしら」


「もうちょっと待てばやるんじゃないかな。でもどうして?」


「明日出かけるんでしょう? だったら遠出しても平気か調べないと」



最後に回された番組がちょうど予報を始めようとしているところだった。

アナウンサーの後ろには関東エリアの地図が映し出されている。



ーーおはようございます。これより、本日の生存者速報をお届けします。



「良かった、調度じゃない」


「そう言えば東京に居たんだよね。生存者の集団が」


「仲間割れして散り散りになったって話だけど、どうなったかしらね」



ーー北区付近に留まっていた生存者たちですが、次第に速度を速めて北上しだしました。活発な善戦には十分ご注意ください。



「北上かぁ……。これは明日のお出かけはナシかなー?」


「ええー! そんなぁ!」


「生存者がコッチに来たら遊んでる場合じゃないでしょ。襲わなくちゃいけないんだから」


「もうほんと最悪。来るなら今日来てよね、部活が中止になるからさ」


「ミカ、変なこと言わないでくれよ。僕は絶対に会いたくないね、怖いもん」



ーー予想進路図です。川口・鳩ヶ谷ルートか戸田ルートが選ばれる可能性が高いです。付近住民は最新情報を聞き逃さない様……。



その時だ。

役所の放送が町中を駆け巡った。

これは緊急事態の合図だ。



ーー市民のみなさん。生存者が現れました。総員配置に着き、ゾンビらしく振舞ってください。繰り返します、生存者です。生存者が現れました。



「ええ! もうここまでやって来たの!?」


「たぶん車で移動してるのね。昨日のニュースでやってたわ」


「やったやった! これで部活休み、堂々とサボれちゃう!」


「ほらほらミカちゃん。早くボロの服に着替えて。ユウくんのは脱衣所に干してあるからね」


「はぁーい」



母さんに促されるまま、僕はジャージを脱いで指定の服を手に取った。

肩口や袖が引きちぎられ、所々血でドス黒く染まっているものだ。

僕はため息を吐きつつゆっくりと袖を通す。


これはルールだ。

廃屋のような家に住むことも。

生存者が近くに居る時はボロボロの衣服を着ることも。

知性を無くした様に振る舞い、生存者を見かけたら襲い掛かることも。


これらは全てが僕たちに課せられている法律だ。

違反者はとても厳しく罰せられると聞く。

だからウチの一家はもちろん、町内会の人たちみんなも懸命に、見るもおぞましい魔物を演じるのだった。



「ニンゲンかぁ。やだな、怖いなぁ」



のし掛かる不安が自然と口から溢れた。

ほんの一ヶ月前までは人間だったとは思えないほど、白々しいセリフだとは思う。

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