二人で見る流れ星
石野二番
二人で見る流れ星
その時僕は何をするでもなく、部屋でタバコを吸っていた。部屋ににおいが付かないようにと買った空気清浄機がタバコの煙を察知したのだろう、ゴォゴォと音を立てて働きだしていた。
二本目を吸い終わり、三本目に火を点けようとした時に、携帯が鳴り始めた。画面には知らない番号が表示されている。出るべきか無視するべきか。一瞬悩んでから電話に出た。
「もしもし」
「もしもし!間違っていたらすいません!この電話番号は
元気のいい女性の声が電話から響いてきた。
「……はい、そうですが。失礼ですが、どちら様でしょうか?」
「お久しぶりです!黒木です!」
「くろき、さん……?」
「あれ⁉覚えてないですか⁉大学の部活で一緒だったじゃないですか!」
大学の部活……。そこまで言われてやっと電話の相手が誰なのか思い至った。
「あぁ、あの黒木か」
「そうです!その黒木です!
「なんとかな。で、どうした?かなり久しぶりだけど、なんでまた電話なんて」
「それがですね!今度転勤で砂原先輩の地元に行くことになったんですよ!先輩、大学を辞められてから地元に戻ってるんですよね!良かったら昔みたいに飲みに連れてってください!」
「そっか。こっちに来るのか」
「はい!何年かはそちらの支社で勤務の予定です!」
「分かった。ちゃんとこっちに引っ越してきたらまた連絡しろ」
「いいんですね⁉やったぁ‼楽しみにしてますね‼」
そう言って電話は切れた。まるで嵐のようだった。しかし、妙にテンションが高かったけど、なんであんなにはしゃいでたんだ……?
*
黒木咲は僕が大学で所属していた合気道部の一年下の後輩の一人だった。あの頃のことを思い出す。そういえば、当時から黒木はあまり落ち着きがなかったな。まさか、今もあの頃のままなのだろうか。もう三十路が近いはずなのに、それではいろいろ困るのではないだろうか。そこまで考えて僕は思考を無理やり中断した。だって、今の黒木がどうなっていようと、僕には関係ない。
*
翌日、僕は街の中心部から少し外れた所にあるメンタルクリニックに来ていた。
「そうですか。大学の後輩さんがこちらに来るのですね。それで、どうして会おうと思ったのですか?」
クリニックの主治医、北村が僕に問う。
「やっぱり、懐かしかったからでしょうか。大学時代の知り合いとは皆疎遠になっていますし。でも、今になって少し不安も出てきました」
「不安、というと?」
「何というか、その後輩が今の僕を見て、がっかりするのではないかと……」
「そういうことですか。後輩さんは、砂原さんの病気のことはご存じなのですか?」
「おそらくは。この病気が大学を辞める原因でしたから」
「なら大丈夫でしょう。その方もきっと馴染みのない土地に来て戸惑いもあるかと思います。砂原さんがその辺りをリードしてあげてみては?」
「リード、ですか……。そんな余裕があるかどうか」
「きっとできますよ。砂原さんはご自分で思っているよりコミュニケーション能力はありますから。他に気になることはありますか?」
「いえ、今日はこんなところです」
「では、今日の診察はここまでということで。お薬の方は前回と同じにしておきます」
僕は一礼して診察室を出た。待合室には僕が部屋に入る前に比べて人が増えていた。
*
最初の電話からきっかり二週間後、黒木から再び電話がかかってきた。
「お疲れ様です砂原先輩!今日、引っ越しが終わりました!それで飲みの件ですが……」
「覚えてるよ。いつにする?こっちはだいたいいつでも行けるけど」
「今晩でも大丈夫ですか?」
「かまわないけど、急だな。疲れてたりしないのか?」
「全然平気です!」
「じゃあ、瓦町駅って分かるか?ことでんっていう電車の駅なんだけど」
「分かりませんが、電車の駅なら近くにあるのでスマホで調べながら行ってみます!」
「了解。そこの改札の前に七時な」
「はい!ではまた夜に!」
黒木のその言葉を聞いて電話を切る。七時までにはまだ多少時間がある。その間に何を着ていくか決めることにしよう。
*
七時の少し前に駅に着く。改札を出た瞬間に電話が鳴った。黒木からだ。
「砂原先輩!こっちですこっち!」
その声を聞いて辺りを見回すと、改札前のスペースに設置されている椅子の前でスマホを耳にあてながら大きく手を振る女性の姿が見えた。僕は電話を切り彼女の方に向かった。
「お久しぶりです、砂原先輩!」
「久しぶり。元気そうでなにより。迷わなかったか?」
「はい。スマホで路線とか検索しましたから。時間に余裕を持ってー、と思って早めに出たら早く来すぎちゃいました」
「もしかして、待ってたのか?電話くれたらよかったのに」
「いえいえ。だって先輩、お仕事中だったんじゃないですか?ワイシャツ着てますし」
「いや、そういうわけじゃない。今は働いてない。転職活動中」
「そうだったんですね。それは失礼しました。で、今日は何処に連れて行ってくれるんですか?」
黒木は目を輝かせながら尋ねてくる。学生の頃から女子にしては酒好きだったな。
「悪いが、すぐそこにある普通の安い焼き鳥屋だよ」
「え~。もっとなんか、雰囲気のいいバーとかじゃないんですか~?」
「そういうのは彼氏にでも連れて行ってもらえよ。俺なんかじゃなくて」
なおもブツブツと抗議してくる黒木を連れて駅の外に出る。目的の焼き鳥屋は駅の目の前にあった。予約はしてないが、今日は平日だし、きっと大丈夫だろう。
*
案の定、待たされることもなく席に通された。二人分のビールと枝豆を注文する。間を置かずにビールが先に運ばれてきた。
「じゃあ、乾杯なんだけど……、何に乾杯する?」
「そりゃあもう、砂原先輩と私の再会に!」
「はいはい、それじゃあ、久しぶり黒木。高松にようこそ」
かんぱーい、そう言いながらお互いのビールジョッキを軽く当ててから口に運ぶ。僕が中身を四分の一ほど減らしてから口を離す間に黒木は半分ほどを飲み干していた。
「相変わらず飲みっぷりがいいな」
「ありがとうございます。会社の飲み会でもよく褒められます」
黒木は照れくさそうに笑った。その笑顔は、学生の頃よく見たものと変わっていないように見えた。
「部活の同期とか、まだ連絡取り合ってるのか?」
懐かしくなったのだろう。僕はなんとなくそんなことを聞いていた。
「直接LINEしたり電話したりはないですね。先輩の連絡先が知りたくて久しぶりに、すっごく久しぶりに坂田くんに電話したぐらいです。Facebookではけっこう友達登録してるんですけど」
そんなものか。黒木の代は皆仲が良かったと記憶しているから、少し意外だった。
「先輩の方はどうですか?」
「僕の方も全然だよ。同期がどこで何してるか、ほとんど知らない。あいつらの顔を見たのは、石崎先輩と春原の結婚式が最後かな」
僕の答えに黒木が大げさに驚く。
「それって、もう四年ぐらい前の話じゃないですか。寂しくならないんですか?」
「いや、全く。友人ならこっちにもいるし」
「そっか。私が知ってるのだけが、先輩の交友関係じゃないですもんね」
今度はどこか寂しそうに黒木が呟く。表情がコロコロ変わるな、こいつ。
「まぁ、とりあえず飲もう。今日はお前の歓迎会ってことで、僕が出すから」
「いえ、私から声をかけたのに、そういうわけには」
「いいからいいから。少しは『先輩』の顔を立ててくれよ」
「そんな、でも……」
まだ何やらモゴモゴ言っている彼女を無視して僕はジョッキの中身を勢いよく飲み干し、店員に次のビールを注文した。それを見て、後に続くように黒木もジョッキの中身を飲み干した。
*
店に入ってからしばらく経って、お互い軽く酔いが回ってきた頃、黒木が改まった様子で口を開いた。
「砂原先輩、ご病気の方はどうなんですか?その、言いにくいんですけど」
少し言いよどんでから言う。
「その顔の傷も、病気のせいなんですか?」
「うん?そうだよ。今もクリニックに通ってるし、薬も飲んでる」
僕はなんでもないことのように答えた。指摘された右頬の、比較的新しい傷痕に触れながら。
そう、傷痕だ。僕の顔と、今は長袖のワイシャツが隠してくれている左腕にはいくつかの傷痕が刻まれていた。
「その病気って、やっぱり島田先輩と別れたのが原因なんですか?」
「いや、違う。それは順序が逆だよ。別れたのは僕が病気になった後。だいたい、病院で診てもらうきっかけも、島田に言われたからだし」
そう言いながら、僕は当時のことを思い出していた。
*
もう十年近く前、大学二年生だった僕は突然ある異変に襲われた。
他人の目が怖い。視線が自分に刺さるような気がして、大勢の人がいるところに出られなくなった。それまで平気だった教室にも入れなくなった。それでも、人とのつながりを失いたくなかった僕は、部活に出ることだけは止めなかった。島田は、その頃付き合っていた部活の同期だった。
幸いと言っていいのか分からないが、部活の同期には同じ学部の人間はいなかった。だから、僕が授業に出られないことを知っていたのは、部内では島田ぐらいだった。彼女はそのことを誰にも話さないでいてくれたが、その気遣いも、僕のせいで無駄になった。程なくして、僕が自分の身体を傷付けるようになったからだ。
部活の初めと終わり、更衣室で着替えるとどうしても周りに聞かれる。その赤く滲んだガーゼや包帯は何だ、と。ごまかしようがなかった。元々口が達者な方でもない。嘘も吐けなかった僕は結局病気のことを話してしまった。
結果として、僕の病気のことは部員のほとんどが知るところとなった。反応は様々だった。それまで通りに接してくれる者、やたらと気を遣ってくるようになった者もいれば、一切話しかけてくることのなくなった者もいた。これは後から伝え聞いた話だが、島田もいろいろ言われたらしい。別れた方がいいだとか、あんなのは島田に相応しくないだとか。そしてある日僕は後輩の女子数人に呼び出され言われた。「砂原先輩と付き合ってるせいで島田先輩が辛い思いをしている。本当に島田先輩のことを想っているなら、別れるべきだ」と。僕には返す言葉もなかった。
それからすぐ、部活の現役引退と時を同じくして僕は島田と別れた。そして大学を退学し、地元に戻ってきた。
*
これが事の顛末だが、先ほどの黒木の質問から推測するに、彼女はそれについて正確には知らないようだった。なら、こちらから全てを話す必要もない。でも、
「そうか。僕が辞めた後、島田はそんな風に言われてたのか」
島田と別れたから僕が病気になって大学を辞めたと思っている人がいる。そう考えると胸が締め付けられる思いがした。僕は、彼女を不幸にしただけなのだろうか。僕に関わったばっかりに彼女は。
「先輩、大丈夫ですか?こんな話、やっぱりしない方がよかったですよね」
黙りこくってしまった僕に心配そうに声をかける黒木。その顔を見て、頭の中で警報が鳴るのを感じた。離れろ、離れろ、離れろ。このままだと、島田と同じように黒木も不幸にしてしまう。
「悪い、黒木。今日は、この辺でいいか?」
なんとかそれだけ口に出す。そして財布から一万円札を取り出してから言った。
「足りなかったら、後日請求してくれ」
戸惑いを隠せない様子の黒木を置き去りにして店を出た。蒸し暑い夜だったが、僕は冷や汗をかいていた。
*
翌朝、目覚めは最悪だった。気分が優れない。頭の中がまとまらない。それどころかネガティブな思考ばかりが巡る。不安で胸がいっぱいになる。最近起きていなかった発作のようだった。薬を飲まなければ。薬さえ飲めれば。その思いだけで布団から這い出て台所に向かう。冷蔵庫からお茶の入ったペットボトルを取り出す。冷蔵庫の上にはクリニックで処方してもらった薬の袋があった。その中から頓服の薬を一錠だけ手に取って口に運び、お茶で流し込む。その場にしゃがみ込み、歯を食いしばって薬が効くのを待った。
どれだけの時間、そうしていたのか。気が付くと寝室の方から携帯の着信音が聞こえた。ゆっくりと立ち上がり、寝室へ向かう。その間に携帯は鳴り止んでしまった。履歴を確認する。一番上には「母」とだけ表示されていた。すぐにかけ直す。
「もしもし」
「もしもし、おはよう。起きてた?」
「起きてた。何か用事?」
「用事も何も、今日は前に伝えておいた法事の日よ?皆集まってるけどあんただけまだ来てないから」
言われて時計を確認する。言われていた時間はとっくに過ぎていた。
「ごめん。すぐ用意して行きます」
「大丈夫?声が暗いけど。しんどかったら無理しなくてもいいよ」
「大丈夫。薬飲んでだいぶ落ち着いたから」
「そう。じゃあ、早めにおいでよ」
そう言って母は電話を切った。急いで身支度をして家を出る。そして早足で実家へ向かった。
*
実家では既に法事が始まっていた。僕はなるべく静かに部屋に入り、隅の方に座った。
法事が終わり、住職が帰ってから親戚の皆とともに昼食を食べた。おじさんたちに勧められるままお酒を飲む。その時、一人の親戚が僕に声をかけてきた。母の姉、雅美おばさんだった。
「
「いましたけど、どうして知ってるんですか?」
「うちの人がたまたま見かけたらしいのよ。慶ちゃんが女の子連れて焼き鳥屋に入っていったって。彼女なの?」
僕は首を横に振って否定する。
「違います。あの子は大学の後輩です。転勤でこっちに来たそうなので、飲みに行っただけです」
しかし、おばさんに僕の言葉は届いていないようだった。
「そうかぁ。慶ちゃんにもやっと春が来たのねぇ。皆心配してたのよ。うちの子たちとかも、もう結婚して子どもがいるのに、慶ちゃんはいつまでも一人だから」
「だから、そういう関係では……」
「なんだったら今日ここに連れてきて紹介してくれても良かったのに」
おばさんの頭の中でどんどん話が進んでいく。僕は付き合いきれなくなったのでもう放っておくことにして席を立った。
*
庭でタバコを吸っていると母がやってきた。
「調子はどうなの?」
「朝はちょっときつかったけど、もう平気」
「それなら良かった。ところで、雅美姉さんが言ってた話って本当なの?慶、彼女できたの?」
またその話か。僕は半ばうんざりしながら答えた。
「飲みに行ったのは本当だけど、彼女ではないよ。ただの大学の後輩」
「ふ~ん。どっちから連絡したの?」
どうやら、この場にいる限りこの話題から逃れることはできないらしい。
「向こうから連絡が来た。転勤でこっちに来たって」
それを聞いて母はニヤニヤしている。
「向こうからってことは、脈ありなんじゃないの?」
「それはないよ。きっともう連絡もしてこないだろうし」
僕は昨日の飲み会を思い出し、苦い気持ちになった。黒木には本当に悪いことをした。
「そうなの。それは残念ね」
それだけ言うと母は家の中に戻っていった。また一人になった僕は次のタバコに火を点けた。
*
それからしばらく経った土曜日の昼過ぎ、買い出しから戻って携帯を見ると、着信が一件入っていた。黒木からだった。
かけ直すかどうかかなり迷った。それ以前にまた連絡してきたことに驚いていた。せっかくの歓迎会をあんな形で切り上げてしまって、きっと気を悪くしただろうと思っていたからだ。悩んだ末、かけ直すことにした。とりあえずあの晩のことは謝らなければ。
「もしもし、黒木です」
「砂原です。電話くれてたみたいだけど、何か用か?」
「あの、私、砂原先輩に謝りたくて」
「謝る?」
「こないだの焼き鳥屋さんで、砂原先輩、私のせいで気分を悪くされたようだったので……」
「いや、謝るのはこっちの方だ。突然あんな風に帰ってしまって、悪いと思っていた。申し訳ない」
「いえ、こちらこそごめんなさい。私の配慮が足りませんでした」
「用は、それだけ?」
「あ、あともう一件あってですね。こないだ先輩、一万円を置いていったじゃないですか。あれのお釣りをお返しししたいのですが……」
「別にいいのに。黒木はマメだな」
「あの焼き鳥屋さん、本当に安いんですね。一万円出したら支払い額よりお釣りの方が多かったです」
「そうなんだよ。そこそこ美味いし財布にも優しいし」
そこで黒木の声が聞こえなくなった。電話が切れたのかと思って画面を見ると「通話中」と表示されている。どうやら電話の向こうで黙り込んでいるらしい。
「おい、黒木。大丈夫か?」
「……砂原先輩、一つお願いがあります」
「急に改まってどうした」
「私、無神経で、こないだみたいにまた先輩の気を悪くしてしまうかもしれないんですけど……。もし、それでも良かったら、また会ってほしいです」
電話から聞こえる黒木の声はだんだん小さくなっていき、最後の方はほとんど途切れそうだった。あの時頭の中で響いていた警報は、今回は聞こえなかった。
「そんなことか。かまわないよ。俺で良ければ、仕事の愚痴でも何でも聞くよ」
「本当ですか⁉ありがとうございます!」
黒木の声が明るくなる。
「じゃあじゃあ、来週の土曜日の夜はどうですか?」
「来週、ちょっと待って。……うん、空いてる」
「では、こないだと同じ時間に同じ場所で待ち合わせでいいですか?」
「了解」
「やったぁ!楽しみにしてます!」
そう言って電話は切れた。こないだの件について、黒木も黒木なりに責任を感じていたようだ。悪いのはこっちの方なのに。
*
そして次の土曜日、僕たちはまた同じ焼き鳥屋にいた。
「黒木、高松には慣れたか?」
「そうですねぇ。まだ少し戸惑いはありますね」
焼き鳥を串から外しながら黒木は答える。
「戸惑いって、例えば?」
「電車の本数とか。一本逃したら次は二十分後って、少なくないですか?」
「確かに少ないかもな。こっちでは移動するのに車を使う人が多いからかな」
「砂原先輩も車乗るんですか?」
「ほとんど乗らない。免許も車もあるけど、どうにも慣れない。週に一度乗るかどうかってところだな」
「そうなんですね。じゃあ今度ドライブに連れて行ってくださいね」
「お前、僕の話ちゃんと聞いてた?」
「聞いてましたよ。いつか助手席に乗せてくれるんですよね」
なんだよそれ、言いながら笑う僕。そんな風にこの日の飲み会の時間は穏やかに過ぎていった。
*
飲み会も終盤に差し掛かった頃、トイレから戻ってくると黒木はスマホを見ていた。僕に気が付いて顔を上げる。
「砂原先輩。いつだったか、部の皆で流れ星を見に行ったの覚えてますか?」
「あぁ、覚えてるよ。確か春原がはぐれて迷子になった時だろ」
「春原先輩、携帯のバッテリーも切れて誰にも連絡取れなくて、合流できた時半泣きでしたよね」
笑いながら黒木が話す。
「また見たいですね、流れ星」
「そうだな。こっちでも見れるのかな」
「今調べてたんですけど、十二月にふたご座流星群が見れるみたいですよ」
「へぇ。初めて聞いたよ」
「……私、今度は先輩の隣で見たいです」
「そうか。じゃあ、見に行くか。十二月までまだ三ヶ月近くあるし、それまでに車の運転の練習をするよ」
僕の返事を聞いて黒木の表情に光が差した。「本当ですか⁉約束ですよ!そうだ、私先輩にリクエストがあるんですよ!」
リクエスト?聞き返す僕に黒木は続ける。
「砂原先輩、大学の新歓の時とか時々髪をオールバックにしてたじゃないですか。あれまた見たいです」
「いいけど、あれ相当評判悪かったぞ」
今でもたまにオールバックにすることはあるけど、周りの評判は押しなべてよろしくない。目つきが悪いのと相まって「貫禄があり過ぎる」とか「堅気に見えない」とか散々な言われようなのだ。
「いいじゃないですか。私はかっこいいと思いますよ」
「そうかなぁ……」
渋る僕に黒木は食い下がる。
「見たいですー。流星群もオールバックの先輩もー」
しばらく押し問答が続き、結局僕が折れることになった。
「分かったよ。でも、実際に見てがっかりするなよ」
「わーい。さすが砂原先輩!」
喜ぶ黒木の姿にこちらの顔も自然とほころぶ。この笑顔をもっと見ていたいと思った。
*
その二日後の月曜日、僕はメンタルクリニックの診察室にいた。
「それで、結局終電近くまでいろいろ話をしてました」
僕の話を聞いていた北村が微笑む。
「そうですか。話を聞く限り、後輩さんはけっこう積極的な方のようですね」
「そう、ですね。でも、正直こちらには戸惑いもあります。どうして僕なんかに」
「その答えはここにはありませんね。後輩さん自身に答えてもらわないと。頓服の薬はまだありますか?」
「はい、法事のあった日を最後に飲んでいません」
「ふむ。状態が落ち着いてきているのかもしれませんね。もしかしたら、その後輩さんのおかげかも」
「そういうものでしょうか」
「砂原さんは元々孤独に弱い部分がありますからね。その辺りを後輩さんが上手く埋めてくれてるのかもしれません」
「でも、このまま甘えてしまっていいのかという気持ちもあります。寄りかかって、向こうの負担にはなりたくない」
「優しいんですね」
「臆病なだけです」
「その点もゆっくり見極めていくといいでしょう。私としては上手くいくことを願っています。他に気になることはありますか?」
「いえ、今日はこれぐらいです」
「じゃあ今日はここまでということで。お薬は今まで通りでもう少し様子を見ましょう」
僕は一礼して診察室を出た。
*
それからも、月に一、二度のペースで僕と黒木の交流は続いた。黒木から連絡が来て僕が応じる。そういうパターンが出来上がっていた。僕はいつの間にか、そんな関係に居心地の良さを感じるようになっていた。そして時が経ち、十二月になった。
*
僕は鏡の前に立っていた。髪型が崩れていないか確認している。見る限り、おかしいところはない、と思う。まぁ、髪形をオールバックにするのなんて、ジェルを付けた髪をクシでなでつけていくだけなのでよほどのことがない限り変なことにはならないのだが。
そう、今日は以前黒木と約束した流星群を見に行く日だ。リクエスト通り髪形を整えていたのである。
LINEで黒木に今から家を出ることを伝え、車に乗り込む。瓦町で黒木を拾い、空港へ向かうことになっていた。うちから瓦町まで、車で行くとすぐだった。駐車場に車を停め、LINEを開く。すると、家を出る時に送ったメッセージはまだ既読が付いていなかった。そのことに少し違和感を覚えながら瓦町到着の連絡をする。しかし、いつまで待っても既読が付くことはなく、その日黒木自身も現れることはなかった。
*
翌日の朝早く、携帯が鳴った。画面を見ると、黒木からの着信だった。僕は慌てて通話ボタンを押す。
「もしもし」
返事はない。代わりにすすり泣くような声が小さく聞こえた。
「砂原先輩……」
「黒木、泣いてるのか?何があった」
「先輩、ごめんなさい。私、私……」
「落ち着け、黒木。昨日のことなら、僕は怒ってないから」
「砂原先輩、私、先輩のことが好きです。好きなんです」
涙声で突然告白される。本当に何があったのだろう。
「先輩は、私のことどう思っていますか?」
不意に問いかけられた。どう答えるべきか少し考えた後、自分の気持ちを正直に言うことにした。
「僕も、黒木のことが好き、だと思う。正直最初はどうして僕に連絡してきたんだろう、と思った。でも今は、黒木ともっと一緒にいたいと思っている。流星群の約束、楽しみにしていたのは僕も同じだ」
電話の向こうで黒木が息を飲むのが分かった。
「それ……本当ですか?嘘じゃないですよね?」
震える声で確認してくる黒木に僕は答える。「嘘じゃない。僕は孤独に弱いんだ。黒木がいてくれないと、寂しくて死んでしまうかもしれない」
しばらくの沈黙。やがて、黒木がポツリと言った。
「ありがとうございます、砂原先輩。先輩がそう言ってくれるなら、もう怖いものはありません」
その言葉には強い意志が感じられた。
「私、今実家に帰ってるんです。でも、必ずそっちに戻りますから。いつになるか分からないけど、必ず戻って、砂原先輩に会いに行きます」
「黒木、それはどういう……」
「だから、それまで待っていてくれますか?」「……あぁ、分かった。待ってる」
「ありがとうございます。じゃあ、また」
その言葉を最後に、電話は切れた。
*
それから、僕は黒木のいなくなった日常を過ごしていた。ただ待つのも芸がない。そう思った僕は、黒木が戻ってきた時に一緒に行けるようなバーを探すようになった。
月に一度、インターネットで検索して見つけたお店を一人で訪ねる。そんなことを繰り返しているうちに季節は巡り、半年が経った。
*
六月の雨の日、ある企業に送る履歴書を書き終えて部屋でタバコを吸っている時にその電話はかかってきた。携帯の画面には、この半年の間、会いたくても会えなかったあの後輩の名前が表示されていた。多少なり緊張しながら通話ボタンを押す。
「もしもし」
「もしもし。砂原先輩、黒木です。覚えてますか?」
あぁ、間違いない。黒木の声だ。
「覚えてるよ。忘れるはずがない」
「ありがとうございます。今、高松駅にいます。たった今、戻ってきました」
「分かった。すぐ行く。そこを動くな」
言うが早いか、僕は電話を切り、家を飛び出した。
*
車を走らせて高松駅へ。改札の前には多くの人が行きかっていた。そして、すぐそばのベンチに、こちらに背を向けて座っている黒木を見つけた。
僕はポケットから携帯を取り出して電話をかける。相手は、もう言うまでもない。
「もしもし、黒木です」
「黒木、後ろを向いてくれないか」
その言葉を聞いてゆっくりと黒木がこちらを向く。目が合う。彼女の目にみるみるうちに涙が溜まるのが見えた。
「黒木、おかえり」
こちらに走ってくる黒木。そのまま僕の懐に飛び込んできた。
「先輩!砂原先輩!会いたかったですぅぅ」
背中に手を回し、抱きしめてくる黒木。僕は周りの視線を少しだけ気にしながら彼女の頭をなでた。
*
しばらくして、車で黒木の借りていたマンションに向かう道すがら、僕たちは会えなかった時間を取り戻すようにいろいろな話をした。あの日、流星群の降った日、黒木のところに彼女の父が倒れたという知らせが入り、急いで実家に帰ったのだという。そして両親からそのまま地元に残り家業を継ぐよう言われたのだそうだ。それでどうしていいか迷った結果、僕のところに電話してきた、というわけだった。
「でも、砂原先輩の言葉を聞いて、決めたんです。この人のところに帰ろうって。それで、両親を説得するために今日までかかってしまいました」
何日も家族会議が開かれてたいへんだったんですよー、と笑いながら語る黒木。そんなことになっていたなんて、僕は全然知らなかった。
「先輩はどうでした?私がいなくて寂しかったですか?」
冗談交じりに聞いてくる彼女に僕は正直に答えた。
「寂しかったよ。でも、黒木言ってただろ。必ず戻ってくるって。それを信じてたから」
僕の答えが予想外だったのか、黒木の顔が真っ赤になる。
「砂原先輩、キャラ変わってません?前はもっと、やれやれ、みたいなそっけない感じで話してたのに」
「そうか?自分では分からないけど。でも、黒木がいなくなって思ったよ。お前が僕の中でどれだけ大きな存在になってたのか」
照れているのだろうか。黒木は耳まで真っ赤になっていた。
「だから、真面目な口調でそんなこと言わないでください!」
「すまない。迷惑だったか?」
「迷惑なんかじゃ、ないですけど……」
うー、と唸りながら視線を前に向ける黒木。その時、目の前に大きなマンションが見えてきた。
「あ!ここです。私の住んでるマンション」
「え?ここ?かなり大きいけど、ここに一人で住んでたのか?」
そこは、僕の住んでるアパートとは比べ物にならないぐらい大きなマンションだった。
「黒木、本当にお嬢様だったんだな……」
「お嬢様はやめてくださいよ。柄じゃないです」
とりあえずマンションの前に車を停める。
「上がってください、と言いたいところですけど、部屋が半年前に慌てて出て行ったっきりそのままになってるんで、今日のところはここまででいいです。送ってくださってありがとうございました」
ペコリと頭を下げて車から降りる黒木。
後ろの座席に乗せていた荷物を降ろしてマンションのエントランスに向かう彼女の背中に僕は思わず声をかけていた。
「黒木!もう、何処にも行かないよな!」
黒木の動きが止まる。振り返った彼女は、
「はい!何処にも行きません!」
と言ってニッと笑った。
*
黒木が高松に戻ってきてから、僕らは休みの度に会うようになった。お互いのうちに行き来するようになるまでもそんなに時間はかからなかった。彼女がいない間に開拓したバーに連れて行ったりもした。彼女はカクテルを飲み慣れていなかったようで、ビールと同じ勢いでグラスを空けた結果、酔い潰れてしまった。そして嬉しいことに僕の再就職先も見つかった。その時も、彼女は自分のことのように喜んでくれた。そうこうしているうちに時は流れ、二度目の冬が訪れていた。
*
その日の夜、僕らは空港のデッキにいた。コートにマフラーと、二人とも重装備で空を見上げていた。彼女はそれに加えて手袋までしている。そして僕の髪はオールバックにまとめられていた。
「咲、寒くないか?」
「平気です。慶さんこそ、手袋なしで大丈夫ですか?」
「僕も、平気だよ」
「嘘。手、真っ赤ですよ」
「見た目ほど寒いわけじゃない。本当に大丈夫だよ」
でも、と彼女が言いかけた時、周囲にいた人の一人が声を上げた。
「あ!流れ星!」
その言葉に反応して僕らも空に視線を移す。一つ、また一つと流れ星が尾を引くのが見えた。
「きれい……」
咲が呟く。
「きれいですね!慶さん!」
言いながら、こちらに笑顔を向ける彼女に僕は言った。
「咲、年が明けたら、君の実家に挨拶に行こうと思う」
咲もその言葉の意味が分かったのだろう。真剣な面持ちで次の言葉を待っていた。
「結婚してほしい」
彼女は涙で目を潤ませながら答えた。
「はい」
こうして、一世一代の僕のプロポーズは実を結んだ。これから忙しくなる。壁にぶち当たることもあるだろう。でも、咲と二人ならきっと大丈夫。そんなことを思いながら、僕は咲の手を握り、言った。
「二人で、幸せになろう」
そんな僕たちを祝福するかのように、夜空には流星群が瞬いていた。
*
これは、何処にでもありそうで、けれどここにしかない、僕と咲の物語だ。そして、物語はこれからも続いていく。
了
二人で見る流れ星 石野二番 @ishino2nd
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