罪雄戦記

人乃 片治

1章〜再生〜

第1話 初ノ唄

 ……あた…たか…い…。

 か…らだ…が……重い。


 徐々に胸の鼓動が大きくなっていく。

 暗闇の中、肌にジトジトと染み込む生温さと、体に感じる違和感で意識を生き返らせる。ゆっくりと瞼を上げると、目の前から差し込む光が視界を突き刺した。


 アノン…。

 朦朧とした脳内に語りかけてくる女性の声。


「……」


 眉間にシワを寄せながらも手を光に翳し眩しさを遮る。差し込んで来る光は人差し指も通らないくらいの小さな穴から凛々しく輝きをこぼしていた。天井は低く起きれない高さ。意識を取り戻した本人は平たい長方形の空間に閉じ込められていることを確認する。


「…なんでこん…ゴホッゴホッ!!」


 水分が失う程、乾いた喉に声が引っかかりむせる。透き通っているがガラガラな声質から性別は男。


「はぁはぁ…砂ぼこりもすげぇな」


 とりあえずこの空間から出ようと手探りで周りを確認する。そして天井へ手を伸ばした時だった。


 …ォオン


 電気が流れる微かな音と共に突如現れた天井に浮かぶ謎の紋章。地上絵の様な、古代文明の文字の様な、太陽を表しているのか瞳を表しているのか…そんなミステリアスな形をしていた。


「……動く」


 天井が徐々にスライドしていき頭側から光が広がっていく。何とも錆びれた天井なのだろうと、重々しく動く音を聞きながら上を見続ける。

 そして天井の先を視界で確認出来た時だった。


「……」


 そこに広がるのは青い空だった。何の変哲もないことだろう。しかし、男にとってこの空の景色は心臓を弓で射抜かれた様な、同時に“一生に一度”と言う言葉が相応しいセンチメンタルな感情が。簡単に説明するならば痛みと衝撃と感動が、男の胸中を襲いひと粒の涙を流させた。


「あれ?…俺…なんで泣いてんの…」


 わけも分からずただひたすら胸を押さえつける。そんな自分を馬鹿らしく思いながらもう数十分、寝たまま青い空を眺めていた。


「……ハッ」


 ようやく気持ちが落ち着いたのか。静寂なため息が宙に舞う。しかし、そんな余韻に浸れたのも一瞬のことだった。

 体を起こそうと地面につけた手の平に踏ん張りを加えた時、全身の骨に痛みが走り出した。体の節々が悲鳴をあげる。男は歯を食いしばり、決死の思いで上体を起こし後ろに寄りかかった。


「ったぁ…。どんだけ鈍ってんだよ俺の体」


 強い風が背後から吹き抜ける。それと同時に男は一点を見つめながら突然固まってしまった。見つめている先は自分を先程まで閉じ込めていた天井板。その板の表側には天井を開けたときに浮かび上がった紋章が描かれていたのだ。しかし今、注目すべきことはそれではなかった。天井板には紋章よりも大きく、一面いっぱいに浮き彫りで彫られた十字架の形がデザインされていた。長方形の箱、そして板ではなく十字架の蓋。これがどういう意味を指しているのか、普通の人なら誰でもわかることだろう。


「…なんで…棺桶なんかに」


 いくらこの原因を振り返ろうとしても思い出せない。だが、それ依然に――


(待てよ…俺……何者だ)


 自分のことを何一つ思い出せないことに頭を抱え俯いた時だ。


「?」


 尻の下に下敷きとなった錆びれた剣があることに気づく。


「…これも何か関係してるのか?」



 ♦♦♦



 剣を右手に持ち、棺桶らしき中から出るとそこは円形広場で頑丈な壁が周囲を囲っていた。唯一、天井だけがすっぽりと抜けている。


「…?」



 辺り苔や草だらけ。腰の高さまで植物は育っており、何も施されていないことから誰もここには訪れていないと悟る。


(一切。誰一人としてここには来ていない。なんで?)


 植物を退けながら壁際まで進むと手を描いた壁画を見つける。


「ここに手を合わせるのか?」


 棺桶を開けた時といい、自身の手、もしくは体は特定の物体にリンクしている。そう推測した。

 男は推理通り壁画に手を合わせると例の紋章が壁に浮かび上がり壁画から大きな光が出現した。光は丸く形を造っていくと壁の向こう側を写し出す。先には鳥居が見える。


「この光を潜れってことか?」


 光がゲートとして出口の役割をしていると察し、恐る恐る手をその中へ入れる。すると本来そこにある筈の壁には邪魔されず、呆気なく腕が外の空気に触れたのだ。

 男は問題ない事を確認して光のゲートを潜り広場を脱出する。


 サァ…――。


 小さいそよ風がまるで挨拶をしたかのように体を撫でて通過する。陽の温もり、草の香り、風の心地、土の感触、どれも永いこと別れていたのか。体から湧き出る感情は自分ですらコントロール出来ない程だった。再びグッと胸を抑える。

 真っ直ぐ歩いて鳥居の前に立つ。足元には長い石階段が続いており、下りた先には赤い草原が広がっていた。


「赤い草原?」


 ザッ!!


 風の突き抜ける音が耳に入ってくると男は目つきを変えて剣を振り下ろした。


 ガシャン!!


 振り下ろしたポイントにちょうど何者かの腕が当たる。男は自身の力の入り具合に唖然とした。


(あんだけ今の今まで鉛みたく重かった体が一瞬で軽くなった)


 しかし驚くことはそれだけではない。振り下ろした剣を食い止めたのは腕に傷一つ付いていなかった。相手を見下ろす。相手は長い黒髪でこの角度からでは顔を確認出来なかった。


「なんで急に結界が解けた?」


 相手の右腕には鬼の絵も加えられた刺青が入っており、長く垂れた前髪から金色こんじきの瞳を覗かせてそう口を開いた。


「結界?。なんのことだ?」

「とぼけるな。今テメェが出てきたのはその鳥居の前の遺跡からだろうが。ここは鬼人族が長年も領土にしてたがこの瞬間までその遺跡は結界でふうされていた。遺跡を守るその結界は、いくら誰が試行錯誤しても踏み入ることが出来ず、俺達鬼人族の侵入を誰一人として許さなかった。それが急に解かれた…。その中からノコノコと現れたテメェが何も知らねぇことねぇだろうが!!」


 完全に相手は敵意剥き出しの状態。男は一旦距離を取った。


「わからねぇよ。俺も今起きたばっかで何も覚えてないんだ。多分お前よりも俺の方がわかんねぇこと多いって」

シラァ切ろうってか?。いい度胸だ。俺ァ鬼人族の血泥魔鬼ちどろまおに阿含アゴンと言ういかつい通り名があんだ。俺に目をつけられた奴は誰一人として生き残れず、ありったけの血だけを残して肉体の原型を失っていった。それを見た通りすがりの鬼人族が“血の沼で笑う悪魔の鬼人”と周りに広めたことがきっかけでこの通り名が生まれた。つまり、俺から生きて帰れると思うなよ?」

「…阿含が名前だな?」

「血泥魔鬼とかクソみてぇなネーミングが名前なわけねぇだろうが!!」


 阿含が地面を蹴り一瞬で間合いを埋めた。


「通り名作るならもっとイカした名前があったはずだ!!」


 突然、私情を叫び漏らしながら男に殴りかかる。


「さっき厳ついって自分で誇らしく言ってたじゃねぇかッ」

「その場の雰囲気で言うしかねぇだろうがァ!!」


 再び拳を躱すとその攻撃方向先にある木が薙ぎ倒された。


拳圧けんあつか?)

「あれからこの通り名を知ってる敵共は揃って俺を馬鹿にしやがる!!」


 次の拳が打ち出された時だ。男は躱さず剣を盾にして身構えた。そして攻撃を受け止めるが、あまりの威力に後方へと突き飛ばされてしまう。


(阿含って男…やっぱり…)


 今の一撃を喰らい何かを感じ取る。


「そして今もテメェは遠回しに馬鹿にしたなぁ!!。とっととくたばれ!!」


 遠くの木が倒されたのは阿含の両拳に纏う謎のオーラが弾け飛んだのが原因だった。そしてそのオーラは先程よりも徐々に大きさを増している。そしてそれは阿含の意思ではないと男は読み取る。


(さっきからコイツは怒りを蓄積することで自身の攻撃力を自動で高めてるんだ)


 阿含がまた攻撃を迫る。男は攻撃から距離を取るがあたかも殴られたかのように叩かれてしまう。


「グハッ!!」

「名前を聞こうか?。殺してぇとこだがこの結界を監視してたのはカシラなんだ。テメェを捕らえて拷問でも何だりして聞き尽くしてやる」

「はぁはぁ…」


“名前”

 男は目覚めた時、微かに聞こえた女性らしき声から名前の様な、ある一言をとなえられた気がしていた。


(……ア……なんだっけ?)

「んじゃしばし眠りについて貰おうか?」


 倒れたままの男に阿含が拳を振り翳す。


(阿含…じゃないそれはコイツだ)

「テメェは俺達の言う通りにするだけして死ねばいい。なるべく楽な死に方が待ってるといいな」

(……言う通りに……死ぬ?…また?)


 ドクン…。


(またって……だめだ考えてもわかんねぇよ。けどまた死ぬのは…嫌だな。名前ないって…こんなに悲しいんだ)


 ドクン…。


(死にたくねぇなぁ)


 胸の音を聞きながら、陽の熱に帯びた温かい土の上で静かに目を瞑る。


 ――アノン。


(!!)


 ガッ!!


 男が阿含の拳を手の平で受け止めた。すると拳に纏っていたオーラは上空へと跳ね返り消滅する。

 これには阿含も信じられないと顔の色をくす。


「なっ…」

「アノンだ」

「?」


 阿含の拳を握ったままゆらゆらと立ち上がる。そして今度は阿含の目を見て自身の名を称える。


「俺の名前は…アノンだ」


 それは自身の名を思い出した瞬間だった。


「――!!」


 先程までの癇癪が際立ち火照った表情とは一変。顔を引きつり掴まれていた拳をもう片方の手で必死に抑え始めた。震えていたのだ。


(なんだ今のは。アイツの手の平から俺の拳に伝って…感じたことのない冷たさが体に流れ込んで来やがった)

「……まだ殺るつもり?」


 悠然とした態度で見せるアノンの挑発に阿含が乗る。


「いい気になってんじゃ――」


 ゾォォ…


 一瞬のみ蘇った怒りも戦意も、彼の目を前にした途端、無惨に散ってしまう。


(俺の意思じゃない……俺の本能が完全にコイツに狂わされちまってる…)


 体が震える。無意識に怯え立つ恐怖。それは阿含がどう足掻いても、寧ろ足掻けば足掻くほど恐怖は深さを増していった。


「何を…しやがった」

「…さぁな。けど分かる。俺はお前と接触を交したことで今…この瞬間、勝敗が決した」

「……てめぇ…まさ」


 阿含は何かを言いかけて周りを見回す。アノンはその様子を黙って見つめる。


「おいおいまじか」


 そう苦笑いを浮かべる阿含。


「まだあの女には出会したくねぇから退散するとすっか。ボスにはテメェのこと伝えといてやる。だが必ず捕まえるのは俺だ。次を覚えとけカスが」


 急に割り切り良くなりその場を立ち去る阿含。あの女と言う言葉に引っかかりはするが、体の中で何かが溶けていく感覚にアノンはしばらく酔い知れた。


(今の力が何なのかよくわからない。けど…)


 後ろを振り返り、遺跡を見つめる。


(あの中に、きっとまだ秘密がある)


 アノンは再び遺跡へ入ることにした。

 そして阿含が口にした“あの女”。それが何者なのかはすぐにわかることだった。

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