異世界剣戟譚-消えゆくヒトと黄泉の門-

しぐ

第1話

「はあっ、はあっ……撒けた……?」



 森の中で、1人の少女が肩で息をしながら木陰に座り込む。彼女は辺りを見回し、追っ手がまだいるかを確認するために幹から顔を出す。

 上下左右、物陰無し。物音も無し、やっと消えたかと安堵して再び座り込み、彼女は顔を上げた。

 そこには、仮面に1つ目の怪物__先ほどまで彼女を追っていた異形が立ちはだかっていた。



「____ッ!?」


「グォォアアアアアアア!!!」



 完全に身が竦んだ彼女の目の前で、怪物は獲物を見つけた喜びからなのか雄叫びをあげる。震える手を握りしめる事もままならない状態の少女に対して、怪物は容赦なくその爪を振り下ろし、少女が怪物の地肉へと成り果てる__直前であった。

 その凶爪が一振りの大剣に弾かれた。その剣の持ち主は少女に対し明るい笑顔を見せる。



「悪ィ、遅くなった」


「……エル君!」



 エルザ・ハルヴィオ。それが彼の"この世界"での名前である。彼がこの世界にいかにして来たのか、なぜ剣を持ち戦う運命に導かれたのか。それは1週間前にまで遡る。




 ◇




 1週間前__

 夏休み、とある高校の教室にて、窓の外をぼーっと頬杖をつきながら眺める、もはやお約束ともとれる行為をしている少年、浅木黒戸あさぎくろとは、補講を話半分に女子の部活動を観察していた。

 その様子を後ろに座る彼の親友、花山恭介はなやまきょうすけに見つかる。



「黒戸、なんか見つけたのか?」


「ん?ほら見ろよ。汗で服の隙間が無くなってていい眺めだぞ」


「……ははーん、お主もワルよのぅ」



 そんな悪ガキ2人を訝しげに睨んでいるのが風紀委員である柱崎水帆はしらざきみずほだ。彼女も流石に、野郎2人のうるささに我慢が出来なかったのか耳打ちをする。



「アンタたち、何補講そっちのけで部活動覗き見してんのよ」


「お、ミホっちも興味あんの?ま……まさかそっちのケが!?」


「無いわよ!」


「恭介、皆まで聞いてやるな。人には隠したい事の1つや2つあるもんだ」


「言わせておけば……」


「えーっと、浅木と花山、それと柱崎」



 と、ヒートアップする寸前で、彼らの担任である新塚仁美にいづかひとみが割って入る。


「勉強するか、もう1年学校にいたいか、どっちがいい?」


「「「べ、勉強します……」」」


「うん、よろしい」



 新塚の表情が鬼神のそれから一転、菩薩のものに変わり、3人は胸を撫で下ろした。

 やがて補講が終わり、3人は行きつけのファミレスで暇をつぶしていた。



「いやー、仁美ちゃん先生こえーのな」


「お前は普段マジメ君だから知らねえだろうが、結構有名な話だぜ?綺麗なバラにはってよく言うけど、ありゃトゲどころじゃねえよ」


「何バカな事言ってんのよ。アンタたちのせいで私まで後片付けやらされたじゃないの」


「あれ、浅木くんたちも来てたの?」



 あーでもないこーでもないとダベる3人の下に彼らのクラスメイトである桐山絢きりやまあやがドリンクを手に歩いて来た。



「絢じゃない、あなたも暇つぶし?」


「まあそんなところ。にしても先生のオーラすごかったね」


「すごいなんてもんじゃねえよ、あのオーラ直接受けてみろって。死ぬかと思ったわ」


「花山君にしては言えてるわね。私もさすがに生命の危機を感じた」


「あはは……仁美ちゃん先生の愛情だと思えば苦でも無いんじゃない?」


「ほんまええ子や……って黒戸。お前なんでさっきから黙ってんだよ」



 桐山が来てから言葉を発していない浅木は、誰がどう見ても動揺しているのが目に見えてわかるほどガチガチになっていた。


「え、いやそんな事」


「あるわよ。絢は浅木君に話しかけたのに困ってるじゃないの」


「だ、大丈夫だよ!困ってないから!」


「黒戸は絢ちゃんにほの字だからなぁ」



 花山の発言により浅木の動揺がオーバーヒートし、彼は膝を思い切り机の角にぶつける。

 その様子を見て花山はケタケタ笑い、桐山はその顔を紅く染め、柱崎は膝蹴りの衝撃により自分のコップだけが倒れた事にイライラゲージが増加する。


「バッ……お前何勝手なこと言ってんだよ!」


「だって、お前……逆にバレないとでも思ったのかよ!?ははっ、バレバレだっての!」


「……布巾取ってくる」


「え、え…と、その」



 桐山が言い合いをする男2人に緊張した声で割り込む。花山は察したようで、浅木との話を切った。



「ほれ、黒戸。お姫様からお話があるみたいだぜ?」


「ったく、後で覚えとけよ?……悪ィ、桐山。別に無視してたワケじゃねえんだけど」


「うん、知ってる。浅木くんはそういう人じゃないってこと、分かってるから」



 なんだか甘酸っぱい空間が広がっているのを見て、柱崎は布巾を持ったまま立ち往生している。


(邪魔しちゃ悪いよなー…でも早く拭かないとベトベトになるしなぁ。頼むから男らしくアンタから告りなさいよ)


 と考えている中、彼女は花山と目が合う。そしてアイコンタクトを取り、彼女は後ろから布巾をパスする事に成功する。花山がいそいそとテーブルを拭いているのをよそに、浅木と桐山は中々その先を切り出せずにいる。

 煮え切らない2人の様子にしびれを切らしたのか、柱崎が声をかける。



「言っちゃいなさいよ。もうお互いバレバレなのに恥ずかしがる事なんか無いでしょ?」


「うぅ……」


「き、桐山!」



 浅木は緊張からか、思わず声が裏返る。それを見た花山が声を殺して悶絶し、柱崎はそれを抑えている。



「えっと、そのなんだ……さっき花山も言ってたんだけどさ」


「う、うん」


「……俺、桐山の事__!」




 ◇




 夜、浅木は自室で花山と電話していた。話題はやはり昼のファミレスでの一件であった。



「いやお前、告白に敬語はねえわ。"付き合ってください!"ってクラスメイトに言うかよ」


「いやだって俺彼女いた事無かったし」


「ツレと遊んでた方が楽しいしーつってたのになぁ!この裏切り者め、このこの!」


「ははっ、ありがたく受け取っとくわ……あ、"絢"から電話だ」


「早速呼び捨てとかお熱いねえ。んじゃ、お邪魔虫は去りますよっと。またな」


「おう。今日はありがとな」



 花山との電話を切り、桐山からの通話に出る。恋人になったばかりの2人の会話は友人であった頃と比べるとややぎこちないが、以前と比べると格段に楽しそうに聞こえる。



「じゃあ、またな」


「うん、じゃあね"黒戸"」



 彼は通話を切り、ベッドに倒れこむ。退屈だとばかり思っていた夏休みに、とても大きな変化が訪れた。これからが楽しみになる……はずだった。







 しかし、変化はこれだけでは無かったのだった。



 ◇



 浅木黒戸は起床後、いつもの様に朝食を食べに自室から階段を降りリビングに来たものの、彼の兄である浅木燐あさぎりんがいない事に気づく。



「母さん、兄貴は?」


「さあ?普段クーちゃんより早く起きてくるのに不思議ね」


「だからそのクーちゃんってのやめてくれよ!もう高2だぞ」


「うーん考えとく。それより燐起こしてきてくれない?」



 聞く耳を持たない母、浅木波季に命じられるがまま彼は再び階段を登り、小説家志望である兄の部屋に向かう。



「兄貴、入るぞ。筆進んでるのは良いけど、朝飯食わねえと死ぬぞー」



 軽口交じりに部屋に入るが、彼の目に兄の姿は映らなかった。布団はもぬけの殻であり、押入れもベランダも探したが、どこにもいない。



「友達んとこにでも泊まりに行ったか?」



 兄の友人に電話を入れるが、遊びに来てはいないと返ってきたため、振り出しに戻る。大した情報も無かったため、リビングに降りると、ニュースが流れていた。



「繰り返します。本日未明、全国で行方不明者の通報が相次いでいます。警察は集団失踪と見て捜査を開始しました。続いてのニュース……」



 浅木は言いようのない悪寒と最悪のイメージに襲われ、すぐさま出かけの支度を済ませ、玄関のドアに手を掛けた。



「母さん、兄貴探しに行ってくる!」



 彼は兄の普段行く場所へ向かう道すがら、クラスメイト全員に連絡を取ろうとした。

 真っ先に電話をしたのは彼の恋人である桐山絢であったが、彼女はいつまで経っても通話に出てこない。



「おい、出ろよ……出てくれよ、絢ァ!」



 彼はいつのまにかその脚を止め、延々と続くコール音に悲痛な叫びを上げた。その姿を偶然見かけた花山が彼に近寄る。



「黒戸、どうした!?」


「絢が……絢が……!」


「ッ……俺はあっちを探す。お前は絢ちゃんの家に行け」


「……お前」


「急げ!できる内にやれる事はやるんだ!次は俺たちのどっちかになるかもしれねえ!」


「……ッ!」



 彼らは二手に分かれ、全力で走る。かたや恋人の行方を探しに、かたや友人の助けのため。そしてそれから3日……。








 この町から2人の少年が失踪した。



 ◇



「うぐ……っ、ここはどこだ?絢は?兄貴は?」



 少年が目を覚ますと、そこは深い森林の中であった。耳をすませると何者かが歩いてくる音が彼の耳に届く。



「……何だ?」


「グルルル……」



 少年は立ち上がろうとするが、背中の異物感に気がつく。その背には一振りの大剣があった。

 そして今までの服装と全く違く、現代的な洋服からはかけ離れており、民族風なポンチョを羽織り、その下に軽い鎧を装着している出で立ちであった。



「なんだ……これ……!?」



 自分の境遇に戸惑う中、木陰から一体の怪物が出てくるのを確認した。その怪物は赤黒い肌で痩せ細ってはいるが、しっかりと筋肉が付いている。頭部は横に広く、2本の角が両脇に生えている。

 そして、その首には人骨とも取れる頭蓋骨がネックレスの様に連なって掛けられたいた。



「てめえが……」



 先刻の失踪事件に、目の前の怪物。結びつけるには十分すぎる状況であった。少年__浅木黒戸は、激昂し、剣を引き抜く。



「てめえがやったのか!!兄貴を、絢を!!失踪したみんなを!!」



 無意識の内に彼は怪物の懐に踏み込み、その大剣を斜めに振り上げる。怪物が仰け反った隙を狙い、今度はそのまま振り下ろす。痛々しい十字の傷を負い倒れ込んだ赤肌の怪物を前に、浅木黒戸は剣を標的の首にあてがう。



「ああぁあああああああ!!」



 思い切り得物を横にずらし、首を刎ねる。その首元から勢いよく溢れ出るものは、さながら紅い雨のようで、彼を、人骨のネックレスを真紅に染め上げる。

 怪物を殺した彼は膝をつき、絶望に打ちひしがれた。この一瞬で全てを失ったと。



「なんで、なんでだよ……どうしてあんな目に遭わなきゃいけねえんだよ!!」



 ふと、怪物の血溜まりに目をやると、今の自分の姿が確認できた。憎しみと絶望に支配されたその姿はまるで、先ほどの怪物によく似ていた。



「こんなんじゃあ……顔向けできねえよな……ははっ」



 最早彼は、乾いた笑いをこぼす事しかできなかった。紅い雨はやがて透明な雫へと変わり、大地を濡らす。それはまるで、彼の瞳から零れ落ちるものに呼応するように、悲哀を地に叩き続けているようだった。




 ◇




 柱崎は友人が3人も失踪した事実を間に受け、自室に閉じこもっていた。つい先日は他愛ない話をして、先生に怒られ、またくだらない言い合いをして……何も変わらない日常だったはずだ。そして……。



「絢……どうして絢が!」



 ぶつけようのない怒りを無理やり枕に押し付ける。2人はやっと結ばれたばかりだというのに、その幸福を一瞬で奪い去った世界そのものに彼女は憎悪さえ抱いていた。



「何でよ……幸せって、こんな簡単に奪われていいものなの……?」



 彼女は嗚咽を漏らしながら、膝を抱えて塞ぎ込む。もう、その眼の雫はとうに枯れていた。



「あの花山バカさえいれば、少しでも気が紛れたのかな……」



 今はいない友人の顔を思い浮かべ、彼女はまた深い眠りに沈む。その姿に、かつての面影は無かった。




 ◇




 失意にうなだれる浅木の下に1人の少女が近寄る。短髪で背こそ低いが華奢ではないその少女は、怪物の無残な肉塊を一瞥して彼に話しかける。



「そこのゴブリン倒したの、あなた?」


「だったら何だ?大した用じゃなきゃほっといてくれ」


「いやー、うちの村の家畜がゴブリンの被害に遭っててさ」



 少女は彼の言葉などお構い無しに隣に座り込む。彼女は浅木の事情など知る由も無いため、ひたすら明るく接してくる。



「村の男もあなたみたいな人ばっかりなら良いんだけどなぁ。みーんなバケモノにビビっちゃって引っ込んじゃうんだ」


「……戦って、死んだらどうすんだ?」


「へ?」


「死んだらもうそいつは帰って来ねえんだ。そこのバケモンだって、仲間もいたし家族も多分いた。俺はそいつの未来を奪ったんだ。俺からすれば戦いなんて、避けて当然だと思うがな」



 彼の鬼の様な形相に怯む少女だが、彼の言葉に反論する。



「でも、こっちも食糧の危機に……!」


「俺は恋人と兄貴を奪われたんだ!!昨日、俺は2人を一瞬で失った!家畜が何だよ、"そんなの"また増やせばいいだろうが!」


「……そんなのって何?あの子たちを育てるのにどれだけの手間がかかると思ってんの!?知らないくせに"そんなの"なんて言わないでよ!!」


「ったく、朝から喧嘩してんじゃねえよ、エモノが逃げちまうだろ?」



 二人の間にどこから来たのか、猟銃を持った男が割って入る。長身で顎鬚が印象的な狩人然とした男は、その場にあった岩にドカッ、と座り込む。



「まあ、お前らも座れよ。事情も分からずにケンカしてもお互い損しかしねえ、だろ?」


「……あんたは?」


「人に名前を聞くときは……まあいいや。俺はレビ、所謂ハンター稼業をしてる。ま、ヨゴレ仕事ってやつだ」


「俺は……ぐっ!?」



 浅木は自分の名前を言おうと口を開いたが、突然の頭痛にうめき声をあげる。

 そして、彼の頭に"ある名前"が浮かぶ。さらにその名前が"浅木黒戸"をかき消し、塗りつぶす。



「お、おい……大丈夫か?」


「ああ……心配すんな。俺は"エルザ"、エルザ・ハルヴィオ。旅人ってやつだ」


「にしては、随分魔物殺しに慣れてねえみたいだが」


「魔物……?」


「ちょ、ちょっと!私抜きで話進めないでよ!」



 短髪の少女は自分だけのけものにされた不満から会話に入る。レビは鬱陶しそうに顎髭をさすりながらなだめようとする。



「あ?おチビちゃんは頭冷やせって」


「おチビじゃないわよ!私にはね、レイン・ウィルホートって名前があんのよ、このちょび髭!」


「あんだと!?このダンディさが分かんねえってのかよ!」


「そんなのフケツなだけじゃない。サボらず毎日剃りなさいよ」


「言わせておけば……こんのガキ……」


「レビさん、だっけか?頭を冷やせつったのはアンタだろ。俺が言えたことじゃねえが頭冷やそうぜ、レインも」



 エルザは2人の言い合いを見て冷静になり、彼らのどうでもいい争いを止める。



「何だ、存外冷静になれるもんだな」


「……一杯食わされたわけか」


「食えないオッサンね」



 すっかり冷めてしまったエルザとレインはレビに倣って座り込んだ。そして、互いの事情をそれぞれ話す事にした。



「私の方はさっき言った通りよ。魔物が急に活発になったせいで、家畜や作物が取られて大変なのよ。今のところは全員賄えるけど、それがいつまで続くか……」


「俺は……」



 エルザは言葉に詰まる。記憶が無くなっている、と彼は今になって気づいた。


(いつからだ?俺はなぜ魔物の首を斬った?俺は一体"誰"を探して……?)



「どうしたのよ、恋人と兄貴が〜って言ってたじゃない」


「恋人……兄貴……?」


「ショックで記憶が飛んだか、稀にあるんだ。ハンターにも初めての仕事で精神が逝っちまうやつがいるが……ここまでの症状は初めて見た」



 エルザは自らの手が震えていることに気づき、押さえ込もうとする。



「なんで、なんで震えてるんだよ……」


「やっぱりエルザもゴブリンが怖かったんじゃない?」


「怖がるようなビビりがあんな殺し方するかよ……」


「なら決まりだな。コロシのストレスと、殺した自分が怖くなっちまったんだな」


「自分が……怖い?」



 レビの分析を経て、彼は自分がゴブリンの首を刎ねた後を思い出す。エルザは確かにあの時、血溜まりに映った自分をゴブリンと重ねていた。



「……かもな。すげえな、レビ」


「そういうやつは何人か見てきた。ただ、意識を保ってられる分、お前は強い」


「……はーあ、覚えてないんだったらさっきのケンカ意味ないじゃん。もう、ただ疲れただけじゃない」


「……すまん」


「はあ……もう水に流しましょ。取り敢えず2人とも村でくつろいで行きなさい」


「おっ、マジ?案内してくれよ!俺もう腹が減っちまってさぁ」



 おちゃらけるレビと、失意に沈むエルザ、そして2人を牽引するレインは彼女の村へと歩いて行く。

 入り口に近づくにつれて、何やら焦げ臭い空気が辺りを包み始めていく。



「お?焚き火でもしてんのか」


「……にしては気温は高めだ。調理するにしてもこんな大規模に火を起こすなんてまず無い」


「まさか……ヤツらが来たの!?」



 レインは帰路の中集めた果物を手からこぼす。そして、すぐさま村に向かって走り出した。



「待つんだ!クソっ、あのままじゃあの娘が……!」


「……」



 レビが後を追いかけようとするが、立ち止まるエルザを見かけて足を止める。



「おい坊主、何で走らねえんだ?」


「……」


「戦うのが怖いのか?」


「…………」


「目の前で死なれるのが怖えのか?」


「………………ッ」


「俺の見込違いだったみてえだな。腰抜けはそこで震えてろ」



 彼はエルザを置き去りにし、レインを追って村へと向かう。エルザは、自分の瞳から訳も分からず流れる涙に困惑していた。



「何だよ……何なんだよ……!止まれ、止まれよ!!」



 自分でも分からない感情に、彼はその場に跪いた。




 ◇




 レインは村の惨状を目にし、狼狽える。村民の姿を探してみると、馬車のようなものの上に、木の檻の中に閉じ込められているのを見つけた。



「みんな!今助けるから!」


「レイン!何でここに!?」


「朝散歩ついでに木の実取りに行ってたんだけど、燃えてる匂いがしたから走ってきた!にしても、ゴブリンのやつら、いつからこんな技術を……」


「ダメ、逃げて……」



 村民の1人がレインに対して逃げるよう忠告する。レインは頭に疑問符を浮かべる。



「大丈夫だよ、もう少しで開きそうだし」


「違う……"コレ"をやったのはゴブリンなんかじゃない!」


「そ、村長さん!?そのケガは……?」



 村長と呼ばれた老人がボロボロの家屋から出て来る。その身体は傷だらけであり、最早瀕死同然である。



「ヤツらは今までの化け物とはまるで違う!火を操れるし、こんな檻まで作れる……まるで人げ」



 ぐしゃり、と唐突に老人の頭部が黒い手に握りつぶされ、頭を失った屍は地に倒れる。



「いやぁああああああッ!!」



 首から上の無い死体を前に絶叫を上げる少女に、その黒い手の持ち主が姿を現した。

 筋骨隆々な漆黒の肢体に、頭部を覆い尽くす仮面とも取れる外殻、そしてその外殻の中央に在る単眼。その眼が、少女を捉える。



「あ……あ……」



 レインは、今まで見た事もない異形を目の前にし、動く事も出来ずにいた。その異形は、新しい標的に向かって手を伸ばそうとした__その時であった。



「グァアアアッ!?」



 猟銃……とはかけ離れた威力の弾丸が、怪物の腹わたを撃ち抜く。その射手は、レビだ。



「レ……ビ……さん?」


「……クソっ、間に合わなかったか!」



 レビは急いで彼女の元へ駆け寄り、彼の後ろへと避難させる。



「おかしい……明らかに渡された情報と段違いだ」


「情報?」


「詳しいことは後だ。取り敢えず、ここを生き延びて、村のみんなを救うのが先ってもんさ」


「……エルザは?」



 彼女の問いに、レビは押し黙る。その態度を見た彼女は、何となく彼らの間の出来事を察した。



「仕方ないよ。私も今分かったもん……殺される側の恐怖」


「だが、他人が死にかけてる中で自分可愛がりとはな。俺の目もだいぶ鈍っちまったな……。さて、無駄話は終わりだ、そろそろ来るぞ」



 彼らの会話が終わるか否か、怪物は腹の傷に慣れたのか、ゆっくりと立ち上がる。そして、パチン、とその指を鳴らす。



「んだぁ?挑発のつもりか?」


「……レビさん、なんか、物音しません?」


「……確かにな。まさかとは思うが、こいつ!」



 レビはレインの手を引き、後方へと勢いよく跳ぶ。その直後、彼らが立っていたところの地中から黒い手が現れる。

 そして、その手は腕へ、腕は2つへ、やがて怪物の上半身が地面から這い出て来る。



「仲間を呼びやがった、厄介な事この上ねえな!嬢ちゃん、俺から離れんなよ」




 ◇




 先ほど知り合った少女の悲鳴と響く銃声が耳に入り、少年の意識が戻る。そして目線を上にやると、1人の男が立っていた。



「黒戸、だよな」


「……は?俺はエルザ、エルザ・ハルヴィオだ。クロトなんて人間知らねえぞ」


「思い出せ、浅木黒戸だ。この名前に覚えは無いか?」


「アサギ、クロト……」



 どこか覚えのあるような無いようなその響きに、少年は首を傾げる。



「花山恭介、桐山絢、柱崎水帆。このどれかに聞き覚えは無いか?」


「キョウスケ……アヤ……ミズホ……」


「……浅木燐、これでも思い出せないか?」


「り、ん……燐?」



 少年は、知りもしないはずの友と兄の名前を聞いて、僅かな記憶のピースを手繰り寄せる。その様子を見た男は、続いて話しかける。



「俺のワガママに付き合わせてゴメン。でも、俺を止められるのは、黒戸、お前しかいないんだ」


「さっきから何……を……」


「時間が無い、手短に話すぞ。まず俺は、この世界の魔術師に元の世界から召喚された。これがニュースで失踪事件として扱われたのは異界の鏡で見てきた」


「ニュース……失踪……ぐッ!」


「そして、俺はある1人の女の子と一緒にこの世界を壊しかねない危機……『黄泉の門』を破壊するべく遠征に行く事を強いられた。今思えば、あの子が桐山絢だったんだろう」



 少年は、突如割れるような痛みに頭を抱える。そして、再びその顔を上げた時には、少年の眼から恐怖が消え去っていた。



「兄貴、なんだな」


「……ああ。結局、俺は黄泉の門までたどり着いたが、そこにいた門の主に倒された。だから、お前たちを召喚した。俺は、大バカ野郎だ。自分のツケを自分で払えねえ挙句、弟や、その友達に丸投げして……兄貴失格だ」


「何があったんだ」



 弟の静かな問いに、少年の兄__浅木燐は苦痛の面持ちで答える。



「異界に飛んで来たやつは、みんな"歪んだ魔力"を持ってる。通常の魔力と比較してもかなり強力なんだ。こいつを使って、門にいたやつを倒そうとしたんだが……力が暴走した」


「つまり……その力に溺れちまったって事か?」



 燐は、静かに頷く。そして、その身体が徐々に薄れていくのを少年__浅木黒戸は確認した。



「タイムリミットだ。もう、俺の良心が消える。この世界に怪物が溢れたのは、俺の魔力の制御が出来なかった結果だ。そして、今の俺はもうヒトとは程遠い。黒戸、図々しいのは分かってるつもりだ……だけど」


「分かった、引き受けるよ。てか、兄貴が図々しいのなんて昔っからだから慣れてるさ」



 少年は立ち上がり、その背中から大剣を引き抜いた。その姿が消える間際、燐は弟に声をかける。



「エルザ・ハルヴィオ。こいつは、俺が元の世界で書いてた話の主人公の名前だ。お前を呼ぶ際に、名前を与えたんだ」


「主人公なら負けねえってか。ハハッ、随分荷が重い願掛けだ」


「……頼んだ、エルザ」


「ああ、待ってろ」



 兄の幻影が消えるのを見届けた少年、エルザは目の前の塀に向かう。



「歪んだ魔力、だっけか。やってみるか」




 ◇




 2体に増えた怪物は、戦いが続く内に3体、4体と増えていた。レビは、背中のレインを守りながら戦いを続けていくのに困難を極めていた。



「さすがにキッツイな……嬢ちゃんだけ逃げられるか?」


「そんな、レビさんは!?」


「俺の心配はすんな、これでもベテランだぜ?」



 しかし、レインの目からも、彼が強がっているだけだというのは丸わかりであった。やがて、黒い怪物が彼らの四方を取り囲んだ。



「ハッ、ここまでか。もっと美味いもん食っとくべきだったな」


「そんな、こんなとこで諦めたら……!」


「やれるのか?陣形は完全に向こうのが有利だ。俺たちは袋の鼠だ」



 ジリジリと迫って来る怪物に、思わずレインは目を閉じた。そして__










 怪物の悲鳴の後に、轟音が通り過ぎる。




 彼女が目を開けると、先ほどまで目の前にいた怪物の上半身が消え去っていた。レビが視線を村の塀辺りに向けているのを見つけ、共にそこへ視線をやる。

 そこには、塀の瓦礫の中から出てくる、大剣を携えた少年__エルザ・ハルヴィオの姿があった。



「悪ぃ、遅れた」


「坊主……」


「エルザ……?」



 足下に魔力を集中させ、あり得ない速度で敵の前まで近づき、剣を振るう。歪んだ魔力を纏わせたその斬撃は、この世界のプロセスで構築された怪物の常識には無く、防御を許す事は無かった。

 速度と防御無視の剣撃を受けた怪物は大きく仰け反り、3人から距離を取る。



「2人とも済まねえ、あとでいくらでもぶん殴ってくれ。ただ、今は……」


「こいつらを倒すのが先、だろ?やってやろうぜ坊主!」


「エルザ……戻ってきてくれて、ありがとう」



 感謝の言葉を綴るレインに対し、エルザは軽く笑い飛ばす。その様子に彼女は不満の様だ。



「何よ、人がせっかく感謝してんのに!」


「いや……感謝にはまだ早えって話。ありがとうは、こいつらぶっ倒してからだ!」



 今ここに、少年の長きに渡る戦いの火蓋が切られた。

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