【試し読み】EP1



姫八ひめはち市。日本国内における土地面積三位、関東においては一位を誇る超巨大都市です。

 

 東京都西部に位置するこの都市だからこそ可能な事は枚挙まいきょいとまがありませんが、土地面積を有効活用する例として真っ先にあげられるのが私立姫八学園の存在となります。


 日本有数の学園規模。在籍生徒数は中等部・高等部を含め二〇〇〇人以上。

 未来ある人材を確保することを使命としておりますが、それは学生だけにとどまらず、教師たちを含めたスタッフまでもが対象です。我々は人間の未来を創りだしています。


 創設者であり、現学園長でもある〈千日瓦せんじつがわら 白州はくしゅう〉の掲げる教育理念は〈フリーダムinフリーダム〉。一見すると単純明快にも見える理念は、しかし追い求めれば追い求めるほど、道がけわしくなっていくことを我々は知っています。


 ですが大丈夫。姫八学園は挑戦することをあきらめません。


 ここには全てがあります。

 規律正しい学園生活。

 刺激的なイベントの数々。

 人間工学に基づいた設備。

 快適な、施設。

 洗練されたスタッフ。

 そしてあなたの輝かしい未来。

 さあ、皆さん。私たちと一緒にフリーダ――』


「さて、諸君。お分かりだろうか」


 俺は動画を停止した。ルームメイト三名の顔を順繰りに見る。


 現在、オンボロ男子寮の自室にて〈状況把握会議〉開催中だ。堅苦しい名称が嫌ならば〈男子寮がこんなにボロいなんて聞いていないぞ!被害者の会による決起集会〉でも良い。


 割り当てられた男子寮室は声の通りだけは良好の為、作戦会議にはもってこいだ。

 なぜなら隣室との壁が抜けているから。これにより二人部屋は強制的に四人部屋へ姿を変える。


「ここを見てくれ、ここだ。『快適な、施設』とナレーターが言ったときにコンマ一秒だけ画像が切り替わる。コマ送りにすると分かるが、サブリミナル効果もまっさおなぐらい一瞬、男子寮が映る――ほら、ここだ。俺たちが今いる倒壊寸前の男子寮だ」

「本当にうそはついてねえ……じゃあ俺たちはだまされて入ったわけじゃねえってことか……」

「お馬鹿! 金太きんたのお馬鹿さん! こんな一瞬の映像を視認できるやつがいるか!! 俺たちは騙されたんだよ! 夢見て入寮したらオンボロ屋敷っていう壮大な詐欺だ!」


「ねえねえ、国立くにたちくん」


 ルームメイトの〈北狼猪助ほくろういすけ〉がハイと手をあげた。〈剣豪十傑けんごうじゅっけつ〉に名を連ねる剣客けんかく一族で、銃刀法違反を無視し、帯刀を許されている。とはいえ本人は声変わりもしておらず、一見すると女子に見えなくもなくなくない可憐かれんな容姿……落ち着け俺、こいつは男だ。


「ボク、普通に見えるけど……」

「トンデモ剣士の発言は一般枠から外す」

「拙者も視認可能」

「高校生忍者も除外」


 俺達は、男子寮の現状を知らぬまま入寮した面々であり、壁抜けルームメイトの四人組でもある。現在は猪助と写模しゃも、そして中学からの悪友・金太をきつけている最中だった。


「というわけで、このまま黙っていることは、許されない! そうだろ!?」

 

 心底納得というわけではないまでも三者三様のうなずきは返ってきた。

 だが、バカなのに野生の勘でたまに核心を突いてくる金太から、今回も指摘が入った。


「でもよお、大理だいり。男子寮はたしかにおんぼろだけど無料じゃんか。女子寮は結構な寮費がかかるんだろ? 上に文句言って有料にされたらオレはいやだぜ。金ないし」

「改築を求めてるわけじゃない。修繕しゅうぜんを求めてるんだ。この建物だって建てられた当時は立派な建物だったはずだろ? 当時の状態に戻すだけなんだから、これは改善じゃない。修繕だ。修繕は建物所有者の責任なんだから、俺たちに請求するなんてお門違いだ」

「ほんとだ。たしかに正論かも」

 

 猪助が目をわずかに見開いて頷くと、金太も腕を組みなおしてから頷いた。


「さすがは天才、世界の国立――の弟! そういや大理の姉ちゃん、海外から戻ってきて保健室に居るんだろ?久々に会いにいこうぜ」

「タバ姉の話はやめてください!」

「タバネエ?」

 

 猪助が首をかしげる。俺はまっすぐに視線を向けて、口を引き締めた。


「その話はしません!」

「なんで敬語なの?」

「大理の弱点の一つだからな。まあ、そのうち分かるさ」

「はい! その話は終わりです!」


 タバ姉の話はしません!

 

 ちなみに男子寮の定礎板を確認したところ、最近新しくしたのだろうぴかぴかの板に

〈定礎  明治 40 年〉とあった。板を新しくする前に建物をどうにかしろというツッコミをぐっとこらえたが、それも一日が限界だった。なぜかって? 女子寮を見ちゃったからだよ!


「そもそも! 俺たち男子寮生が、こんな雨が降ったら溶けちまいそうな建物で三年間過ごさなきゃいけないってのに、なんで女子寮は三ツ星ホテル並みの待遇なんだ!?  俺は最初、ホテルかと思って『スゲー! ホテルまであるのかよ、この学園』って感心したよ! でもホテルなんてあるわけないんだよ! 学園なんだから! ホテルいらないもん! な んで感心しちゃったんだ!   敵に塩を送るなよ俺のバカ! 本当におバカさん!」

「ボク、国立くんが心配になってきたんだけど」

「平気平気。大理は昔からこうなんだぜ。頭いいくせに、ちょいちょいバカなんだよな」

「金太にだけは言われたくない!」

「んー、でもさ、ボクもたしかに驚いたよ。知らない人が見たらホテルに見えるよね」

 

 猪助が自称友達だと言い張る日本刀を抱きながら、うんうんと頷いた。


「たださ、男子禁制って聞いてたけど玄関は普通に入れたよ? 警報も鳴らなかったし。メイドさんに『危ないから出ていけ』って言われちゃったけど猛獣でも居たのかな」

「危ないのはお前だよ!」

 

 具体的には、腰にぶらさげてるお友達だよ!


「ん? どういうこと?」

 

 首をかしげる猪助。あれ、なんか可愛かわいいぞ――って、いやいや、男に何を言ってんだ。


 しかも、さっきゴキブリが問答無用で愛刀(国宝級)で真っ二つにされた挙句、斬られたことに気が付かないまま消えていったじゃないか。外見に騙されちゃいけない!


「盗撮も不可。全てにおいて完璧な防御」

 

 写模の言葉に、俺も無言で頷いた。入学初日に女子寮を盗撮しようと試みていたことは、ひとまず脇に置いておく。成功したときに写真データをもらえないと困るので黙秘だ。

 

 猪助は俺のルームメイトであり、金太と写模は壁を挟んで――いや、壁を挟むことない隣の部屋の住人だ。二人部屋ではあるが四人のルームメイトというおかしな状況であり、出会った時には面食らったルームメイトだが、考えようによっては頼もしい戦力といえる。


「そんなわけで、さっき学園長に直談判じかだんぱんしにいったら『噓などついておらんぞ、きちんと確認せい』と言われて、動画を見ていたら違和感に気が付いたってことだ。一瞬で俺の青春計画が台無しになった!」

 

 監視体質の姉も、崇拝気質かたぎの妹も不在の中で、いつか現れる(予定の)彼女と学園内で待ち合わせしちゃったりして、きゃっきゃうふふな学園生活を夢想してたのに――。


「――いまに見てろよぉぉぉぉぉ! 学園長ぉぉぉぉぉ!」

「ボク、窓から外に向かって叫ぶ人なんて初めて見た」

「そうか? オレは大理で慣れてるぜ」

 

 これ以上叫ぶと建物が倒壊する可能性があるので、静かに窓を閉めた。片方の窓を閉めると、もう片方が少しだけ開くというシステムらしく風と虫が入り放題だ。冬は凍死するんじゃないだろうか。


「調査報告でござる――だ」

 

 写模が闇夜を切り裂くように懐からサッと端末を取り出した。


「おお! 想像以上に早い!」

「朝飯前でござる――ん」

 

 新種の語尾が完成していた。


「なあ、写模。無理はしないほうが良いんじゃないか」

「なんのことだ? 訳が分からぬ」

 

 乱麻らんま写模は調べものが得意なようで、その延長としてカメラも好きらしい。しかし更なる延長線上には盗撮と警察官がセットで立っているのだが今は無視だ。そして絶対に忍者だと思うのだが、本人はかたくなに否定している。


「で、どうだった?」

「寮生の調査報告。三年は三人。入寮当時は七十二名が在籍。しかし三日で十数名、一年以内に三人へ減。二年は七名。入寮当時はさらに多い九十名。しかし半年で今の七名へ減。そして我々一年は昨日の時点で五十一名。本日付けで十三名へ減」

 

 金太が指折り数えている。


「……!? 一日で二十九人も逃げたのかよ!」

 

 引き算おかしいだろ。猪助が困惑気味に視線を向けてきたので、助け舟を出した。


「金太、九十三引く七は?」

「おいおい、オレが三桁の暗算できねーの知ってるだろ」

「二桁だよ……! 二桁だよ……!」  


  猪助が思わずツッコむも、金太は豪快に笑って『ツッコミは勢いだぞ! 猪助!』とか偉ぶっていた。そういう憎めないところが金太君の味なので静かに見守っておく。

 金太がドカッとセンベイ布団に寝転んだ。


「あーあ。オレ帰りたくねーなぁ。まだ肉の一枚も食ってねーよ」

 

 筋肉大好きの熊飼くまがい金太は、何を間違えたのか菜食主義の坊主の家に生まれた。毎日お肉が食べたいという切実な夢を胸に親元を離れて入寮した。というか脱走した。


「あきらめるな、金太。俺たちは何もしてないだろ? それにギブアップした奴は多いが、一年の寮生はまだまだ残ってる。一致団結して何とかしないと」

「何とかっていっても、何すんだよ。学園長にも相手にされなかったんだろ?」

 

 そうだ。あのヒゲだけはモサモサ生えているハゲ学園長には『男子たるものあの程度で音をあげるでない』などと時代錯誤な注意を受けた。全く納得のできない一喝だ!

 

 ていうか、きゃっきゃうふふな学園生活が本当にうらやましい! 入寮までの間、夢にまで見た生活を簡単に諦めてたまるか!


「――というわけで、俺たちには情報が足りない。まずは敵地調査だと思わないか?」

 

 頭の上に〈?〉をつけた面々に、今後の計画を説明し始めた。

 

 そうして俺達は他の一年男子寮生を巻き込み、女子寮潜入を企てたのだ。

 

 一年の男子寮生十三名をチーム分けし、サバゲー命の草薙くさなぎ兄弟からトランシーバーを借りて、顔が割れている可能性のある猪助はサポート役として待機。十二名で潜入を敢行するもすぐに警報に引っかかり、単身、女風呂に逃げ込んだ。

 

 結果、俺は〈おしりの神様〉に出会ったわけだが――話は一夜明けた、翌日へと移る。



 *



「〈 ――よって、国立大理を首謀者と判断。翌日の出頭命令発行をもって、当報告を終える〉。……さて、これが昨夜の〈女子寮潜入に対する報告書〉の全文じゃ」

 

 俺は学園長室にて一人、立たされていた。ヒゲだけはモサモサと生えているじいさん〈千日瓦学園長〉の真ん前で直立不動が、今の俺に許されている唯一の行動だった。

 

 学園長の横には得体のしれない男(大人)も立っていたが発言することなく、時折スマートフォンをいじっているだけだった。そこに居る意味が分からない。

 

 しかし何故なぜこんな事態になっているのか。


 事の始まりは潜入調査の翌日――つまり今日の朝のことだった。全てが丸く収まったと信じ切っていた俺のもとへ一枚の通知が届いたのだ。それも電子データではなく、学園長手書きの墨による文書だった。

 

 窓から侵入してきたドローンが持ってきたのだが、ドローンにも開けられるレベルのセキュリティに驚く前に、ドローンからいきなり流れてきた音声に飛び上がった。


『はろーう! ワシじゃ、ワシじゃよ、儂儂ワシワシ! 学園長だよーん! お手紙送ったから読むんじゃぞ! 捨てたら泣いちゃうからの! それじゃあまた後での!』

 

 儂儂ワシワシ詐欺を疑ったが、直筆の文書がそれを否定している。そこにはこう書いてあった。


『姫八学園・高等部・一年花組・国立大理殿。貴殿に女子寮潜入の疑いあり。三十分以内に学園長室に出頭することを命ずる。(遅刻したらもっとひどいことになるぞ☆)』

 

 俺はとにかく急いで用意をして、ほうほうの体でこうして学園長室に来たというわけだ。

 昨日の逃亡ダッシュ+忍者ごっこで全身筋肉痛だというのに、朝から散々だった。

 

 サンタクロースのようなヒゲをモシャモシャと触ったあと、学園長は手にしていた報告書を大きな木製の机に投げて、俺に視線をよこした。


「して、国立大理よ。女子寮無断侵入について、なにか釈明したいことはあるかの?」

「もちろんです! もちろんあります!」

 

 学園長室内には様々なものがある。直筆の掛け軸(らっきいすけべ体質になりたい)や、学園長だけが写っているポスター(なぜか半裸でバラを口にくわえている)や、学園長の 16分の1フィギュア(関節超可動・学園長の目覚ましボイス付き)などに見守られながら、俺の頭脳は恐ろしいほどの速度で言い訳を作成し終えた。


「俺はのぞきがしたかったわけじゃないんです! 男子寮の修繕の参考にと思って、調査をしただけなんです! でも追いかけられてるうちに、女風呂にたどり着いてしまって……どうしようもなくロッカーに隠れて、外の様子を観察してただけなんです!」

 

 あれ? やばくない? 覗きどころか、正面突破しようとしてるただの変態じゃない?

 

 学園長はヒゲをもさもさ触ると口を開いた。


「あのなあ、国立大理よ。わしは覗きをした精神は買っておるんじゃぞ。男子冥利みょうりにつきるじゃろ。男として生まれたならば男として。女として生まれたならば女として。与えられたモノを精一杯活用して、人生を謳歌おうかすることが〈正しき人の道〉じゃと思っとる。人の命ははかない。やるべきことをやっているだけでも時間が足りんものよ」


「はあ……? まあ、そうですかね」

 

 意図が全く分からないが、ここは素直に頷いておこう。


「じゃがの。物事には落としどころっちゅうもんがあるんじゃ――まずは、これを見よ」

 

 学園長がピッと何かのボタンを押すと、天井から大きなディスプレイが下りてきた。唐突に動画が再生される。そこには三階の窓から垂れ下がった縄バシゴを下りる俺と、その下でいろいろと動いている人影が映っていた。


「これ、昨日の……?」

「そうじゃ。で、この縄バシゴで三階から脱出しておるのがおぬしじゃろ」

 

 確かにそうだ。俺は昨日、ヘルプボタンを押そうとしたのだ。その直後、トランシーバーから金太の声が聞こえてきた。


『風呂場からつながっている洗濯室へ急げ! そこの窓から脱出できるようにする!』

 

 言葉に従ってみれば、写模の手腕により脱出用の縄バシゴが設置された。それからヘルプボタンを押して、窓から脱出したのだが……まさかあの時の行動が撮影されていたとは。


「でも、これおかしいじゃないですか。なんで俺の顔だけ鮮明に映ってるんですか」

 

 そうなのだ。下で手引きをしていた〈金太・写模・サポート役の猪助〉の顔は全く分からない。赤外線カメラなのだろうが、それにしたって皆の顔はひどいモザイク調だ。なのに縄バシゴをつたう俺の顔だけは、鮮明にというか、4Kなみの超高画質で映っている。


「これが答えじゃ」

 

 質問への答えはないままに、学園長は結論付けた。


「古来よりな、物事を収めるためには大将が首を差し出すのが決まり事なんじゃ」

「でも、俺以外にも捕まった奴らが居たでしょう!?」


「確かにおった。じゃが奇妙なことに、その全てが再び逃げ切っておる。更には素顔を隠していたり、写真データの破損等が色々重なってのう。詳細は全て不明となっておる」

 

 写模の救出作戦が裏目に出たのか。文句は言うまい。そのおかげで俺も脱出できたのだ。


「でも、捕まった人間はいたんでしょう? それなら俺だけが悪いわけじゃないってことの証明になるじゃないですか。なんで俺だけがつるし上げられないといけないんですか!」

「だからこそ大将が存在しているという話をしておるのじゃ。残念ながら社会というのはの、誰が悪いかではなく、誰が責任を取るのかという図式で成り立っておる。そのための責任者と証拠――で、今回、国立大理の姿が鮮明に確認された。もう、わかるな?」

 

 いやいや待て。話が不穏になってきたぞ。俺は動揺を隠すように静かに尋ねた。


「つまり?」

「退学じゃ」

 

 絶句。


「――なーんて冗談冗談。それはさすがに可哀かわいそうじゃし、今回は別の罰を用意した。ワシ、えらいじゃろ? ほめるのじゃ」

 

 復帰。


「終わったかと思った……」

「ワシ、えらいじゃろ? ほめるのじゃ」

「?」

「ほめるのじゃ」

 

 なんだろうか。新手のバグだろうか。まあ許してもらえるなら褒めておくか……。


「すごいですねー、学園長」

「退学じゃ」

「学園長ばんざーーーい  おヒゲ最高ぉぉぉぉーーーーー!」

「ま、それぐらいで良いじゃろ」

 

 ちくしょう、なんだこの大人。男子寮修繕を断られたときの気持ちがよみがえってきた!


「ふぉっふぉっふぉ」とサンタクロースのように笑った学園長は、横にダルそうに突っ立ったままの男性に視線を向けた。


「あとは頼んだぞ、小枝葉さえば


〈サエバ〉というのが男性の名前らしい。いかにも胡散臭うさんくさそうだ。髪はぼさぼさだし、無精ぶしょうひげも生えている。人を値踏みするかのようなねっとりとした感じの視線が居心地悪い。


「小枝葉だ。よろしくな、国立大理。美術講師兼生活指導を任されている」

「……よろしくお願いします」


 まさかの教師か。それにしても何をヨロシクされたのだろうか。思わず眉をしかめた。

 

 すると小枝葉……先生はその第一印象からは想像のできない、シニカルながらもどこかひとなつっこい笑顔を浮かべた。


「今日から二週間、お前はボランティアにいそしむ。その監督がオレってことだ」

 

 それが贖罪しょくざい方法らしい。退学よりはよほどマシ。ゴネてご破算ってのが一番怖い。

 学園長はすでにこの話題への興味を失ったようだ。俺へ退室を目だけで促しながら、形式的な言葉を最後に口にした。


「他に言いたいこと、聞きたいことはあるかの?」

「そうですね……」

 

 気になっていたことがあったので、なるべく自然に聞こえるように、ただし確実に答えがもらえるように丁寧に尋ねた。


「今回は騒ぎを起こしてしまって申し訳ないと思っています。ちなみに……俺たちの騒ぎが起こっている最中に、ケガ・もしくは入院に至る状態に陥った方はいますか? もし居るなら謝罪をしたいと思っています」

「ふむ……」

 

 学園長は長いあごヒゲをさすりながら、小枝葉先生を見た。

 視線に気が付いた小枝葉先生は実にめんどくさそうに答える。


「いませんよ。最終的な報告での被害はゼロとなっています」

「ということらしいぞ」

「そうでしたか。ありがとうございました」

 

 よかった。あの脱衣所のおしり神――じゃなくて、あの少女は無事に助かったようだ。

 最終的な被害がゼロということは、現時点で何かが起きているわけでもないということ。

 正直なところホッとした。もしも俺が脱衣所に潜入していなかったらあの子は大変なこ

 とになっていたかもしれない。そう考えれば俺の覗きは一人の少女を救ったことになる。


「ずいぶんうれしそうだな、国立。そんなにボランティアが楽しみか? 変わった奴だな」

 

 小枝葉先生の小言が聞こえたが、聞こえないふりをした。



 *



「はぁ……今日は散々な一日だった」

 

 呼び出された日の放課後。空はすでに茜色あかねいろ 。帰路につく学生に逆らうように男子寮へ向かう。


「まあ、けが人がいなくてよかったけどな――あ、そうだ」

 

 俺は今更ながら、ルームメイト達に持たされた品物を取り出した。呼び出しが決定した時、いそいそと用意してくれたらしい。


「困ったときに使えって言われたけど、結局使わなかったな。中身くらいは見ておくか」

 

 紙袋が三個ある。一体何が入ってるんだろうか。


「えーっと、まずは〈写模〉と書いてあるやつだけど……『変装の術(大人)』?」

 

 やっぱり忍者じゃん!

 紙袋の中を見る――ぐるぐる眼鏡に黒いヒゲが付いたオモチャが入っていた。


「本当に忍者か……?」

 

 少しだけ疑惑が晴れた。


「次の袋は〈金太〉だな。えっと……『元気がなくなった時に使え』か。おお、いいな。今使おう」

 

 ガサガサ――焼き肉のタレ(高級)。

「せめて肉を入れろ!」

 

 ロクなもんがない。


「最後は〈猪助〉か」

 

 えーっと、なんだ。物ではなく、長い手紙が入ってるな。


『国立くんへ。これはボクの流派に伝わる秘孔ひこうの話です。この秘孔を突かれた人間は、世にも恐ろしい幻覚を見続けることになり、十日目に死を迎えます。ピンチのときには――』

「罪が重なるわ!」

 

 使えるものが一個もない!


「――きゃっ」

「え!?」

 

 背後から声。振り返ると女の子が転んでおり、手荷物を地面にバラまいていた。姫八の学生服を着ている女子。一瞬だけ体が強張こわばるが、とにかく散乱した物を集めてあげよう。

 

 人参にんじん、ジャガイモ、高そうな霜降り肉――すごいな。これまさかこの子の夕食だろうか。

 となると、もしかして女子寮生だろうか。タイミングが悪いから早く逃げないと。


「あ、ありがとうございます」

 

 少女は膝の砂を払うと、こちらに顔を向けて――、


「――っ!?」

 

 なんの因果だと言うのか。こちらを向いた少女の顔を、俺はよく知っていた。


「君は――」


 口が勝手に動く。


「おしりの神様……」

「え?」

「いや、なんでもないです(真顔)」

 

 危ない。昨夜のフラッシュバックが起きてしまった。とはいえ、それも仕方のないことか。なぜなら目の前の少女は――脱衣所で助けた例の少女だったからだ。

 ほうけたままの俺から目を離した少女は、しかし再びこちらに視線を合わせた。


「あれ……? あの、どこかで私たちお会い……」

 

 ヤバい! バレるぞ!? そうだ……変装の術(大人)だ!


「(装着)どうかいたしましたか?」

「……、……あの」

「どうしましたかな、お嬢さん(紳士風)」

 

 あ、これダメだ。絶対にバレるやつだ。


「あ、いえ……、……、……なんでもありません、おじ様」

 

 めっちゃ良い子だった。だましていることに心が痛むが、俺は昨夜、少女のハダカを見てしまったのだ。彼女の名誉のために絶対にバレてはならない。

 話を変えよう。俺はおヒゲのおじ様なのだから、ジェントルな質問をしなければ。


「それは今晩の夕食ですかな」

「あ、はい」

豪勢ごうせいですなぁ。値も張るでしょう?」

「あ、いえ。全部、頂きものなんです」

「頂きもの!? タダってこと!?」

「え!?」

「ああ、いや、すみませんな。しかしなぜ無料なのですかな?」

「あ、それはですね。先日、近くの商店街で仲良くなったお店の方々が、私の体調を心配してくれて……全て譲ってくださったんです。栄養をとれって」

「す、すごいイイ話だ……」

「はい、ありがたいことです。私は力がないので……助けられてばかりで……」

 

 少女は何かを我慢しているかのように眉根を寄せて――しかしハッとなって顔をあげた。


「す、すみませんでした! 初対面の方にこんな話を……」

「いえいえ、お気になさらずに――そうだ。私からもこれを」


  俺は使い道のなかった焼き肉のタレ(高級)を手渡した。


「これは……?」

「お肉にかけると美味おいしいですよ。肉好きの友人が絶賛しているものだから、元気も出るはずです。あまり無理をなさらずに……特に長風呂にはご注意を」

「え? お風呂……?」

「あ、いや、そういう一般論です。ハハハハ。長風呂はんたーい! 行水さいこー!」

「あ、はい! ありがとうございます!」

 

 そう言うと少女は勢いよく頭を下げて――ガサリ、と再び落ちてしまった野菜を二人で拾った後、もう一度だけ頭を下げて去っていった。

 

 背中を見送りながら、変装の術を解く。


「なんか……すごい良い子だったな」

 

 助けて良かった。俺の行動は間違っていなかった。

 間違っているとすればそれは――、


「猪助に法律を教えておこう。とくに人権侵害について」

 

 こうして一つの区切りを経て、俺のボランティア生活の幕は開いたのだった。



-------------------------------------

第23回スニーカー大賞[春]<特別賞>受賞作!!

「顔が可愛ければそれで勝ちっ!! バカとメイドの勇者制度攻略法」 7月1日発売!!

著者:斎藤 ニコ イラスト:もきゅ


■Amazonリンク

https://www.amazon.co.jp/dp/4041070929/

■著者様Twitterアカウント

https://twitter.com/saitou_niko

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る