探偵は無能を背負う

結城あずる

無能探偵、現る(前編)

ファイルや資料が山積みにされたデスクの上で、八代 小牧は書きにくそうにしながら調書の整理を進めていた。


今いる刑事部捜査第1課に配属されて1ヵ月。周りの先輩刑事達に小間使いにされながらも、実直な性格で気持ちも萎えさせず仕事をこなしてきた。


今も先輩たちが走り書きにしたままの取り調べの調書を、まともに読めるように書き直す作業に追われている。


「おいコマちゃん。こっちも頼むわ」

「あ、はい」


皮肉の込められたあだ名で呼ばれ追加の調書を受け取る八代。書いても書いても終わらないその作業をよそに、先輩らは思い思いに昼食へと出かけて行く。


「おいおい八代。新人だからって安請け合いすんなって言ったろ」


笹島が年季の入ったグレーのスーツの上着を椅子にかけ、呆れたように八代に忠言をする。


刑事部捜査第1課ではベテランの位置に立つ笹島は、配属される新人の教育係も兼務している。


八代は仕事のいろはを笹島から学んでいる真っ最中であった。


「そう言いましても。仕事は仕事で、私には他に出来る事がないですし……」

「お前に押し付けるアイツらもアイツらだが、変に融通の利かないお前もお前だ。ったく。そっちのまだ片付いてないのこっちに回せ」


呆れたように言いながらも、教育係だからという義務感ではない笹島らしい面倒見の良さが八代の気持ちを腐らせない一つとも言えていた。


最初は頑なに遠慮していた八代も、今は少しばかり笹島の気回しを有り難く受けている。


昼時を過ぎたデスクに二人が向かって作業は進む。黙々と手を動かす八代の手が一枚の調書を書いている途中で止まった。


「あの笹島さん。これってどうまとめたらいいですかね?」

「ん?どれだ?あー、これか。守山の黙秘のヤツだな」


調書に記された守山 悟の名前。それは1週間前に殺人容疑で逮捕された加害者であった。


守山は職場の同僚2人を刺殺。その他の従業員にも切り掛かり重軽傷を負わして逃亡した。通報を受けて、凶器を所持したままの守山が錯乱して他の人を襲わないように厳戒態勢を敷きつつ、逃亡から数時間で現行犯逮捕となった。


事件については目撃者も多く否認出来るものではなかったが、何を考えてか守山は取り調べの途中から突如として口を閉ざしていたのだった。


すでに送検されてはいるものの、一向に口を開かない守山に取り調べを担当する者はほとほと手を焼いていて、調書の文字も苛立ちが滲み出てるような筆圧と乱れ方をしていた。


「これはそのまま書いとくしかないな。全く。なんで黙秘なんかしたんだか」

「この黙秘のせいで捜査が難航しているんですよね?」

「あぁ。目撃者の証言があるから犯行自体はそのまま起訴出来るだろうが、守山は逃走の途中で凶器を投げ棄てたみたいだからな。その凶器の所在がまだ分からんのは困ったな」

「周辺を虱潰しに探しても無いんですもんね」

「見付からなくて7日か……。早く見つけないとちょっとばかり面倒な事になるな」

「面倒な事ですか?」

「そうならないように若い衆の頑張りに賭けるしかないな。ほれ。とっとと終わらせてメシ行くぞ」

「あ、はい」


笹島の言葉に若干の引っ掛かりは覚えつつも、八代は手持ちの仕事を終わらせた。


それから同じような業務を繰り返して3日後のこと。奇しくも笹島の懸念が当たることとなる。


署内は一つの事件で多忙に追われていた。


「現場は!?」

「西町で一件、北町でも一件。同じような事案が起きています!」

「行ける奴等で現場に急行しろ!所轄にも連絡!近隣の警戒を促せ!」


怒号のような指示が飛び交う部屋にはピリつく空気だけが流れる。


「現場より伝達!対象を守山の姿で確認!赤瞳もありとの事です!」

「くそっ!"MAD"化してたか。状況は!」

「捜査員数名で包囲しましたが、反撃に遭い突破された模様です」

「マズイな……。笹島さん出れますか!?」

「おう。行けるぞ」

「現場指揮は任せます。これからMAD捜査に切り替える!対MAD装備を装着し、直ちに現場を抑える!」


猛々しい声が部屋に響き渡る。


迅速に出動の準備をする面々をよそに、八代は一人取り残されたように自分の身の振りに迷走する。


「何やってる八代。お前は俺と一緒に来い」


笹島から放られたつなぎのような服をしっかりと両手で抱え込むようにキャッチする。見た目よりずっと重みがあり、手で触れた服の繊維にも感じたことのない肌触りがあるそのつなぎを八代はまじまじと見つめる。


笹島から早く着るよう促され、言われるがままにつなぎを着込む八代。他の捜査員がすでに出払った中、一番最後になって部署を後にする。


八代は着慣れない服に違和感を覚えながら、笹島の運転する車内で質問を投げ掛ける。


「あの笹島さん。一体今は何が起きてるんですか?」

「お前は初めてだったな。MAD絡みの事件は」

「班長もそのMADって口にしていましたが、それって何ですか?警察学校でもそんな単語出て来ませんでした」

「だろうな。これは表沙汰にはなってない特殊案件だからな」

「特殊案件……ですか」

「ほれ。現場から送られて来た画像を見てみろ」

「え?これって……守山 悟?」


笹島が渡したスマホには、すでに送検されたはずの守山が街の中を往来している姿が写されていた。


八代は分かり易く目を丸くする。


「なんで街に!?」

「そいつは送検された方の守山じゃねぇ。それが今俺らが抑えようとしているMADだ」

「どういうことですか……?」

「簡単に言うと、そいつは守山が事件で使った凶器そのものだ」


首を横に傾ける八代を横目に、笹島は説明を続ける。


「まぁピンとは来ねぇだろうな。俺も初めはそうだったしな。だが、MADは妄想でも幻想でもなく存在する。理屈は分かってない。ただ、事件後に処理されず放置された凶器は持ち主の体を模して人の形と成す。そこに理性はない。ただただ込められた殺意に従って人を襲う化物になる。それを俺らは畏怖の念を込めて"MAD"と呼んでんだ」

「ほ、本当なんですかそれ……?すいません。笹島さんを疑ってる訳じゃないんですけど、どうも……」

「正しい反応だ。百聞は一見に如かず。新人のお前を前衛に出す事はないが、現場の後衛で見てろ。体感したら分かる」


笹島が言葉を切ったと同時に車のナビゲーションに位置情報が送られてくる。それを一目で確認した笹島はハンドルを切ってアクセルを踏み込む。


熟練した運転技術で無駄なく道を進み、ナビが示すその現場に卒なく辿り着いた。


現場にはすでに何台かの仲間の車が停まっており、窓からも捜査員が隊列を組んで対象と相対しているのが確認できた。


八代は笹島の後に続くように車を降りて、最後列で待機するよう指示を受ける。そこからでも現場を取り巻く圧力は感じられ、八代は心なしか唾を飲み込む。


「事件の凶器は確か"包丁"だったな。ってことは【じんタイプ】か。いいか!ヤツに距離を詰められるな!刃は近接がテリトリーだ。MAD装備ではない者は間合いを測りつつ拳銃で威圧と牽制。装備者はそれに合わせて特殊拳銃で狙いを定めろ!」

「了解!!」


笹島の号令に捜査員全員の空気が締まる。指示通りに前列に組んだ拳銃組が一斉射撃で敵を牽制。それに合わせて次列の装備組が照準を調整しながら特殊拳銃で発砲を試みる。


それを見る八代は驚きがそのまま貼り付いた顔になるくらいの衝撃を受けていた。それは初めての銃撃戦にではなく、牽制で発砲されているはずの拳銃の弾の平然と受けて立っている敵の姿に一番の驚きを感じていた。


「な、なんで拳銃が効いてないんですか!?ていうか弾いてますよ!?」

「人の成りをしているが人と思うな。まずアイツらに標準の武器は通用しない。体の異様な硬質化は手榴弾グレネードも効かねぇ」

「じゃ、じゃあどうやって確保を?」

「特殊拳銃はそのためにあるんだ。対MAD用に作られたその威力は普通の銃の10倍だ。あの体にも届く。ただ、その威力のせいで銃身の耐久度を超える代物だからな。1丁につき1発限定だ」

「だから前列の拳銃で動きを制限してその特殊拳銃の確実性を上げようとしてるんですね」

「いい観察眼だ八代。これが対MADの常套手段だ。このまま奴を制圧する」


統率の取れた射撃でMADの動きを鈍らせていく。場数を踏んでいるであろう捜査員達に焦りの色は無かった。


しかし、その場慣れした経験則が一瞬の油断を生む。


MADがおもむろに近くにあった配水管に手を伸ばすと、それを瞬く間に分断した。勢いよく噴出する水が上空に舞って一時の雨を降らす。


それ自体には何も危険はない。しかし。捜査員達の手がほんの少しだけ止まった。


それは自分たちの経験に無い予想外の行動に情報処理がコンマ何秒単位で遅れたからであった。そのコンマの間を見逃さず、MADは一瞬にして隊列の間合いを潰してしまった。


「ぐあっ!」

「がっ!」

「うあっ!」


物の数秒で地に伏す捜査員達。何故か拳銃すらも細切れにされているその状況に八代の理解は追い付かない。ただ一人。その非常事態に取り乱すことなく笹島は万年の動きで銃を構えるも、すでにMADはその笹島の懐に入ってしまっていた。


「ぐはっ……!」


崩れ落ちるように膝をつく笹島。その脇腹は横一文字に斬られていて、つなぎを赤く染め上げる。


「さ、笹島さん……!」

「八代……!そいつに触れるな!触れれば容赦なく斬られる!お前はすぐに退却しろ……!」

「で、でも」


丸腰に見える相手の手には笹島らの血がべっとりと付いている。その異様な光景に思考が整理出来ない八代は笹島の命令にも躊躇が生まれる。


しかし、MADは八代には目をくれずその異常な速力でそのまま現場から立ち去って行った。


「あ……!よし」

「ま、待て八代!お前何する気だ……!?」

「あれを追います」

「何バカなこと言ってんだ!お前一人でどうこうなる相手じゃない……!応援を呼んで待機だ……!」

「応援はもちろん呼びます。でも、あれをこのまま野放しにしてたら無関係な市民に危害を加える恐れがあります。なんとか足止めだけでもやります!」

「おい!八代!!」


笹島の制止も聞かず、MADが去って行った方向に八代は走り出す。


教育係であり、心から尊敬をしている笹島の言う事に背いたのはこれが初めてであった。それは純粋な正義感。そして刑事としての市民の安全を守るという義務感でもあった。


本部から送られてくるMADの位置情報を端末で確認しながら追う。しかし、今起きたばかりの実情からでも見える通り、歴然とした速力差があってまともに追っても追い付けない。


それでも八代は一心に足に力を込める。すると、端末のMADの反応がある場所でピタリと止まる。確認するとそこは市民公園。


八代はゾッとした。昼下がりのそこには子供から大人まで様々な人がいる。そこでMADが無差別にそこにいる人たちを襲い始めたら、それはもう惨劇になることは明白であった。


肺と心臓がはち切れそうになりながら、全速力でMADがいるその場所へ向かう。


公園に着き急いで位置情報にあるポイントへ行くと、今まさにMADが子供を連れた母親に近付こうとしているところであった。


「ダメ!!」


八代は腰のホルダーから特殊拳銃を手に取ると、慌てたせいか構えるよりも先に引き金を引いた。


公園に響き渡る銃声。それを聞いた周りの人達は慌てて逃げて行くが、銃を撃った当の本人は大きく尻もちをついていた。


訓練はしているとはいえ、実戦で初めて銃を握った八代。加えて10倍の威力もある拳銃をまともに構えもせずに撃ったその反動で、両腕は感覚が無いほどに痺れていた。


お世辞にも褒められない恰好であったが、市民を退避させ、MADの意識を自分の方へ向ける事が出来たのは八代にとって上出来だった。


「足は動く……。このまま私に意識を向けて時間を稼げれば」


八代の考えは間違っていない。しかし、計算は間違っていた。


「あ……」


距離にして2、30メートルはあったであろうその間を、MADは数秒で詰めて来ていた。八代が気付いた時にはすでにMADの手が八代の顔に届く位置にあった。


「うそ……」


八代の目には迫り来るMADの手が映る。死を感じたその刹那、MADのその手を弾くように黒い影が視界の横から飛んで来た。


重心を崩し一度距離を取り直すMAD。そのMADと八代の間に男が一人立ち塞がっていた。


「この感触と赤瞳……ビンゴだ」


黒の革靴に黒の手袋。黒のパンツに黒のコートを羽織った全身黒尽くめの男がポツリと呟く。


目の前で何が起きたのか整理出来ない八代は、気が抜けたように瞬きを繰り返す。


それを切り裂くようにMADが再び間合いを詰めて、今度は妨害した男に襲い掛かる。


「あ!危ない!」


笹島の腹を斬り、さらには鉄である拳銃までも斬ったMADの襲撃に、八代は心が焦って叫ぶ。


その叫びを打ち消すかのように鳴り響く金属と金属の衝突音。掴みかかろうとするMADの手を男は上段蹴りでせき止める。


「え?き、斬れてない……?」


八代が疑問符を浮かべながら目を丸くしていると、男は次に身軽くその場で跳ね上がり、そのまま体を捻るようにして回し蹴りをMADの顔面に叩き込む。


その時にも響く金属の衝突音。捜査員誰一人として対抗出来なかったMADの異常な体に、意も介さず攻撃を加える男もまた異質な姿として八代には映っていた。


「こんなもんか?」

「-------」


男の挑発に乗ったのか、再び攻め込むMAD。風切り音が聞こえるほどの手の振りで男に襲い掛かる。


それでも男はそれを軽く見切り躱していく。そのまま一瞬の隙をついてがら空きにになった顎に蹴りを入れ込むと、それにはさすがのMADも頭が揺れ体もグラつく。


追撃の為に男が構えたその時、MADがおもむろに口をモゴモゴし始める。次の瞬間、口から勢いよく何かを八代に向かって吐き飛ばした。


吐き出されたのはMADの歯。それが弾丸のように八代に放たれた。


男がそれを瞬時に察してその軌道線上に入り、本来肉眼で捉えるのは困難であろうそれを見事に片手で掴み取った。


それを狙っていたかのように、男が八代を庇ったその隙をついてMADはその場から逃げるように姿を消した。


「あークソ。逃がした」


掴んだ歯を地面に投げつけ苛立ちを露わにする黒尽くめの男。頭を掻いてそのまま八代の方へ向き直る。


「あんた警察の人でしょ?」

「え?あ、はい。そうです」

「その銃持ってるって事は1課だよね?」

「そ、そうです。え?なんでそれを知ってるんですか?」

「そこはどうでもいいの。それより笹じいはどうしたのさ?」

「笹じい?えっと、笹島さんの事ですか?」

「え?もしかしてさっきのに殺された?」

「こ、殺されてません……!重傷は負わされてしまってますが……」

「そんでこんな素人丸出しの子を使ったん?笹じいも耄碌したね」

「失礼ですね!確かに私は何も出来なかったですけど、これは笹島さんのせいではありません!私の独断です!」

「独断~?こんな体たらくでMADに挑もうなんて自殺行為もいいところでしょ」

「……!さっきから随分上から物を言ってますが、あなたは一体誰なんですか!?」

「一応助けた恩人に対してその言い方はどうなの?」

「それについてはどうもありがとうございました……!!それで、誰なんですか!?」


しゃがみながら顔を覗いて来る男に睨みを返しながら八代が語彙を強める。


根競べのように一切目を逸らさず見つめ合う二人。先にそのままの体勢で男が口を開く。


「"無能探偵"」

「え?」

「そう呼ばれてるから、取りあえず笹じいここに呼んで。重傷でも話ぐらい出来るでしょ?」


そう言って発砲の時に落としてしまっていた自分の端末を渡される八代。すでに勝手にコールされていた端末から笹島の応答が聞こえる。


不信感は拭えないながらも、八代は不可解な現状をそのままに笹島へ連絡した。

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