ファイリースの旅人

保登悠

第一章

一 , 出会い

「はぁ、はぁ、はぁ…」


薄暗い洞窟を、右手に松明、左手に剣を握りしめてひたすらに走る。右腕に固定した円形盾バックラーも、今となっては飾り同然だ。背負い袋が腰にぶつかり、呼吸を乱す。


背後から迫る敵から逃れるため、ひたすらに走る、走る、走る――やがて、丁字路に辿り着いた。


右か、左か。直感的に、右に曲がる。


だが、数歩走ったのち、すぐに眼前を岩肌がむき出しの壁が覆う。――行き止まりだ。


「くそっ…」


振り返り、松明を床に投げ捨て、左手で剣を構える。眼前に迫るのは、毛の生えていない灰褐色の肌を持つ、二匹の人ならざる魔物――ゴブリンだ。


彼らは涎を垂れ流し、しゃがれた声でがなりたてる。


「グヒャヒャ!ザンネン!ザンネン!イキドマリ!」

「ニンゲン!クウ!ゼンブクウ!」


木の棍棒を片手に構え、じりじりと距離を詰めてくる。


「くそっ、くそっ…こんなはずじゃ、なかったのに」


壁に背をつけたまま、僕はこの状況に至るまでの経緯を走馬灯のように思い出していった。


たしか今日は、僕が冒険者になった最初の日で。


酒場で仲良くなった二人組の冒険者と、三人でゴブリンが住み着いてるという洞窟にゴブリン退治に行って。


ゴブリンの巣に辿り着いて。


そうだ、トロウルが居たんだ。背後にトロウルが居て、一人が殺られた。


それから散り散りに逃げて、ゴブリンに追われた。たぶん、もうひとりも追われてるだろう。


彼はなんとか逃げ切れるだろうか。ゴブリンの数匹が相手なら、彼は問題なく倒せるだろう。しかし、洞窟を徘徊しているであろうトロウルに見つかったら、無事では済まない。


「すぐに助けに行かなきゃ…。でも、僕一人でこいつらを倒すなんて…」


眼前のゴブリンたちに意識が戻る。二匹の、シルエットだけを見ると人間の子供のようにも見える彼らは、その体躯に似つかわしくない残虐な殺意を僕に向けている。


じわじわと彼らが距離を詰め、やがて松明の灯りに照らされ、彼らの持つ木の棍棒にこびりついた乾いた血液がはっきりと見え、僕は確信する。


殺される。


そう気づいたとき、剣を持つ左手が、両足が、がくがくと震えだす。


岩壁に背をつけたまま、剣を取り落とし、ずるずると脱力し座り込んでしまう。ゴブリンたちは目を合わせたかと思うと、ニヤリと口角を釣り上げ、ゆっくりと近づいてくる。


「コイツ、オクビョウ。メシニスル!」

「ニンゲン!ヒサビサ!ウマソウダ!」


視界いっぱいに灰褐色の、ニタニタと笑う顔が広がる。やがて、彼らは僕を殺すため棍棒を振り上げる。


「―――っ!」


思わず両手で顔を覆う。が、ゴブリンたちは棍棒を振り下ろさず、背後をすばやく振り返った。


「ダレダ!ダレダ!」


彼らの視線を追うと、銀髪を二つ結いにした細身の少女が僕とゴブリンを眺めていた。彼らと共に呆気にとられていると、少女が口を開く。


「それ、きみの獲物?…って感じでもないね。悪いけど、きみは戦えないみたいだし、横取りするね」


平坦な、だがはっきりとした声で告げ、少女は手に持っていたランタンと麻袋を地面に放り、ゆっくりと腰から細身の長剣ロングソードを引き抜き、体の前に構える。


「コイツ!キケン!」

「コロセ!コロセ!」


少女を脅威と判断したゴブリンたちが、僕を無視して少女に左右から襲いかかる。


「危ない!」


僕は思わず叫ぶが、少女はまったく怯む様子を見せない。冷静に、先に襲いかかってきたゴブリンの棍棒に剣の腹を合わせ、背後にいなす。飛びかかった勢いのままゴブリンは少女の背後に倒れ込む。


いなした勢いを殺さず、少女はその場で回転。もう一方のゴブリンの首を跳ね飛ばしてしまう。


後ろに流されたゴブリンはすぐに立ち上がるものの、動かない仲間を見て怯み、やがて一目散に逃げ出してしまう。


少女は剣を納めないまま、僕の方に向き直り、声をかけてくる。


「無事みたいだね。ゴブリンの首、貰ってもいいかな」


僕はゆっくりと立ち上がりながら、無言で頷く。少女は僕を一瞥すると、取り出した小袋にゴブリンの首を納め、麻袋に仕舞うと踵を返し去っていこうとする。


「ありがと。じゃあ、さよなら」


そんな少女を、僕は必死に引き止めた。


「ちょ、ちょっとまってくれよ!」


これ以上なんの用だ、とでも言いたげな表情で振り返る少女に、僕は続けざまに声を掛ける。


「仲間がまだゴブリンに追われてるんだ。僕よりはずっと強いから、ゴブリンにやられたりはしないだろうけど…この洞窟には、トロウルがいるんだ。あいつに見つかったら、きっと無事じゃ済まない」


「…それで?」


「その…仲間を助けるのを、手伝ってくれないかな。元々今日限りの仲間だったけど、見捨てるのは嫌なんだ」


少女は少し間を置いて、平坦な声でゆっくりと喋りだす。


「その考え、私は嫌いじゃない。けど、冒険者として生きていくなら、その考えは早く捨てたほうがいい」


「お人好しだって言いたいのか」


僕が言い返すと、彼女は首を縦に振る。


「そう。人助けは良い事だと思う。けど、自分の手の届かないものまで守ろうとすると、命を落とすことになる」


少女のはっきりとした言葉に、僕は言葉を失う。


「誰かを助けたいなら、強くなるしかない。わたしはきみよりは強い。それでも、まだ弱い。一人じゃトロウルは倒せない。だから、きみの手助けもできない」


続く言葉を受け、僕は両手を地面に着きうなだれる。最もな意見だ。それに、仮にトロウルを倒せたとしても、見ず知らずの人間のために命を賭ける義理はないだろう。


「もし必要なら、出口まで案内する。トロウルが居るなら私も早くこの洞窟を出たいし、その情報の見返りとして、護衛になってあげる」


彼女の申し出に、僕は力なく答える。


「うん、お願いするよ…。悲しいことに、僕は一人じゃゴブリンも倒せない」


変わらずうなだれたままの僕の目の前に、革手袋をはめた右手が差し出される。右手でそれを掴むと、少女が僕を引っ張り、立ち上がらせる。


「わたしはルーシャ。…ただのルーシャよ。きみの名前は?」


「…アラン。僕も、ただのアランだ。よろしく、ルーシャ」


「…ん。よろしく、アラン」


呟くように言うと、すぐにルーシャは歩き出す。急いで松明と剣を拾いそれに続く。


こうして、僕とルーシャの最初の冒険が始まった。

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