赤百合
裕猫
花園にて
ここは純真な乙女の園、その花園の中に私はいる。
私は校舎裏の小さな花壇に咲く白百合を眺めていた。いや、意識は完全に体の内側に向いていたので、眺めているように思うのは、私でない誰かだろう。もっともこんな所に自分以外の人がいるとは思えないが。
「先生?聞こえてますかー」
急に耳元で大きな音が聞こえた、遅れてそれが声であることに気づいたが、どちらにしろ騒がしいことに変わりはない。
あぁ聞こえるよ宮部蓮花さん、と私はトンチンカンな返事をする。
「今の話聞いてなかったでしょう先生。途中から返事も無くなって、なにか変なことでも考えてたんですか?」
そうだ、私はこの子と話していたんだった。しかし、その彼女の言う話を私は全く覚えていないようだ。意識がどこかに飛んでいったのかもしれない。残念なことにその意識は戻る場所が分からず迷子のようで、私は自分が何を話されていたのか思い出せずにいた。
「すまない、もう一度その話を聞かせてくれないか?」
「良いですけど、今度はちゃんと聞いてくださいよ」
「任せておけ」
「全然信用できないんですけど、まぁいいです。ゆずちゃんのことですよ、隣のクラスの人気者で美人な。その彼女がですね、今日クラスの花瓶を割ってしまったんです、運悪く。そしたらあの藤原さんが絡んできて…」
ゆずという子はあまり知らなかった。クラスの人気者なら私が知っていてもおかしくはないのだが、私はその子のことを名前と噂ぐらいしか知らなかった。
「そっか藤原さんかぁ、後で話を聞いてみるよ」
「きっとあの女王気取りは彼女に嫉妬してるんですよ、なんたってゆずちゃんはとっても美人で人気者なんですから」
「女王気取りは言い過ぎだと思うけどなぁ、まぁ君がゆずちゃんを好きなことは伝わったよ」
「えっ、私がゆずちゃんを好きってなに言ってるんですか。そんなわけないじゃないですか!」
なにを焦っているのだこの子は、おまけに顔まで赤くしている。軽く噴き出し、呆れながら彼女に向き直るとまだ弁解を続けている、分かりやすい子だ。
「まぁ君のことはこれ以上聞かないことにするよ、とにかく話は聞いてみるから、それじゃ」
「はっはい、お願いします、でもほんとに好きなんかじゃないんですからね」
それは、私がこの学園にきてそろそろ二か月になろうかという、梅雨明けすぐの朝の出来事だった。
私がこの学園に赴任することが決まったのはちょうど今から3か月ほど前のことだった。冬が終わり、そろそろ暖かくなるような気もするが相も変わらず寒い、そんな日だった。その時の会話はかなり衝撃的だったのでよく覚えている。
「セイカトレア女学園?」
「そう、聖カトレア女学園よ。そこがあなたの赴任先、そこでスクールカウンセラーをしてもらう予定よ」
「いや、女子校じゃないですか、そういうのは普通女性を雇うものでしょう」
「えぇ、前は女性の方を雇っていたわ、でもどうしても人気があるから人が集まってしまうのよ。そうなると本当に悩みがある子が相談しにくいじゃない」
この人は私の叔母だ、聖カトレア女学園の教頭を担っている。だからか言い方が一々厳しいのだ。
「つまり私ならそんなに人気がでないだろう、ということですね」
「物分かりがよろしいようで。良いカウンセラーになれそうね」
やはりこの人は苦手だ、人の気持ちを考えてないのか知らないが、もう少し言い方ってものがあるだろうに。
「準備ができ次第通っていただきますので」
と、そんなやり取りを終え、無事学園に通うことになったのだった。
私は今、学園生活相談室、つまりはスクールカウンセラーである私が在中している部屋にいる。そしてもう一人、蓮花という子も一緒だ。
「藤原さんとは話しておいたよ、彼女も悪気はなかったようだ。許してやってくれないか?」
「本当ですかね、どうせ心にもないことを言って誤魔化しているだけですよ」
「そう決めつけなくてもいいのに、まぁまた何かあったら教えてくれ」
そう言って立ち上がろうとしたところで思い直し、座り直す。
「そういえば、今日はまだ話があるんじゃないか。確か君がそんなことを言っていた気がするんだが」
危ない、あやうく忘れるところだった。この前のこともある、人の話を聞かない奴だと思われたくはなかった。
「そうです、今度は聞いてくれていたんですね。このことは他人には話しづらくて悩んでいたんです」
「私の本領発揮というわけだな」
「自惚れないでください、他の生徒には相談しづらい内容なだけです」
「それは信頼されてると受け取ってもいいのかな?」
「勝手にしてください」
応えながら彼女は横を向く。その仕草は私の心を揺らすのだった。
揺らされた心は私を掻き立て、そのせいか、目の前の娘が愛おしく見えるのだった。平静を装ってはいるが内心私は歓喜に打ち震えていた。今、この仕事をしてきた中で私は一番頼りにされているだろう。これ以上の喜びはない。
「ちょっと先生、目が遠くを見つめていますよ、しっかりして下さい」
「すまない、最近少し疲れていてね。それじゃあ、話してくれるかな?」
「あっはい、分かりました。あの、話したこと誰にも言わないですよね?」
「そんなことを気にしていたのか、そこに書いてあるでしょ。相談の内容等の、この部屋での言動は誰にも話しませんって」
言いながら私は壁に貼ってある紙を指さす、そこには他にも色々なこの部屋のルールが書かれていた。
ということだから、安心してどうぞ、と私は彼女に促す。
そして目の前に座る少女はゆっくりと話し始めたのだった。
話をまとめると、彼女は、ゆずという子と仲良くなりたいらしかった。何故このような簡単な話をまとめないといけなかったのか。それは、彼女が何度も何度も言い訳しながら、話を前後させながら私にその要件を話すからだった。
それだけのことか、私は少し驚くと同時に安心してもいた、「もっと深刻な問題だと想像していたよ」つい声に出てしまったが、この程度なら聞かれても何ら問題ないだろう。
「でもどうやって話しかければいいのか分からないんです、それで先生に相談しようと思って」
彼女はさっきの私の呟きが聞こえなかったらしい、それにしてもここまで一息に話してくるとは、これはかなり話すのが恥ずかしいのかもしれない。軽く思考を巡らせながら私は応える。
「なるほどね、あまり深刻な問題じゃなくて安心したよ、でも一つ気になることがあるんだ、質問してもいいかな?」
「いいですよ、答えられるものならなんでも」
「そうか、積極的で助かるよ」
私は応えながらこの問いかけが判断の要になるだろうと確信していた。そして彼女に問いかけるのだった。
「蓮花君はさ、けっこう友達いるよね。僕は君を、明るくて誰にでも話しかけられる人だと思っているんだよ。だから普段と同じように話かけたらいいのにと思うんだ」
目の前の少女は少し戸惑った様子だ。これはどうやら当たりかもしれない、私はそのまま続ける。
「もしそれが出来ないのなら、君はその子を他の子とは違う目線で見ているんじゃないかな?」
「えっ、どういうことですか?目線?」
「つまり、君はあの子を他の子とは違う、特別な存在だと考えているんじゃないかな?」
彼女はここで初めて自分の気持ちに気づいたようだ、慌てながら顔を赤くする、わかりやすい。
「恋は盲目と言うだろう、きっと君はその子に恋しているから普段通りにできないんだ」これは少々飛躍しすぎだ、自分でもこの考えにはあきれてしまう。
「わっ私はただ、ゆずちゃんと、おっお友達になれたらと…」
「本当にそれだけかな、君はそれ以上の関係を求めているんじゃないかな?僕はそれが悪いこととは思わないし、もしそうなら応援するよ」
「わっわた、私はただ、ただ…」
ここで彼女はいきなり立ち上がり、部屋から勢いよく飛び出して行ってしまった。
勢いで言い続けてしまったが、失敗だったかもしれない。女子校、特にここのようなお嬢様校ではよくあることだ。しかし…
私はまだ彼女の匂いが残る部屋で軽く伸びをし、軽く反省するのだった。
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