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第1話:6月30日(午前)

 世界から一つだけ色が欠けている。僕はずっとそんな気がしていた。それが何色なのかはよく分からないのだけれど、景色に奥行きがないのは、欠如した色彩によるものなんだと、幼いころからそう思ってきた。


『まもなく、五番線に下り列車が到着します。黄色い線まで、お下がりください』


 無機質な駅構内放送に、久しぶりに日常を感じてしまう。混雑のピークは過ぎているはずだったけど、学生服に身を包んだ高校生や中学生、あるいは職場に向かうのであろうワイシャツ姿の大人たちは、忙しなく改札を潜り抜け、列車の発着するホームへと向かっていく。


 みな、同じような格好をして、同じような列車に乗り、同じような駅で降りるその流れに、どうしようなく嫌気がさす。多様性が大事だ、なんて言われる社会で、結局のところ、大抵の人は、他者と同じように行動し、同じようなスケジュールで二十四時間を消費していくんだ。


 そもそも、一分が六十秒で、一時間は六十分なのに、なぜ一日は二十四時間なのだろう。世界で最も用いられているであろう記数法は十進法だと思うし、十という数字は直観的にも理解しやすい。だから、よくよく考えてみれば、六十とか、二十四という数字こそが不自然ではないか。そういえば一年は十二ヵ月だから、ここにも十進法は採用されていないんだ。昼夜を平等に二十四分割する、それはある種の思想と言っても差し支えないだろう。別に二十分割でも良かったはずだし、世界の分節の仕方なんて、それほど明確な理由や根拠があるわけじゃない。


「あの……」


 後方で微かに聞こえた細い声。それをかき消していくように、列車の走行音が目の前に迫ってくる。車両を減速させるためのブレーキと、警笛がこだまする灰色の駅構内で、後ろから腕をギュッと引かれた僕は、その声が現実のものだと知る。


 振り返ると、真っ白な半袖のカットソーに、水色のロングスカートをはためかせた小柄な女性が、僕の腕を力強く掴んでいた。目の前を通過した先頭車両は、線路上の空気を勢いよく跳ね除け、僕と彼女の前髪をサッと揺らしていく。


「なに?」


 僕の問いかけに、彼女は今にも泣きだしそうな表情で僕を見つめ返す。その鮮やかな視線に一瞬だけ時が止まる。やがて、列車がホームの規定位置で停車すると、凍りついた時は一瞬にして溶解し、人の流れが、僕を列車内へ押し込むように動き出していく。


「待ってください」


 そう叫んだ彼女は、その流れに抗うかのように、僕の腕をつかんだ手に力を込める。それは、多様性を取り戻そうとする力、あるは願いに近い。僕は瞬間的にそんなことを考え、彼女の大きな瞳から視線を離せなくなってしまった。


「どういう……つもり?」


 僕たちは少しだけ時間の外側にいたのかもしれない。気づけば列車は走り去り、駅構内は人影はまばらだった。とはいえ、それは潮の満ち引きと同じように、しばらくすれば、また人であふれかえっていくのだろう。


「私のこと……。私のこと覚えていないですよね」


 友人だって多い方じゃない。交際した女性が皆無と言うわけじゃないけれど、特に恋人と呼べるような人もいなかった。だから目の前の女性が僕の記憶の片隅に保存されているなんてことはあり得ない。僕は返事をするわけでもなく、次の列車を待つため、そのまま線路側に向き直った。


「ごめんなさい。お願いがあります」


 肩を並べるようにして、僕の真横に立った彼女に視線を向けてみる。身長が低い彼女をやや見下ろすようにして、僕は 「なんで」 とだけ言った。たまに学校へ登校しようものなら、列車を一本の乗り過ごし、そのうえ、まだ時間を取らせる。いったいどういうことなんだろう。別に学校へ行きたいわけじゃない。ただ、卒業するのに十分な出席日数の確保が厳しい状況なのだ。


「これでも高校生なんだけどな。学校、さぼらせるつもり?」


「お願いですっ」


 見た目からは想像もつかないような気迫と、彼女の瞳から頬を伝う涙に、僕は仕方なく駅のホームを後にした。人の流れと逆行しながら、彼女と共に駅のコンコースへと続く階段を登る。朝だというのに既に蒸し暑い。そういえばもう六月も終わるんだ。


「ここで少しだけ、一緒にいてください」


 そう言った彼女の視線の先には小さな喫茶店があった。いわゆる駅ナカと呼ばれる駅構内に展開された商業スペースには、飲食店や本屋、雑貨屋などが並んでいる。喫茶店内には、ビジネススーツに身を包んだ数人の大人が、それぞれにノート型の端末を叩きながら、時折コーヒーカップに口をつけていた。


 僕はゆっくりため息をつくと、腕時計を見やる。一限目に間に合わないことは確定したが、せめて三限目からでも学校へ行かないと、出席日数に大きな穴が開きそうだ。


「少しだけなら……」


「ありがとうございます」


 彼女はそう言って、小さくお辞儀をすると、自動ドアをくぐり店内に入って行った。コーヒーの匂い香る店内で、しばらくメニュー表を見ていた彼女は、注文カウンターの前に立つと、「アイスコーヒーで良いですか?」 と僕を振り返った。そんな彼女に向かって僕はゆっくりうなずき、そして店内を見渡す。黒を基調とした内装は、オレンジ色の間接照明に照らされ、慌ただしい駅構内とは対照的な、落ち着いた雰囲気が演出されていた。


 彼女が注文してくれた二人分のアイスコーヒーと、ガムシロップ、そしてストローやミルクをトレイに載せると、僕は奥の窓際に置かれた二人掛けのテーブル席に腰掛けた。


「あの、名前。名前は?」


 僕と同じくらいの年、いや、年下かもしれない。木製の椅子に浅く腰掛け、腕を組みながら窓の外を眺める。忙しない人の流れが、まだ朝の通勤時間帯が終わっていないことを告げていた。


「えっと……」


 彼女は僕の質問に一瞬驚いたような表情を見せたが、まだ自己紹介していなかったことに気が付いたのだろう。


「糸乃、糸乃空いとの そらといいます」


 糸乃空。やはり記憶には存在しない名前だ。


「そう……。ああ、僕は相羽瑞希あいば みずき


「突然、ごめんなさい。でもこうするより他なかった」


 ――こうするより他なかった?

 

 彼女の振る舞いやその言動を理解することの困難さに、小さくため息をつくより他ない。


「どういうこと?」


 僕の質問に糸乃空はただうつむいているだけだった。カランと、グラスの中で氷が崩れていく音を聞いて、僕はアイスコーヒーにストローをさす。一口飲みながら、窓越しに見える駅構内のコンコースに再び視線を向けた。


「あれ、電車遅れてるのかな……」


 そんな僕の声に、糸乃空も駅構内へ視線を向ける。駅係員はしきりと電光掲示板を指さして、乗降客の案内対応に追われているようだ。電光掲示板を見てみると、先発列車の大幅な遅延がアナウンスされていた。


『脱線事故だってよ。カーブを曲がりきれずに列車が高層マンションに突っ込んだらしい』


「えっ?」


 僕は思わず、後ろに座るスーツ姿の二人組の男たちの会話に耳を傾けた。脱線事故なんて鉄道の安全神話が確立したこの日本で、めったに発生するものじゃない。ましてや脱線した列車がそのまま高層マンションに突っ込むなんて、そんなの普通に考えたらあり得ない話だ。


『運転再開の目処は立ってないってさ。はあ、今日はもう仕事どころじゃないよね、あ、俺とりあえず職場に連絡してくるわ』


 そう言って席を立ったスーツ姿の男を横目で追いながら、未だ、起きている現実を信じきれないでいた。


「事故……」


 糸乃空はコクンとうなづくと、「こうするより他なかった」と小さな声で繰り返した。


「まさか……。まさか、君は僕が乗るはずだった電車が……」


「カーブを曲がりきれずに列車が脱線。沿線のマンションに激突しているはず……」


 それは、つまり今から先の出来事を予知できたと言うことなのか。それとも単なる偶然か。いや、これまでの不可解な行動から察するに、彼女は明らかにこれから先に起こるべき事態をはっきりと見知っていたかのようだ。


「もう行かなきゃ。突然、ごめんなさい。お代はここに置いておきます」


 そういって糸乃空は席を立ちあがると、店の出口に向けて速足で歩きだした。


「ちょと、待って……。君には……」


 呆然と立ち尽くす僕を置いて、彼女は何も言わずに店を後にした。


――君には、未来が見えたとでもいうの?

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