五年前 -2-
寒風の下に置いてきてしまったあの子の元へと急ぐ。私の傍らには、予言者の少年が同じく急ぎ足で付いてきている。目を閉じたまま、けれども目が見えているかのような足取りで、私の少し後ろから付いてくる。フワモコの服装で走りにくそうなのに、厚手のコートの私よりも軽快そうだった。
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「話がしたい」
少年がそう言いだしたのはお父さまが部屋から去って、少し経ってのことだった。ノックもなくドアが開かれ、誰だと思えばそこに立っていたのはその少年だけ。何の用かと尋ねれば、話があるとのことだった。お父さまに侍らなくて良いのか、尋ねる。
「それよりも、君の方が重大……だと、思うから」
少年は予言者であり、その言葉には何かしらの意味が常に含まれている。決して正解は言わず、けれども忠告に似たその言葉に従えばより良い方向にことが進む。もっとも、それはこの少年が良いと思った方向ではあるのだが……だからこそ、この屋敷の中でも特に大事にされているし、特別な自由を与えられている。
そんな少年が、私はあまり好きではなかった。好きではないどころか、嫌ってさえもした。胡散臭いから、だとか、信用ならないから、だとかの理由ではない。お父さまがこんな少年に頼らなければ安心できないほど衰弱しているのがわかるから、好ましい感情を持ち得ることはできなかった。
「……それで、どんな用事?」
それでもその忠告には耳を向ける。予言者の言葉は、一言も無駄にしてはならない。腕を組み、少年の次の言葉を待つ。
「あの子は、今もあの場所にいるよ」
その言葉の意味を少し考えて……ハッとした。あの子とは、私に友達として付けられたあの奴隷のことなのだろう。そう言えばギクシャクとした会話の後は、適当に言葉をはぐらかして、あの場所に放って置いてしまったのだっけ。お父さまとの会話の最中も、あの場にいたのか。風が冷たくなりはじめ、枯れ葉が運ばれるこの季節に、あの場所に一人きりで。
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「あっ……」
言われたとおり、その子はまだその場所にいた。さっきよりも日は傾き、早くも暮れ始めている。風はさっきよりも強く、冷たい。それでもその子はその長椅子で一人、座っていた。銀の髪が風に揺れる。少しうつむき、揃った両膝の上に置かれた両手指の先を、ジッと見つめている。私がこうして戻らなければ、夜の間もそこにいたのだろうか。
「……ばかっ!」
私の口から最初に出た言葉は、自分でさえも思いもしない言葉だった。
「なぜ部屋に戻らないの! 貴方の部屋は用意されているでしょう!?」
私のすぐ近くの部屋。決して広くはないが、それでも十分な広さと家具は用意されている。暖炉もあり、使うことは許されているから暖まろうと思えばすぐに暖まることはできる。でもその子は暖まろうともせず、寒風の吹き荒れる金色の庭園で、一人で座り込んでいた。
「……気分を害されたかと、思いまして……」
私の方へと顔を向けはしたものの、やはりその口調に力はない。微かに身体が震えているのも見て取れる。その子もある程度の厚着はしているが……寒くないはずはない。その子よりも厚着をしている私だって、寒いのだから。
「……もう!」
ため息が混ざる、呆れた声。強く息を吐き、この子がどんな子なのかを理解する。奴隷として連れてこられたから、私に対してどのように振る舞えば良いのか、自分でもわかっていないのだろう。私も態度を改めなければならない。
歩み寄るのは、まず私からなのだ。
「……名前とか、好きなこととか、食べ物とか……聞きたいのは、たくさんあるけれど……」
手を差し出す。その子はその手を見て、けれども取らず、少しして私の顔を見た。大きな金の瞳の奥に宿す光は、きっと驚きなのだろう。まだ喜んではくれないみたいだけど。
「まずは暖まろう? ほら、私の部屋に行こうよ」
これから友達になれば良いのだ。お父さまも言っていたではないか、友達を連れてきたと。奴隷ではなく、友達としてこの子と一緒に過ごす。しばらくの目標が定まった。
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私の部屋では既に暖炉に火が灯され、幾人かの女中さんが温かい飲み物を三人分、用意してくれていた。私はハーブティーで、予言者の少年はミルク。そしてその子は、どうやら私と同じハーブティーが用意されたみたいだった。厚着では既にその部屋の中では暑く感じるぐらいで、フワモコの服装だった少年もいつの間にか服を脱ぎ、女中の一人に渡していた。
「暑いでしょ。脱いで良いよ」
それは友達に言うよりは、主人が奴隷に命令するのに近い言葉だった。でも今は、そう言わなければその子はその服でずっといてしまうだろう、そんな子なのだ。だから、私がそう言ってようやくその子はコートを脱いだ。支給された衣服なのだろう。地味で薄くて軽くて、決して暖かそうと言うことはできやしない。
「……これ、預かってくれる?」
次に声を掛けたのは女中さんに対してだった。その言葉の意味をわかってくれたのか、女中さんは私のコートだけではなく、その子の脱いだコートも預かってくれた。その子は少しだけ驚き戸惑い、コートを預けて良いか尋ねるように私の方へと顔を向ける。声もなく肯くと、その子はようやくコートから手を離した。
「それで、だけれど……?」
とりあえず椅子にでも座って、何を話そうかと考えていると、少年がその子に歩み寄っていた。何か話したそうだったから、まずは見守ることにした。
「……キミ、五年後、ちょうど」
五年後? その子も私も、ほぼ同時に首を捻る。それにも構わず、少年は言葉を続ける。
「五年後、不幸を作るよ、キミは」
どういう意味だろうか? 予言者の言葉だからただの子どもの戯れ言として捉えずに、きちんと考えなければならない。けれども……五年後に、不幸?
「でもキミはきっと正しい」
少年は冷静に、一定の口調を変化させずに言葉を紡ぐ。
「……だからキミは、許されないとならない……と、思うんだ」
それだけ言い切ると、少年は私がいつも使っている寝台の方へと歩み寄り、その縁に座ってしまった。盲目だと聞いていたけれど、そう信じることができないぐらい自然な動きだった。
「……予言者……」
その子が静かに言葉を漏らす。
「……あまり、気にしなくて良いよ? 難解だもの、いつも」
とは言いながらも、もっとも気にしているのは私だった。今からちょうど五年後、不幸を作る、正しくて、許される……その言葉だけでは、五年後にどのようなことが引き起こされるのかわからず、ただ不安だった。
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