退魔師は公務員
凍った鍋敷き
内閣府大臣官房総務弐課(退魔係)
第1話 退魔師は公務員
「くっそ邪魔だ」
鬱蒼とした森の中、直道は駆けている。
白い半袖のTシャツにジーンズと、ふた昔前の刑事ドラマであれば間違いなくジーパンと言われているであろう服装で、この森にそぐわない服装だ。
直道は地面から飛び出ている木の根を器用に避け、大木の幹を蹴り進行方向を急激に変えた。太い枝が眼前に迫る。彼は屈むような姿勢で枝の下を駆け抜けた。
『直道、急ぐんです!』
直道の肩には小さなキツネ。ふさふさの黄色いしっぽを派手に揺らしたキツネが、振り落とされまいとへばり付いていた。
声の主は、このキツネだ。
「うるさいニラ! 急いでるだろ!」
『ニラではないと何万回言ったらわかるのですか! 韮崎です! に・ら・さ・き!』
「似たようなもんじゃん!」
『レバーと炒められてしまうような軟弱なものと一緒にしないでくださいと何万回言ったら!』
直道と、韮崎と自称するキツネは走りながら言い争っている。言い合いしながらも当たりそうな枝は避け、転がる大きな岩を飛びこえ、ひたすら薄暗い森の中を疾走していた。
『周囲の霊障レベルⅢ! 妖怪化まで待ったなし!』
「凛姉は!」
『祇園と現地で対応中!』
「なんでこんなに後手なんだよ」
『どこかの誰かさんが盛大に寝坊したらからですよ!』
「悪かったって!」
韮崎がその尖った口でため息をついた。
霊障とは、この世のものでない何かが現世に影響を及ぼすことをさす。軽いものではラップ音などが該当する。
レベルとはその段階であり、レベルが上がると
霊障レベルⅢとは妖怪に悪化する一歩手前だった。
「凛姉じゃ霊障レベルⅢ相手に足止めが精一杯だな。ニラ、憑りつけ!」
『ニラじゃなくて韮崎だと!』
文句を申し述べる韮崎。かまわず直道は叫ぶ。
「神威如嶽 神恩如海」
韮崎の体が眩く光り、直道を取り込んでいく。そして煌めく光が消え去った後には、腰からふさふさで黄色のしっぽを生やし、黒い髪の隙間から尖った黄色い耳を飛び出させた直道の姿があった。
直道の体に力が溢れ心拍数が劇的に上がって行く。体の底から湧き上がってくる力に、直道は口に弧を描き、拳を握りしめた。
「っしゃぁ!」
直道が右足に力を入れ踏ん張ると、その体はあり得ない速度で森の中を縫う様に走り始めた。
「いっくぜぇ!」
腹の底から湧き上がる高揚感を、直道はそのまま受け入れる。そしてそれを原動力とし、足に更なる力を込め、飛ぶように走る。
〝憑りつく〟とは、直道の相棒である狐の韮崎と融合する事をさし、その発動には【神威如嶽 神恩如海】という祝詞が必要なのである。
憑りつくことにより、彼は常人では得られない程の筋力を自らのものとすることができる退魔師なのだ。
退魔師といっても色々だ。巫女であったり神職であったり、はたまた密教の僧侶であったり。だが直道はサラリーマンだ。
いや、語弊がある。直道は国家公務員だ。
国家公務員といっても所属は様々だ。直道は内閣府大臣官房の総務弐課所属の公務員で、その実、退魔師だ。
退魔師を内包する組織は他にもある。宮内庁が有名だが、同じ内閣府にもひっそりと存在するのだ。
『現地まで一分!』
直道の頭の中に韮崎の声がダイレクトに響く。憑りついている故の会話方法だ。
「わかったッ!!」
直道は流れゆく木々を避けながら、ジーンズの後ろのポケットから手帳を取り出した。古ぼけた茶色の手帳で、表紙には達筆な文字で〝武器庫〟と書かれていた。
ペラペラと手帳を開く直道の手がある所で止まる。
「出てこいッ、【ビッグママ】!」
直道の叫びに呼応する様に茶色い古びた手帳が鼓動する。そして一瞬光ったあとには、その手帳の上空に厳つい重機関砲が浮いていた。
M2機関砲だ。
自衛隊では【12.7mm重機関銃M2】と呼称される【ブローニングM2重機関銃】。
通称【ビッグママ】。
一九三三年に正式化された古い機関砲であるが信頼性、完成度、その破壊力で未だに生産を続けられているベストセラー機関砲だ。
全長約一七〇〇ミリ。重さ四十kg。弾を込めればそれ以上になる、宙に浮く【ビッグママ】を、直道は右手を伸ばし掴むと右脇に抱えた。一帯百十発のベルト式の銃弾が鈴なりに連なっているそれを、直道は軽々と抱え、速度を落とすことなく走り続ける。
蒼然たる森に開けた空間が見えた。周囲の木々がなぎ倒されて作り出された場所にだけ、ステージライトのように日光が差し込んでいた。
「見えてきたッ! 凛姉に連絡! 巻き添え食うなよ!」
『祇園! そろそろ到着します。トリガーハッピーが暴走中!』
にやけた直道の視界には、某タイヤメーカーのマスコットに似た白いマシュマロを積み上げたような巨大な人型の何かが映る。それは近くに立つ女性の手から伸びる糸のようなもので縛られていた。
白い猫の耳を頭から生やし、真っ白な細長いシッポをたなびかせ、タイトスカートをはいた紺色のスーツの若い女性。彼女が凛姉こと凛である。
ヴヲォォォ
その人型が吠えた。
凛の手から伸びた銀色の糸によって、その人型の何かは捕縛されているのだ。
巨乳のナイスバディと口笛を吹きたくなる彼女も、直道同様に猫と融合している。やや釣り目で気が強く見える彼女が、唇をかんで腕を震わせていた。ソイツの動きを抑えるので手一杯なのだ。
「おとなしくなさい!」
長い髪を振り乱し、凛が叫んだ。その糸から逃げたいのかソレは大きく腕を振って周囲の木を圧し折り、暴れている。そこに【ビッグママ】を抱えた直道が到着した。彼は凛に向かって叫ぶ。
「いま片づけるッ!」
「遅い!」
「悪いッ!」
「任せたわよ!」
ハイヒールを履いている凛が、陽炎の様に残像を残し消えた。直道はそれを確認し、ガガガっと地面に足を押しつけ急停止する。
「シグナルオールグリーン!」
巻き添えの心配がなくなった直道は高揚しきった顔で【ビッグママ】の銃身を左手で掴む。そして【ビッグママ】の後部にあるトリガーに右手をあてた。足を広げ腰を深く落とした直道は、武骨な【ビッグママ】をソイツに向け、おおざっぱに狙いをつける。
「ターゲットロックオン!」
直道の背後に、スーツ姿の凛がそのダイナマイトな胸を揺らし現れる。気配で察したのか、直道の口角が吊り上った。
「あぁたれぇぇぇ!!」
直道の叫びで【ビッグママ】が火を噴いた。激しい振動が直道の腕を貫くが、彼はそれを楽しむかのように嗤う。
灼熱の薬莢を周囲にばら撒きつつ、【ビッグママ】がら放たれたNATO弾は巨大な人型の何かを削っていく。周囲の木々にも被弾し、同様に木端微塵に砕けていく。
激しく暴れる【ビッグママ】を、直道は難なく抑え込み、屈伏させた。融合状態の怪力がなせる業だ。
『特製祝福弾は一発五百円です! 無駄弾は給料から天引きだってわかってますよね?』
韮崎の声が頭に響くが直道は「うるせー!」と一顧だにしない。
【ビッグママ】の弾は対霊障用に祝詞で祝福されている特殊弾だ。この世のものでない霊障には通常の兵器は効果を発揮しない。特製祝福弾を使用するから通常兵器である【ビッグママ】でもダメージを与える事ができるのだ。
「この臭いがたまらねえェェ!」
ハイテンションの直道が叫ぶ。
硝煙の臭いとけたたましい発射音から逃げるように、凛は直道から少し離れた木の陰に避難した。彼女はデキル女風に腰に手を当てため息をつく。
「こうなるとなに言っても無駄ね」
『直道ちゃんは、ダメねー』
「融合すると高揚しちゃうのは分かるけど」
『それを乗り越えてこそ、一人前ねー』
凛とその相方の祇園は、やれやれという会話を交わす。
トリガーハッピー直道はというと、マシュマロの人型を【ビッグママ】で粉々にし右の拳を天に突き上げ、「いよっしゃー!」と勝利の雄たけびを上げているところだった。
東京霞が関。
とあるビルの、地下への階段の先に続く薄暗い廊下の突き当たりに、内閣府大臣官房総務弐課の部屋がある。古ぼけたアルミ製のドアには、不似合いなほど威厳たっぷりの木の板に〝内閣府大臣官房総務二課〟と達筆な文字が書かれている。その部屋から、
『これです、この黄金の油揚げ。やはり宮内庁御用達の正直屋の油揚げはそこらで売っている油揚げとは一味どころか三味は違う! 神々しく輝くこの艶! 匂い立つこの香! 丁寧にあぶられてほんのりついた焦げ目! 一口目はフレーバー! 二口目はエキサイティング!
何故か敷いてある畳の上に置かれたちゃぶ台の前で、黒地に銀の細いストライプ模様の三つ揃えのスーツを着た金髪の男性が、漆器の皿に乗せられた一枚に油揚げに歓喜していた。
誰が見てもイケメンと評するだろう彫の深い顔。清潔感あふれる髪型。
この男性こそ、直道の相方の韮崎だ。狐の耳も尻尾もなく、どこからどう見ても外国人にしか見えなくとも。
韮崎は金縁の眼鏡を光らせ、真っ赤なネクタイを締めなおした。まるでどこかの皇族の御前に出るかのような厳かな空気をまとう。
『ふふ、週に一度の御馳走です』
右手にナイフ、左手にフォークを持ち、キチンと正座をした韮崎は、背筋を伸ばし、黄金の油揚げに切り込みを入れた。ナイフは溶けるように油揚げに入り込み、一片の黄金を作りあげる。
韮崎は黄金に輝く油揚げを、愛おしむようにフォークで刺し、流れる動作で口に運んだ。ゆっくりと惜しむように咀嚼する。
『あぁ…………苦労が報われる美味しさ……疲れも吹き飛ぶというもの』
韮崎が頬に手を当て、蕩けるような笑みを浮かべた。その笑みは、女性ならば靡びいてしまうほど蠱惑的だった。
油揚げを一口食べるごとにウットリと恍惚の笑みを浮かべる韮崎の横では、普通の事務デスクについている直道と凛がいた。さすがに直道もスーツでパリッとした格好だ。
「で、凛姉。今回の霊障の原因は?」
ミルクたっぷりのコーヒーをすする直道が尋ねると、ブラックコーヒーを嗜む凛が「不明」とだけ答えた。凛はそのむっちりとした太ももに真っ白い猫を乗せている。この猫が祇園である。
「不明ってなんだよ」
直道が、机に置かれたお菓子入れから煎餅を掴みぼやく。
霊障は、何かが原因で発生することまでは分かっていた。だが、今回はその理由が分からなかったのだ。
「不明は不明。分らないモノは分らない」
祇園をビッグな胸に押し付けるように抱っこし、ミニのタイトスカートから艶めかしく覗く足を組み替えた凛が愛想なく答えた。凛も祇園と融合すると興奮状態になるのだが、素の彼女はクールすぎるキャリアウーマンだ。
『凛。これって、絶壁なあたしに対する嫌味ねー?』
凛の胸元から声が聞こえたが彼女の表情は一ミリたりとも動かない。むしろむぎゅっと押し付けている感すらある。
「まぁ、祇園はちっぱいだからな。ある界隈の住人には大人気らしいじゃん?」
『そんな奴らは燃えちゃえばいいんだ』
白い猫の祇園がふーっと毛を逆立てた。
彼らは人間の姿にもなれるし、動物の姿にもなれる。祇園は絶望的なまでの貧乳から、この猫の姿をとっていることが多い。相方の凛が爆乳であるから、尚更だ。
「ま、霊障が悪化してダイダラボッチにならなかったんだから良しとしよう。山なんか削られちゃったら国土地理院の同期が泣く」
直道はガコッと煎餅をかじった。ゴマの煎餅らしくふんわりと香りが漂う。
「ダイダラボッチだったら宮内庁が動くわ。あたし達は霊障の段階まで。それ以上には手出し無用」
凛が手に取った煎餅をパキンと割り、半分を祇園の口に持って行く。祇園はぼろぼろと煎餅のかすをこぼしながら齧っていた。
「でかい案件は
「それに、あの姿は人に見られちゃだめ」
「面倒なことになるしな」
そう言って、直道はまた煎餅に手を伸ばした。
凛の言うあの姿とは、頭に耳、腰にしっぽが付いたキュートな姿だ。人が見ればコスプレかいかがわしい風俗の中の人と思われるだけだろう。可哀想な人と思われてしまうかもしれない。
国家公務員の格好を見られては大騒ぎだ。テレビが押しかけてくるのは間違いないだろう。バッシングの餌食になって、社会的に抹殺されてしまうかもしれない。彼らは常に話題に飢えているのだ。
「あー、分かってると思うけど、十分気を付けてね」
部屋の奥から声がかかる。向かい合ったふたりの席の奥に、実はもう一つ机がある。座っているのは前髪前線が押されっぱなしで寂しげな頭をした、下がり眉で気の弱そうな顔の中年男。この総務弐課の課長
頼りなさげな課長安心院も退魔師である。
相方は安心院の椅子の後方に鎮座している狸の瀬戸物だ。陣笠を首にひっかけ、手には徳利。そう、あの狸の置物だ。いつも置物に化けている、老獪な化け狸なのだ。
「分かってますって」
「大丈夫」
直道も凛も課長に顔を向け苦笑した。ふたりはこれでも国家公務員だ。
大臣官房は様々は業務をこなす組織だが、ここ内閣府大臣官房総務弐課の業務は特殊だ。
"他の内部部局の所掌に属しないものに関すること〟
これを主な業務内容とする三人しかいない小さな部署ではあるが、その業務内容は機密であり、情報開示請求でも表に出ることはない。何をしているか分からないが故に他の省庁からも冷ややかな目で見られているのだが。
他部署からは無駄飯ぐらいの閑職扱いされている総務弐課といえども。
他の退魔師からはへっぽこだのポンコツだの陰口を叩かれようとも。
霊力なしのダメ退魔師と言われようとも。
直道と凛はそれぞれの相方と協力して、事が大きくなる前に霊障を鎮静化させるのだ。
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